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鉛の球がほどけるまで

    藤田仁美|身体と言葉

    午後のレッスンが終わって、遅いお昼ご飯を食べる。

    運営しているオンラインスタジオで、朝から急ぎの対応をしていたら、昼ごはんを食べ損なってしまった。

    ご飯に黒ごまと塩をかけ、海苔ではさむ。
    ここ一週間、こればかり食べている。
    きっと今のからだが、必要なものを選んでいるのだろう。
    味噌汁とサラダ、水菜と厚揚げの煮物と一緒によく食べた。

    時計を見るともう十六時になろうとしている。
    パソコンを開いて、来週、町議会議員さんに会う時のために、論点をまとめる。

    今の憲法改正案で懸念するところ、
    過去にどのような経緯で今の憲法のかたちになったのか。
    一つずつ、考えを整理する。

    「自分の町の議員さんと請願書を提出する。
    請願書が提出されれば、その議会の中で憲法についての議論が生まれ、賛成したのか反対したのかも可視化されます。
    民主主義は、国会だけでなく、地域からも動かせます」

    ゴールデンウィークの少し前に読んだ記事をきっかけに、気づいたら動いていた。

    夜、お風呂に入っている間も、頭の中は議員さんに何を伝えるかでいっぱいだった。

    だけどいつのまにか「ああ言われたらこう言い返そう」と反論の準備になっていく。

    どうせ議員なんて偉そうで、自分のことしか考えていない。
    どうせあっちは見下してくるに違いない。

    怒りが沸々と上がってくる。

    電話やメールでやりとりした議員さんは、明るく丁寧で、こちらの話をちゃんと聞いてくれていた。
    それなのに私は、協力をお願いしに行く前から、喧嘩腰になっていた。

    湯船に浸かりながらこの感覚を感じていると、レストランで店員さんに怒鳴る父の顔が浮かんだ。

    「お父さんは警視庁だからな」
    眉間に皺を寄せてそう言う父は、少しでも気に入らないことがあると、店員さんに声を荒げた。

    「遅い」
    「焼きすぎだ」

    ファミリーレストランで大きな声をあげる父は日常だった。

    私の頭はぐるぐると働き続け、父の再婚相手や妹のことにまで飛び火していく。

    タオルで乱暴にからだを拭く。

    だから昔から嫌なんだよ。偉そうに。
    みんな私のこと嫌いなんだろ。
    仲間はずれみたいじゃないか。

    どしどしと階段を登って、机に向かって、ノートとペンを取り出す。

    頭に浮かぶあれこれをそのまま紙に書く。
    文字はみみずのようにうねり、ペンを握る手に力が入る。
    二ページ半ほど書いたところでペンを置き、目を閉じて内側を見つめた。

    喉の奥からみぞおちの裏、さらにお腹の方まで大きな鉛の球が入っているみたいだ。

    重さ、
    怒り、
    ざわつき。

    それらを後ろから抱きしめるように見つめる。

    これは私のものではない。
    それは今ここに現れているもの。

    ようこそ。

    意識と感覚、感情のあいだに柔らかなひらきができる。

    鉛の大きな球、
    むくむくと動く感情、
    からだの感覚、
    その間にあるやわらかな空間。

    それら全てを同時に感じる。

    三分ほど経つと、鉛の球がゆるみ、ほどけて見えなくなっていった。

    感情は、無意識の海から立ち上がった波のようなものだ。
    ある濃度を持ったとき、私たちはそれを怒りや悲しみとして知覚する。

    けれど、その波を思考で固めずに感じ続けると、やがて輪郭を失い、また海へ戻っていく。

    からだの中で起きている密度の変化を、余計な手つきで固めずに見届ける。
    私にできるのは、それだけなんだと思う。

    ノートを片して、窓を開ける。
    薄く澄んだ空気が喉の奥まで入ってきた。


     
     
     
    身体の知性を通して、暮らしています。 その声に導かれるように、 ヨガを伝え、呼吸から学び、 絵や言葉に気づきを置いてきました。 内側にひらく静かな気配を、 日々の営みの中で育てています。 毎日エッセイ|ヨガ・呼吸法・瞑想

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