
どちらの恋も捨てられない 第12章 ③
そして仕事が終わり、定時を少し過ぎた頃、オフィスでは帰宅準備をする人たちが増え始めていた。
私はパソコンをゆっくりと閉じた。
今日この後、ミンジェに神崎さんとのことを話さなければならない。
視線を上げると、ミンジェがこちらを見ていた。
目が合うと、ミンジェは小さく笑った。
「行きましょうか」
「……はい」
私はバッグを持って立ち上がる。
その時、無意識にオフィスの中へ視線を巡らせた。
どこにも、神崎さんの姿はなかった。
もう先に出たのかもしれない。
少し寂しい気持ちで、オフィスを後にした。
二人で並んでエレベーターへ向かった。
いつもと同じ帰り道なのに、今日は妙に静かに感じた。
エレベーターの扉が閉まると、ミンジェと並んで立つ。
ミンジェは何も言わない。
私も何を話せばいいのか分からなかった。
一階へ到着すると、そのまま会社の外へ出る。
夕暮れの街は、オレンジ色の光が道路を照らしていた。
「どこか座れる所、行きますか?」
ミンジェの穏やかな声に、私は小さく頷いた。
「そうですね」
これから話すことを思うと胸が重い。
けれど逃げるわけにはいかなかった。
駅前を少し歩いたところにあるカフェへ入った。
夕方の店内は仕事帰りの人たちで程よく賑わっている。
私たちは窓際の席へ向かい、向かい合わせに座った。
店員に注文を済ませると、二人の間に静かな時間が流れる。
私は目の前に置かれた水のグラスへ視線を落とした。
何をどう話せばいいんだろう。
ちゃんと伝えなきゃいけない。
そう思うのに、言葉がうまくまとまらない。
やがてミンジェが小さく息を吐いた。
「ヌナ」
静かな声だった。
私は顔を上げると、ミンジェは少しだけ笑っていた。
けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。
「神崎さんと何かありましたよね」
そう言って視線を落とす。
その言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。
「えっと……」
私は慌てて、言葉を探した。
その様子を見て、ミンジェは困ったように笑う。
「どんな言葉でも、受け止める覚悟はできていますので……」
そして少しだけ黙ったあと、静かに続けた。
「正直に話して下さい」
ミンジェの声は穏やかだった。
その笑顔が苦しくて、私は視線を落とした。
ちゃんと言わなきゃ。
逃げないって決めたんだから。
私は膝の上で手を握りしめる。
ゆっくり息を吸って、覚悟を決めて顔を上げた。
「ミンジェくん……」
言葉が喉につかえる。
けれど、ここで逃げるわけにはいかない。
「今まで、ありがとう」
ミンジェが少しだけ目を瞬かせた。
「ありがとう……ですか?」
私は小さく頷く。
「うん。今まで、ずっと助けてくれたでしょう?」
言葉にすると、次々と思い出が浮かんでくる。
仕事で失敗した日。
慣れない業務で悩んだ日。
落ち込んで何も手につかなかった日。
そんな時、いつも声をかけてくれたのはミンジェくんだった。
「困った時も、落ち込んだ時も、いつも助けてくれたでしょう」
そう言って、私は少しだけ笑う。
「だから本当に感謝してる」
ミンジェは何も言わないで、ただ静かに私の話を聞いていた。
その優しさが、少しだけ苦しい。
私はもう一度息を吸って、そして続けた。
「最初はね」
自分の気持ちを確かめるように言葉を選ぶ。
「神崎さんのこと、怖い人だと思ってたの」
思い返せば、本当にそうだった。
無愛想で、何を考えているのか分からなくて、近寄りがたい人だった。
ミンジェが小さく笑う。
「それは分かります」
その言葉に私も少しだけ笑った。
