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心理カウンセラーが死んだ。

    あらすじ

    オカルトライターをしている“私”。いつものように仕事をしていると、オカルト秘宝館「オカルティン」の館長をしている田中氏からメールが届く。どうやら話したいことがあるらしい。ふらりとやってきたアブさんとともにオカルティンへ向かうと、そこで聞かされたのは隣町の心理カウンセラーが死んだという話だった。私はひょんなことから心理カウンセラー“恵茉麻”の死の真相を探ることになる。彼女が死んだというその部屋に入ってみると、寝室には呪物とも言える曰くありげなものが並んでいた。極端な怖がりだったという彼女の部屋になぜこんなものが置かれていたのか……。

    本編

    薄っすらと流れているクラシックをかき消すかのように、カタカタカタ……とキーボードを打つ音が響く。
    大きく鼻から息を吸うと大げさにエンターキーを叩いた。

    「ふふっ……」

    我ながらアホらしいと思いながら、書き上げたデータを保存する。
    何度も何度も読み直し、何度も何度も宛先の確認をし、データを添付して送信した。
    「送信完了」の表示が出たのを見て、ふーっと息を吐きながら背中を伸ばし、天井を仰ぐ。
    誰にも見せられないようなひどい顔であくびをしてソファーに移動すると、チョコレートやらクッキーやらをつまんだ。

    「あー、疲れた」

    誰もいない部屋に響く自分の声。
    くちどけのいい柔らかいチョコレートと小ぶりでほろっとした食感のクッキーを同時に食べるとなかなか……などと思っていると、パソコンからピコンと通知音がした。
    さっそくデータを確認した返事でも来たのかと思って、パソコンをのぞき込む。

    「あ、田中氏」

    件名:お話ししたいことが!
    本文:ライター殿!
    お話ししたいことがあります!
    できれば今日、オカルティンに来ていただきたく!
    どうせ誰も来ないのでいつでもいいですぞ!

    オカルティンというのは田中氏が館長をしているオカルト秘宝館のこと。
    話したくて話したくてしょうがないというのが文面から全力で伝わってくる。
    ついでに言えば、私には田中氏がどのような表情でこのメールを送ってきたのか手に取るようにわかる。
    ありがたいことに、田中氏からこういう連絡があるときはだいたいそれなりに面白いネタを仕入れているものだ。
    次の記事のネタになるかもしれない。
    すぐに夕方までには行く旨を返信する。
    返信した後で、ふとせっかく行くならもうひとりくらいいてもいいかもな……と考える。

    「うーん、アブさんもいればなぁ……」
    「呼んだ?」

    独り言のつもりだったのだが、背後からあるはずのない返事が聞こえて飛び上がってしまった。

    「ひぇっ!?」
    「一応、ノックはしたんだぜ?」
    「き、気づかなかった……」

    アブさんは呆れたような表情を浮かべていたが、すぐにその口角が意味ありげに上がった。

    「……で、なぁに? 俺がいなくて淋しいって?」
    「違いますよ! 田中氏がオカルティンに来てほしいって言うから、アブさんも一緒のほうがいいかなって思っただけです」
    「ふーん、あの秘宝館ねぇ。また何かネタでも仕入れたの?」
    「たぶんそうなんじゃないですかね。すんごい話したそうな感じだったので」
    「ほぉ、そりゃ楽しみ。何時に行く予定?」
    「夕方までには行くって返事をしたんですけど、アブさん暇ならもう今から行きます?」
    「あー……、せっかくならこれ食ってからにしない?」

    アブさんはニヤリと笑いながら、紙袋を差し出す。
    紙袋には見覚えのある鯛の絵が描いてある。

    「あまあま堂!」
    「オジサンからの差し入れよ。嬢ちゃんの大好きなカスタードと期間限定のチョコカスタードも」
    「くっ……悔しいほどに気が利きますね……」
    「いやぁ、照れるね。まぁ、俺は俺で黒餡と白餡買ってるんだけど」
    「鯛焼きは出来立てに限ります。食べてから行きましょう。アブさん、飲み物は?」
    「うーん、じゃあ緑茶でお願い」
    「はいはい。ちょっと待っててください」

    アブさんの分とついでに自分の分もお茶を淹れて、いざ鯛焼きへ。
    2人で鯛焼きにかぶりつくと、香ばしくて甘いにおいが広がっていく。

    「んー! おいしい!」
    「そりゃあ何よりで」
    「チョコカスタードは気づかなかったですよ。ここ最近はちょっと忙しくて、あまあま堂も行けてなかったですし」
    「まぁ、そうだろうなと思ってね。でも、いくら忙しいったってちょっと散歩に出るくらいはしたほうがいいぞ?」
    「うん……わかってはいるんですけど、その時間で仕事ができると思うともったいない気がしちゃうんですよねぇ」

    意味があるような、ないようなやり取りをしながら鯛焼きを平らげて人心地つくと、アブさんと一緒にオカルティンへと向かった。

    オカルティンは、私の自宅兼仕事場から歩いて10分くらいのところにある。
    車と人が鬱陶しい大通りからいかにも不気味な細い路地に入り、くねくねと道を曲がって、その先に見えてくるのが胡散臭い看板。
    これまでのいつの時代にも存在しなかったであろう唯一無二のセンス。
    これから先、時代がどれだけ変わってもこの看板のセンスだけは評価されないと思う。

    「……俺もここは何度も来てるけどさ、何回来てもこの看板くぐるたびに何か大事なものを失ってる気がするわ」
    「うん……それは私も何となくわかります。さぁ、今日も禊だと思ってこの看板をくぐりますよ」

    看板をくぐると黒い幕で仕切られたスペースがあり、そこを抜けると受付に出る。
    受付では田中氏が暇そうに曰く付きらしい人形で遊んでいた。
    しばらく見ていればそのうち人形に声でもあてるのではないかと楽しみにしてたのだが、残念なことにその前に田中氏がこちらに気づいてしまった。
    人形を雑に放り出して、満面の笑みでこちらに向かってくる。

    「いやいやいや! ライター殿! お待ちしておりました! 今日も相棒殿とご一緒で!」
    「まぁ、相棒というかオマケのようなものですから」
    「はいはい、オマケですよ」
    「……で、話したいことがあるって一体何なんです?」
    「そう! そうなのですよ! ささ、せっかくなのでこちらへ!」

    田中氏は受付のさらに奥にある喫茶スペースに私たちを案内した。
    赤黒い何かが染みになっている大きめの丸い木製のテーブルに、拷問以外に使い道が考えられない椅子が何脚か。
    さらに、その周りには誰がどう見ても明らかに呪われている品々がガラス張りのケースの中にびっしり。
    1体の人形なんかはどう考えてもこちらを睨んでいる。
    まぁ、これはこれでいつも通りだなと思っていると田中氏が奥からお茶とお菓子を運んできた。

