
静止画エッセイ 白い円環の重力
午前八時の洗面台には、曇天の空から降りてきた平坦な光が溜まっている。 陶器の表面は、指先を押し当てると弾かれるような冷たさを保っている。 排水口の銀色の縁に、濡れた一本の髪の毛が張り付いている。 それは正確な円を描き、自身の末端を自身で踏むようにして静止している。
髪は細く、水分を含んで重みを増している。 指を近づけると、その曲線がわずかに震えたように見える。 昨夜、髪を洗った際のものか、あるいは数日前の忘却の残りか。 時間の順序は、この閉じた円環の中では意味を失っている。 さきほど拾い上げたはずの別の髪が、まだそこに残っているような感覚がある。
指先が髪の毛の表面に触れる。 細い樹脂のような弾力が、皮膚の受容体をかすかに刺激する。 これを取り除けば、洗面台の白は連続性を回復するはずだった。 しかし、指がその物質を掴みとる瞬間、微細な抵抗が生じる。 それは排除すべき異物でありながら、かつては自身の肉体の一部であったものだ。
視点が、髪の毛の黒い線から、それを支える陶器の微細な傷へとスライドする。 排水口の奥から、湿った空気が音もなく上がってくる。 髪を摘み上げた指先には、水滴とともに、微かな粘りけが残っている。 それは排除の対象というよりは、そこにあるべき座標を失った記号のように見える。
指を離すと、髪の毛はティッシュの皺の中へと消えていく。 洗面台には、先ほどまでそこにあった円環の残像だけが浮いている。 窓の外では、隣家の換気扇が乾いた音を立てて回り始めている。 蛇口から滴り落ちた一滴の水が、排水口の銀色を叩く。 波紋は広がらず、ただ平坦な光の中に吸い込まれていった。
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