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外国人美女をレスキュー

    「 オリンピックの選手は各国の代表ですが、ボランティアの皆さんは日本人の代表です。来日外国人の方々に、日本を大好きになって帰国してもらうことが、日本の平和に繋がると私は固く信じているのです」という挨拶に心底しびれた。
     この言葉を聞いたのは、東京オリンピックのシティキャスト研修の時だ。       

     以後この言葉を常に意識している。
     何故シティキャストに?
     私は約60年前の東京オリンピックの開会式を、旧国立競技場の聖火台近くで小学校四年生のクラスメイトたちと観ていた。 
     小学校の近隣には、埼玉県戸田市のボートレース場があった。
     そこでオリンピック競技が開催された為に動員されたのだ。私は友達と一緒にボートレースを毎日観に行ったが、レースよりもボランティアの人たちに興味が湧いた。
     外国語を話すボランティアの人たちが格好良く、10歳の少年には選手よりもヒーローに想えた。
    「大人になったら外国語を話せる人になり、オリンピックでボランティアをしてみたい」なんて友達と話していた。
     しかし、定年後の人生設計に興味を持ち始めた頃までそのことはすっかり忘れていた。
     思い出させてくれたのは、2013年9月の国際会議で、夏季オリンピックが2020年に東京で開催されることが決まった時だった。
    「TOKYO」というアナウンスに、狂喜乱舞している日本のオリンピックスタッフの映像を、何度もニュースで観て感動した。
     それでもすぐに英会話の勉強を始める気にはなれなかった。開催は7年も先だったからだ。
     還暦を過ぎ、企業年金を貰うことで生活と時間に余裕ができてから英語の勉強を始めた。
     何から始めるか迷ったすえ、オンライン英会話に決めた。先生は皆フィリピン人の女性だった。
     月会費は高額ではなかったが、お金を払った以上絶対に元を取る、と毎日パソコンの前で授業を受けた。
     3ヶ月続けていると、先生の教え方の良し悪しが分かってきてどんどん楽しくなった。
     そんな時「国際オリンピック委員会の作業部会が翌年11月に東京で開催。ボランティア募集中」というニュースを見つけ、すぐにネットで申し込んだ。
     外国語の資格の所には「なし」、備考に「挨拶程度の英会話」と記入し、「五日間ボランティアとして参加できます」と書いた。品川のホテルでの採用となり、受け持ちは、驚くことにサブ受付だった。
     世界中のオリンピック委員の要人との会話は基本英語だ。主な仕事は、各会議室の案内や空港までのリムジンの予約など。
     お土産の相談も受ける中で、半袖の子供服を買いたいと言う南国の方がいた。これには困った。子供服店に確認したが、冬に夏物は売っていない。それでもやっと見つけてタクシーを手配した。
     サブ受付には、ボランティアの女性が4名と万が一のときに備えて、旅行会社のスタッフが控えていた。
     私は相談に来た要人たちの英語を聞き取れず、正規の受付、会議場、トイレへの案内ぐらいしか役目がなかった。
     これではダメだと感じ、生の英語にふれようと一ヶ月間マニラで短期留学をした。
     スクールでの授業は、午前2時間、午後2時間の1日4時間。一番授業時間が短いコースだ。スクールの部屋でマンツーマンレッスンを受けた。
     余った時間と授業のない土日を利用して、買い物、床屋、ファストフード店、ホテルのレストランに一人で行った。
     先生方から危険だからとダメ出しをされたが、一人でジープニーやバスを利用して日帰り旅行も楽しんだ。
     当然ながら1ヶ月間で英会話は上達しなかったが、ネイティブと話すときは、とにかく間違っても良いので、黙らずに英語を話すことが重要だと学んだ。
     英会話を話すには度胸だと悟った。
     東京オリンピックでインバウンドを道案内したりする英語担当ボランティアの希望者は大学生などが多かったが、国際オリンピック委員会でのボランティア経験を申込書に記載していたことが功を奏し、採用となった。
     しかし、コロナの影響でシティキャストとして活動することは叶わなかった。家には、ボランティアのジャンパー、パンツ、Tシャツ、靴、帽子、水筒等が記念品として残っただけだった。

     そんな私が今年の春、来日外国人をレスキューした。その日は樹木希林似のキキと山梨県河口湖の湖畔にある大石公園で、デッカイ富士山を観ながらウクレレを演奏。
     その後、少し足を伸ばして、静岡県の駿河湾で浜焼きを堪能した。キキは二年前に没イチ、こちらは新米のバツイチ。ふたりとも独居老人だから、気が合う。
     帰路、東名高速の東京方面はひどく渋滞していた。
     神奈川県に入ってすぐの、中井パーキングエリアにトイレ休憩の為立ち寄った。
     トイレを済ませてコンビニで冷たい飲み物を2本買い、店を出たところで外国人女性と目が合った。
     お互いに右手の手のひらを相手に向けて「ハァイ」と挨拶を交わした。デッキの椅子に腰を下ろしたら、グリーンの瞳に見つめられてしまった。
     美女から「海老名SAに行きたい」と綺麗な日本語で書かれた紙を見せられた。
     そして「エイゴ オ ハナセマスカ」と聞かれたので、「イエス! ア リトル(はい、少しだけ)」と英語で答えたら、美女はホッとした顔になった。
     それまで「スミマセン」と日本語で話しかけても、みんな笑顔で「ソオリー」と言いながらその場から離れていったらしい。 
     私は昔から、美人に頼まれると嫌とは言えない性格だ。
     分からない単語もあったが、相槌を打ち、頷きつつ美女の話を聴いた。そしてコンビニの所まで来たキキに、飲み物を手渡しながら美女が置かれている状況を説明した。
     バックパッカーとしてスウェーデンから来て、一ヶ月かけて神社やお寺を回っている。
     東京から静岡に向かう途中、海老名サービスエリアに携帯を忘れてきたことに気付いた。中井PAのコンシェルジュに助けを求めて、海老名SAの東京方面の担当者まで届けるようにお願いした。
     その後、中井PAの静岡方面側から東京方面側まで、大変な思いをして歩いてきた。
     そして今、海老名SAまで連れていってほしいのだという。
     美女の「今日は大変な一日だった」という言葉に、「分かるよ」と英語で返し、肩に手を置いた。

