
−海の楽園−(短編小説)
PM9:55
もうこんな時間…。
全身に重荷を背負ったような感覚がとれないまま、車を有料駐車場に駐めて、私はきらびやかな街の大通りを渡り商店街へと向かう。
昼間に人で賑わう商店街も、さすがにこの時間になると人気も少ない。
こんな夜遅い時間に、腰の曲がったお婆さんが杖をつきながら家路へと歩いているのだろうか、なぜか私をジロジロと見ながら歩いている。
ん?…。
疲れきって今にも崩れてしまいそうな歩き方をしているからだろうか。自分でも情けないくらい変な歩き方になっている。
いっその事、靴を脱ぎ捨てて裸足で歩いた方がマシかもしれない。
お婆さんだけじゃなくて塾帰りらしき自転車に乗った少年二人でさえも、通りすがりに私を見ている…。
そんなにジロジロ見なくても…。
今日はかれこれ12時間も働いて、まともに休憩すらとれてなかったから。と、言い訳がましく自分に言い聞かせる。
私は真っ黒のスーツに黒のストッキング黒のパンプス…。
あっ、なるほどね。
昼間ならビジネススーツだと思われるが、さすがにこんな時間ともなると…。
この葬儀社の制服が気になるのだろうか。まるで葬式をイメージさせるような、全身黒に統一されたこの私の姿。
風が、狭い路地から通り抜けると
どこか線香の匂いが漂う。
制服にも線香の匂いが染み付いているのだろう。
自分では、わりと好きだったりする。苦手な香水をつけるよりも線香の香りの方がずっとマシだ。
そんな事を頭の中でいろいろと考えているうちに、目的地になんとか辿り着いた。
駐車場から徒歩で10分ほど。
いつも真っ直ぐ家に帰りたくない時に、どんなに疲れていても足を運びたくなる喫茶店。
「Sea Paradise」
この街で遅くまで開いてる喫茶店は、恐らく私が知る限りこの店だけだろう。アルコールを一切提供しない深夜営業の喫茶店としても、密かに有名かもしれない。
営業終了時間は午前三時。
喫茶店の外灯が、薄暗い路地裏に申し訳なさそうな灯りでひっそりと点いていた。
外観は営業しているのかしていないのかわからないほどにレースのカーテンで遮られ、店内の照明も暗く感じる。
夜遅くまで営業しているから、ご近所さんへの配慮だろうか。
少し重い木製のドアを引くと小さく鈴の音色が響く。
カウンターの奥からマスターが顔を出した。
「いらっしゃい〜。お疲れ!」
と、いつものように声をかけてくれた。
それだけで私は少し肩がフワッと軽くなる。
「マスター、いつもの宜しく〜!」
私はカウンターのテーブルに腰掛けて鞄を隣の席に置いた。
テーブルにそのまま顔をうずめて眠りたいような気分だった。
店内のBGMが私好みのバラード曲に変わった。
マスターだ。
「ありがとう〜、マスター。」
小さな声で呟くとマスターは優しく微笑む。
私が好きなバラード系の曲。さすがに常連客となるとマスターも客好みの曲は把握しているのだろう。
そんな細やかな気配りが私にとっては心地良い。
私以外の常連さんには、どんな曲を流してるんだろう。
曲のチョイスがわからない客には通常の喫茶店らしきBGMにするのだろうか…。
私がこの喫茶店に足を運ぶのは
いつも夜。長年通っているけど昼間に来た事がない。
仕事の関係で昼間に来る事は難しい。
疲れきった顔をして、いつもこの喫茶店に来ているような気がした。
マスターから見ればきっと、またやつれた顔した客…なんて思われてても仕方がない。
事実、そんな顔をしていつもこの喫茶店に来ている。
マスターに対して申し訳なさが出はじめた時、
「はいっ、いつものね。」と
そっと湯気の立つ紅茶を出してくれた。
夏はアイスレモンティー。
秋になるとさすがにアイスは抵抗がある…。
喫茶店といえば珈琲をイメージするけど珈琲が嫌いなわけじゃない。なぜか後味がスッキリする紅茶を好む。
ティーカップの柄もまた私好みのエレガントな薔薇柄。
