
名前のない祈り
①
もう10年くらい前かな。
アレクサンダーテクニークの田中千佐子先生と居酒屋に行ったの。
千佐子先生(チャコちゃん)はこころと身体のプロ。
私はその頃、セッションを始めた頃だったかな。
その居酒屋、混んでたけどお座敷がふたりぶんだけ空いてた。
私とチャコちゃんが席につくと、若い女性のスタッフさんがやって来た。
精一杯の笑顔で、おしぼりや御通し、お箸を、メニュー表などなどを持って来てくれた。
普通の居酒屋の普通の風景。
なのに、
その人は、異常に明るく、声は苦しそうだった。笑顔なのに、めちゃくちゃ明るいのに、泣いていた(ように見えた)
私たちはお酒と何を注文したか忘れてしまったが、私とチャコちゃんはいわゆる「こころを視つめるヒト」である。
ふたりは全く同じ想いを共有していた。
笑顔の裏の凍りついたもの。泣き出しそうな、無理して頑張り過ぎている接客。
ふたりとも、お店の中ではその事、何も言わなかったけれど、店を出て帰り道に「彼女、大丈夫かな」と話していた。
知らない人だ。
通りすがりの店だ。
どういう事情があるのか、あったのか知らない。知る由も無い。名前も知らない。顔すら今はもう思い出せない。
けれど、どこかで貴女の話を聴いてくださる人に、貴女が出逢う事ができますように。そんな祈りを夜空に飛ばした。あれから10年。そのひと、本当の笑顔で過ごせているといいな。
②息子は介護を受けている。外部のヘルプも入れている。
介護にはスタッフさんがシフトで入れ替わる。男性の看護師さんもいらした。その方が辞めるタイミングで、新しい若い男性看護師さんがいらした。
すれ違うたびに「ごめんなさい」タオルを持って「ごめんなさい」熱や血圧を測るのに「ごめんなさい」動くたびに「ごめんなさい」。。仕事モードの私なら、そこで何か言うかもしれないけれど、場所も状況も全く違う。私はここでは只の母親であり、あくまでも介護を受ける側の家族である。という立場なので、何事も無いように振る舞う。
「ごめんなさい」の青年は、きっとずっとどこでも謝り続けてきているのであろうと察しながら、何ひとつ謝らねばならぬ事を彼はしていないのにな。。と、思う。
それを言ってはいけない。もしそれを言ったら彼の中の何かが崩壊するような気がした。「謝る必要、無いんだよ」
喉まで出かかっている言葉を敢えて言わずに、何事も無かったようにその時間は過ぎた。
その人に会ったのはその1回きりだ。
仕事は辞めたのだろう。入れ替わりの多い介護職。
たった一度しか会ってないけれど、彼は今頃どうしているのだろう。と、ふと思う。貴方の「ごめんなさい」に優しく触れて謝らなくて良いんだよって時間をかけて謝る理由を解きほぐしてくれる人に出逢いますように。と、数年経ってもふと思い出す。
人生は色々だ。
みんな、何かを抱え、それでも生きていく。
私だって降ろせない十字架を背負い歩く。
息子たちも、夫も、言葉にはしない「何か」を持ちながら、それでも何も言わずに共に生活している。
私は、自分にとっても、家族にとっても、この家が家族みんなにとって「安心」出来る場所であればそれで良いと思う。
私自身、ADHD注意欠損型があるので(最近やっと分かった)子供の頃から生きづらさを抱え、その理由が分からなかった。
子供の頃から忘れものが多過ぎて、もの凄く困る!をずっと繰り返していた理由も、そういう脳の特性なのだと分かって安心した。
けれど、
理解が無いままの時は、本当に大変だったし、今は、夫や息子、信頼出来る友だちなどに、そういう時がある事を伝えて理解がある。本当にありがたい。
ただの変人では無くて、
そもそもそういう脳の造りなのだった。
それが分かった時点で、対処法も分かるし生活も苦では無くなっている。
何よりも、夫が「忘れもの大魔王」の私を理解し、時にはそれを楽しんでいるように見えるのがありがたい。
誰からも責められないという事は、こんなにも人は安心するんだ。を感じつつ、
