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お金がなくても、医学部を諦めないでほしい|逆境から医学部へ挑んだ生徒たち

    「お金がなくても、医学部に行けますか?」

    私は、医学部受験を目指す中高生と保護者の相談に、22年向き合ってきた。

    その中で、どうしても胸に残る言葉がある。

    「進学校でなくても、医学部を目指せますか?」

    「塾には行っていないのですが、可能性はありますか?」

    医学部受験には、独特の厳しさがある。

    国公立医学部は学費こそ抑えられるが、どの大学も難関である。地方の国立大学であっても、全国から成績上位層が集まってくる。

    一方、私立医学部には学費の壁がある。6年間で2千万円台から、高い大学では5千万円近くかかることもある。

    では、私立医学部なら入りやすいのか。

    決して、そうではない。

    大学や入試方式によっては、非常に高い倍率になる。共通テスト利用入試では、100倍を超える倍率になることさえある。

    外から見れば、わかりにくい世界だ。

    入試方式は複雑で、推薦入試や地域枠、奨学金制度まで含めると、何を調べればよいのか見当もつかない。

    進学校にいれば、先輩の合格例がある。医学部専門予備校に通えば、情報も入ってくる。

    しかし、地方の高校にいて、周りに医学部受験生がほとんどいない。医学部専門の塾にも通えない。

    そういう生徒にとって、医学部受験は、まず「情報の壁」として現れる。

    医学部受験は、学力だけの勝負ではない。

    お金。学校。地域。情報。

    そうしたものが、受験生の前に壁として立ちはだかることがある。

    それでも、私はずっと思ってきた。

    お金がないから。

    進学校ではないから。

    地方の高校だから。

    それを理由に、医学部を諦めてほしくない。

    お金がなくても、医学部を諦めないでほしい。

    このエッセイは、そうした受験生たちに、私がどうしても届けたかった記録である。

    1 ブログに届いた全国からの相談


    私が医学部受験のブログを書き始めたのは、2005年10月のことです。

    当時、私は医学部専門予備校で教務を担当していました。

    もともとは英語講師として入るつもりでしたが、気づけば、やったことのない医学部専門部門の教務に回されていました。

    人生は、時々奇妙な方向へ進むもの。

    その偶然が、私を22年にわたって医学部受験の世界に深く関わらせることになるとは、当時は思ってもみませんでした。

    予備校には毎日、生徒たちが勉強に来ていました。けれど、私にも当然ながら週に2日の休みがあります。

    私がいない日に、生徒から「白水さんがいないと困ります」と言われたことがありました。

    その言葉が、ブログを始めるきっかけになったのです。

    私がいない日でも、生徒たちが医学部受験の情報や勉強法を読める場所を作れないか。そう考えて、ブログを書き始めました。

    最初は、本当に目の前の生徒に向けて書いていました。

    志望校の選び方。
    勉強の進め方。
    医学部受験で気をつけるべきこと。
    面接や小論文で大切になる考え方。

    そうした内容を、少しずつ書き残していきました。

    ところが、しばらくすると全国から相談メールが届くようになりました。

    特に多かったのは、「医学部受験の情報がない」「周りに医学部生がいない」「合格までの道筋が分からない」といった相談です。

    首都圏の大手予備校に通える生徒ばかりではありません。近くに医学部受験に詳しい塾がない。学校に医学部志望者が少ない。保護者も何から調べればよいのか分からない。

    当時、慶應義塾大学医学部の学生が、スタッフとして在籍していました。

    全国から届く相談メールの話をしたところ、彼が言いました。

    「僕が相談に乗りましょうか」

    その一言がきっかけで、ブログ上で医学部受験の相談メール企画を行うことになりました。

    すると、またたく間に数十件の相談が届いたのです。

    志望校のこと。
    勉強法のこと。
    学費のこと。
    地方にいて情報がないこと。
    進学校ではない不安。

    相談の内容は、どれも切実でした。

    しばらくすると、そのとき相談をくださった方から、「医学部に合格しました」という報告も届くようになりました。

    最初は、目の前の生徒のために始めたブログでした。

    しかし、いつの間にか、まだ会ったことのない受験生や保護者とつながる場所になっていたのです。

    全国から届くメールに向き合う中で、私は医学部受験の厳しさを、少しずつ別の角度から知るようになりました。

    その中に、どうしてもひっかかる相談がありました。

    「お金がない。でも、医学部に行きたい」

    という声です。

    2 お金がなくても医学部に行けるのか


    その声の奥には、こんな切実な問いがありました。

    私立医学部の学費は、とても払えない。医学部専門予備校に通うにも、浪人生なら年間数百万円、場合によっては1千万円近い費用がかかる。

    そもそも、地方の高校生にとっては、医学部受験に詳しい塾が近くにあるとも限りません。通いたくても通えない。そういう現実があります。

    それなら、学費を抑えられる国公立医学部を目指すしかない。

    「けれど、それは本当に可能なのか」

    そうした相談を読むたびに、私は鎌田實医師の若いころの話を思い出しました。

    鎌田先生は、医学部へ進みたいと思いながらも、家庭の経済的な事情から強く反対されたといいます。大学に行かせる余裕はない。まして医学部など、貧しい家庭には関係のない世界だ。そんな空気の中で、自分の力で道を切り拓いていった方です。

