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サブスクで失われたもの、取り戻したもの

サブスクの音楽サービスを使い始めて、もう長い。

便利になったのは間違いない。

それでも、ふと何かを失った気がする瞬間がある。

一方的に嘆くのも礼賛するのも、実感とは違う。両方を、正直に数えてみたい。

失われたもの、その一

まず、失われたものから。

アルバムを、一枚の作品として聴く感覚が、薄れた。

以前は、1曲目から最後まで順番に聴くのが当たり前だった。曲順そのものに作り手の意図があった。

いまは、気になる曲だけを拾って聴く。アルバムという単位が、プレイリストという単位に置き換わってしまった。

失われたもの、その二

もう一つ、失ったのは「これだ」という確信の重みだ。

昔は、限られた小遣いで一枚を選んでいた。外れたら、悔しい。当たったら、しばらく聴き倒す。

その真剣勝負の緊張感が、いまはない。

無限に選べるということは、一枚への執着が育ちにくいということでもある。気に入らなければ、すぐ次に移ればいい。この気軽さが愛着の深さを少し薄めている気がする。

取り戻したもの、その一

一方で、取り戻したものも確かにある。

昔、手が届かなかった名盤に、いまはいつでも触れられる。

高校生の頃、雑誌で名前だけ知っていた作品。当時は、買うお金も探す手段もなかった。

いまは、検索すればすぐに聴ける。音楽の歴史そのものに、指一本でアクセスできる時代になった。

取り戻したもの、その二

もう一つ、取り戻したのは偶然の出会いだ。

好みに近い曲を、勝手に薦めてくるアルゴリズム。これのおかげで、知らなかったアーティストに何度も出会えた。

昔は、雑誌や友人の紹介がなければ出会えなかった曲がある。いまは、機械がその役割の一部を代わりに担ってくれている。

差し引きすると、どうなるか

こうして並べてみると、失ったものと取り戻したものは対になっている。

作品としての重みを失った代わりに間口の広さを得た。一枚への執着を失った代わりに出会いの数を得た。

どちらが得か簡単には決められない。

ただ、はっきりしているのは、昔とはまったく違う付き合い方になったということだ。良し悪しの問題より、種類が変わったのだと思う。

おわりに

サブスクは、何かを奪って何かを返してくれた。

失ったものを懐かしむのも、得たものを喜ぶのもどちらも本音だ。

音楽との距離は、時代ごとに形を変える。いまの形も、そのうちの一つにすぎないのだと思う。

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