けれどすぐに真面目な顔へ戻る。
「でも違ったの」
雨の日のこと。
体調を崩した日のこと。
酔っ払った日のこと。
気づけば、神崎さんのことばかり思い出していた。
「不器用だけど、それが神崎さんなりの優しさだと気づいて……」
私はミンジェを見た。
逃げずに伝えなきゃいけない。
カフェの中が静かに感じて、周りの声が遠くなっていく。
「それで……、神崎さんが好きって気づいたの」
その言葉を口にした瞬間、胸の中にあった迷いが少しだけ消えた気がした。
ミンジェは何も言わないで、ただ静かにテーブルの上を見つめていた。
私は唇を噛んだ。
胸が痛い。
傷つけてしまうと分かっているから。
それでも伝えなければいけなかった。
「ごめんなさい」
小さな声で言う。
「ミンジェくんの気持ちには答えられない」
言葉が震える。
私の言葉が消えると、テーブルの上に重い沈黙が落ちた。
ミンジェはしばらく何も言わなかった。
ただ静かに視線を落としている。
やがてミンジェが小さく息を吐く。
「そうですか」
その声は思っていたより穏やかだった。
ミンジェはゆっくり顔を上げると、少しだけ笑っていた。
けれどその笑顔が痛々しくて、胸が締め付けられる。
「分かりました」
そう言うと、ミンジェは椅子から立ち上がろうとした。
その瞬間、
「待って」
私は思わず声を上げた。
ミンジェが驚いた顔で動きを止めた。
「え?」
私は慌てて続けた。
「もう少しだけ時間ちょうだい」
ミンジェは不思議そうに私を見る。
私は小さく頷いた。
「お願い」
ミンジェは何が起きているのか分からないまま、再び席へ座った。
数分後、カフェの入口のベルが鳴る。
私はそちらへ視線を向けた。
入口に立っていたのはユナだった。
そして私は小さく手を上げた。
「ユナちゃん」
その声にミンジェが振り返った。
「一ノ瀬さん!」
ユナはすぐにこちらへ駆け寄ってくる。
ミンジェの目が大きく見開かれた。
「ユナ?」
状況が分からないという顔だった。
私は立ち上がり、そしてユナへ向かって微笑んだ。
「頑張って」
その言葉に、ユナは一瞬だけ真剣な顔になる。
そして小さく頷いた。
「はい」
私はミンジェへ視線を向けると、まだ状況を理解できていないようだった。
「ミンジェくん」
名前を呼ぶと、ミンジェが顔を上げた。
私は小さく笑う。
「ちゃんと話、聞いてあげて」
そう言って席を離れた。
ユナが私の代わりに椅子へ腰を下ろす。
すれ違う瞬間、
「ありがとうございます」
と小さな声が聞こえた。
私はそっと頷き、そのままカフェを後にした。
扉を開けると、夕暮れの風が頬を撫でる。
ミンジェくんにも、ユナちゃんにも、笑っていてほしい。
そう願わずにはいられなかった。
ふと、会議室で交わした約束を思い出す。
『終わったら俺とも会え』
私は小さく息を吐くと、スマホを取り出した。
そして神崎さんの名前を開き、メッセージを送った。
『ミッション完了しました。待たせてごめんなさい』
送信すると、すぐに既読がついた。
そして数秒後、
『どこだ』
あまりにも神崎さんらしい返信に、思わず笑ってしまう。
私はカフェの場所を送った。
すると、
『そこで待ってろ』
と返ってくる。
その返信に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
十分ほどして、一台の車が目の前に停まる。
助手席の窓が下がった。
「乗れ」
いつものぶっきらぼうな声に、私は自然と笑ってしまう。
「はい」
助手席へ乗り込むと、神崎さんは何も言わず車を走らせた。
しばらくして、私が小さく口を開く。
「ユナちゃん、来ました」
「ああ」
神崎さんも頷く。
「ミンジェくん、すごく驚いてました」
「だろうな」
