
第13章|二年目の空欄
二年生になって最初の新入生説明会は、去年と同じ音楽室で行われた。
扉の外まで人があふれている。
ギターの前に輪ができ、ドラムを囲む人がいる。花音のダークネイビーのベースを、少し離れたところから見ている一年生もいた。
こちらから見える景色は、去年とまるで違った。
「近い」
マイクの前に立った芽衣が小さく言う。
一年生の顔が全部こちらを向いている。
文化祭で芽衣を見たことがあるらしく、前列の女子たちが声を潜めていた。潜めているつもりでも、芽衣ちゃん、という呼び方までは聞こえる。
「もう名前で呼ばれてる」
花音が面白そうに言う。
「聞こえてるから言わないで」
「学校のアイドル」
「やめて」
芽衣は嫌そうな顔のまま、マイクの高さを直した。
本人は緊張している。
それなのに、マイクの前へ立つと、一番小柄な芽衣へ最初に視線が集まる。
岳はドラムの椅子で、一年生へスティックの持ち方を見せていた。
去年リアム先輩から借りたクリックは、冬になる前に返している。今は自分で買ったものをドラムの横へ置き、走っているか確かめたい時に使う。
湊はギターアンプについて聞かれ、相手が途中から分からなくなっていることに気づかず説明を続けていた。
私はキーボードの横に立つ。
その向こうには、鍵盤蓋を閉じたグランドピアノ。
去年はあの近くから、軽音部の中に自分の場所があるのかを見ていた。
今は、三年生になった真琴先輩が説明会を進めている。
「最初に二年生から一曲。Q-RAN、お願い」
去年は見る側だった。
今は、軽音部へ入れば一年後にここまでできると見せる側にいる。
岳がスティックを上げた。
文化祭で演奏した曲を一曲だけ弾く。
説明会だからと、全員が少し前へ出ている。
湊の右手が強くなれば、花音が後ろへ重心を置く。花音がサビ前で前へ出れば、岳が次の一拍を太くする。芽衣が息を多く使ったあとは、次の言葉の頭が少し柔らかくなる。
私はその隙間を待って和音を置く。
全員の癖を知っている。
少しくらい走っても、もう曲の中で迷わない。
最後の音を切ると、一年生から拍手が返った。
芽衣を見ていた女子たちの拍手が一番大きかった。
次にBAD MONKEYが前へ出る。
去年より楽器の扱いは上手い。それでも、最初の一音から音量が大きい。ギター兼ボーカルの声が裏返り、ベースが一度違う弦を拾っても、三人はそのまま前へ進む。
一年生が笑い、手拍子を始めた。
「速いまま上手くなった」
岳が言う。
「それ褒めてる?」
花音が聞いた。
FOG LAMPの演奏が終わる少し前、音楽室の扉が開いた。
黒い上着を腕へ掛けたリアム先輩が入ってくる。
一年生の何人かが振り返り、小さなざわめきが起きた。
昨日の最終便で戻る予定だったが、東京での録音が延びたと聞いていた。
先輩は真琴先輩へ片手を上げ、そのまま窓際へ向かった。
空いていた椅子へ座る。
それだけで、音楽室の欠けていた部分が埋まる。
私と目が合った。
遅い、と口だけで言う。
リアム先輩は少し笑った。
説明会のあと、鍵盤の前に一人の女子が残っていた。
グランドピアノとキーボードを交互に見ている。
「弾きたいの?」
声をかけると、驚いたように振り返った。
「いいんですか」
去年の私も、同じことを聞いた。
制服のポケットから銀色の鍵を出す。
鍵穴へ差し込み、右へ少し押しながら回した。
かちり。
鍵盤蓋を持ち上げると、一年生の表情が明るくなった。
「名前は?」
「ニコ、小坂虹心です」
なんとなく、リアム先輩の真似をしてみた。
「私は汐音」
「虹心、弾いてみて」
変な先輩と思われたかもしれない。
「閉める時、呼んで」
虹心が鍵盤へ指を置く。
さっきまで笑っていた顔が、その時だけ静かになった。
音を確かめるように、ほんの数小節だけ弾く。
派手なフレーズではない。けれど、一音ずつ輪郭が揃い、短いリズムも揺れない。
上手い。
そう思った時には、虹心はもう手を離していた。
「ありがとうございました」
「鍵、先輩が持ってるんですか」
「私と、もう一人」
窓際を見る。
リアム先輩は一年生の男子に囲まれていた。Aosagiのライブやベースについて聞かれている。
「特別なんですね」
「何が?」
「二人だけ、同じ鍵を持ってるの」
答える代わりに、床のケーブルを巻いた。
虹心はもう一度頭を下げ、音楽室を出ていった。
説明会から数週間が過ぎた。
六月の放課後ミニライブには、今年も一年生が出る。
虹心も、ギター、ベース、ドラムの三人とバンドを組んでいた。
申込用紙を前に、四人は長く止まっている。
「名前、まだないんです」
虹心が言った。
「去年も、決まる前に申し込んだから」
「どうやって決めたんですか」
「空いてたところに書いた名前が、そのまま残った」
説明になっていないと思う。
四人は顔を見合わせ、消せるように鉛筆で仮の名前を書いた。
去年の私たちより慎重だった。
同じ日、Q-RANも申込用紙を取った。
文化祭の曲は選ばない。
去年と同じ曲もやらない。
「これ、やりたい」
私がスマートフォンを机へ置いた。
家のピアノで作り、仮のギターと簡単なリズムを重ねただけの短い曲。
聞かせる前から、直したい場所がいくつもある。
それでも四人へ渡してみたかった。
最初に聞き終えた芽衣が言う。
「サビの最後、高い」
「やっぱり?」
「歌えないことはないけど、言葉が細くなる」
湊は二回目を聞きながら、膝の上で指を動かしていた。
「ここ、ギター何すればいい?」
「まだ決めてない」
「コードだけだと、ずっと同じに聞こえるかも」
「じゃあ変えて」
「汐音の曲なのに?」
「五人でやるんだから」
花音はベースを持ち、岳と最初の四小節を試す。
私が作った時にはなかった低い音が加わった。
岳がキックの場所を変えると、曲の歩き方まで変わる。
芽衣は歌える高さへメロディーを少し動かす。
湊が、コードの間へ短いリフを置く。
私の曲なのに、私だけでは知らなかった形になっていく。
嫌ではなかった。
四人へ渡し、五人で鳴らして初めて、曲が自分の手を離れた。
窓際では、リアム先輩がノートパソコンを開いていた。
イヤホンを片方だけつけ、画面には曲名らしい文字が長く並んでいる。途中で一度目を閉じ、数秒そのまま動かなかった。
眠っているのかと思うと、すぐに目を開けて何かを書き直した。
私たちの曲へ口を出すことはない。
こちらを見て、少し笑っただけだった。
「聞かないんですか」
練習後に私が言うと、リアム先輩はイヤホンを外した。
「聞いていいの?」
「今はまだ駄目です」
「じゃあ聞かない」
「気にならない?」
「気になるよ」
即答した。
「でも、五人で作ってる途中でしょ」
以前なら、聞こえた完成形を先に鳴らしたかもしれない。
今は、私たちが選ぶまで待っている。
申込用紙に、Q-RANと曲名を書く。
去年はバンド名だけが先に決まった。
今年は、私が持ち込んだ曲に、五人の名前が並んだ。
空欄だった場所へ、初めて自分たちの曲を書いた。