凪いでいく日
「100メートル先を右方向です」
カーナビの声を聞きながら車を走らせる。
灰色の雲がほどけ、青空が見えてきた。
明るい日差しがまっすぐ顔にあたる。
今日は1日休みの日。
まずは大型書店へ。
家から少し遠いけど、ジャンルの幅が広くて、
季節の雑貨も楽しく、つい足が向いてしまう場所だ。
天井までびっしり並ぶ本を見上げると、冒険に向かうみたいにわくわくする。
ひとつひとつ棚をたどるうち、
昔、娘が定期購読していたNewtonの別冊がずらりと並んでいるのを見つけた。
これを見たら喜ぶだろうな。
次に帰ってきた時は一緒に来よう。
気づけば店内を三周していて、気になった本を数冊買った。
ページをめくるたび、見えていなかったものが静かに増えていく。
本を読む時間がやっぱり好きだなと思う。
隣のフードコートで少し早めのお昼にする。
セルフうどん屋さんに入ったものの、注文の流れがわからず、立ち尽くしてしまう。
「どうしましたー?」
「あ、もう少しトレーこっちに置いてください」
「レバー下でつゆが出ます」
ぎこちない動きで、どうにかかけうどんを受け取って席へ向かう。
ふぅ、と一息ついて水を注いだら、紙コップから溢れてしまった。
席に着くと、後ろに並んでいた若いお母さんが、私を不思議そうな顔で見ていた。
こういう場だと、動きが噛み合わない。どこに合わせればいいのか、急にわからなくなる。
うどんをすすっていると、
スーツ姿の男性が隣の席に来た。
大きな黒いバッグを置き、七味をふり、水を注いで、迷いなく席に着く。
食べ始めるまでが、流れるようだ。
その手際が、眩しかった。
車に戻り、大通りを走って橋を越える。
横にはビロードみたいな波がきらきらしている。
薄い光が、波の上をすべっていくようだ。
見ていると、私の内側も凪いでいく。
温泉施設へ着いて、露天風呂へ。
熱いお湯にからだを浸すと、じわじわと肌と湯の境界線がゆるんでくる。
それに合わせて、大きな息が抜けていく。
ああ、気持ちいい。
明るい空の下の温泉は、時間までゆるむ。
温冷浴を終えると、芯まで温まっていた。
休憩所には、力の抜けた大人があちこちにいる。
そんな風景がいい。
私も混じって、リクライニングシートに身を沈める。
ひざ掛けのふんわりした感触に、
ほどよい脱力とあたたかさが重なって、心がすっぽりおちつく。
施設を出ると、頬がひんやりした。
車に戻って、ハンドルを握る。
赤信号で車が止まる。
窓の外へ目をやると、遠くに山の影が色濃く浮かび、その手前に、うす桃色と紫色が混じりあう雲が広がっていた。
雲が、かろやかに空に筆を動かしているみたいだ。
なんてのびやかなんだろうか。
刻々と変わる色のゆらぎを、夢中になって目で追った。
帰ったらこの瞬間を描こう。
そう思いながら、前を向き直した。