    「ささ、どうぞどうぞ」

    どどめ色のハーブティーと目玉や歯の形を模したカラフルなグミ。
    館内にあるものはどれも気合いの入った曰く付きだが、ハーブティーやグミのチョイスはどこか可愛らしい。
    味に間違いがないのはわかっているので、今では何の抵抗もない。

    「えぇとですね……うーん、どこから話したものか……あ! 心理カウンセラーが死んだ事件、いや事故のことはご存知で?」
    「心理カウンセラー……? アブさん知ってます?」
    「いんや、知らないねぇ」
    「そうですか……まずはその事故についてお話せねば。隣町に評判のいい心理カウンセラーの先生がいたのですよ。その心理カウンセラーの先生がですね……」

    田中氏の話はこうだ。

    隣町に心理カウンセラーがいた。
    自分自身が学生時代に心理カウンセラーに助けられ、それがきっかけで心理カウンセラーを目指すようになったという。
    夢を叶えて心理カウンセラーとなり、自身のカウンセリングルームを構えるようになるとその優しい人柄と親身なカウンセリングですぐに評判になった。
    それに加えて、心理カウンセラーは地域の行事などにも積極的に参加し、ボランティア活動にも力を入れていた。
    まさに非の打ち所がない人物。
    「この町は先生がいるからメンタルの心配はない」と言う人もいるくらいだった。
    ただ、しばらくすると心理カウンセラーの様子がおかしくなっていった。
    ぼーっとすることが多くなり、目の下にはひどいクマもできていた。
    「働きすぎだから休んだほうがいい」と何人かが声をかけたものの、「体は悪くないから」と仕事を休むことはなかった。
    そのうち、心理カウンセラーがぽつぽつと休みをとるようになり、ようやく休んでくれるようになったのかと周りがほっとしていたら心理カウンセラーは自身のカウンセリングルームで死んでいた……。

    「えーっと……過労死ってことですか?」

    しかし、私の問いに田中氏は首を横に振った。

    「いやいや、過労死ではないのです。それにその……死に様がとにかく異様だったらしくてですね……」
    「異様ってどういう風にです?」
    「明らかに自殺の現場なのに、死因は自殺ではないのです」
    「うん? どういうことですか?」

    よくわからずにいると、それまで真剣な顔で話を聞いていたアブさんが口を開いた。

    「……それはつまり、練炭自殺をしたはずなのに死因は溺死だったみたいな話か?」

    田中氏はアブさんの言葉にぶんぶんと頭を振るように大きく頷いた。

    「そう! そうなのですよ! 心理カウンセラーの先生は首を吊った状態で見つかったのですが、心臓発作で亡くなっていたのです」
    「えっ……それじゃあ偽装とかの可能性があるってことですよね? 立派な事件じゃないですか」
    「もちろん、捜査もされました。でも、すぐに事件性はないということになりまして」

    首吊りなのに、死因は心臓発作。
    明らかにおかしな話だが、きちんと捜査がなされた上で事件性がないという判断になっている。
    それはつまり……?
    私は思ったことをそのまま言葉にした。

    「自殺しようとしたまさにそのタイミングで心臓発作になって亡くなった……と?」
    「そうなりますね……あと、その心理カウンセラーの先生が見つかったカウンセリングルームのすぐ横が寝室でして、その枕元に曰くありげなものがびっしりと並べられていたそうなのですよ」

    曰くありげなもの……なるほど。
    それで田中氏に話が回ってきたのか。

    「あー、あー……それでその枕元にあったものを田中氏で引き取ることになったわけですか」
    「そうなのです! 個人的にも心理カウンセラーの先生の母上殿とはちょっとしたつながりがありまして、枕元にあったものと遺品の一部を直接回収しに行かねばならないのですよ」
    「現場に直接、ですか……それは大変ですね」
    「で、ライター殿と相棒殿にお手伝いいただけないかと……」

    田中氏はおちゃらけて可愛らしく舌を出しているが、その舌先は震えている。
    アブさんのほうを見てみると、アブさんも私のほうを見ていた。

    「……」
    「……」

    数秒見つめ合ったのち、2人同時に再び田中氏のほうへと視線を戻す。

    「何卒! 何卒ご慈悲を! さすがにひとりは怖いのです!」
    「オカルト秘宝館の館長が何をおっしゃいますか」
    「拙者は根っからのインドア派なのです! オカルティンのコレクションだって基本、ネットか持ち込みなのですよ! 現場に行くのは慣れていないのです!」
    「あー、もう……わかりましたよ。アブさんはどうします? 最悪、私ひとりでも大丈夫ですけど」
    「行く行く。弱々しいのがふたりぽっちじゃあ、さすがにオジサンも心配だわ」

    私とアブさんの返事を聞いて、田中氏はこれでもかというほどに目を輝かせた。

    「あああ、ありがとうございます! あと……ついでにというのも申し訳ないのですが、心理カウンセラーの先生の母上殿から調査をしてほしいと言われておりまして。これはきちんと報酬の発生する依頼なのですが、こちらもお願いしてもよろしいですかな?」

    ちゃっかりしてるなぁと思いつつ、「調査って何を調査するんですか?」と尋ねると田中氏かたは思いもよらぬ答えが返ってきた。

    「……心理カウンセラーの先生の、その死の真相……ですかね」
    「それは……調査してもわからないのでは?」
    「もちろん、それは拙者もお伝えしました。ただ、何がきっかけで自殺しようとしていたのか、なぜ枕元にあんなものがあったのか、何を考えていたのか……母上殿では皆目見当もつかず。正解でなくともいいので、ひとつの可能性として知りたいとおっしゃっておりまして」

    思わず腕を組み、目を閉じて唸る。
    確かに執筆するためにあれこれ調査するのには慣れているが、さすがに人の死の真相を暴くとなると話は別だ。
    うんうんと唸っている私を見ながら、おずおずと田中氏が言葉を続ける。

    「……憔悴しきった母上殿を見ていると無下に断ることもできず。拙者もこういうタイプなので、頼れるのはライター殿だけなのです……」

    心理カウンセラーの母親に同情しながら、自分自身の不甲斐なさも嫌というほどに痛感しているのだろう。
    田中氏のこの表情を見たら、断るわけにもいくまい。

    「……わかりました。その依頼、お受けしましょう」
    「いいのですか!?」
    「田中氏にはいろいろとお世話になってますし、まぁ個人的にも気になる話ではありますから」
    「あああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
    「ちょっと前まで仕事場に缶詰め状態だったので、体を動かすいい機会ですし。やるだけやってみましょう。アブさんも手伝ってくれます?」
    「ああ、いいよ。こうなりゃあ、もう乗り掛かった船だ」

