
ネオフォビア
ChatGPTのスレッドを使い切る人
先日、ChatGPTと会話をしていたら、突然こんなメッセージが表示された。
「この会話は長さの上限に到達していますが、新しいチャットを始めて会話を続けることができます。」
どうやらChatGPTの会話には、スレッド単位で長さの上限があるらしい。
ボクがバカみたいにChatGPTとラリーをしていたのは、ハーバード・ビジネス・レビューの記事を書くための壁打ちスレッドだ。記録を辿ってみると、このスレッドを使い始めたのは7月20日前後、最初に書いた記事は2025年12月のバックナンバー。ドラッカーの特集の号だった。
そこからおよそ2か月。
散々ハーバード・ビジネス・レビューのことを詰め込んだスレッドだ。使えなくなってしまうとなんだかちょっと寂しい。
長く担当してくれた保険の担当者が退職してしまったような気分だ(しらんけどw)。
ひたすらHBRについて掘ったスレッド
ボクは、ハーバード・ビジネス・レビューというムック本(以下HBR)が結構好きで(バックナンバーも併せて)しばしばAmazonや丸善で買ってはつまみ読み(PR的な記事を飛ばして読む)をしているのだ。
そうなると、必然的に「特集」のテーマを見て買うか買わないかを決めるようになり、特集ページを集中的に読むようになる。
HBRの特集に掲載されている論文はなかなか難解だ。
このムック本の特集は、だいたい3本前後の論文と1本のインタビューで構成されている。論文は主にアメリカの研究者が書いていて、インタビューは日本の大手企業の経営者であることが多い。
インタビュー記事はスッと入ってくるものが多いが、論文の方はそうはいかない。日本語版は原著そのものではなく、翻訳者や編集者などの複数の解釈レイヤーを通っていて、さらに日本語ならではの曖昧さも加わる。
本当は、そこまで掘らないで素直に読めばいいのだろうが、気になり始めると解明しないと気が済まない性分だ。原文の表現とか使われている単語の原義などまで掘り進めながら読み進める。そのときにAIが非常に役立つのだ。
そして、それぞれの論文が何を言っているのかを比較する。そして「この特集が伝えようとしていることは何か」という問いに対する自分なりの解を見つけ出して、自分なりの納得感を持ってnoteに記事を書く。
そんなことをやっているから、2か月でスレッドを使い切ってしまうのだ。
オープンエンドネスとクローズドループ
以前、『目標という幻想』という本について記事を書いた。
そこで扱ったのは「オープンエンドネス」という考え方だ。
遠くにあるゴールをあらかじめ固定して、そこへ向かって最短距離で進むのではなく、いま自分の周囲にある「良さそうな足がかり」に目を配り、そこへ移動してみる。
その繰り返しによって、最初に目標を置いたときには想像することすらできなかった場所へたどり着くことがある。
『目標という幻想』の著者 ケネス・スタンリーとジョエル・リーマンは、それを「非目標駆動型探索」と呼んでいる。
一方で、ボクは以前から「ループを閉じる」という言葉をよく使っている。
問いを立て、それについて調べてじっくりと考える。
それについて誰かと話すなり議論するなどして、自分なりの解を出す。それでも違和感があるようなら、もう一度考える。
大事なのは「問いを投げっぱなしにしない」ということだ。
立てた問いは必ず閉じる…それが「クローズドループ」の考えだ。
エンドを開く。
ループを閉じる。
エンドを開く。
ループを閉じる。
エンドを開く。
ループを閉じる…
どうやらボクは、同じChatGPTのスレッドで、そんなことを2か月繰り返していたらしい。
強制終了
今日、ボクのパソコンが熱暴走して動かなくなった。

スマホでGeminiくんに聞いてみると、電源ボタンを長押しして、30分以上放熱させろとのこと。どうやら、多機能USBハブ(複数のUSBやHDMI接続、PDなどを一つのポートにまとめたもの)を使っていると、ハブ自体にもPC側のチップにも強烈な負荷がかかり、熱を持つらしい。
パソコン画面に見慣れない表示が出るとドキリとする。
ChatGPTに赤文字の警告が出るとハッとする。
それは、脳が警戒信号を発するからだ。
そういう心理的傾向を「ネオフォビア(新奇恐怖症)」と言うらしい。
ネオフォビア(neophobia)とは、新しいものや未知のもの、これまで経験したことのない環境や体験に対して、強い不安や恐怖、警戒心を抱く心理的傾向(新奇恐怖症)のことです。
ネオフォビアの対策は、「小さなステップで少しずつ慣れること」と「ポジティブな体験と結びつけること」が基本だと言われている。
しかし、たまには思い切って強制終了させて、新しいスレッドを開いてみるのも解決策のひとつなのかもしれない。