思わず二人で笑ってしまう。
私はカフェに行く前に、神崎さんと話したことを思い出す。
ーーランチの時、ユナが神崎さんへ相談したことを……。
昔、ミンジェに告白されたこと。
今の関係を壊したくなくて断ったこと。
それをずっと後悔していたこと。
神崎さんにまとわりついていたのも、ミンジェの気を引きたかっただけだったこと。
そしてミンジェが私を好きらしいと聞いて、日本まで来てしまったこと。
全部聞いた時は驚いた。
でも同時に、ユナらしいとも思った。
「うまくいくといいなぁ」
私がそう言うと、
「そうだな」
神崎さんは前を向いたまま微笑んだ。
「でも、あいつらは俺たちより素直だからな」その言葉に私は吹き出した。
「それ、神崎さんが言います?」
「何か問題あるか」
真顔で返されて、余計に笑ってしまう。
神崎さんは呆れたように息を吐いた。
けれどその横顔は少しだけ優しかった。
今日やるべきことは終わった。
そう思うと、ようやく肩の力が抜ける。
神崎さんがちらりと私を見る。
「腹減ったか」
「はい」
即答すると、
「そうか」
そう言って、神崎さんは小さく笑った。
「じゃあ飯だな」
車は夕暮れの街を抜けていった。
車はしばらく走り続けた。
窓の外では街の灯りが少しずつ増え始めている。
私は助手席から神崎さんの横顔を見た。
昼間の緊張が嘘みたいだった。
神崎さんもどこか肩の力が抜けているように見える。
「そういえば」
ふと思い出して口を開く。
「どこ行くんですか?」
神崎さんは前を向いたまま答えた。
「着けば分かる」
「えー」
思わず不満な声が出た。
すると神崎さんが少しだけ口元を緩めた。
「大人しく乗ってろ」
その言葉に、私は思わず頬を膨らませる。
そんな私を見て、神崎さんが小さく笑う。
その笑顔を見た瞬間、胸がどきりとした。
こういう顔をたまにするから困る。
しばらくして車が一軒の店の前で止まった。
そこは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
神崎さんはエンジンを切ると、何でもないような顔でシートベルトを外した。
「行くぞ」
そう言って先に車を降りる。
私も慌ててドアを開けようとした。
けれど次の瞬間、助手席のドアが外から開いた。
「え?」
顔を上げると神崎さんが立っていた。
「何してる」
「え……っと」
自然にドアを開けられて言葉が出てこない。
神崎さんは少しだけ眉を上げた。
「降りないのか?」
その言葉に、私は慌てて車を降りた。
胸が妙に落ち着かない。
神崎さんはそんな私を見て、小さく息を吐く。
「顔赤いぞ」
「赤くないです」
即答すると、
「そうか」
全然信じていない顔だった。
私は思わず神崎さんの背中を軽く叩くと、神崎さんは少しだけ笑った。
そのまま二人で店の入口へ向かう。
今日はいろんなことがあった。
ミンジェのこと、ユナのこと。
だけど今は、隣を歩くこの人との時間を、少しだけ大切にしたいと思った。
店内へ入ると、落ち着いた照明が迎えてくれた。
窓際の席へ案内され、向かい合って座った。
不思議と緊張してしまう。
昨日までは会社の上司だった人。
けれど今は違う。
そう思うだけで胸が落ち着かなかった。
注文を済ませると、神崎さんが水のグラスを手に取る。
「疲れたか」
その声に私は小さく笑った。
「ちょっとだけ」
「そうか」
神崎さんも微かに笑った時、料理が運ばれてきた。
湯気の立つお皿から、美味しそうな香りが広がる。
私は思わず顔を綻ばせた。
「いただきます」
二人で食事を始める。
しばらくは、静かな時間が流れていた。
カトラリーの小さな音だけが、やけに心地いい。
けれど、私はどうしても気になっていたことがある。
このまま曖昧でいい訳がない。