    アブさんは毎回あれこれと手伝ってくれるので、今回も断らないだろうなとは思っていた。
    オマケのようなものとは言いつつも、アブさんはなんだかんだで頼もしい。

    「……で、まずは現場への回収の件ですが、いつ行く予定なんですか?」
    「まだ決めてなくてですね……というか、いつでも行けるので、いつ行けばいいのかわからないと言いますか……」
    「いつでも行けるんですか? 先方さんの都合とかは?」
    「その……母上殿からお任せしますということで合鍵を預かっていまして。住所も教えてもらっているので、いつでも行けるのですよ」
    「なるほど。じゃあ明日の昼とかはどうですか?」
    「あ、明日ですか!? ……あー、でもまぁ誰も来ないですし、まったく問題はないですな」
    「アブさんは?」
    「問題ないよ」
    「よし、じゃあ決まりですね。各自お昼を食べて、心とお腹を満たした状態で行きましょう」
    「それはお祓い的なおまじないか何かで?」
    「いえ、そういうわけじゃないですよ。でも満たされてたほうがおかしなものに魅入られることもなさそうじゃないですか」
    「ふむ……言われてみると確かに」
    「じゃあ明日、お昼を食べて人心地ついた2時くらいに来ますね」
    「ありがとうございます! お待ちしております!」

    大袈裟なくらいぶんぶんと手を振る田中氏に手を振り返し、私はアブさんと一緒にオカルティンを後にした。
    2人並んで、来た道を戻っていく。

    「今さらですけど、すみません。また巻き込むような形になっちゃって」
    「最初からそのつもりで来てんだ。問題ないよ。つーかよ、明日って現地集合じゃダメなの?」
    「ああ、田中氏がダメなんですよ。ひとりで外に出られないタイプで」
    「あー、なるほどねぇ」
    「まったく出られないわけじゃないんですけど、現地集合で田中氏の到着を待ってたらたぶん夜になりますね」
    「そりゃあ大変だ。あ、明日は嬢ちゃんのとこで昼食っていい?」
    「いいですよ。私の分も適当に何か買ってきてください」
    「はいはい、了解」

    話をしているうちに、私の住んでいるマンションのエントランスのところまで来ていた。
    アブさんは一緒に帰るときには毎回こうやってマンションの前まで送ってくれる。
    見た目は荒くれ者っぽいのに、意外に紳士。

    「じゃ、また明日」
    「また明日。アブさんも気をつけて帰ってくださいよー」

    アブさんはこちらを振り返ることなく、手を軽くひらひらとさせながらゆったりと帰っていった。

    自宅に戻ると私はすぐに掃除を始めた。
    その日1日、やるべきことが終わったら掃除をしないと気が済まないのだ。
    そのあとはご飯を食べて、お風呂に入って、寝るだけ。
    諸々を済ませベッドに寝転がると天井を眺めながら、死んだ心理カウンセラーのことを考えた。
    田中氏は確か、カウンセリングルームのすぐ横が寝室だと言っていた。
    もしかしたら仕事場の隣にちょっとした部屋があるだけの今の私と同じような状況だったのかもしれない。
    ゆくゆくは自宅とは別のところにある程度の大きさのカウンセリングルームを構えたかったのではないだろうか。
    心理カウンセラーを目指して、実際に心理カウンセラーになって、周りからの評判もよくて……なぜそんな人物が自殺をしようとしていたのか。
    自殺をしようとしたその瞬間に心臓発作になった理由は?
    今考えたところで答えが出るわけもないのだが、同じ疑問がぐるぐると頭の中を巡る。
    そのうち、眠りに落ちていた。

    翌朝。
    不思議と夢見は悪くなかったが、相変わらず寝起きは最悪だった。
    ぼさぼさ頭でゾンビのように朝一のトイレに行き、その後、うがいをして、白湯をたっぷりと飲む。
    催してきたら出すものを出して、少しずつクリアになってきた頭でパソコンを立ち上げて、メールの確認をする。
    幸いなことに、特に急ぎの仕事は入っていないようだ。
    午前中はぼちぼち仕事をして、アブさんが来たら一緒にご飯を食べて、2時頃に田中氏を迎えに行く。
    うむ、予定通り。
    レンジでチンした冷凍おにぎりを片手に、ゆるゆると仕事を始める。
    集中力が落ちてきたなと思ったら、ソファーに寝っ転がってみたり、適当に体を動かしてみたり。
    我ながら自由すぎて、この姿は誰にも見せられないなと思う。
    そもそも午前中というのは基本的に誰とも会いたくない時間帯だ。
    そう考えると、アブさんはうまい具合にいいタイミングでふらっとやってくるものだと妙に感心してしまう。
    そのうちにエンジンがかかってきて、一仕事を終えたときには正午前になっていた。
    時計を見ながらふと今日はいつもよりも体を動かすよなと思い、普段よりも動きやすい服に着替えることにした。
    ああでもないこうでもないと悩みながら、ようやく着替え終わったタイミングで玄関からノックの音が響いた。

    「はーい!」
    「昼飯、買ってきたぞ」

    玄関のほうに向かいながら「何を買ったんです?」と尋ねると、アブさんはずずいと袋を差し出して「寿司」と答えた。

    「お寿司! しかも……この袋は……」
    「どっこい寿司」
    「どっこい寿司! ベストチョイスすぎて腹が立ちますね」
    「俺が食いたかったんだよ……」
    「さて、問題は中身ですよ」
    「ああ、中身ね、中身。あ、これ注文票な」

    アブさんがビニール袋に貼り付けられていた注文票をべりっと剥がし、そのまま手渡してくれた。
    寿司屋の大将らしい大味な文字が並んでいる。
    納豆巻き、サラダ巻き、山芋巻き、海老、玉子、いなり……。

    「……」
    「えっ、何? ダメだった? 全部食べらんない?」
    「いえ、その逆です。好きなものしかないです……」
    「はぁ~、よかった」

    ほっとしているアブさんを私がじっと見ていると、アブさんが「なぁに?」と企むような笑みを浮かべた。

    「……アブさん、実はエスパーとかですか?」
    「なれるもんならなってみたいねぇ、エスパー」
    「もしくは宇宙人で、私の頭の中に変なチップとか埋め込んで勝手に情報抜いてます?」
    「ないない。何その発想、オジサン怖いんだけど」
    「ちょっとお寿司食べたいなって薄っすら思ってて、奇跡的にアブさんがお寿司買ってきて、そのお寿司が好きなネタばっかりなんて……」
    「俺の食いたいもんがたまたま嬢ちゃんの好物だったってだけだろ? あ、こういうのも以心伝心って言うの?」
    「……あー、お茶淹れますねー」
    「つれないねぇ」
    「……アブさんって味覚、お子ちゃまですよね」
    「人のこと言えねぇだろ」

    アブさんとお寿司を食べた後、食休みをしてオカルティンへと向かった。
    オカルティンの看板の前には気合いを入れたらしい田中氏が膝を震わせながら立っていった。
    私とアブさんで田中氏を両側から支えながらどうにかタクシーをつかまえ、乗り込む。
    事情を知らない人からすればどう考えても拉致にしか見えないのはわかっていたため、タクシー運転手の訝しげな視線がひどく痛かった。