    医学部受験指導を始めたころ、少なくとも私は、今の時代にも鎌田先生の若いころのような思いをしている受験生がいるとは、正直、想像していませんでした。

    しかし、実際にはいました。

    お金がない。進学校ではない。地方にいて情報が少ない。周りに医学部志望者もいない。

    それでも、医学部に行きたい。

    その声を前にしたとき、私は思いました。

    だったら、行けることを証明しよう。

    お金がなくても、進学校でなくても、医学部へ進む道はある。もちろん簡単ではありません。きれいごとで済む話でもありません。

    けれど、最初から諦める必要はない。

    そう思った私は、ブログで呼びかけることにしました。

    経済的な理由や学校環境に不安があっても、本気で医学部を目指したい高校生がいるなら、私が無償でサポートする。

    その呼びかけから、後に「勝(奨)学生になろう!」プロジェクトが生まれていきました。

    3 勝(奨)学生になろう!プロジェクト


    対象にしたのは、塾に通わず、医学部受験の情報や学習環境に恵まれていない高校生でした。

    学力は問いません。

    その代わり、医学部に行きたい理由を書いてもらいました。

    成績は、そこから上げればいい。医学部受験で何をどう積み上げればよいのか、私にはある程度の道筋が見えていました。

    ただ、本人のやる気だけは欠かせません。

    とはいえ、他の教育関係者が見れば、かなり無茶な呼びかけだった気もします。

    医学部受験は、簡単な世界ではありません。学費の負担を抑えられる進路にも、厳しい競争があります。

    それでも、道がまったくないわけではない。

    そう思っていました。

    プロジェクト名は、ブログ上で公募しました。

    採用したのは、友人が出してくれた「勝(奨)学生になろう!」という案でした。

    奨学金を得て医学部を目指す「奨学生」。

    医学部受験に勝つ「勝学生」。

    その二つの意味が込められていました。

    私がしたのは、単に勉強を教えることではありません。

    どの大学なら現実的に狙えるのか。どの入試方式ならチャンスがあるのか。学費や奨学金の制度はどうなっているのか。

    今の成績から、どの科目をどの順番で仕上げるべきか。どの問題集や参考書を使うか。どの模試を、いつ受けるか。

    医学部合格に必要なことを一緒に考え、できる限り伴走することでした。

    実際には、応募してくれた生徒が全員、医学部へ進んだわけではありません。

    途中で医学部受験を断念した生徒もいました。進路を変更した生徒もいます。中には、早稲田大学の理工学部に全額奨学金を得て進学した高校生もいました。

    それでも、私はそれを失敗だとは思っていません。

    大切なのは、最初から選択肢を閉ざさないこと。医学部に進むにしても、別の道へ進むにしても、自分の可能性を知ったうえで選べることだと思うからです。

    医学部受験では、情報があるかどうかで、選択肢の幅は大きく変わってきます。

    お金がないなら、なおさら情報が必要です。

    進学校ではないなら、戦略が必要です。

    地方にいるなら、早く道筋を知る必要があります。

    私は、このプロジェクトを通じて、それを伝えたかったのだと思います。

    そして、その呼びかけに応えてくれた生徒の中から、後に金沢大学医学部に現役で合格する生徒が出ることになります。

