
第11章|寒くなくても
文化祭が終わっても、学校は完全には元へ戻らなかった。
廊下の装飾は剥がされ、体育館のステージも片づいた。
それでも、文化祭で見つかったものは残っている。
昼休み、芽衣のところへ別のクラスの女子が来た。
「一宮さん、写真いいですか」
芽衣は弁当の蓋を閉じる。
「今?」
「すぐ終わるので」
困った顔をしながらも立ち上がった。
写真を撮り終えると、小さく折られた手紙まで渡される。
「私、歌っただけなんだけど」
席へ戻った芽衣が言った。
「それを見に来たんでしょ」
花音が答える。
「もう学校のアイドルだね」
「やめて」
嫌がりながら、芽衣は手紙を鞄へ丁寧にしまった。
放課後になると、岳が音楽室の外で待っていた。
花音のベースケースを持つわけでもない。
話しかけるわけでもない。
花音が片づけ終わるまで、廊下の壁へ寄りかかっている。
三日目、芽衣が聞いた。
「二人、何かあった?」
「付き合うことになった」
花音はチューナーをしまいながら答えた。
「いつ?」
「文化祭の片づけの日」
「どっちから?」
「岳」
少し離れた場所で、岳がドラムケースの留め具を確認している。
聞こえているはずなのに、こちらを見ない。
耳だけが赤かった。
文化祭の前まで、二人は同じところで何度も言い合っていた。
終わったあと、その関係には名前がついた。
私とリアム先輩は、近いまま名前がない。
窓際へ行けば話す。
部活が終われば一緒に帰る。
時間があれば丘へ行く。
噂だけは先に広がっているのに、先輩は何も言わなかった。
文化祭から一週間ほどたった昼休み、二年生の男子に渡り廊下へ呼び止められた。
名前を聞くのは、その時が初めてだった。
「文化祭、見た。キーボードもギターも、すごくよかった」
「ありがとうございます」
「それで、前から少し気になってたんだけど」
次に続く言葉は分かった。
それでも、本当に声になると胸が少し浮いた。
「よかったら、付き合ってほしい」
私を見ていた人がいた。
好きだと迷わず言える人がいた。
付き合う、という言葉には形がある。
花音と岳のように、一言で関係を説明できる。
でも、目の前にいる人のことを私は何も知らない。
「すみません」
先輩の表情が少し硬くなった。
「これから知ってくれたらいいんだけど」
悪い人ではないのだと思う。
それでも、うなずけなかった。
「ごめんなさい」
先輩はしばらく黙り、最後には分かったと言った。
断ったあとも、好かれたことへの嬉しさだけが少し残った。
その日の放課後、リアム先輩と海の見える丘へ行った。
十一月の風は、夏と同じ場所から吹いているのに冷たい。
南風ストアで買った缶のココアも、外へ出るとすぐにぬるくなった。
「今日、告白されました」
自分から言った。
リアム先輩がこちらを見る。
「誰に」
「二年の先輩。名前は今日知りました」
「それで?」
「断りました」
「そっか」
視線は海へ戻る。
それだけだった。
「それだけ?」
「ほかに何か言う?」
「知りません」
「嬉しくなかった?」
「嬉しかったです」
「じゃあ、付き合ってもよかったんじゃない」
「先輩に言われたくない」
返事はなかった。
缶を持つ指が冷えていく。
風が吹くたび、制服の裾が揺れた。
リアム先輩が私の手を見る。
「寒い?」
「寒くないです」
「手、赤いけど」
「先輩もでしょ」
リアム先輩が自分の手を見た。
「うち来る?」
何を言われたのか、すぐには分からなかった。
「先輩の家?」
「違う」
「じゃあ、どこ」
「来れば分かる」
白いカブは丘を下り、集落を抜けた。
着いたのは、山のふもとの古い平屋だった。
外壁の色は褪せ、何の看板もない。
リアム先輩が重そうな扉の鍵を開ける。
中へ入った瞬間、外の風の音が消えた。
代わりに、木と金属と古いアンプの匂いがする。
部屋の奥にはドラムセット。
壁際にはギターアンプとベースアンプ。
床を這うケーブルには、色の違うテープが巻かれている。
使い込まれたソファの上に、三人で写った写真が置かれていた。
「ここ……」
動画や写真で何度も見た場所。
Aosagiが島で音を作ってきたSOUND ISLANDだった。
「寒くないでしょ」
リアム先輩は、丘から場所を移しただけのように言った。
「私、入っていいんですか」
「もう入ってるけど」
「そうじゃなくて。ここ、三人の場所でしょ」
「俺が連れてきたからいいよ」
特別な許可のような言葉はない。
それでも、三人が積み重ねてきた場所へ入れてもらえたことが嬉しかった。
リアム先輩が私の背中のケースを見る。
「せっかくだから、弾けば」
「ここで?」
「そのために持ってきたんじゃないの」
「丘に行くと思ってたから」
「丘では弾かないでしょ」
棚からケーブルを一本取り、私へ渡す。
ケースからJazzmasterを出すと、壁際のアンプを指した。
「それ使っていいよ」
「渚さんのですか」
「うん。島で使ってたやつ」
湊がここにいたら、しばらく弾けなくなると思う。
写真と見比べて、つまみの位置まで確かめるはずだ。
私はそこまで詳しくない。
それでも、渚さんが鳴らしていたアンプへ自分のギターをつなぐ手は慎重になった。
最初の音は大きすぎた。
リアム先輩が笑い、アンプのつまみを下げる。
自分はベースを持ち、向かいの椅子へ座った。
何を演奏するかは決めない。
私が短いコードを弾く。
先輩が低い音を足す。
途切れれば話し、話が止まればまた音を出す。
丘にいた時と、やっていることはほとんど変わらない。
ただ、ここにはノエルさんと渚さんのいた跡が残っている。
ドラムの椅子。
空いたギタースタンド。
壁に貼られた古いセットリスト。
帰る前、もう一度部屋を見回した。
「また来てもいいんですか」
「寒かったら」
「寒くなくても」
リアム先輩が少し笑う。
「来たければ」