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エンタメと芸術と表現

    区別がありそうでない、正解がありそうでない

    最近はリハーサルと打ち合わせが続いていて、表現ってなんだろう、芸術ってなんだろう、エンタメは?と考える日々です。

    世間一般の定義に引きづられることはないんだけど、共演者も様々な定義を持っているから確認しながら接点を作っていってるんですよね。

    エンターテイメントとの関係

    エンターテイメントは自分が興味ないので寄るつもりはないんですが、だからと言って観る人が時間の無駄だったと感じるものにはしたくありません。

    共演者にはお客様が知っているもの、分かりやすいものを提供することを大切にしている人もいます。

    そんな方と演るときは折り合いをどうつけるか、自分の表現にウソのない着地点を探す感じです。

    芸術とはなんだろう?

    資本主義社会の中で生産性や効率を重視せずに自分が理想とするより良いものを創造する作業が芸術活動だと思っています。

    斜に構えて、芸術なんてやってない、遊んでいるだけとか言う人もいるんですけど、逆に芸術ってそんなものですよね。

    仕事じゃくて遊びだから命がけで真剣に遊んでいるんです。

    芸術は高尚なもの立派なものだと思っていて自分はそんなんじゃないっていう人に出会うことも多いけど、もっと人間臭くて豊かなものだと思います。

    逆に芸術至上主義な人に出会うこともありますが、他者に押し付けなければいいんじゃないでしょうか?

    ほんとうに素晴らしい人は上手い下手という判断をしないんですよね。たくさん合わせ練習をして完璧を求めようともしません。

    そんな人に出会うと本質を知る人なんだなと感じます。

    表現とはなんだろう?

    表現は誰しもがやっているけど、無意識のうちにやっているのと意識してやっているのがありますよね。

    行為そのものでも表現だし、結果を見せるのも表現。何も見せないのだって表現。

    表現は全ての人の全ての行為に宿っていて、その中に芸術活動があるのだと考えています。

    これさえも答えは千差万別で、正解など無いのですから、自分で線引きしていけばいいでしょう。

    更に言えばブレてもいいんです。

    自分の中に自分は一人ではないし、瞬間瞬間を変化して生きるのが人間です。

    ガッチリわたしはこうだ!って決めちゃうとがんじがらめになって倒れるのがオチです。

    とりあえず今は

    とりあえず今は丸ごと愛するような表現が理想です。

    醜さも怒りも悲しみも憎しみも狡さも全部受け入れる度量の広い表現が理想。それが私の芸術活動の原点になっています。

    表層ではいろんな場でいろんな人と共演してるように見えているのかな。

    踊りもどう見えているんでしょうね。こればかりはわかりません。

    興味のない人には1ミリも刺さらないような表現が出来たら嬉しいですね。万人向けに浅ーく撫でるくらいなら。そう思っています。

    そんなに変わり者でもないので気を衒わずに、カッコつけずに踊っていけたらと思っています。

     
     
    人や場と繋がって表現をしています。静岡県浜松市在住。はままつ・つながり・アート代表。(有)杉浦金網製作所経営。

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