ついティーカップに目がいってしまう。薔薇柄のティーカップも何種類かあるのだろう。同じ薔薇柄のティーカップで出された事は一度もないような気がした。
そう、ここのマスターは客の好みに合わせてティーカップを厳選してくれる。カウンター席から見えるズラリとひしめくように並んだティーカップ。ひとつひとつ柄も違うし、まるでひとつひとつのティーカップに物語があるようなそんな気がする。
どうやらマスターは人を見る目が優れているとしか言いようがない。客それぞれに違ったティーカップを選んでいるようだ。
マスターは60代半ばといったところだろうか。年齢は聞いた事がないが、私の父親と同じ世代だろう。白髪混じりで髪はオールバック。昭和世代のヤンキーを思い浮かべるような雰囲気。六十代のアメリカの俳優、ジェームス・ディーンのような整った顔つき。尖ってなくて優しく笑うと目尻のシワが、とてもチャーミングで私は好きだった。
「今日も遅くまで頑張ってたんやな。今、帰りなんか?」
「そう。今日こそ、早く帰れると思ったら急に通夜が入ってん。」
「葬儀社は休みないようなもんやろ。大変やな…。」
マスターは私が葬儀社で働いている事は知っている。
マスターの知り合いが亡くなった時に葬儀場で参列者の中にマスターがいたのだ。
マスターも私に気づき、葬儀ということもあり挨拶程度に会釈しただけだった。
私は仕事の話はしたくなくて話をそらす。
今まで通い続けてたけど考えもしなかった喫茶店の店名について何気なくマスターにたずねた。
「なぁ、マスター、この店の『Sea Paradise』って、マスターが考えたん?」
「ほ〜、上手いこと仕事の話そらしたな〜。『Sea Paradise』って意味わかるか?」
「普通に翻訳したら海の楽園ちゃうの?」
「そうや。海の楽園やで〜。楽園やからこそ、疲れて入ってきた客に少しでも癒しを与えてるんや。」
マスターは私が想像していた通りの答えを投げ返してくる。
「いや、それは普通にどう考えてもわかるんやけど何で『Sea Paradise』ってつけたんか知りたいわ〜。」
紅茶をすすりながら私は追求してみたくなってきた。
私の悪いクセ。まるで右京さんである。
暫く沈黙が続いた後にマスターが、
「そんなに知りたいんか?」
と少し言葉を濁すような口ぶりで呟いた。
「いや、マスターが話たくないなら別に無理して言わんでええよ…。」
何かまずい事を聞いてしまったと敏感に察知した私は直ぐにそう言葉を返した。
何だか少し気まずくなって私はマスターから顔をそらしてまわりを見る。
どうやら客はこのカウンターに座っている私だけのようだ。
「私の貸し切りやな〜。ごめんな、マスター。本当は今日は、はよ閉めたかったんと違う?」
「はよ閉めたら、お前みたいな客が来んようになるがな。それに、営業終了時間はずっと守り続けてんねん。」
マスターらしい。
律儀というか決めたらとことん貫くタイプだろう。
そういう筋の通った性格も私は好きだったので、何故かこの店に惹かれて通ってしまうのだろう。
「もしかして…、マスターって元ヤンキーだったん違う?」
私は突拍子もない発言をしてしまった。いくら話す事がなくても我ながら浅はかである。
「お〜っ、そうきたか。やっぱ滲み出てるか?」
マスターの言葉を遮るように、
「えっ?マジなん?」
マスターはニヤニヤしながら目尻のシワを寄せる。
「大昔の話やで。でもな、あの頃は怖いもんなんて無かったわ。十代やったし親の金で食わせてもろて何言うてんねんって思われても仕方ないねんけど青春を謳歌しとったわ。」
「マスターもそんな時あったんやな〜。」
「あった、あった。バイク乗り回してアホみたいに夜中ウロウロしとったわ。」
とクスッと懐かしい笑みを浮かべる。
「そうなんや〜。何か楽しそうやん〜、もしかして◯◯連合の総長とかやってたりしてたん?」
「お前、なかなか詳しいやないか。お前も元ヤンなんか?」
