
第25章|音の出ない夜
照明は生きているのに、音だけが消える。
たった数十秒で、ルナは何もできないことを知る。
できたはずだった、という悔しさだけが残る。
全部うまくいきそうだと思ったまま迎えた、次の夜だった。
客席は埋まっている。
照明は明るい。
スタッフの動きも、出音の確認も、どれもいつも通りだった。
だから、最初の違和感は小さかった。
曲に入って、ルナは一小節ぶん深く息を吸う。
カイのギターが来る。
ユウのベースが床を支える。
ユイナのドラムが前へ押す。
絢音の鍵盤がその上に色を足す。
なのに、客席から返ってくるはずの熱が、少し遅い。
「……あれ」
ルナがマイクの向こうで小さく言った。
次の瞬間、音が落ちた。
完全に消えたわけじゃない。
ステージ上では鳴っている気がする。
でも、客席へ届くはずの芯が、途中で切れていた。
照明だけがやけに鮮やかで、ルナの手元だけを浮かせる。
ユウが即座に振り向く。
カイも絢音も、同じ方向を見ている。
演奏が止まる。
ユイナはシンバルを止めたまま、次の合図を待っていた。
誰も声を上げない。
上げてもどうにもならないと、全員が知っているからだ。
袖でスタッフが走る気配がする。
PA卓の前に人が集まる。
ケーブル。
アンプ。
ライン。
何かを確かめる声。
ルナは、立ったまま動けなかった。
マイクを握る手に力が入る。
でも、自分には何もできない。
その事実だけが、音の出ない時間より長く残る。
復旧は早かった。
本当に、早かった。
数十秒で戻ったのだから、トラブルとしては軽い方かもしれない。
でも、ライブは数十秒で壊れる。
客席に流れていた熱が切れたことだけは、もう取り戻せない。
「すみません」
誰かが言った。
スタッフの声だったのか、ユウだったのか、ルナには分からない。
ルナは何も返せなかった。
次の曲へつなぐ。
つなぐしかない。
けれど、そこにはさっきまでの勢いがもうない。
会場の空気は少し冷えていて、バンドの中にも同じ冷たさが残っていた。
その夜のライブは最後まで終わった。
拍手もあった。
歓声もあった。
なのに、終演後に残ったのは成功ではなく、失敗の輪郭だった。
楽屋に戻ると、みんなしばらく何も言わなかった。
ユイナはいつものように何か言おうとして、途中でやめた。
絢音はメモを閉じたまま、膝の上に置いている。
カイは壁に寄りかかって、天井を見ていた。
ユウだけが、頭のどこかで状況を整理し続けている顔をしていた。
ルナは自分の手を見た。
何もしていないようで、何もできなかった手だった。
突然だった。
本当に、唐突だった。
だから仕方がない、と言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
でも、たぶん違う。
想定していれば。
こういうことも起こると、どこかで本気で考えていれば。
止まった瞬間に声を出すことも、手を叩くことも、空気を繋ぐこともできたかもしれない。
あの熱を、完全に落とさずに済んだかもしれない。
うまくいき始めている、と思っていた。
五人になって、曲が増えて、景色が広がって、少しくらいの不安はあっても、ちゃんと前へ進んでいるのだと。
そう思った矢先に、足をすくわれた。
油断だったのかもしれない。
そう思うと、事故そのものより、その事実の方が重かった。
悔しさは、あとから来る。
止まっていた時間より、
そのあとに何もできなかった自分の方が、ずっと長く残る。
あの夜、ステージの上で固まっていたのは、機材だけじゃなかった。
それを認めた瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。
外では、まだ撤収の音がしている。
ライブが終われば、どんな夜でも片付いていく。
明かりがついて、ケースが閉じて、ケーブルが抜かれて、何事もなかったみたいに夜は終わる。
それがたまらなく嫌だった。
音の出ない夜は終わった。
でも、終わった感じはどこにもなかった。