
[エッセイ] Shall we resistant?(箔塔落)
天啓というものがあるのだとしたら、おそらくその瞬間が、はじめて天啓を授かったときである、と言っても差し支えないだろう。「男であること」に――正確に言うのなら「男になること」に挫折した瞬間に味わったもののことだ。中学生になって、たぶん一週間経つか経たないか、それくらいのころだったと記憶している。授業と授業に挟まれた休み時間、なすすべもなく廊下を歩いていたわたしは、なににも呼ばれていないことを知りつつもなお天井を見上げ、そうして我に返るように思ったのだ。この廊下のようなものの先にあるのが「男」というものなら、私は「男」にはなれないし、ならなくてもいい。決心というよりも、どちらかというのならそれは諦念と呼ぶにふさわしいものだった。
実際問題、入学した男子校では、小学校を卒業したばかりの十二歳には「過剰なまでに『男』的」としか思えないことが横行していた。具体例をつぶさに挙げることはひかえるが、自分にとってそれがとうてい馴染めるようなものではないことを理解するのは、受験ではずっと得意科目だった国語の「登場人物の気持ちを十五文字で抜き出しなさい」という問題ほどにも頭を悩ませる必要がないように思われた。ひとつ不思議なことがあるとすれば、長ずるにつれ自責を友とするようになるわたしが、「馴染めないぼくが悪いんだ」という思考に、当時ちっともおちいらなかったことだろう。わたしはわたしの間違いなさに、なぜか不動の自信を持っていた。わたしは敵対しつづけていた。「過剰なまでに『男』的」に。「ホモソーシャル」や「ミソジニー」ということばがわたしの人生に入ってくるよりも、遥かに昔の話である。
人生において何度か経験することになる地獄のなかで、ほとんどこてんぱんにされながらも中学・高校の六年間という地獄をなんとか戦い抜くことができたのは、それが「六年間で終わる」ことを知っていたからだったと思う。もっとも、十二歳にとって六年間というのはそれまで生きてきた人生の半分に相当するわけだから、いま考えても生半可なことではない。それでも、高校を卒業するまでの六年間、わたしは「過剰なまでに『男』的」にいっさい馴染む努力をしなかった。ただし、「過剰なまでに『男』的」の実践の場である学校にも馴染まない努力をするあまり、勉強にも馴染もうとしなかったことは、いまになってみれば若干後悔の種である。(とはいえ、勉強に割く精神的余裕などほとんどなかったといえばそれまでだけれども。)
そうして高校を卒業してから、ずいぶんと時は流れた。時の流れはいろいろなものを明らかにした。たとえばわたしが「過剰なまでに『男』的」と感じていたものは、残念ながらわたしが通っていた男子校特有の事情ではなく、少なくとも日本においてはごくごくありふれたものであることを、いまに至るまでわたしはあちこちで目の当たりにすることになる。そうして、あのときおぼえた諦念どおり、現在わたしは「男」になっていない。お断りをする必要も本来はないが一応言っておくのなら、かといって「女」になったわけではない。けれども、そういう性のあり方が異様ではないことも、時の流れは洗い出した。と、こう書いてみて気づく。「時の流れ」というのは、時間の経過をもちろん意味しはするけれども、ただそれだけではない。だれかの熱心な追究と、それを学ぼうとすること。時が停滞するのではなく、流れていくものなのだとするのならば、そういうものがあってこそなのだと。
今日も頭を悩ませる出来事は、星の数ほどあり、世界が主として悪いほうを目指して動きつづけているように感じられる瞬間は、一瞬をどのくらい倍にすれば足りるのかわからないほどだ。けれども、今日もどこかでだれかが追究をつづけている。追及をつづけている。そのおこぼれに、少しでも正しく与れるよう、わたしは学びつづけたい。それこそが、抵抗の第一歩なのだから。
そうしてもしもあなたが「あなた」ならば、「あなた」にもそうあってほしい、と勝手ながらわたしは思う。