
紙で、18年前に離別した父の死を知った
紙で、18年前に離別した父の死を知った。
ずっと気にはなっていた。なんとなくそんな気はしていたが、あまりに無味乾燥で味気ないというのがその時に思ったことだった。
あの時、どれだけ泣いたかわからないほどだったのに。ただはっきりさせたいと思ったのです。
「親の離婚で離別した父親の生死が不明なので、戸籍謄本を取得したいです」
そう言った僕に、総合案内のベテラン風に見えるご婦人は、手元の申請用紙に鉛筆でてきぱきと丸を付けながら説明をしてくれた。
なるほど、非常にわかりやすい。
亡くなっていれば、戸籍謄本ではなく、除籍謄本が出てくるとのことだ。幾人もがこの方の説明を受けて、近しい誰かの戸籍を確認したことがうかがえるようだった。世のご婦人たちはこういった、他人の決して明かさないような秘部をあっけらかんと話題にするのが世の常なのだ。申請書は、ご婦人の丸印をなぞるように書き出すとすぐに完成し、窓口へ提出できるものとなった。
「365番の方、窓口へどうぞ」
窓口では、胸に初心者マークを付けた若い女性の方が座っていた。
先ほど総合案内で口にした言葉を復唱する。
彼女は少し怪訝そうな表情で、
「お客様の戸籍謄本ではなくてですか?」と言った。
一般的な用途ではないからだろうか、彼女が初めて遭遇したケースだったのだろうか、理由は様々だろうが、もう一度、言葉が漏れないように気を付けながら窓口に来た理由を説明すると、彼女も納得し、業務に取り掛かったようであった。
身分証明書の確認が終わると、番号札を渡され、呼び出しを待つように指示があった。往々にして、こういった書類の発行には10分そこらの時間がかかるものだ。
そう思った僕は、自動販売機でコーヒーを買った。
いつもコーヒーは喉が渇くだけなので、こんな暑い季節には麦茶なのだが、今日は売り切れていた。窓口向かいのベンチに深めに腰掛け、ブラックコーヒーを啜った。
ふと窓口に目をやると、彼女はパソコンへの打ち込みが終わったようで、思案にふけっている。そんなようだった。
「521番の方、書類が完成しました」
手元の番号に相違ないことを確認し、立ち上がると膝がきしんだ。
少し屈みながらの姿勢で立ち上がり、視線を上へ戻すと彼女と目が合った。先刻の怪訝そうな顔に、少しの好奇心が混ざったような表情であった。
手元の書類は個人情報保護の為か、周囲に見られないようにカバーがかけてあった。それがなぜか予感を確信に変えた。
あぁ、やはりそうか。
既に私の中では、見るまでもないものになっていたが、それでもお金を払って完成した書類を受け取った。
【死亡日時】平成30年9月8日夜頃
【死亡地】 静岡県静岡市葵区
もう8年も前に。
彼は、僕の父親は、その生涯を終えたとその2行が示していた。
夜頃というのは、察するに、一人で、寂しく逝ったもののように思った。
全員が記載された除票は、皆同じ本籍地から始まっていた。
確かに親子で、家族であったことがわかると同時に、その取り消し線が僕たちと、彼の辿った旅路を描いていた。
役所から出ると、
恨み言も、怒りも忘れて、彼が最後を迎えた場所へ行こうと思った。
記憶の断片が、まだ残っているかもしれないと思ったのか。
どうしても、最後まで一人で、孤独で、父が、一人の人間が去らなくてはいけないことを、認めたくなかったのかもしれない。
もう間に合わないのに。
そばにいたよ。
ただそれだけを、今さら伝えに行きたかったのかもしれない。
結局、何なのかわからないまま、
最初の思いに押され続け、小さな古びたアパートの前に立っていた。
小さいころによく見た、キテレツ大百科に出てくる勉三さんが住んでいそうな佇まいは、鈍色の塗装もあいまって、やはりどこか寂しさを感じるものだった。
結局その101号室には、もう住人がいた。どこを探しても面影は見当たらなかった。
寄る辺もなく、ストリートビューを見た。
2016年ころの写真が残っていた。見たことのある、くすんだ銀色の、ホンダの原付が1台、アパートの前に停まっていた。
情景を画面と重ねながらスクリーンショットを撮った。
それで良しとすることにした。
明日も仕事がある。
さようなら、またいつか。
2026/6/30 うだるような夏の暑さの中で―