「少しかじった程度でマスターほどではないと思う〜。」
苦笑いの私。
「そっか…。やっぱりそうやったんか。元ヤンが何で葬儀社で働くようになったんか気になるし、またじっくりきかせてくれるか?お前、理不尽な事、嫌いなんと違うか?」
「何でわかるん?」
「そういうもんや。筋の通ってない事に敏感でイラっとするやろ。」
「なんでなんか自分でもわからんけど、よくあるわ…。」
マスターは自分用の珈琲をカップに注いで椅子に腰掛けた。
「でもな、昔は馬鹿やって楽しかったけど、あの頃の俺があってこその、今やねん…。わかるか?」
「うん…。わかる気がする。私もそう思う時あるし、それが今の私の土台をつくってるっていうか…。」
「それ、そこやねん!そこを大切にせなアカンぞ。」
珈琲をすすりながら妙に熱くなっていくマスター。
「生きとったら、ほんまいろいろ複雑な心境になる事が山ほどある。けどな、そんな時こそ、昔の俺が奮い立たせるねん。お前は、それでええんか?後悔ないんか?ってしつこく聞いてくるねん。」
きっとマスターは私以上に人生という荒波にのまれながら生きてきたのだろう。
だからこそ、私はマスターの言葉ひとつひとつがスッと心に沁みわたる。
「マスターは、後悔したこといっぱいある?」
「あるある。こんな俺でもぎょうさんあるで。まっ、お前よりかは長く生きてるんやから、いっぱいあって当然かもな笑」
「私もあるわ…。でもそれが何なんかは聞かんといてな…。」
「当たり前や。無理に聞きたくないわ。でもな、その後悔は忘れたらアカン。生きてく上で、それが糧となって必要な時があるねん。ずっと心の中に背負って墓場まで持ってくんやで。」
意味深な発言をするマスター。
マスターも後悔という、たった漢字二文字で心にずっと抱き続ける何かがあるのだろう。
優しい眼差しのマスターも私も。そして私達以外の人間にも、皆それぞれ後悔を背負って生きているのかもしれない。
しっとりした雰囲気の中、私のお腹が場の雰囲気を崩した。
ギュルギュル…。
「お前、晩飯食ったんか?」
「食べる間なかったから、帰りにコンビニでオニギリでも買って帰ろ思ってて。」
「なんや、先に言わんかい。何か作ってやるわ。」
「いや、マスター、気遣わんといて。」
「気遣ってへん、俺も小腹空いたけん作るだけや、待っとき。」
そう言いながら何やら作りはじめた。
小腹空いてるなんて言うのはあきらかにマスターの嘘。私が喫茶店に入った時にマスターは何か食べ終わった後で口元を拭いていたのだ。
私なんかの為に…。
マスターの優しさ思うと少し目に涙が浮かびそうになる。
暫くして
鉄板皿にジュウジュウと音を響かせたナポリタンがテーブルに。
「熱いから火傷せんようにゆっくり食べや…。」
「ありがとうマスター。」
私はふぅ~と息をかけて冷ましながらナポリタンを口に入れた。
「美味しい~!懐かしい味のナポリタンやわ。」
マスターは私の顔をまるで娘でも見てるかのように優しい顔して見ていた。
「食べながら聞いてや〜。この間、介護士の客が来てんけど、その介護士が働く施設に可愛い婆さんがいてな、その婆さんの食事の介助してる時にその可愛い婆さんが、「食べなぁ〜、生きちゃ〜いけん」って顔をしわくちゃにして笑顔で言うねんて。それ、聞いただけで自分も元気もらえるんや〜って言っててん。」
「介護士も大変な仕事やし、誰もができるもんやないわな…。」
「そやろ、けど介護してる側が介護されてる側から話される言葉によっては、この職に就いて良かった〜って思う事もあるねんて。」
「その介護士の客が言ってたんやけど、「ありがとう」って言われるのが一番、この職に就いて良かったと思う瞬間なんやて。老人から学ばされる事も勇気もらえる事もあるらしいねん。」
「そうなんや〜。でも誰にでもできる職やないし、高齢化やのに介護士不足やと騒いでるやん?介護士の給料もっと上げたらなアカンわ〜。今から高齢化どんどん進んでくのにな。」
