
マルチタスク
ボクはパソコンを3画面構成にして使っている。
以前は自前のモバイルモニターを持ち歩いて、会社でノートパソコンにつないで勝手に3画面にして使っていたが、会社がモニターを1個追加してくれたので、余ったモバイルモニターを自宅で使うようにした。
なので、自宅の作業環境も3画面になった。
もう半年くらいになるだろうか。
3画面あると作業が非常に楽になる。
最近では、AIがいろんなアプリと連携できるようになっているので、だいたいメインにしているAIとのやり取りで多くのアプリを動かすことができる。
たとえば、今はメインの画面でnoteの記事を書いているが、2画面目にノーコードアプリが開かれていて、3画面目でClaudeが動いている。Claudeに指示だけ与えておけば、あとは半自動でアプリ開発をしてくれる。ボクはちょいちょい進捗を確認して、追加の指示を出せばいいだけだ。
世の中の偉い人たちは、こうやってマルチタスクで仕事が進むようになることを願っているんだろう。そうすれば同じ時間内で、より多くの仕事が終わるようになる。
それがAIによる効率化の正解なのだろう。
さて、何をもって「効率化」と言うか、だが…
やはり、今までやっていた作業をより短い時間で終わらせること、もしくは今までと同じ時間でより精度の高いアウトプットを出すこと、その2つを「効率化」と呼ぶしかないと思う。
前者においては、ルーティーンワークをAIにやらせることで、大きな効果を得ることができるだろう。会議の内容を文字起こしするとか、アプリ開発のコードを高速で書かせるとか、送られてきた質問にChat Botが自動で回答するなどの、人の作業を半分以下に減らせるような仕組みは「効率化した」と言っていい。そしてこれらの多くはすでに社会に実装済みだ。
だけど、後者を「効率化」と呼ぶことができるかと言うと、ちょっと疑問が残る。
物理的にモノを生み出すわけじゃないデジタル空間において、何かのアウトプットを出すとなると、それは「知的生産」しかない。
知的生産とは、頭を働かせて既存の情報や新しい知識を整理・思考し、人に伝わる形(文章や企画など)で新しい価値や情報をつくりだす活動のこと。
知的生産のアウトプットを効率化するためにAIにできることと言うと、何か文章を書いたときの誤字脱字チェックとか、アイディア出しのための壁打ちとか、何かを忘れないための自動アラートとか、そんなことになるだろう。
だけど、それは「効率化した」と言えない気がする。
なぜなら、人の作業の部分が大きく時間短縮されているわけではないからだ。
そうなると、知的生産において効率化できそうな方法論が「マルチタスク」のような気がする。2つの画面で別々の知的生産を並行して行うことによって、ひとりの知的生産者が今までと同じ時間で2つの(高い精度の)アウトプットを出す。これなら「人のやっていた時間を半分に減らす=効率化」と呼べるんじゃないだろうか。
だが、人間の脳はひとつしかない。
わき見運転が交通事故の大きな要因であるように、何かに気を取られていると、他のことに集中できなくなるのは明白だ。
実際、この記事を書きながら、別の画面でClaudeを使ってノーコードアプリのUIをいじっている状態だったが、結局気が散ってしまって良い文章が書けないことに気が付いた。
やっぱり、精度の高い(知的生産の)アウトプットを出すためには、思考の海に深く潜らなければならない。ふわふわと漂っている雑多なパーツを論理的に結合させたり並べ替えたりしなければならない。複数の画面を行ったり来たりすることは、その思考のディープダイブを阻害するように感じたのだ。
そうなると、マルチタスクが良いことなのかという疑問が追加されることになる。
ボクは今日、この記事を書きながら(マルチタスクで)Claudeを使ってアプリを作らせてみた。
結果、アプリの方は進んだが、文章を上手く書くことができなかった。いつものようなスピード感で文章を構成することができなかったのだ。なので、今はClaudeを閉じて、文章を書くことに集中している。
そう考えると、どうやら知的生産というものは、空いている時間にもうひとつ詰め込めば、2倍になるようなものではないらしい。
場合によっては「逆に効率が落ちてしまうこともある」と気が付いた一日になったのだった。