
おばちゃんの挨拶は、噛みつきません。
今朝、近所のおにぎり屋で朝食を買い、マンションの入り口まで戻ってきたときのことだ。
手元のプラスチックパックは、炊きたての米が放つ熱でほんのりと曇っている。指先に伝わるその温もりを抱えながら、私はエントランスへ足を踏み入れた。
そこで三人の住人とすれ違った。一人、二人、三人。
いずれも十代か二十代とおぼしき若い女性たちだ。ふいに出口で鉢合わせ、一瞬、目が合う。
私はごく自然に「おはようございます」と声をかけた。
けれど、返事はない。
彼女たちは無言のまま、何事もなかったかのように私の脇を通り過ぎていった。
残されたのは、行き場を失って足元に落ちた私の挨拶だけだ。
ふと思う。なぜ彼女たちは口を閉ざすのだろう。「おばちゃん」に挨拶を返したところで何のメリットもないという打算だろうか。それとも、挨拶を交わすことが、何か不用意に噛みつかれるとでも思っているのか。
もし私が眩しいほどのイケメンだったなら、彼女たちも笑顔で返したのだろうか。
私の住むマンションは、特に挨拶をしない人が多い。
今の風潮と言えばそれまでだが、同じ屋根の下に住む者同士、会釈くらいあってもいいのに、とモヤモヤした気分が残る。防犯意識なのか、あるいは無関心が処世術なのか。
エレベーターを待つ間、手の中のパックに目を落とす。おにぎりはまだ驚くほど温かい。
誰とも繋がれない廊下の冷たさと、掌にある確かな熱。
「まあ、こんなものか」
少しだけ苦笑いして、私は一人、静かなエレベーターに乗り込んだ。