    4 無名校から金沢大学医学部へ


    そのプロジェクトで、忘れられない生徒がいます。

    高校2年生の1学期、ある生徒からメールが届きました。

    彼は、防衛医科大学校を志望していました。6月に受けた河合塾の模試では、防衛医科大学校はD判定。結果を心配してメールをくれたのです。

    進学校と比べて、高校の数学の授業進度が遅い。
    防衛医科大学校の記述問題には、とても歯が立たない。
    浪人生に負けないために、これから何をすればよいのか。

    防衛医科大学校の入試までは、もう1年ちょっとしかありません。
    彼は、かなり焦っていました。

    そこから、彼とのメールのやり取りが始まります。

    中でも、今も印象に残っている言葉があります。

    「自分の通う学校は進学校とは言えず、予備校に行けない自分は、ライバル、また、医学部進学のエキスパートに飢えています」

    この一文を読んだとき、私は、彼の孤独を感じました。

    医学部に行きたい。
    けれど、周りに同じ目標を持つ生徒が少ない。
    学校の進度も、医学部受験に十分対応しているとは言えない。
    予備校にも行けない。

    その状況で、防衛医科大学校を本気で目指していたのです。

    迷い、不安、立て直し。その繰り返しでした。

    そんなやり取りを重ねながら、半年が過ぎていったのです。

    努力が実を結び、高校3年の秋には、模試で金沢大学医学部がB判定になるところまで力をつけました。

    けれど、受験勉強がいつも順調だったわけではありません。

    理科の進度が遅い。あれもこれもやらなければと焦る。
    模試で失敗し、自信をなくす。
    夏休みの成果が出なくて不安になる。

    そんなメールが、何度も届きました。

    そのたびに、私は返信しました。

    今やるべきことを整理する。
    志望校を考える。
    科目ごとの優先順位を決める。
    不安になっている本人を、もう一度勉強へ戻す。

    元気をなくした生徒に、もう一度前を向いてもらう。
    それも、受験指導の大事な仕事です。

    すると彼は、また前を向きました。

    「燃えてきました。本当にありがとうございます」

    そんな返信が届くたびに、私もまた背筋が伸びました。

    そして、高校3年生の3月上旬。

    合格発表の日に、彼からメールが届きました。

    「金沢大学医学部に合格しました」

    その短い報告を読んだとき、私はしばらく画面を見つめていました。

    お金がない。
    進学校ではない。
    予備校にも行けない。

    それでも、医学部に届く生徒はいる。

    そのことを、彼が証明してくれた気がしました。

    5 工業高校から秋田大学医学部へ


    もう一人、忘れられない生徒がいます。

    最初に連絡をくださったのは、本人ではなくお母様でした。
    彼がまだ中学3年生のころ、「医学部メール相談室」を通じて相談をいただいたのです。

    その後、高校1年生になると、今度は本人からメールが届くようになります。

    そこから、3年間にわたる伴走が始まりました。

    彼が通っていたのは、普通科の進学校ではありません。工業系の高校です。

    医学部受験の世界では、工業系の高校から医学部を目指すというだけで、かなり珍しいケースでした。周囲に同じ目標を持つ生徒も、医学部受験に詳しい先生や先輩も、多くはなかったはずです。

