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母の言葉 “逃げず腐らず”

    逃げず、腐らず。


    オカンの話をしよう。

    私の母親は、とても厳しい。
    戦後の日本を支えた女性たちを想像していただけると、わかりやすいと思う。

    礼儀やマナーには特に厳しく、暴力こそ無いが、一言で場を制圧する迫力があった。
    さすがは空手の師範代である。

    その一方で、自分にはとことん甘い人だった。

    朝は起きない。
    子供達のお弁当や提出物を忘れるのは日常茶飯事。
    三者面談も「面倒だから」と来ない。
    先生には「本人の自主性を重んじています」なんて言っていた。

    そんな母の元で育った私は、長男ということもあり、早い段階から家事や育児を手伝っていた。
    今思えば、母を助けたかったんだと思う。
    いや、正確には。

    認めてほしかった。

    そんな私にも、どうしても苦手なものがあった。

    運動である。

    当時、サッカークラブに所属していた私は、色白で太っていて、とにかく鈍臭かった。
    練習前のランニングだけで精いっぱい。
    周りから笑われることも多かった。

    何度も辞めたかった。

    でも、辞めたいとは言えなかった。
    親にビビっていたのもあるし、ここで逃げたらダメな気がしていた。

    嫌々ながらも毎日走った。
    フットサルスクールにも通った。

    毎日辞めたかった。
    正直、泣きながら通っていた時期もある。

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    それでも二年も続ける頃には、成長期も重なって背が伸び、体重も落ちた。
    最後まで試合にはほとんど出られなかったが、それでも我ながら頑張ったと思う。

    卒業のタイミングで、サッカークラブの壮行会が開かれた。

    終盤では、保護者から子供への手紙が読まれた。

    「これからも頑張ってください」
    「中学でもサッカーを続けてね」

    涙ながらに話す母親達。

    正直、うちの母は何を話すんだろうと思っていた。
    試合を見に来たことなんてない。
    チームの当番に顔を出したこともない。

    そんな母の番が来た。

    「〇〇へ。
     決して、サッカーが好きじゃなかった。
     毎日笑われ、辞めたいと思っていたことでしょう。

     それでも逃げず、腐らず。
     苦しい状況の中でも、自分と戦い続けた。

     どんな成果よりも、その姿を誇りに思います。

     これから先、辛いことがあっても、きっとこの経験が支えになる。
     ……よく頑張りました。」

    正直、後半はあまり覚えていない。

    でも。

    「逃げず、腐らず。」

    この言葉だけは、今でもはっきり覚えている。

    見てくれていたんだと思った。

    毎日辞めたかったこと。
    それでも歯を食いしばっていたこと。

    全部、見られていた。

    その事実だけで、胸が熱くなった。

    この短い言葉は、その後の人生の指針になった。

    辛い状況でも。
    理不尽な目に遭っても。
    どれだけ辱めを受けても。

    俺は負けない。

    才能なんて大したものは無い。
    でも、逃げずに続けることだけはできる。

    親になった今なら、当時の母のことも少しわかる。

    五人兄弟。
    我が家には、常に赤ん坊がいた。

    そりゃ朝も起きられない。
    学校行事に全部参加するなんて無理だ。
    忘れ物だって増える。

    きっと、毎日必死だったんだと思う。

    それでも。

    ちゃんと見ていてくれた。

    あの日の言葉は、今でも時々、私の背中を押してくれる。

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    父になって気づいた。
    あの時の親の気持ち。▼


     
     
    ようこそ、ブルーモカヘ。 ここは、珈琲の香りとため息の間にある小さな喫茶店。 笑いも愚痴も、全部ひと口のエッセイに。 熱すぎず、冷めすぎず、そんな文章をお出しします。

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