    「……行先は?」
    「こ、ここ、ここまでお願いいたしたく……」

    田中氏が震えながら運転手に住所を書いた紙を渡す。

    「あー、はいはい。またここね」
    「運転手さん、ここの住所知ってるんですか?」
    「その住所までってお客さんを何回か乗せてるね。有名な先生がいるとか何とかで。ただ、その先生が死んじゃったのかな? 昨日だったか、一昨日だったか、手を合わせに行くってお客さんを乗せたよ」
    「へぇ、そうだったんですね……」
    「お客さんたちもそんな感じ?」
    「まぁ、そんな感じですかね」
    「ああ、そう。やっぱ人は見かけで判断しちゃダメだね。最初は何事かと思ったよ。お姉ちゃんと大男が震える男をタクシーに押し込んできてよ、俺も何か変な事件に巻き込まれでもしたのかなと思ったわ。あっはっは」
    「あはは……まぁ、いろいろ事情があるんですよ……」

    また話を聞くこともあるかもしれないからとタクシーを降りるとき、運転手と名刺を交換しておいた。
    目的地に到着して改めて見上げてみるとそこはなかなかに大きなマンション。
    ただ、住まいとしてではなく、事務所や店舗として使っている部屋が多いようだった。
    このマンションの3階に心理カウンセラーのカウンセリングルームがあるらしい。
    エントランスの近くに白い布がかけられた長机が置いてあり、そこには花やお菓子などのお供え物が山になっている。
    自治体の設置した献花台なら自治体がこの後のことも全部対応するのだろうが、もし個人が設置したものだったら誰が片付けをするのかでのちのち揉めることになるのかもしれない。
    そのしわ寄せが母親に行かないだろうかと考えてしまう。

    「……いい人すぎると死んだ後も大変だねぇ」

    私の考えを見透かしたかのように、アブさんがつぶやく。
    何となくしんみりとしていると、田中氏の張りのある声が響いた。

    「行きましょう! 301号室です!」
    「急に元気になりましたね……」
    「もうすぐ室内に入れると思うと、みなぎってきたのです!」
    「あー、はいはい……ちゃんと鍵はありますか?」
    「もちろん!」

    持っている鍵をまるで印籠のように見せつけてくる田中氏。
    このテンションなら田中氏ひとりでできるのでは……と思ってしまう。
    マンションに入ってみるとエレベーターがかなり上の階でとまっていたので、階段で3階まで行くことにした。

    「今さらなんですけど、遺品とかってそれこそお母様に持ってきてもらうことはできなかったんですか?」
    「拙者も最初はそうお願いしていたのです。ただ、母上殿もいざ部屋に入ると動けなくなってしまうらしいのですよ」

    動けなくなってしまう?
    すでに嫌な予感がしていたが、ここまできて聞かないわけにもいかない。

    「田中氏、その……動けなくなってしまうというのは?」
    「こう……気持ちがずーんと沈んできて、その場に座り込んでしまうらしいのです。何度行ってもそうなってしまって、結局何もできずに帰ってしまうのだそうで」

    私の嫌な予感に優しく寄り添うかのような回答に私も「はぁ……」としか答えられなかった。
    すると、アブさんが当然の疑問を田中氏に投げかけた。

    「でも、今は遺品整理とかの業者があるだろ?」
    「ええ、ええ。もちろん、そちらもお願いしたそうですよ。ただ、毎回なぜかうまくいかないそうで」
    「うまくいかないって?」
    「スタッフが部屋で倒れたり、部屋から逃げ出したり、原因不明の体調不良になったり、来る予定だったスタッフが事故に遭ったり……ですね。そのうち業者が匙を投げて、他の業者に依頼してみたものの同じことの繰り返しで結局、依頼できるところがなくなってしまってという感じですな」
    「田中氏、そういうことは先に言うべきでは……」
    「さて! 着きました! 3階です!」
    「……」

    意気揚々と301号室へと向かう田中氏。
    少し恨めしい視線を送っている私とアブさんにはまったく気づいていない様子。
    鍵を自慢げにこちらに一度見せるともったいぶった感じで鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。

    「オープ……あれ?」

    テンション高く「オープン!」と言うつもりだったのに、ドアが開かなかったらしい。

    「建て付けが悪いんですかね?」
    「……いんや。これ、逆に鍵をかけたんじゃないか?」
    「えっ、それって最初から鍵がかかってなかったってことになるんじゃ……?」

    3人で顔を見合わせる。
    田中氏が覚悟を決めたように、もう一度鍵を鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。
    おそるおそるドアノブに手をかけ、回してみるとキィっという音とともに玄関のドアが開いた。
    靴箱、洗面所、廊下、レースの間仕切りカーテン……少しずつ部屋の中が見えてくる。
    遮るものが何もなくなったとき、部屋の真ん中に座り込んでいる女性が見えた。
    思わずアブさんの服の裾をつかんでしまう。
    その裾越しに、アブさんの体が珍しく強張っているのが伝わってきた。
    部屋の中から玄関に向かって、何とも言えないぬるい空気とカビくさいような、埃っぽいようなにおいが流れてくる。
    ……ああ、とうとう本物に遭遇してしまったのか。
    あの女性が振り返ったら呪われるとかそういう類の話になるのだろうか。
    オカルトライターとして今までもいんなところへ取材に行ったけども、本物を見たことはなかった。
    感じたこともなかった。
    見ることも感じることもなかったからこそ続けられていたのに、ああ、どうしよう……などと思っていると田中氏の声が響いた。

    「母上殿!」
    「はっ、えっ……何?」
    「ライター殿! 今座っておられるのが心理カウンセラーの先生の母上殿ですよ!」

    一気に力が抜けて、「えぇ、あぁ……はぁ、どうも……はじめまして……」とどうにか最低限の挨拶の言葉を絞り出した。
    アブさんをチラっと見ると、それはもう楽しげにニヤニヤしている。
    嬢ちゃん、怖かったねぇとでも言わんばかりの表情。
    自分だって縮み上がってた癖に……むかつくその横っ腹に肘鉄を食らわせてやった。

    「母上殿、上がってもよろしいですか?」
    「ええ、ええ。どうぞ」

    田中氏に答えるその声は、とても綺麗で優しいものだった。

    「今日はどうされたのです?」
    「田中さんにお任せするとは言ったものの、我が子のことなのに全部任せてしまうのもどうかと思って……。せめてできることだけでもと思ったんですけど、やっぱりダメですね。どうしてもここで座り込んでしまって、動けなくなってしまいます」
    「なるほど……でも今日は心配ご無用! その道のプロが仲間として来てくれましたので!」

    田中氏はばっと私を両手で示すと、「ぱららぱっぱらー」とファンファーレの音でも響いてきそうな勢いで指先をばらばらと動かした。
    思わず「プロじゃない、プロじゃない……」と心の声が漏れる。