    志望校も、最初から一つに決まっていたわけではありませんでした。

    防衛医科大学校。
    群馬大学。
    秋田大学。

    本人の状況や学力、将来の希望を見ながら、何度も相談を重ねました。

    後に彼は、合格後のメールでこう書いてくれました。

    「白水さんとメールを始めた当初は、工業高校から医学部なんて無理なんだろうなと本当に思っていました」

    この言葉を読んだとき、胸に残るものがありました。

    無理かもしれない。
    でも、医学部に行きたい。

    その気持ちを抱えながら、彼は3年間、メールを送り続けてくれました。
    その総字数は、なんと5万字を超えます。

    合格後のメールには、こんな言葉もありました。

    「目標を明確にすれば、どんな努力も苦でなくなり、自然と自分の目標に向かって努力する姿勢が出来上がっていくことが本当によくわかりました」

    医学部受験で大切なのは、最初の学校名だけではありません。

    もちろん、学力は必要です。
    努力も必要です。
    現実は甘くありません。

    けれど、目標が明確になり、何をすればよいのかが見えてくると、人は変わります。

    彼は、それを自分の力で示してくれました。

    2011年3月7日、彼からメールが届きました。

    「秋田大学医学部医学科、無事受かりました」

    中学3年生のころにお母様から相談を受け、高校1年生から本人とメールを重ねてきた生徒が、工業高校から秋田大学医学部医学科に現役で合格した。

    その報告を読んだとき、私は、ただ嬉しかった。

    後に彼は、自分の経験を振り返って、こんな言葉も残しています。

    「工業高校の人は、医学部受験は間違いなく不利です。でもそれでも自分は医学部に入りたかったから最後まで頑張れたのだと思います」

    彼は、工業高校という環境を美談にはしませんでした。

    不利は不利だと認めていた。
    それでも、それを言い訳にしてほしくないと言った。

    そして、彼は私に一つのお願いをしました。

    「今後の医学部受験生に、必ずなぜ医学部を受験するのか理由を聞いてほしい」

    なぜ医学部なのか。
    どの大学で何を学びたいのか。
    将来、どのような医師になりたいのか。

    それが決まっているかどうかで、成績の伸び方も、努力の続き方も変わってくる。彼は、自分の経験からそう教えてくれました。

    私が受験生に「なぜ医学部なのか」を聞く理由も、そこにあります。

    6 本とともに届けたかったもの


    秋田大学医学部に合格した彼には、後にあらためて受験生活の話を聞かせてもらいました。

    工業系の高校から医学部を目指す中で、何に悩み、何を考え、どう乗り越えてきたのか。

    その話は、私の著書にも収録することになります。

    私が本を出版しようと思った理由は、はっきりしています。

    お金がなくても、医学部に行ける道がある。

    そのことを、もっと多くの受験生に伝えたかったのです。

    医学部受験の情報は、持っている家庭には集まります。

    けれど、本当に必要としている生徒ほど、情報にたどり着けないことがある。

    その思いは、秋田県の高校生たちにもつながっていきました。

    秋田大学医学部に進学した彼から、あるとき連絡がありました。

    秋田県の高校1・2年生を秋田大学医学部に招き、医学生との交流や大学の先生方の講義を行う企画がある。そこに、私の本を寄贈できないかという相談でした。

    参加する高校生は66名。学校は、秋田県内の14校にわたっていました。

    彼は、こう書いてくれました。

    「この本は医学部の情報が少ない地方の高校、特に進学校でない高校の生徒には必要な情報が入ってると思います。きっと役に立つはずです」

    この言葉を読んで、私は迷いませんでした。

    ただし、彼が関わっていた企画そのものに、私が直接関係していたわけではありません。

    私はあくまで個人として、秋田県内の高校へ本を届けることにしました。発送は、現地の事情を知っている彼が代行してくれました。

    本代と送料は、彼への原稿料のような気持ちでもありました。

    同時に、まだ会ったことのない秋田の高校生たちへの応援でもありました。

    しばらくして、秋田県の高校の先生からお礼のメールが届きました。

    その高校は、複数の学校が統合して開校したばかりで、地域に一つしかない高校でした。

    近くの総合病院も医師不足に悩んでおり、いつかその高校から医学部に合格できる生徒を育てたい。

    先生は、そう書いてくださいました。

    地方では、医学部に合格者を出すことが、そのまま地域医療の未来につながることもある。

