
【読書記録 -183】『従業員体験』ハーバード・ビジネス・レビュー 2025年2月号
現状不満足
3年くらい前の話だが、花王のデジタルイノベーションプロジェクトの方々と何度か話をする機会があった。
それは花王のSCM部門に設置された、サプライチェーンのDXを推進するプロジェクトだ。2021年7月に発足し、データサイエンティストなどの専門人材を集めて「プロジェクト・ドリブン」な組織運営を目指していたという。
当時、ボクたちは「SCMの現場にテクノロジーをどのように導入させるか」というテーマで話をしていたのだが、そこに入社してまだそれほど経験を積んでいない(ように見える)若手社員が何人も参加していたのが印象的だった。そのプロジェクトのリーダーは、そういった若手がボクらのような外部の専門家(DXの実務家)と触れる機会を積極的に作っているように見えたのだった。
さて、ハーバード・ビジネス・レビュー2025年2月号の特集は『従業員体験』だ。本特集には、その花王の代表取締役社長 長谷部佳宏へのインタビューが掲載されている。

長谷部氏が目指しているのは、単純に社員を増やしたり減らしたりすることではなく、人材の流動性を高めて組織の新陳代謝を促すことだ。
その中で長谷部氏は、花王が求める人材を「現状不満足」という言葉で表現している。今の状態を当たり前だと思わず、「もっと変えられるのではないか」と考える人だ。
花王では「意欲ある人財をとがらせる」「脱マトリックス型組織運営」「挑戦・成果重視の環境創り」という3つの施策を進めている。従来の組織を超えて重要なタスクに人材を集める、スクラム型の組織運営もその一つだ。
3年前にボクが見たのは、こういう組織づくりの一部だったのかもしれない。
仕事におけるPushとPull
今号の特集には、イーサン・バーンスタイン、マイケル B. ホーン、ボブ・モエスタらによる「従業員が辞めていく企業は何を間違えているのか」という論文も収録されている。
彼らは15年間にわたって1,000人超の転職者を調査した。
そこで見えてきたのが、人を現在の仕事から遠ざける「Push」と、新しい仕事へ引き寄せる「Pull」だ。
たとえば「成長できない」「自分の仕事に意味を感じられない」はPushになる。一方、「もっと挑戦したい」「自由に働きたい」「自分の経験を生かしたい」はPullになる。
これは「ジョブ理論」の考え方にもつながっている。
人は単に会社が嫌だから転職するわけではない。
今いる場所では得られないProgress(進歩)を実現するために、新たな仕事をHire(雇用)するのだ。
そう考えると、長谷部氏の言う「現状不満足」という言葉は面白い。
現状に不満を持つ人を押さえ込めば、それは会社を離れるPushになり得る。しかし、その人に現状を変える機会を与えれば、同じ「不満足」が組織を変えるアクションにもなる。
会社は従業員の未来を設計すべきなのか
逆方向に気になったのは、エリック・アニシッチとダート・リンズリーの「仕事の満足度を高めるためにプロダクトデザインの発想を応用する」という論文だ。
それは、商品やサービスのカスタマージャーニーを設計するように、従業員の体験(エンプロイージャーニー)も設計しようという考え方だ。だがボクはそういった考えには少し懐疑的だ。
大手企業では、しばしば上司と部下の1 on 1で「あなたは、将来どんなキャリアを目指していますか?」などと質問される。
会社は(おせっかいなことに)社員の目指す場所を決め、そのために必要な経験を考え、そこへ向かうキャリアパスを設計する。そして、最速でそこに辿り着くためにKPIを設定しようとする…
なんだか、最近聞いたようなお話だ。
そもそも、会社が従業員の未来を決めようなんて、おこがましいのではないだろうか。
通常、会社はピラミッド型だ。いくら会社がキャリアパスを示したところで、全員がその道を進めるわけではない。上に行くほどポジションは少なくなるからだ。
キャリアパスが見えないことで会社を辞める人もいるだろう。しかし反対に、自分のキャリアパスが見えてしまった(この先に待っているのがこれなのか…)ために会社を辞める人もいるはずだ。
つまり、未来が明確になることは、ある人にとってはPullだが、別の人にとってはPushにもなるのだ。
未来を見せるより、今、違う世界を見せる
3年前に花王の立派な会議室で話をした、あの若手社員たちにどんなキャリアパスが示されていたのかボクは知らない。だけど、彼らが経験の浅いうちから、外部の人間との会話に参加する機会を与えられていたことは明らかだ。
会社が従業員の未来を決める必要はない。
それよりも、普段と違う人と出会い、違う考え方に触れ、自分の中に新しい選択肢を増やしていく機会を得たことが、彼らにとってずっとオープンエンドネスな体験だったろう。
未来を見せるより、今、違う世界を見せる。
その先で何を見つけ、どこへ向かうのかは本人に任せればいい。
彼らは、そんな恵まれた環境の中にいたのかもしれない。
参考リンク
ハーバード・ビジネス・レビュー 2025年2月号