    「ああ、あなたがライターさん?」
    「あ、ええ、はい……初めまして。一応、オカルトライターをやっている者です。こっちが助手みたいなものです」
    「……ほぉ、オマケからはだいぶ出世したもんだ」

    隣にいる大男に本日2回目の肘鉄。
    それを見て母親は力なく笑うと、ふっと俯いた。

    「なんか……ごめんなさいね。本当に、自分の子どものことなのに……」

    こういうとき、どういう言葉をかければいいのかわからない。
    子どもを持ったことのない自分が何を言っても、薄っぺらい言葉になってしまうような気がするから。
    ただ、このまま何も声をかけずに作業を始めるのも違う気がする。
    開きかけた口をつぐんだところで、アブさんが口を開いた。

    「俺だったら母親がこうやって部屋に来てくれるだけでも嬉しいけどねぇ」

    ぶっきらぼうな言い方ではあったものの、どことなく普段よりも声色が優しかった気がする。
    本人も少し照れくさいのかあえて視線をそらしながら、人差し指で自分の頬を軽く掻いていた。
    母親は少し驚いた表情を見せた後、優しく微笑み「ありがとう」と小さく言った。

    「母上殿! 枕元にあるものは全部ということでよろしいですか?」
    「ええ、はい。お願いします」
    「わかり申した!」

    すでに寝室のほうに入っていた田中氏は背負っていた大きな箱型のリュックをフローリングにおろすと、そのリュックを覆っていた布を外した。
    すると、お札がびっしりと貼られた木箱のようなものが出てくる。
    出前で使うおかもちのように手前の板を上にスライドさせると、中にもお札がびっしり。
    曰く付きアイテムを運ぶための田中氏お手製のリュックらしい。
    もはやこれをリュックと呼んでいいのかはわからないが。
    「ほうほう」「ふむふむ」などと言いながら、田中氏は枕元にあった曰くありげなものをお手製のリュックの中へと突っ込んでいく。

    「あ、母上殿! カウンセリングルームから持ち帰るものはライター殿のほうにお伝えくだされ!」
    「ああ、そうですよね……。えぇと、ノートパソコンと携帯電話、それからそこにあるダンボールをお願いできますか? ダンボールは少し重いかもしれませんが……」
    「わかりました。アブさん、ダンボールお願いできます? ちょっと前にギックリやらかしたんで、重いものはまだちょっと不安で……パソコンと携帯は私が持ちますから」
    「了解」

    あとは持ち帰るだけでいいのだが、調査のことを考えるとせっかくならもう少しこの部屋を見ておきたい。

    「その……えっと……お母様、もう少し部屋を見させてもらっても?」
    「ええ、もちろん」

    母親の了承を得てから、改めて部屋をぐるりと見渡してみる。
    玄関から入り、短い廊下を1、2歩進むと右手に洗面所。
    廊下をさらに進むと間仕切りカーテンがあり、それをくぐるとカウンセリングルーム。
    カウンセリングルームはパーテーションで仕切られていて、キッチンなどは見えないようにしてある。
    生活感を出さないようにしているのだろう。
    部屋にあるものはどれも優しい色合いで、清潔感もある。
    ただ、その一方でところどころ雑然とした印象もある。
    なんとなく、ちぐはぐな気がする。
    部屋の隅のほうには七輪や縄、薬局でよく見かける市販の睡眠導入剤などがまとめて置かれていた。
    ……死に方を探していたのは明らかだった。
    田中氏がいる寝室へ入ってみると、思っている以上に狭くて驚いた。
    本当に寝るだけという感じで、最低限のものしか置いていない。
    それだけ仕事を優先していたということなのだろうか。
    カーテンが閉め切られ、重たい空気が流れる今の寝室を見ると余計に物悲しい。
    心理カウンセラーはここでどういう風に過ごしていたのだろうかと考えていると、田中氏がぱっと顔を上げた。

    「こちらは完了しました!」
    「ああ、そうですか。……じゃあ、ぼちぼち帰りますかね」
    「母上殿! せっかくならこのまま一緒にオカルティンへ行きませんか? 調査のこともありますし」
    「そうですね。そうしようかしら」
    「タクシーって何人までOKなんでしたっけ?」
    「あー、確か5人?」

    すると、母親が「あっ」と小さく声を上げた。

    「皆さんタクシーでお越しになったんですか?」
    「ええ、いろいろ事情がありまして……」
    「私、自転車で来てしまって……あの、場所は田中さんに教えてもらっているので、夕方頃にお伺いしてもいいですか?」

    田中氏は大きく頷きかけて、はっと私とアブさんのほうを見た。

    「拙者は問題ないのですが、ライター殿と相棒殿のご都合は……?」
    「ああ、大丈夫ですよ」
    「もちろん、こっちも問題なし」

    不安そうにこちらを見ていた田中氏も、私たちの返事を聞いてほっと胸をなでおろした。

    「よかった! じゃあお待ちしております、母上殿!」

    その後、それぞれが回収したものを持ち、母親とはマンション下の自転車置き場で一旦別れた。
    行きのときと同じようにタクシーを捕まえて、私とアブさんで田中氏をタクシーに押し込み、オカルティンまで戻る。
    荷物が増えた分、行きよりも帰りのほうが大変だった。

    「はー、疲れた……」
    「俺もさすがに腕が痛い……」
    「お疲れ様でございました!」
    「田中氏は下手したら行く前よりも元気ですね……」
    「まぁ、自分の城に帰ってきたわけですし! ようやく実物をじっくりと拝見できますからな!」

    私とアブさんの疲労感の大半は田中氏によるものなのだが、当の田中氏は情熱が止まらないご様子。
    さっそくお手製リュックから曰くありげなものたちを出していく。
    古いコンパクトミラー、髪がぼさぼさになった日本人形、くたびれたぬいぐるみ、首のない仏像、そこらへんの河原に落ちていそうな石、東南アジア系の不気味な木製人形……他にもストラップやブレスレット、ネックレスなど細々したものがいろいろと。

    「その日本人形と仏像は見たことある気がしますね……それ、心霊スポットとかに置いてあったやつじゃないです?」
    「やはりライター殿もそう思いますか。実は拙者もそうかなと」
    「なぁ、このアジア系の人形は?」
    「何だっけな……確か、東南アジアで呪術に使われるとかそんな感じだった気がします」
    「ふぅん、天下のライター様も海外のはわかんないか」
    「……海外は不得手なんですよ。私は日本国内特化型なんです」
    「なるほどねぇ」

    わざと口角を下げて不機嫌な顔を作ると、それを思いっきりアブさんに見せつけてやった。
    アブさんは楽しそうに喉の奥のほうだけで笑っていた。

    「でも、他の細々したものもちょっとわからないんですよね……」
    「詳しく調べてみないとわからないのですが、もしかしたらネットオークションに出ていたものかもしれませんな」
    「ああ、最近はネットオークションでもその手のやつが人気ですもんね」
    「えっ、何っ? 今はネットオークションで曰く付きのもんが売ってんの?」
    「普通にありますよ? 祖母の遺品で持ってると悪いことばかりがあるので出品します~みたいなの。呪物コレクターみたいな人が買い漁ってます。そこの田中氏とか」