    そのことを、私は先生のメールからあらためて感じました。

    医学部受験の情報には、届きやすい場所と、届きにくい場所がある。

    だからこそ、必要としている生徒のいる場所へ、こちらから届ける意味がある。

    本は、秋田県の高校だけでなく、私の生まれ故郷である佐賀県鹿島市の鹿島市民図書館にも寄贈しました。

    図書館の方からは、鹿島市に縁のある資料として受け入れたいこと、そして中高生にも読んでもらいたいという内容のメールをいただきました。

    しばらくして、お礼の手紙も届きます。

    その手紙を、鹿島で育った母に見せると、とても喜んでくれたのを覚えています。

    自分が書いた本が、遠く離れた秋田の高校に届き、故郷の図書館にも置かれている。

    その事実は、今でも少し不思議で、ありがたいことだと思います。

    2016年には、朝日中高生新聞から取材を受ける機会もありました。

    取材のテーマは、医学部を目指す中高生が、地域枠や奨学金制度をどのように調べればよいのか、というものでした。

    お金がないから医学部を諦めるのではなく、まず使える制度を調べてみる。

    その方法を、中高生に伝えたかったのです。

    本を贈ること。
    新聞で話すこと。
    メールで相談に答えること。

    形は違っても、私がしたかったことは同じでした。

    その先にいる誰かに、

    「あなたにも道はあるかもしれない」

    と伝えることだったのだと思います。

    7 新聞記事で出会った少女


    届けたいと思ったのは、本そのものだけではありませんでした。

    ある日、新聞で、医学部を目指す15歳の少女の記事を読みました。

    病気の母を支えながら、毎朝5時に起きて勉強している少女でした。

    学習支援の場で出会った女性医師に憧れ、自分も困っている人を助けたい。その思いを胸に、医学部を目指していました。

    私は、その記事を読んだあと、しばらく考え込んでしまいました。

    医学部を目指している。
    けれど、環境は決して楽ではない。
    それでも、誰かを助ける医師になりたいと思っている。

    放っておけませんでした。

    せめて、医学部に行くための道筋だけでも届けられないか。

    そう思い、新聞社に手紙を書きました。

    後日、担当の記者の方から丁寧な返信が届きました。私の申し出は、支援者を通じて少女に伝えてくださるとのことでした。

    私にできることは、小さかったかもしれません。

    それでも、医学部を目指す生徒がいると知ると、何かできないかと考えてしまう。

    このころにはもう、それが私の習慣のようになっていたのかもしれません。

    8 ロシナンテスとの出会い


    医学部を目指す受験生の中には、将来、国際貢献のために医師になりたいという生徒もいます。

    だから、私が著書をまとめるとき、国際貢献に関する項目を入れました。

    そこで紹介したのが、川原尚行医師と、認定NPO法人ロシナンテスの活動です。

    川原先生は、外務省の医務官を辞め、困っている人を救うためにスーダンへ向かった医師です。安定した立場を離れ、むしろ自分の持ち出しで支援を続けることもあったと聞いていました。

    そういう人を見ると、応援したくなる。

    医学部に合格することは大切です。
    けれど、医師になったあと、どこで、誰のために働くのか。
    その問いも、医学部を目指す生徒には考えてほしいと思っていました。

    本を出版したころ、たまたま東京女子医科大学の学園祭で、川原先生の講演会があると知りました。

    印刷されたばかりの本を手に、私は会場へ向かいました。

    出版後、私が直接本をお渡しした最初の方が、川原先生でした。今思えば、少し不思議なご縁だった気がします。

    講演が終わったあと、川原先生にご挨拶し、本の中で活動を紹介させていただいた経緯をお話ししました。

    1か月ほど経ったころ、スーダンにいる川原先生からお礼のメールが届きました。

    遠いスーダンで医療支援に取り組んでいる方が、わざわざ本のお礼を送ってくださる。短い立ち話の内容まで覚えていてくださる。

    その人柄に、私はあらためて惹かれたのです。

    私が川原先生に注目していた理由は、医療技術だけではありません。

    相手の懐に入っていく力が、圧倒的だったからです。

    日本人の感覚では、医師が無料で診てくれると言えば、誰もが歓迎してくれるように思ってしまいます。

    けれど、現実はそれほど単純ではありません。

    その土地には、その土地の信仰や文化があります。現地で信頼されてきた治療者がいて、西洋医学がすぐに受け入れられるとは限らない。イスラム社会では、男性医師が女性を診ることに抵抗がある場合もある。