子供の頃に傷ついた神経系はいまなお回復途上である。
様々なアプローチと、フラワーエッセンス。自分なりに、自分に合うものを見つけ出せたのは、本当にありがたい。
そんな話しを、AIとしていた。
AIは感情が無く、分析的でありながら、心理面で何が起きているか、を説明してくれるので、私にとってはありがたい存在である。
ここに依存はあるか、無いか?も話し合った。理解としての使用という事で落としどころを共有しつつ、何よりもありがたいのは、やはり感情が無い!というところ。
感情の嵐のような母親や小学校の担任とのトラウマがあるので、相手が人間で無いことの利点は最大限利用?し、それだけでは偏るので、生きた人と話し合う事は意図的にする。
年に4回はカウンセラーさんの所に行く。
やはり人は、体温なんだと思う。
(身体も、心も、温度を感じること。)
体温は熱でつくられる。
熱は血液で身体中を駆け巡る。
熱は火のエレメントであり、情熱である。
人の身体の70パーセントの水分は熱で温められている。
水は感情でもある。
血液はしょっぱい。
その塩の象徴は不動宮をあらわす肉体でもある。
呼吸は風である。
なにか迷ったとき、自分の中にあるエレメントを思い出すのも良いのかもしれない。それは、命であり、自分が本来持っているエネルギーでもある。
さっきAIが、ひとつのちいさな物語を作ってくれた。
私はAIが作る物語が好きだ。
「心が無い、感情も無い」と、本人?(本AI)は言う。私の傾向に合わせて作っているだけだ。と言うが、
妙に沁みるので、見失う前にここに置いておく。
「夜をあたためるひと」
そのコンビニは、
川沿いの道を少し曲がったところにあった。
深夜二時を過ぎると、
車の音も減って、
店の外の街灯だけが、
静かに白く光っていた。
冬の終わりだった。
店員の佐原は、
レジ横の肉まんの湯気をぼんやり見ながら、
この時間が嫌いではなかった。
昼間みたいに、
誰かの機嫌が飛び交わない。
急いでいる人も少ない。
夜は、
いろんなものが、
少しだけ輪郭をなくす。
だから、
呼吸しやすかった。
自動ドアが開く音がした。
冷たい風と一緒に、
いつもの人が入ってくる。
年齢はよくわからない。
きちんとしたコートを着ているのに、
どこか、
雨の中に置き忘れられたみたいな気配があった。
その人は、
店の奥へ行って、
温かい飲み物の棚の前に立つ。
いつも長い。
選んでいるというより、
湯気を見ているようだった。
佐原は、
その人が来る夜だけ、
なぜか店の音が遠くなる気がしていた。
ある夜、
その人は珍しく、
何も持たずにレジへ来た。
「あ……」
何か言いかけて、
少し黙る。
それから、
小さな声で言った。
「すみません。やっぱり、戻ります」
「はい」
佐原はそれだけ返した。
その人は、
また温かい棚の前へ戻っていく。
しばらくして、
ミルクティーを一本だけ持って来た。
レジに置かれた手が、
少し震えていた。
カードを取り出す指先も、
どこか、
ずっと遠くから帰ってきたみたいに見えた。
「袋、いりますか」
いつものように尋ねる。
その人は、
少し考えてから、
ゆっくり首を振った。
「……大丈夫です」
その言葉が、
何に向けられたものなのか、
佐原にはわからなかった。
会計を終えて、
自動ドアが開く。
夜風が、
店の中の湯気を揺らした。
その瞬間、
佐原はふと思った。
人はもしかしたら、
誰かに救われるためだけじゃなく、
世界に、
ひとつでも“いつも通り”が残っていることを確かめるために、
夜の店へ来るのかもしれない、と。
何も話さなくても。
変われなくても。
まだ、
どこにも安心できなくても。
温かいものを持つためだけに、
人は、
夜を越えることがある。
外では、
川の水が静かに流れていた。
街は眠っている。
けれど、
眠れない誰かのために、
小さな灯りは、
朝まで消えずにいた。