
第14章|予定外の人気
数字は、安心の材料にもなる。
でも時々、数字の方が先に未来を知っているみたいな顔をする。
そういう時、ユウの計算は少しだけ黙り込む。
名古屋の夜が終わったあと、数字は静かに動き始めた。
派手に爆発したわけじゃない。
けれど、じわじわと広がるタイプの伸び方だった。
Aosagiのファンが撮った短い動画。
ルナの横顔。
カイの七弦。
絢音の鍵盤。
客席の手が、思っていたよりちゃんと揺れている映像。
それが、あちこちに流れた。
ホテルのロビーで、ユウはスマホを見ながら黙っていた。
ルナはその横顔を見て、少しだけ嫌な予感がした。
「どうしたの」
「……いや」
ユウは一度、画面を消した。
でもすぐにまたつける。
「良くない?」
ユイナが向かいのソファから身を乗り出す。
絢音はコーヒーカップを両手で持ち、カイは壁にもたれている。
「良いよ」
ユウは言った。
「良いけど、良すぎる」
「何その文句みたいな言い方」
ユイナが笑う。
「名古屋の反応、予測より一段上だ」
ユウがスマホを見せる。
「Aosagiのツアー効果もある。でもそれだけじゃない。配信広告の流入と、カイ経由の客が噛み合ってる」
「俺の客?」
カイが言う。
「完全にそうとも言い切れない」
ユウは首を振る。
「カイゼロを見に来た客が、そのままSlowRushに残るかどうかは別問題だから」
「シビア」
カイが小さく笑う。
「現実だからな」
ユウは言った。
でも、その現実が少しずつ読みにくくなっているのも事実だった。
名古屋の終演後から、
別都市の問い合わせが微妙に増えている。
対バン相手の反応も早い。
仙台の前売りが、なぜか昨日から伸びていた。
「何か変なの?」
ルナが聞く。
「変というか」
ユウは少しだけ言葉を探した。
「波が、思ったより速い」
それは良いことのはずだった。
でもユウは、良いことほど疑ってかかる。
そうしないと、次の失敗で足をすくわれるからだ。
「じゃあ、売れてるってこと?」
ユイナが言う。
「その言い方はまだ早い」
「でも、来てるんでしょ?」
「来てる」
ユウは認めた。
認めながら、まだ少しだけ警戒している顔だった。
ホテルのロビーは、音が遠い。
スーツケースの車輪が転がる音も、
フロントで誰かが笑う声も、
全部ガラスの向こうのことみたいに聞こえる。
その静けさの中で、
SlowRushだけが少し浮いていた。
「次、大阪だっけ」
絢音が言う。
「次は大阪」
ユウが答える。
「そのあと広島。少し空いて福岡。戻って神戸。で、首都圏を何本か挟んで仙台」
「迷子みたいなルート」
ユイナが言う。
「迷ってない。全部理由ある」
「あるのは知ってる。聞いても分かんないだけ」
ルナはそのやりとりを聞きながら、
少しだけ昔のことを思い出していた。
三人で初めて遠出した時は、もっと雑だった。
紙の地図を見て、間違えて、笑って、それでも間に合った。
今は違う。
ユウの手帳とナビと、何十本もの連絡の上で、やっと一日が成り立っている。
それなのに、
人気の方はその計算から少しずつはみ出していく。
「怖い?」
ふいに、絢音がルナに聞いた。
ルナは少しだけ考える。
「……うれしい方が大きい」
「私はちょっと怖い」
絢音はカップを置きながら言った。
「勢いって、速いから」
「褒めてる?」
とルナが聞く。
絢音は少しだけ黙ってから、
「……普通に褒めてる」
と言った。
「絢音でもそう思うんだ」
ルナが言うと、絢音は小さく肩をすくめた。
「私、別に何でも平気なわけじゃないよ」
それは、たぶん本音だった。
天才みたいな顔で鍵盤に座るくせに、
時々こういうふうにちゃんと人間だ。
そのことに、ルナは少しだけ救われる。
「まあでも」
ユイナがスマホを振ってみせる。
「伸びてる時は乗っとこうよ。そういうの、たぶん今しかない」
「その“今しかない”が一番危ない」
ユウが言う。
「それもそう」
ユイナはすぐに引いた。
引くべきところで引けるのが、彼女の変なところで賢いところだ。
結局その夜は、
数字の話をして終わった。
誰がどれだけ見られて、
どの投稿が伸びて、
どの都市の前売りが動いているのか。
音楽の話じゃない。
でも、音楽を運ぶための話だった。
ルナは少しだけ息苦しさを感じる。
こういう話が必要なのは分かっている。
分かっているのに、
それが増えるたびに、
曲を書く時の自分が少しだけ遠くなる気がした。
部屋に戻ると、窓の外は静かだった。
名古屋の夜景は、東京より少しだけ低い。
派手じゃない分、輪郭がよく見える。
ベッドに腰を下ろし、
ルナはギターケースに手を伸ばす。
出せばいい。
弾けばいい。
でも、しばらくそのまま動けなかった。
数字は動いている。
ライブも前に進んでいる。
Ghostedも育っている。
なのに、自分の中だけが、
まだ何かの答えを持てずにいる。
スマホが震えた。
ユウからだった。
《広島、前売りもちょっと増えた》
《たぶん名古屋の余波》
たった二行。
それだけなのに、
ユウが今も一人で数字と向き合っているのが分かる。
ルナは少しだけ画面を見つめてから、返した。
《すごいね》
送信して、すぐに少し後悔した。
その言葉じゃ、たぶん何も足りない。
でも、他に思いつかなかった。
少しして、返信が来る。
《まだ途中》
それはたぶん、
人気の話だけじゃなかった。
ルナはギターケースを膝の上に引き寄せる。
ジッパーを少しだけ開けて、
また閉じた。
途中。
その言葉が、妙に胸に残った。
SlowRushは、まだ途中だ。
自分も、たぶん途中だ。
だったら、
今はまだ、答えがなくても仕方ないのかもしれない。
そう思ってみても、
胸のざわつきは、きれいには消えなかった。