    その中で、川原先生は相手の世界に入り込み、信頼を得ていく。

    医師に必要なのは、偏差値や知識だけではない。

    目の前の相手が何を信じ、何に不安を感じ、どんな言葉なら受け取れるのかを考える力も必要になる。

    その姿勢は、医学部を目指す受験生にも学ぶ点が多いと思いました。

    その後、私はロシナンテスに寄付をするようになりました。

    ロシナンテスは、アフリカだけでなく、東日本大震災の際には宮城県の被災地でも支援活動を行っていました。

    ある講演会で、その地域の出身の女の子が医学部を目指しているという話を耳にしました。震災を経験し、地元の復興のために医師になりたいと考えている高校生です。

    何か力になれないだろうか。

    帰り道、私はそんなことを考えていました。

    本に書いてあることが、その子の役に立つかもしれない。そう思い、ロシナンテスに連絡したのです。

    それからも、東京近郊で講演会があれば足を運び、コロナ禍以降はオンラインの報告会にも参加してきました。

    活動を直接担っているわけではありません。それでも、心の中ではずっと応援してきました。指導している生徒に、1日で参加できるボランティアを紹介したこともあります。

    参加したのは、必ずしも医学部を目指す生徒だけではありません。普段の勉強だけでは得られない経験ができたようでした。

    それでいい。

    医学部を目指すかどうかにかかわらず、社会の現場に少しでも触れることには意味がある。私は、そう思っています。

    そして15年ほど経った今、私は国内インターンとして半年間、ロシナンテスの活動に関わることになりました。

    医学部受験生に「学び続けること」を伝えてきた私自身も、まだ学びの途中にいます。

    9 22年目の今も変わらない思い


    医学部受験の世界に関わるようになって、22年が経ちました。

    最初は、目の前の生徒に向けて始めたブログでした。

    それが、全国から届く相談メールにつながり、医学部メール相談室になり、やがて無料で高校生をサポートするプロジェクトへ広がっていきました。

    金沢大学医学部に現役合格した生徒がいました。

    工業系の高校から秋田大学医学部に進んだ生徒もいました。

    本を出版し、秋田県の高校や故郷の図書館に届けたこともあります。

    新聞記事で出会った少女に、医学部へ進む道筋を届けたいと思ったこともありました。

    ロシナンテスとの出会いは、医学部に合格することだけがゴールではないと、あらためて教えてくれました。

    医師になるとは、誰かの人生に関わることです。

    だからこそ、医学部受験も、単に偏差値や合格可能性だけで語れるものではありません。

    お金。
    学校。
    地域。
    情報。

    そうした壁は、今もあります。

    国公立医学部、自治医科大学、防衛医科大学校、地域枠、奨学金制度。目を向ければ、そうした壁を乗り越える道はあります。

    もちろん、簡単ではありません。

    けれど、最初から諦める必要もない。

    探せば、見えてくる選択肢があります。

    その道を一緒に探すことが、私の仕事だったのだと思います。

    そして、これからもそうありたい。

    お金がなくても、医学部を諦めないでほしい。

    その思いは、22年経った今も変わっていません。

     
     
    指導歴22年の大学受験プロ家庭教師です。医学部受験指導を続けながら、自分自身も英検1級や第1種衛生管理者などの資格試験に挑戦してきました。大人の学び直し、資格試験の合格体験、プロ目線かつ等身大の勉強法、そして学びの中で出会った人や言葉について発信しています。

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