ちゃんと聞かなきゃいけない気がして、私は少しだけ視線を上げた。
「神崎さん」
呼ぶと、神崎さんは手を止めてこちらを見る。
私は一度息を吸ってから、小さく言った。
「私たちって……」
言いかけて、言葉が詰まる。
神崎さんがわずかに眉を動かした。
「何だ」
私はグラスに視線を落としたあと、勇気を出して続けた。
「……付き合ってるんですか?」
その瞬間、空気が少しだけ静かになった気がした。
神崎さんはすぐには答えなかった。
ただ、じっと私を見ている。
恥ずかしくなって視線を逸らそうとした時、神崎さんが小さく息を吐いた。
「今さらそれ聞くのか」
その言葉に、顔が一気に熱くなる。
「だって……ちゃんと、聞いてないし……」
言い返すと、神崎さんは少しだけ困ったように笑った。
けれど、その笑みはすぐに消える。
神崎さんは、何かを考えるように視線を落とした。
やがて小さく息を吐き、
「一ノ瀬はどう思う?」
神崎さんはグラスを手に取りながら、どこか意地悪そうに口元を緩めた。
逆に聞き返されて、胸がどくんと跳ねる。
「それは……」
言葉に詰まる。
神崎さんはそんな私を見て少しだけ笑った。
「秘密だ」
そう言うと、それ以上は何も答えてくれなかった。
私は納得できないまま唇を尖らせる。
けれど神崎さんは何事もなかったように食事へ戻り、結局その話はそこで終わってしまった。
食事を終えて店を出ると、夜風が心地よかった。
「少し歩くか」
神崎さんのその言葉に頷き、自然と並んで歩き出す。
向かった先は近くの小さな公園だった。
街灯に照らされた道に、二人の影がゆっくり伸びていく。
神崎さんの手がそっと私の手を握った。
私は少し驚いたけれど、そのまま握り返す。
何も言わなくても伝わる温もりが嬉しかった。
公園へ入ると、人影はほとんどない。
夜の空気は静かで、どこか優しく感じた。
神崎さんはベンチを見つけると、
「座るか」
と短く言った。
私は頷き、その隣へ腰を下ろした。
遠くで虫の声が聞こえる。
しばらく静かな時間が流れ、夜風が二人の間を通り過ぎた。
「一ノ瀬」
神崎さんがぽつりと私の名前を呼ぶ。
「はい」
返事をすると、神崎さんは少しだけ空を見上げた。
そして小さく息を吐く。
「さっきの話の前に、ちょっと聞いて欲しいことがある」
私は黙って神崎さんの横顔を見つめた。
「実は、お前と初めて会ったのは入社の日じゃない」
「え……?」
思わず声が漏れる。
神崎さんはゆっくり話し始めた。
入社する前の春の日。
桜が咲くバス停で、風に飛ばされた書類を、神崎さんが拾ってくれたこと。
困ったように笑いながら何度も頭を下げていた私のこと。
「まさか同じ会社に来るとは思わなかった」
神崎さんは少しだけ笑った。
「初出勤の日、お前を見た時、本気で驚いた」
私は何も言えなかった。
そんなこと、全然覚えていない。
けれど神崎さんは覚えてくれていた。
ーーずっと。
「気づいたら目で追ってた」
静かな声だった。
「そして、いつの間にか好きになってた」
その言葉に胸が苦しくなる。
幸せで、涙が出そうなくらい。
神崎さんは少しだけ俯き、
「正直、ミンジェがいなかったら」
そこで一度言葉を切って、苦笑した。
「気持ちを伝えられてなかったかもしれない」
神崎さんはようやく私を見る。
その目は真っ直ぐだった。
「今、お前がこうして隣にいるのが、奇跡みたいに思える」
私は、少しだけ照れたように笑う神崎さんを見つめた。
「今でも、俺でいいのか迷う時がある」
そして、今までで一番真っ直ぐな目で私を見た。
「だけど、一ノ瀬と一緒にいたいんだ」
そして神崎さんは、覚悟を決めたように言った。
「俺と付き合ってくれ」
ようやく聞けた言葉。
ずっと欲しかった言葉。