    「ネットオークションは宝の山です!」と田中氏はうっとりしている。

    「それはまぁ、ニッチな需要と供給だこと」

    アブさんがそう言った後、「すみません……」という弱々しい声が聞こえてきた。
    受付の向こうを見ると入り口の黒い幕がゆらゆら揺れており、そこから心理カウンセラーの母親が恥ずかしそうに顔を出していた。

    「変な言い方になってしまうんですが、その……入り方ってこれであってますか? ドアも何もないので黒い布を突っ切ってきてしまったんですけど」
    「ええ、ええ、合っていますとも! 大正解ですぞ!」
    「あはは……初めての人は皆そんな反応になりますから、大丈夫ですよ」
    「ささ、母上殿! こちらへ!」

    田中氏は例のテーブルへ母親を案内し、奥からいつものハーブティーとお菓子を運んでくる。
    いろいろとツッコミを入れたいところではあったが、まぁここじゃ他に選択肢もないしな……と何とも言えない表情を浮かべる母親を見ていた。
    しばらくすると田中氏がチラチラとこちらに視線を送ってくるので、ああ、話を聞けということかと母親の向かいに座る。

    「あの……改めまして、私、こういう者です」

    母親に名刺を差し出す。

    「ご丁寧にどうも……あ、私は恵雅子と言います。よろしくお願いいたします」

    私は小さく咳払いをしてから、すぐに本題へ入ることにした。

    「えっと、その……さっそく調査の件なのですが、詳しい話をお聞きしてもいいですか?」
    「ええ、もちろん。そうですね、どこからお話しすればいいかしら……娘の名前は茉麻。恵茉麻です。小学生と中学生のときに登校拒否になって、そのときに心理カウンセラーの先生にお世話になって。それから心理カウンセラーを目指すようになったんです。大学へ行って、資格も取って、カウンセリングルームを持つようになりました」
    「茉麻さんが心理カウンセラーとしてお仕事されるようになってから、お母様とのやり取りというのは?」
    「電話はよくしていました。自宅とカウンセリングルームを兼ねているので、もし行ったときにカウンセリング中だったらと思うと気軽には行けなくて。でも一緒にご飯を食べに行くことはよくありましたし、休憩時間を確認してちょっと差し入れを持っていくようなこともありました。ただ、忙しくなってからはあまり……」
    「そうですか……。周りの方からも体のことを心配されていたそうですけど、茉麻さんの様子はどうでしたか?」
    「……ぼーっとすることが多くなって、クマが本当にひどかったんですよね。休んで病院へ行くように私も言ったんですけど、大丈夫だから、心配しないでってそればかりで……そのうち、休むようにはなったんですけど、部屋には入ってほしくないみたいでした。お水と調子が悪いときでも食べられそうなものを袋に入れて、玄関前に置いておいたり、玄関のドアノブに引っかけたりはしていて、一応そういうものは持って入ってはいたみたいです」
    「なるほど……。他に……例えば、お母様が個人的に気になったこととかはありますか? お母様の中でちょっと引っかかってることとか」

    雅子さんは顎のあたりに手を当てて少し思案したが、しばらくして小さく首を振った。

    「それがないんですよね……。守秘義務があるからって仕事のことはあまり話してくれませんでしたし、私には心配かけないように大丈夫、大丈夫ってそればっかりで……」
    「そうですか……。ちなみに、茉麻さんのプライベートのほうは?」

    プライベートの話になると、雅子さんの表情が少し緩んだ。
    かつての茉麻さんを思い出して、笑っているようだった。

    「ふふっ、あの子ったら友達も彼氏も作らずに仕事ばっかりで……本当に仕事が楽しくてしょうがなかったみたいです」
    「えっ、お友達はいなかったんですか? 周りからの評判もよくてと聞いていたので、てっきりお友達も多いのかと……」
    「ああ、ご近所付き合いとか仕事上の付き合いとかは問題ないんです。ただ、友達付き合いとなるといろいろと面倒らしくて。学生時代はそれなりに仲のいい子もいたみたいですけど、たぶんもう誰とも連絡はとってないと思いますよ。同窓会なんかも全部断ってたみたいですし」

    ああ、わかるかも……と私も少しだけ笑ってしまった。

    「あはは……友達付き合いが面倒なのは私もちょっとわかります。あ、あと茉麻さんの枕元にあったものとかはどうですか? いろいろありましたけど、見覚えのあるものとかはありましたか?」
    「それが全然で。全部見たことのないものでした。あの子がああいうものを持ってたことも知らなくて……」
    「もともと茉麻さんはこう……オカルトチックと言いますか、そういうものに興味があったんでしょうか?」
    「確かに一緒に暮らしていた頃は心霊特集とかホラー映画とかもよく見てました。ただ、興味はあるけど、極端な怖がりで……テレビを見るときも怖いシーンになるタイミングで顔を手で覆って、指の間から様子をうかがうような感じだったんですよ。ふふっ……本人に聞いたらテレビ画面が全部見えると怖いけど、3分の1くらいの範囲ならどうにか見れるって言ってましたね。懐かしい……」

    雅子さんは懐かしそうに、それでいて寂しそうに笑った。
    その笑顔に胸が痛んだが、すぐに思考を切り替えた。

    「うーん、じゃあ茉麻さんが趣味で集めてた可能性もあるんですかね……」
    「でも、あの子が好き好んで集めるとも思えなくて……昔、カタログ通販でオカルト系の雑貨が特集されていて、それをあの子に見せたことがあるんです。そしたら見る分にはいいけど、わざわざ買って置きたくはないなぁって。『なんで?』って聞いたら、本当にそういうものが寄ってきそうだからって。昔から持ち物とか周りに置くものは可愛いものに限るって言ってましたし、実際に選ぶのも可愛らしいものばっかりでしたから」
    「なるほど……」

    仕事に追われる日々の中で、趣味が変わったのだろうか。
    それとも誰かからのプレゼント?
    自分で集めたにしても誰かからのプレゼントにしても、怖がりな茉麻さんがあんなおどろおどろしいものをわざわざ枕元に置いた理由は何なのだろう。
    何か記録に残っていないだろうか……例えば、日記とか。

