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第2章:初めてのX線と、夜の講義室

    第2章:初めてのX線と、夜の講義室

    ゴールデンウィークが明け、少しだけ汗ばむような陽気になってきた頃。
    僕のモラトリアムな春は終わりを告げ、いよいよ「現場」での日々が始まった。
    健診クリニックでのアルバイト初日。 更衣室で真新しいスクラブに袖を通すと、心臓が早鐘のように鳴り始めた。
    学部時代の病院実習では、先輩技師の後ろに立って「見学」していればよかった。
    しかし今日からは違う。僕自身がプロとして患者さんと向き合い、検査をするのだ。
    この責任の重さとプレッシャーは、実習生時代とは比べ物にならない。
    最初の30分間は先輩の動きを見学し、一連の流れを必死に頭へ叩き込む。
    「じゃあ、次の方、呼んでみて」
    先輩のその一言で、僕の初めての臨床がスタートした。
    「〇〇さま、中へどうぞ」
    声が少し裏返った気がした。
    重たい防護扉の向こうに患者さんを案内する。
    胸部レントゲン撮影の最初の関門は、的確な更衣案内と異物確認だ。  
    「ネックレスなどの金属類、プラスチックのボタン、湿布などはついていませんか?」
    何度も頭の中で反芻したはずのセリフが、いざ本番となるとしどろもどろになる。
    ペースメーカーや血糖測定器などの有無も確認しなければならないのに、言葉がスムーズに出てこない。
    先輩の視線を背中に感じながら、たじたじになりつつも、なんとか患者さんを撮影台へ案内した。
    「大きく息を吸って、止めてください」
    ボタンを押す指が微かに震える。
    ピッという無機質な機械音とともに、僕の人生で初めての「仕事としての撮影」が終わった。
    「はい、楽にしてください。お疲れ様でした」
    患者さんが退出したあと、どっと冷や汗が噴き出した。
    「ガチガチだったね」
    と、後ろから先輩が苦笑いしながら声をかけてきた。
    「でも、最初にしては声出てたし、案内も丁寧だったよ。まあ、少しずつ慣れていけばいいから」
    その簡単なフォローの言葉に、張りつめていた肩の力が少しだけ抜けると同時に、自分が「プロとして見られている」のだという実感が、じわじわ湧き上がってきた。
    その後も数人の撮影をこなし、少しずつ業務のペースは掴めてきたものの、心の中の張り詰めた緊張の糸はずっとピンと張ったままだった。
    幸い、初日は機械のトラブルやイレギュラーな対応もなく、検査人数も比較的少なかったため、無事に午前中の業務を終えることができた。
    午後からは大学に戻り、いつもの研究室へ向かう。
    ドアを開けると、同じように午前中から別の病院へバイトに行っていた蒼と春斗が、すでにそれぞれのデスクでPCを開いていた。
    「お疲れ。初バイトどうだった?」
    春斗が顔を上げて聞いてくる。
    「ガチで緊張した。実習と本番って全然違うわ。説明も噛みまくったし」
    僕がため息混じりに答えると、蒼が画面から目を離さずに笑った。
    「まあ、最初なんてそんなもんだろ。俺もさっきまでアワアワしてたわ」
    自分のPCを立ち上げ、少しだけ論文のPDFに目を通す。
    しかし、午後5時を過ぎると、僕たちにはもう一つの試練が待っている。
    学部生の授業が終わる夕方頃から、今度は大学院生向けの授業が始まるのだ。
    バイトの日と授業が重なると、朝から夜まで気の抜けない長い一日になる。
    「そろそろ飯行くか」
    夕方の授業の前に、僕と春斗は立ち上がって学食へ向かうことにした。
    「蒼は? 行かないの?」
    「俺はいいや。金かかるし、ここでパンかじっとく」
    蒼はリュックから安売りのパンを取り出した。
    彼は昔からこういうところがある。無駄な出費を極力削る、徹底した節約家なのだ。
    春斗と二人で学食のうどんをすすりながら、午前のバイトの反省点や、お互いの現場のローカルルールの違いについて語り合う。
    「ボタンついていないかちゃんと聞いたのに、背中についていて危うく撮り直しするところだったよ。実習のときは先輩が最終確認してくれたけど、自分一人で責任持つってあんなに怖いんだな」
    僕が本音をこぼすと、春斗もうどんの箸を止めて深く頷いた。
    「わかる。俺もさ、案内の手順間違えそうになって焦ったよ。ほんと、見学していただけの頃とは全然違う」
    同期としての連帯感を感じるとともに、現場のリアルな厳しさを僕たちは身をもって味わっていた。
    短い休息時間だが、この時間がなければ心が持たない。
    そして迎えた、夜の講義室。薄暗い教室でスライドを映す教授の声が、まるで子守唄のように響く。 朝からの極度の緊張が解けた反動で、とてつもない睡魔が襲ってきた。ノートをとるペンの動きが止まり、まぶたが鉛のように重い。
    僕は持参したコーヒーをちびちびと飲みながら、必死に睡魔と戦い続けた。
    夜8時半。無事にすべての授業が終わり、夜風の吹く帰り道を歩く。 クタクタに疲れた体を引きずりながらも、僕の心の中には確かな充実感があった。 「少しでも早く現場を知りたい」と思って飛び込んだ世界。実習生というお客様扱いでは決して見えなかった、本物の臨床の空気を、今日ようやく少しだけ吸えた気がした。僕たちは少しずつ、医療従事者としての階段を上り始めている。


     
     
    医療系大学院卒で、現在は放射線技師をしてます。 医学物理士試験合格。 放射線技師として働きながら 発信を頑張ります!

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