気づけば目が潤んでいた。
私は泣きそうになりながら笑う。
「はい」
神崎さんも少しだけ笑った。
そしてそっと私の手をぎゅっと握る。
夜風が優しく吹き抜けていく。
私は握られた手を、そっと握り返した。
胸がいっぱいで、何を言えばいいのか分からない。
どうしようもないくらい、ただ嬉しかった。
神崎さんはそんな私を見つめて、小さく笑った。
そしてゆっくりと私を抱き締めた。
広い胸。
安心する匂い。
力強い腕。
私は思わず神崎さんのシャツを握りしめた。
神崎さんの腕に少しだけ力が入る。
まるで、もう二度と離したくないみたいに。
「神崎さん……」
名前を呼ぶと、
「ん?」
すぐ近くで声が返ってくる。
私はそっと顔を上げると、神崎さんも私を見ていた。
神崎さんが私の頬へ手を添える。
「好きだ」
その言葉に胸が苦しくなる。
「私もです」
神崎さんが少しだけ目を細める。
そして額をこつんと合わせた。
お互いの呼吸が重なるほど近い距離。
「幸せだ」
その声はどこか安堵しているようだった。
私は思わず笑ってしまう。
神崎さんも小さく笑う。
そのまま見つめ合い、どちらからともなく距離が近づく。
そしてーー、
唇が重なった。
優しくて、温かくて、愛おしいキスだった。
春の日の偶然の出会い。
すれ違った想い。
言えなかった言葉。
遠回りした時間。
その全部が、今この瞬間へ繋がっていた気がした。
神崎さんの腕の中で、私は静かに目を閉じる。
もう迷わなくていい。
もう一人じゃない。
ーーようやく、あなたに辿り着けた。
神崎さんの温もりを感じながら、私はそっと微笑んだ。
私たちの春は、ここから始まる。
【エピローグ】
エレベーターの扉が開くと、私は神崎さんと並んで外へ出た。
同じ会社、同じ廊下なのに全部が少しだけ違って見える。
隣を歩く神崎さんをちらりと見ると、いつもと変わらない様子。
「見すぎ」
神崎さんが小さく笑った。
「ばれました?」
そんなやり取りをしながら部署へ入ると、
「あ」
聞き慣れた声がした。
そこにはミンジェとユナが並んで立っていた。
私は思わず目を丸くする。
二人とも少し照れくさそうな顔をしている。
昨日までとは何かが違う雰囲気。
ユナが、
「おはようございます!」
いつも通り元気な声で挨拶してきた。
どこか幸せそうか笑顔だった。
「おはようございます」
私が笑うと、ミンジェも穏やかに笑った。
「おはようございます、ヌナ」
その表情を見た瞬間、胸の奥にあった小さな不安が消えていく。
ユナがちらりとミンジェを見ると、ミンジェもユナを見た。
その自然な視線だけで十分だった。
私は二人を見て、思わず微笑んだ。
するとユナが急に身を乗り出してきた。
「一ノ瀬さん」
「はい?」
「ありがとうございました」
真っ直ぐな言葉だった。
私は少しだけ驚き、けれどすぐに笑った。
「私は何もしてないよ」
「そんなことないです」
今度はミンジェが静かに言った。
私は二人を見る。
ユナは嬉しそうに笑っている。
ミンジェも穏やかに笑っている。
その顔を見ているだけで十分だった。
すると、
「朝から賑やかだな」
神崎さんの声が飛んでくる。
全員が振り返る。
神崎さんはいつものように自分の席へ向かっていた。
その背中を見ながら、ユナが小さく笑う。
「神崎オッパも、何かいいことあったんですか?」
「ああ」
私は思わず神崎さんを見る。
すると神崎さんが一瞬だけこちらを見た。
誰にも分からないくらい小さく目を細めた。
春の日に始まった恋。
遠回りした恋。
たくさん悩んで、たくさん迷った。
それでも今なら思える。
あなたに出会えて良かった。
私はそっと微笑む。
そして、いつも通りの一日を始める。
大好きな人たちと一緒に。
ー完ー