    「あの、茉麻さんは日記をつけていませんでしたか?」
    「ああ、昔は日記帳を買ってたんですけど、続かなかったみたいで今は日記をつけてないんじゃないかしら。ただ……確かブログをやってたはずです」
    「ブログ、ですか?」
    「カウンセリングルームの集客にもなるって言われて始めたみたいで、始めてみたら結構面白いよーって話はしてましたね」
    「そうなるとパソコンですね……あの、パソコンや携帯の中は見ても大丈夫でしょうか?プライバシーとかそのあたりは……」
    「……そこは私も悩んだんですけど、もし私が茉麻よりも先に死んでたとしたら茉麻は『お母さん、ごめん!』って言いながら私の携帯電話とか日記帳とかも見てたと思うんですよね。だから、茉麻も許してくれるかなって。ただ、私が機械が本当に苦手で、間違って全部消しちゃったらと思うと怖くて触れないんです。田中さんの紹介なら安心して任せられると思っているので、お願いします」

    そう言うと、雅子さんは深々と頭を下げた。

    「……わかりました。では、明日から本格的に調査を始めたいと思います。名刺にメールアドレスと電話番号があるので、何かあればいつでも連絡してください」

    その後、雅子さんの了承をもらった上で枕元にあったものを田中氏が、パソコンと携帯、その他の遺品を私が調査のために一旦預かることになった。
    3人で雅子さんを見送り、私とアブさんはオカルティンからパソコンと携帯を含む茉麻さんの遺品を私の自宅兼仕事場へと運んだ。

    「あー、アブさんがいて本当によかったですよ」
    「それは物理的に? それとも精神的に?」
    「物理的に」
    「少しは悩めよ」
    「だって、こんな大きなダンボール私ひとりじゃ絶対に運べないですし。パソコンと携帯の重さだけですでに腕がガクガクですよ」
    「お嬢様はか弱いようで」
    「そうです。私は弱々しい生き物なのです。芥子粒の命ですよ」
    「はいはい。じゃあ明日また適当な時間に来るわ」
    「ありがとうございます。じゃあまた明日。気をつけて帰ってくださいね」
    「あいよ」

    玄関でアブさんを見送った後、いつものように掃除を始める。
    ただ、どれだけ掃除をしても、茉麻さんの遺品の周りだけ空気が淀んでいるような気がする。
    普段はそういった類のものを持ち帰ることはないし、しかもそれを調査のためにしばらく置いておくというのも初めてのこと。
    自分の部屋なのに妙に緊張してしまう。
    いつもより明かりを余分につけてから食事も入浴も済ませ、さっさと寝ることにした。

    その夜、夢を見た。

    茉麻さんのカウンセリングルームに、雅子さんではない女性が立っている。
    白衣を着ていて、髪は肩にかからないくらいの長さ。
    顔はよく見えない。
    その女性がゆっくりと椅子の上に立つ。
    椅子のキャスターが不安定に揺らいでいる。
    天井から吊るされているロープに首をかけたその瞬間、女性が胸をかきむしるようにぎゅっと押さえた。
    手の甲にも指にも筋や血管が浮かび、白衣には深いしわが刻まれる。
    ロープが首に食い込み、がらがらと音を立てながら椅子が女性の後方へと逃げて行った。
    苦しそうに体を痙攣させながらも、女性の口元は笑っているように見えた。
    窓から差し込んでくるわずかな光に、首吊りをした女性のシルエットが浮かぶ。
    振り子のようにゆらゆらと揺れていた体がすっと止まると、今度はその場でゆっくりとこちらを振り返るかのように向きを変えていく。
    後頭部が見えていたはずなのに、頬が見え、鼻から口元のラインが見え……ああ、もう少しで顔が見える……というところで飛び起きた。
    信じられないくらいの寝汗をかいていた。
    時間を確認すると朝の6時。
    普段だったら二度寝をする時間だが、とても二度寝をする気分にはなれなかった。
    寝汗で身につけているものが全部肌に張り付いているような感覚。
    さすがにこのままでいるのは無理だった。
    水道代がもったいないという葛藤はあったものの、朝からシャワーを浴びることにした。
    朝日が差して十分明るさはあったが、洗面所から風呂場まで電気をすべてつけ、大きめの鼻歌を響かせながら嫌な汗を必死で洗い流した。
    うがいをするときもできるだけ鏡は見ないように。

    仕事場のほうに戻ってくるといつもの癖で、パソコンの前に座ってしまう。
    とりあえずメールの確認だけでもしておくか。
    ……特に何もない。
    となると、例の調査をするしかない。
    この心理状態で、しかもひとりで?
    ああ、ちょっとそれは無理かも……とすぐさま着替えて、近くの公園へ行くことにした。

    こんな時間から外に出ることは滅多にないが、それなりに人が多くて驚いた。
    世の中にはこの時間からフル稼働している人間がこんなにたくさんいるのか。
    ベンチに座りながら、健康的なオーラ全開でランニングしている男女を眺める。
    自分とは別世界の住人だ……絶対に家で毎朝スムージーとか飲んでるタイプだ……などと思っていると、後頭部に軽い衝撃を受けた。

    「あだっ」
    「……お嬢さん、姿勢が悪いですよ」

    振り返るとチョップをかましてきたアブさんがニヤニヤしながら立っていた。

    「アブさん、おはようございます」
    「おはよ。……つーか、何してんの? ひどい顔」
    「今のハラスメントですよ。まぁ、事実ですけど」
    「寝不足?」
    「いや、睡眠時間的には問題ないんです。ただ……夢見が悪くて」

    私のひどい顔と夢見が悪いという話で、アブさんはだいたいのことを察したらしい。

    「ああ、そう。……今日はやめとく?」
    「いえ、やります。早いほうがいいと思うので……いろんな意味で」
    「頑張るねぇ。あ、ちょっと待ってな」

    アブさんが小走りでどこかへ行って、数分後。
    ドリンクを両手に持って帰ってきた。

    「ほい」
    「何買ってきたんです?」
    「嬢ちゃんのは豆乳ラテ」
    「アブさんのは?」
    「……言わない」
    「なんでですか」
    「またお子ちゃまって言われるから」
    「ふぅん……あ、これおいしい」
    「そりゃ何よりで」

    優しい甘さが口からお腹、お腹から全身に染みわたっていくようだった。
    寒い時期に飲むホットレモネードと同じくらいほっとする。
    ため息と一緒に「ありがとうございます」と言うと、アブさんは満足げな表情をしていた。

    「アブさん、朝は何か予定あります?」
    「いんや、ないよ」
    「なら、朝からうちに来ちゃいます?」
    「いいの? 女子って朝の時間、邪魔されるの嫌がるイメージなんだけど……ほら、ルーティーンとかさ」
    「ないない。私にはそんなもの無縁です」
    「ふぅん、じゃあ行っちゃおっかな。あ、朝飯はもう食ったの?」
    「まだです」
    「今、家に何かある?」
    「あ、ないかも……冷凍のおにぎり食べちゃいましたし」
    「じゃあ何か買ってくか。あー、ちなみにキッチン使ってもいい?」
    「いいですよ。アブさん作ってくれるんですか?」
    「まぁ、目玉焼き作るだけだけど。さすがに調味料はあるよな?」
    「ふふふ……うちは調味料だけは充実してるんでね」
    「OK。ならそれ飲んでちょっと待ってな」

