
日本文化デビューに失敗した |記憶めぐり第12話
2004年春。
都内の私立大学・商学部に入学した。
面接では、
「カリフォルニアで流行っていたタピオカを、
日本でももっと流行らせたい」
みたいな話をした記憶がある。
本当にやっていたら良い線いっていたと思う。
株への興味やシミュレーション投資についても話した。
何が評価されたのかは分からない。
ただ、とにかく受かった。
どうやら、帰国子女の合格人数が
例年より多かった年らしい。
春のキャンパスは、全員ちょっと狂っている
入学式の日。
僕は完全に浮かれていた。
既に予備校経由で、
帰国子女コミュニティができあがっていたから、
孤独感も緊張感も無かった。
完全に“祭り”だった。
サークル勧誘では、
血眼で可愛い先輩を探した。
そして当然のように、
テニスサークルへ入った。
動機は、驚くほど不純だった。
しかも僕ら帰国子女組の多くは、
現役2年生と年齢が同じだった。
だから先輩相手にも、
普通にタメ口で話していた。
かなり扱いづらい新入生だったという自覚がある。

“イケてる”つもりで、完全に事故っていた
サークルの練習には、
ほとんど参加しなかった。
飲み会と合宿だけ、
やたら出席した。
そして最初の合宿で、
事故を起こした。
出し物の時間。
僕は何を面白いと思ったのか、
ゾンビのお面を被って、
一人でエミネムのラップを披露した。
しかも、
結構本気でやった。
でも。
ウケなかった。
というより、
誰も笑っていなかった。
変な悲鳴みたいな空気だった。
「あ、滑った」
それはすぐ分かった。
ただ、
もう手遅れだった。
僕はそのまま最後までやり切り、
そそくさと退場した。
快感センサーが、
周囲とズレていた。
大学デビューならぬ、
日本文化デビューに失敗したことを、
アブラ汗を垂らしながら実感した瞬間だった。
日本なら、モテる予定だった
正直、僕は大学でそれなりにモテる予定だった。
アメリカより日本の方が、
ファッションに寛容だと思っていたからだ。
カリフォルニアでは浮いていた僕も、
日本なら“お洒落な側”に入れる気がしていた。
でも冷静に考えると、
僕の格好はかなり極端だった。
日本人だからというだけで、
誰もがどんなファッションにも
寛容なわけがない。
しかも、お洒落というより、
僕のは“危ない方向へ尖っている人”に近かった。
それでいて空気を読めない。
相手への配慮も薄い。
自覚も無い。
言われて初めて気付く。
モテる要素など、
ほとんど無かった。
ただ、女子との会話自体は普通に成立したし、
好意を寄せてくれる子もゼロではなかった。
だから僕は、
「自分はそこそこモテる側だ」
という勘違いをしばらく修正できなかった。
そしてその勘違いの勢いで、
キャンパス内ナンパまでした。
好きになるのが、いつも遅すぎる
ある授業で見かけた、
ギャル風の同級生がいた。
どうしても仲良くなりたくて、
僕は人生で初めて、
まともなナンパみたいなことをした。
かなり勇気を使った。
結果的に、
なぜか上手くいった。
後から理由を聞いたら、
もともとダメ男がタイプだったらしい。
僕らは親密な関係になった。
でも、
付き合わなかった。
お互い、
秘密にしておこうという空気だった。
ある年のクリスマス。
僕は株で損をして、
その子にプレゼントを買えなかった。
しかも、
それをそのまま伝えた。
思い出しながら、自分自身に引いている。
ほどなくして、
その子には別に気になる男ができた。
関係は終わった。
その時になって初めて、
僕は気付いた。
「あ、この子のこと結構好きだったんだ」
と。
感情が遅れてやって来る。
その瞬間初めて、
僕は自分にも、
ちゃんと恋愛感情が存在していたことを知った。
そして僕は、
自分の歪みをもっと知っていく。
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記憶めぐりその13
『“デキる側”の人間になれると思っていた』