
感想文をもらえる幸福
アマチュア作家の小説はタダで読める。だが、商業作家の小説を読む時と同様に、貴重な時間が奪われる。
商業作家の小説を読んでも、「私の貴重なお金と時間を返して」という気分になる時もあるかもしれない。公募生活を送っているアマチュア作家の小説など、そもそも、商業的な面白さは保証されていない。貴重な時間を割いた結果、どうしようもなくつまらない小説を読まされて、「あいつの小説を読むと約束しなければ良かった」と思われるかもしれない。
だからこそ、自分の小説に対して感想をもらえると、胸中からふつふつと淡い喜びが湧き上がってくる。
小説投稿サイトで開催される公募にも参加しているが、私は主に出版社が主催するクローズド型の公募に応募している。小説投稿サイトに掲載する時と異なり、一人で作品を抱える事態になる。自分が面白いと思っても、読者にとって面白いのか判別できず、客観性も見失いやすくなる。
公募生活を送る中で、あえて誰にも読ませずに原稿を応募する方々も存在する。だが、私は自分の原稿を読んでくれる人物を探してしまう。
公募生活を始めた当初から、父と母は応募原稿を読んでくれている。公募生活を始めてから全ての原稿を読んでくれているから、「ちょっと成長したんじゃない?」「作風を変えた?」と感想をもらう時がある。嬉しい。何気ない一言一言が全て嬉しい。
徐々に、応募原稿を読んで、感想をくれる友人や創作仲間が現れるようになった。無節操な私は、応募原稿を読んで欲しいと友人や創作仲間によく頼む。相手が繁忙期で忙しいかなどは気にしながら、応募原稿を読んでもらえそうな友人に押し込み販売のように頼んでいる。
現在、感想文をくれる友人や創作仲間が増えてきた。同時に、増える法則にも気付いた。
一度、義理で自分の小説を読んでくれた人物が、「面白かった」と思ってくれると、次作も読んでくれることが多い。商業作家を目指すアマチュア作家でも、感想文が欲しいと自分から頼む"読者"に"面白い"と思わせなければならないのかもしれない、とふと考えた。
一度"面白い"と感じてもらえると、次作の感想文を求めて原稿を渡しても読んでくれる人物が現れる。期待値を少し上げて読んでもらえる。
私の周囲の人物たちは、歯に衣着せぬ人物たちが多いうえに、私自身も率直な感想を聞いて改善したいので、"読者"から頂いた感想文の中には、辛辣な言葉も含まれている。相手が誹謗中傷する癖がある人物の場合、やや異なるかもしれないが、辛辣な言葉は真剣に読んでくれた人物からしかもらえない。
公募生活を送るうえで、応募前に自分の小説を読んでもらい、感想文が欲しい。感想文をもらい改稿してから応募したい。そのためには、感想文を書いてもらうために、相手に「この書き手ならば、時間を割いても、作品で自分を楽しませてくれるかもしれない」と思わせなければならないのかもしれない。
感想文を求めて右往左往する私の世界では、身近な人々が感想文を書いてくれるかが、既に選考になっている。感想文が欲しい。相手が面白いと思う小説を書かなければならない。面白いと前作で思わせられたら、感想文がもらえるようになる。改稿してもっと面白い小説にできるように奮闘する。改稿した原稿をまた読んでもらう。感想文をもらう。改稿する。
身近な人物たちに自作を"面白い"と思ってもらえるようになりたい。感想文を追い求めて、悪戦苦闘していた私にとって、公募に応募する前の最初の課題になった。
貴重な時間を割いて感想文を書いてくれる全ての人々に感謝を、そして、「いつか受賞してくれよ」と言ってくれるようになった彼らの期待に応えられるようになりますように。周囲の人々に支えられながらも、今日も小説を書きたい。
(了:1,547字)