     キキから「岩さんは英語を喋れるの?」って聞かれたので「うん、少しだけ。それに困っている人を見ると放っておけない性格だから」って答えたら、彼女は「岩さんは美人に弱いから……」とのこと。
     そのやり取りを、美女は心配そうに見ていた。
     キキに、海老名SAは帰り道でここからすぐだから、美女を送ってあげたいと言ったところ承知してくれた。
     美女に「さあ、一緒に海老名に行こう!」と伝えると、何度も「ありがとう」と言いながら小躍りしていた。
     美女が椅子から立ち上がってバッグを担いだ姿は、美しかった。身長は私より少し低くて170センチくらい。デニムのパンツにTシャツ。スタイル抜群だ。
     
     私の愛車は、美女と大きなバックパック、レスキュー隊員の責任と、ついでにキキを乗せて海老名SAに向かった。美女が私と話したいと言うので助手席に。後部座席のキキは美女と話したくて、日本語で質問を浴びせた。「スマホの翻訳機能を使えよ」と言ったが、電池が切れそうだからと使わなかった。私は通訳をさせられた。
     午後5時30分。東京方面は渋滞で、20分で着く距離を1時間かけて海老名SAに着いた。我々は「海老名に着いた!」と三人で喜びあった。
     私とキキはコンシェルジュの所まで同行し、美女が携帯を手にできたことを確認。役目を終えたことにホッとして「良かったね。おめでとう!」と言って握手をし、別れようとした。
     
     だが、この物語はここで終わらなかった。
     美女から頼まれて、海老名SAの下り線への行き方をコンシェルジュに尋ねたら「本当は教えてはいけないのですが」という前置きの後、地図を手渡してくれた。
    「ありがとう」とお礼を言って受け取ると。
    「真っ暗な道を歩いて、途中のトンネルをくぐってください。右に曲がって急坂を登ると右側に入口があります。ここから一五分ほどですが、日が暮れると女性一人では危険ですよ」と話してくれた。
     その内容を告げると、美女は不安そうな顔になった。
     我々は「乗りかかった船だ」と、美女を目的地まで送っていくことにした。
     案内図を見ながら歩いてみると、車も走っていて人通りもある。コンシェルジュの大袈裟な言い方を思い出してキキと笑ってしまった。
     
     しかし、本当の試練はトンネルをくぐって右に曲がってからだった。眼前には明かりがまったくない。道幅は軽自動車が一台やっと通れるぐらいで、長い草が生い茂った細くて急な上り坂。
     その先はカーブで見通せず、危険動物が突然飛び出してきそうな、まさに獣道のようだった。この道を歩くのかと考えて一瞬身震いした。私一人だったら目的地に行くのを諦めていただろう。
     携帯のライトを頼りに歩いたが、途中、道に迷ってしまった。分岐点に戻って違う道を歩いていると、ぽつんと明かりが見えて救われた気分になった。 
     小さな明かりは「海老名SA方面」と書かれた看板を照らしていた。我々探検隊員は、美女の「ハイファイブ!」に合わせてハイタッチをして目的地到着を喜びあった。
    「旅を楽しんでね。日本を大好きになって、帰国してくださいね」と英語で告げ、私の携帯番号を書いた紙を手渡してその場を後にした。
     私は、日本人の代表として役目を果たせ、少しでも日本の平和に貢献できたことに満足して帰路についた。
     2度とない体験にとても興奮し、美女の顔が頭から離れない。「キキがいなかったら、静岡まで送っていきたかった」なんて考えていた。
     何度も携帯の着信音がなり、美女にトラブルがあったのかと港北PAで確認すると「岩さん。今どこ?」とキキ。
     しまった!美女を送り届けた安心感で、キキを車に乗せてくるのをすっかり忘れていた。
    「今から迎えに行くから、海老名SAの下り線側に移動してそこで待っていて」と言ったら断られた。さあ、どうしよう! 

     

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    13年前に起業、相続・不動産コンサルタント、元積水ハウス営業部長、ビジネス本著者、セミナー講師、定期借地権の第一人者、ファイナンシャルプランナー、不動産コンサルティングマスター、宅地建物取引士、好奇心旺盛なアラウンド古希。 電子書籍「目からウロコの持ち家取得」

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