
第9章|そして、日々は続いていく
夏はゆっくりと終わりへ向かい、照人はふたたび日常へ戻っていく。
けれどその心には、ルナと過ごした日々が静かに灯を残していた。
“また会える”という言葉を胸に、彼は新しい一歩を踏み出す。
蝉の声が頭の上でけたたましく鳴いていた。どこまでも続くと思えた夏が、少しずつ確かに終わりへ向かっている。
東京の朝。夜行バスを降りた照人は、新宿駅前の雑踏の中にいた。コンクリートの匂い、行き交う人々の熱気――そのすべてが懐かしく感じられる。
ほんの数日前まで、これが“当たり前”の毎日だった。流れゆく時間の中で、意味もなく立ち止まって空を見上げることすらなかった。
けれど今は違う。
朝焼けの街を歩くうち、胸の奥に残った痛みも疑問も、静かに馴染んでいくのを感じた。
「終わった」のではない。
「続いていく」のだ――この夏の先も、自分の時間も。
照人はふと、通学路にある歩道橋で立ち止まった。学生たちが朝の光の中を通り過ぎていく。その向こうにはいつものコンビニ。ガラス越しにアイスのコーナーが見えた。
ただ“あるだけ”だった日常が、今日は少しだけ眩しく見えた。
*
始業式の翌日。教室の扇風機が弱々しく回り、夏休み明け特有のだるい空気が漂っている。
その中で、照人だけは少し違っていた。窓際の席に誰よりも早く座り、机にノートを広げている。友人たちがちらりと視線を向けるが、本人は気づかず手を動かし続けていた。
今まで照人は、何事も“そこそこ”で済ませていた。頑張る人間を白けた目で見て、輪の外に自分の居場所を作ってきた。
「どうせ何をしても大して変わらない」
そんな諦めが、いつの間にか自分を形作っていた。
でも――あの夏が境界を壊した。
思い出すのは星空の下で交わした言葉。
「また会えるよ」
それはただの慰めではなく、自分の未来を照らす小さな光だった。
――今のままじゃ、届かない。
照人はそう感じた。ルナに、そしてあの日見た景色に、もう一度手を伸ばすために。変わるなら“今日”からだ。
体育では全力で走り、図書室ではカメラの専門書を読みあさり、夜の河川敷では何度もシャッターを切った。
ブレてもいい。焦点が外れていてもいい。
ただ、自分の“今”を刻みたかった。
見えない境界線を踏み越えたような感覚があった。その先に何があるのかは分からない。それでも照人はまっすぐ“先”を見ていた。
昼休みの校舎の屋上。生徒たちのざわめきが遠くで響き、照人は空を見上げる。雲の切れ間から少しだけ覗く青。それがふいに、あの夏の空と重なった。
思わずカメラを構える。
「ルナ……」
名前を呼んでも返事はない。けれど胸の奥に残った“熱”だけは、確かにそこにあった。
まだ会える。その言葉を信じて、照人は今日もページをめくり、シャッターを押し、走り続ける。
どこへ向かうのかは分からない。
でも、どこへでも行ける気がした。
――この世界は、まだ見たことのない景色であふれている。