メインコンテンツへスキップ
見出し画像

鈍感者のユートピア

    少し前まで、この国は敏感者ばかりでした。
    何気ない会話の中で「私は白いご飯が好きです」と言えば、「白いご飯を食べられない人間の気持ちを考えろ」「白くないご飯への冒涜だ」などと人々がそれはもう過敏に反応していたのです。
    そのうち、「おはようごさいます」という単なる挨拶でも「それを言えずに死んだ人間のことを考えろ」「挨拶をしない自分への当てつけか」とまで言われるようになりました。
    何か一言でも言おうものなら、何か動きを見せようものなら、それに対して誰かが過敏に反応するのです。
    かと言って、じっと黙って動かないようにしていても、それに対して誰かが過敏に反応するのです。
    当然、そんな世の中では人々はどんどんおかしくなっていきます。
    何をしても、何もしていなくても、誰かに責め立てられるのですから。
    誰かと普通の会話を楽しむことすらできません。
    国の偉い人も国民をコントロールできなくなり、困っていました。
    そこで、国の偉い人は考えました。
    敏感者ばかりになってしまったのだから、国民を鈍感者にしてしまえばいいのだと。
    国の偉い人は敏感者を鈍感者にするための教育を始め、鈍感者にするための薬まで開発させました。
    国民はみるみるうちに鈍感者ばかりになっていきました。
    ただ、国民が鈍感者ばかりになると余計にコントロールが効かなくなってしまいました。
    自分のことを気にしなければ、自分以外の誰かのことも気にしないのです。
    気にしないからこそ、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言わないのです。
    かつて誰もが守っていたルールですらも気にしません。
    決められていた土地の境界線も、信号も、自分が傷ついていても、誰かが傷ついていても、何も気にしません。
    国の偉い人は国民を鈍感者にするだけして、手に負えないと見捨てて逃げていきました。
    確かに、敏感者ばかりの頃のようなギスギスした世の中ではなくなりました。
    でも、どうでしょうか。
    争いはないかもしれませんが、人として最低限必要なものまでも手放してしまいました。
    我が子がお腹を空かせて泣いていても気にしない、誰かが困っていても気にしない……今の人間は動物以下です。
    敏感者ばかりの世の中を知っている人は、鈍感者ばかりの世の中を「ユートピアだ」と言います。
    私にはこれがユートピアだとは思えません。
    だからこそ、こうやってカメラで記録を残しているのです。
    鈍感者はどれだけカメラを向けられても気にしませんから。

    #創作大賞2026
    #オールカテゴリ部門

    #ショートショート

    あなたへのおすすめ