と、ナポリタンを食べた後、口元を拭きながら私が熱量上げて言った。
「俺のオトンもオカンも亡くなったけど老老介護も当たり前になって来てるしな。施設も有料老人ホームばっか建ちまくって年金で生活できへん人は働くか、生活保護でも申請して生きていかなアカンなるわな。ほんま、若者にとっても年寄りにも厳しい世の中やと思わへんか?」
マスターの言葉に対して私はどう返せばいいのだろう。
マスターの言い分は凄くよくわかる。けれどまだそんな、親の介護とか実感がわかない私達の年齢層からは他人事のようにしか思わない人が多数いるだろう。
いざ、自分がそんな立場にたってはじめてあたふたしてしまうであろう事はわかる気がした。
「マスターは奥さんいてるん?」
どんな言葉を返せばいいか分からなくなった私はまたもやズレた投げ返しをしてしまう。
「あ〜いるで。亡くなってしもたけどまだ心の中に居座っとるわ。」
冗談ぽい顔をしながらも、少し寂しい笑みを浮かべながら言うマスター。
「そうなんや。マスターのような旦那さんやったら奥さんも幸せやろなぁ〜。」
「お〜っ、嬉しい事、言ってくれるの〜、俺はアホみたいに一途やから嫁以外の女は考えられんねん。」
「いやぁ〜、マスター、またまたマスターの事、格上げしてしもたわ」
「お前、冗談やと思ってるんと違うか?店の名前も亡くなった嫁の名前からつけとるねん…。」
少し遠くを見つめながら、ゆっくりした口調で呟くマスター。
「そうだったんや…。ごめん、なんか茶化してしもて。でもマスターが一途って事は私もわかる気がするわ。
だってマスター、女性客から声かかっても適当にあしらってるやんか…。相手を傷つけへんようにうまく流してるやん。」
「お前、そんなとこまで盗み聞きしてたんか?笑」
「こんだけ、通ってるんやから何となくやけど、わかるんやで。マスター目当てで来てる客もいっぱいおるんとちがう?」
「そうなんか?そりゃ嬉しいわ。商売繁盛やな。けどな、俺は死ぬまで嫁しか愛せんのや…。」
マスターらしい芯の強さを感じた。
「私はマスターのそういう一本筋みたいなところが好きやわ。マスターみたいな性格の彼氏ができればええんやけど、今は仕事でいっぱいいっぱいやわ〜。」
と、ため息まじりに吐き出す私。
「今は、お前にとって仕事が彼氏なんと違うか。笑」
「またまた〜、そんな刺さるような事言わんといて。笑」
マスターと他愛もない会話をしていたら時間が経つのも早い。
時計をチラリ見る。
「まだマスターといっぱい話したいんやけど、そろそろ帰るわ〜。明日も朝イチから出勤せなアカンから、また次に来るまでネタいっぱいためといてや〜。」
「お〜っ、任しときな。いつでも気の向くままに来たらええがな。」
「そんなん、言われたら仕事投げ出して、毎日来たくなるがな。笑」
「そりゃアカンな。仕事もボチボチな。気つけて帰りや〜。」
「うん。ありがとうマスター。ナポリタンも美味しかった。ごちそうさま。」
喫茶店を出て有料駐車場の精算機にコインを入れて、車に乗り込みエンジンをかけて、ゆっくり駐車場を出て、家へと走らせる車の中でふと思う。
Sea Paradise
マスターの奥さんの名前はおそらく「海」という文字がつくのだろうか。
楽園は…。亡くなった奥さんとの思い出か、それとも亡き奥さんとの楽園をマスターはずっと抱き続けて店の名前にしているのだろうか…。
いろんな事を想像しながら思いを膨らませていく私。
けれど、いつかマスターが話してくれるまで
私はマスターの心の中の、
『海の楽園』を荒らさず静かに見守り続けようと思った。
Sea Paradise
マスターらしい。
海の楽園 著者/薔薇SONO

あとがき🍀
拙い文章、最後までお読みいただきありがとうございました✨️
あなたの心の中にも楽園はありますか?