    そう言うとアブさんはまた小走りでどこかへ行ってしまった。
    こういう朝もたまにはいいかもしれない……そんなことを考えながらぼーっと公園の景色を眺める。
    ちょうど豆乳ラテを飲み終えた頃、アブさんがビニール袋を片手に戻ってきた。

    「何買ったんです?」
    「んー? パンと卵」
    「ほう……じゃあ行きましょうか」
    「あいよ」
    「……ねぇ、結局ドリンクは何だったんです?」
    「……ミルクセーキ」
    「ふっ……」

    自宅に戻るとアブさんはそれはもうテキパキと朝食を作ってくれた。
    軽く片手でフライパンに卵を割り入れると理想的な半熟具合に、パンもトースターでこれまた理想的なカリカリ具合に仕上げ、見事にラピュタのあれを再現。
    やりっぱなしではなく、何なら調理前よりも綺麗に片付けてくれるところも憎い。

    「悔しいくらいにおいしいですね……」
    「これはね、パンがうまいのよ」
    「このパン、普段食べてるのと全然違います」
    「米粉だからね」
    「へぇ、米粉のパンは初めてですよ。おいしいんですね」
    「もうね、これ食ってから普通の食パンに戻れなくて……」
    「あとでお店、教えてください」
    「はいはい」

    ふたりでの朝食を終えて、時計を見てみると普段起き出すくらいの時間になっていた。
    この時間からしっかりとした頭で仕事を始められるのはなんだか新鮮だ。

    「ぼちぼち調査を始めましょうか。調査って言っても、とりあえずは目の前のこれを調べることになりますけど」
    「そうねぇ。俺はこっちのダンボールの中身でも確認していこうか?」
    「はい、お願いします。私はパソコンから行きます」
    「パソコン、パスワードとか大丈夫なの?」
    「……そこで引っかかったら、初っ端からどん詰まりですね」

    茉麻さんのノートパソコンを立ち上げてみると、幸いなことにパスワードの設定はされていなかった。
    アイコンをクリックすると、生前の茉麻さんが最後に見ていたのであろうページが表示された。
    いくつかのタブがあったが、最初に出てきたのはやはりカウンセリングルームのブログ。
    ブログのプロフィール欄には茉麻さんの写真が載っている。
    白衣を着ていて、髪は肩にかからないくらいの長さ。
    いかにも優しそうな穏やかそうな表情の女性。
    夢の中でその顔ははっきりとはわからなかったものの、夢の中で見たあの女性はやはり茉麻さんだったのだと確信した。
    ブログの最後のほうは更新頻度が落ちているようだったが、最初は割とこまめに更新していたらしい。
    最初のほうから順番にブログの投稿を見ていく。
    近所においしい定食屋さんがある、差し入れでもらったお菓子がおいしかった、天気がよかった、季節の花が咲いていたなど日常の何気ない話から、悩んでいる人に向けてのリラックス法や思考法まで本当にいろいろな内容が投稿されている。
    写真の撮り方はやや不慣れな印象があったが、それが逆に親しみやすい。
    どれも優しく語りかけるような口調で、確かにこのカウンセリングルームになら行ってみようかと思わせるものがあった。
    どれもほのぼのとする内容だったが、こういう人がこの世から去ってしまったのかと思うとより虚しさを感じてしまう。
    投稿をひとつひとつ確認していくと、ある時期からブログの投稿に対してコメントがつくようになっていた。
    「今日は気持ちいいお天気でしたよね」「先生に教えてもらったリラックス法、実践してみます」など本当に何でもないコメントばかりだったが、その中にひとつだけ異質なコメントがあった。
    「あの定食屋はおいしくない、嘘つき」「あのお菓子がおいしいわけがない、嘘つき」「今日は天気が悪かった、嘘つき」「季節の花なんて咲いていなかった、嘘つき」……とにかく茉麻さんがブログに投稿している内容を否定し、茉麻さんを嘘つき呼ばわりしているコメント。
    そのコメントに対して、「今日は間違いなく晴れていましたよ。全国的にも快晴のはずです。嘘つきはあなたではないですか?」と他の人がコメントをするような始末。
    ただ、その後も誰に何を言われても茉麻さんを嘘つき呼ばわりするコメントは続いていた。

    「うわぁ……」

    思わず声が漏れてしまう。

    「どした?」
    「いやぁ、なんか……心理カウンセラーの仕事って本当に大変なんだなって。茉麻さんのブログのコメント欄見てたら明らかにおかしな人に粘着されてますもん」
    「まぁ、もうどうしようもなくてただ縋りに来てる奴もいただろうしなぁ」
    「自分が見たことや感じたことを発信してるだけなのに、そのたびに嘘つき呼ばわりされるとか私だったら気が狂いますね」

    おそらくコメント欄を閉鎖したり、特定のユーザーだけを拒否したりすることもできたのだろうが、あえてそれをしなかったのはそういう人間でも受け入れたいという思いゆえだったのか。
    そのうち、徐々に更新頻度が落ちていき、文章も短くなり、茉麻さんのブログからは最初の頃のような柔らかい印象が失われていった。
    投稿内容も命の大切さや人の気持ちを考えることの重要性などを訴える少し重たいテーマのものが目立つように。
    茉麻さんというひとりの人間から、確実に何かが削り取られていく。
    それがよくわかる。
    「しばらくお休みします」という最後の投稿が痛々しく、切なかった。
    きっと茉麻さんにも吐き出しことはあっただろうし、言いたいことは山ほどあっただろう。
    それを何枚、何十枚、何百枚ものオブラートに包んで、絞り出したのがここに紡がれている言葉なのだ。
    私としては何にも包まれていないそのままの茉麻さんの思いが知りたいのだが、カウンセリングルームのブログからはそれを見つけ出すのは難しいらしい。
    他にも何かないだろうかと別のタブを確認していくと、最後のタブで背景が真っ黒いページが表示された。
    カウンセリングルームのブログとは別のブログサービスらしいが、非公開の設定にされている。
    つまりこれは生前の茉麻さん本人以外、誰も目にすることがなかったもの。
    トップにはその最後の投稿が表示されていたが、浮かび上がる文字に思わず顔をしかめてしまった。
    改めて古いものから遡っていくと、そこには誰にも言えなかったのであろう茉麻さんの思いが綴られていた。

    「……うおっ」

    茉麻さんのブログに集中していると、アブさんが突然声を上げた。

    「どうしました?」
    「いや、試しに携帯の電源入れてみたんだけどさ……」

    アブさんが茉麻さんの携帯電話の待ち受け画面を見せてくる。
    そこには幽霊画の掛け軸があった。
    幽霊画と言っても別におどろおどろしいものではない。
    むしろ、白装束の女性の凛とした美しさが際立っている。
    ただ、ずっと見ていると引き込まれるような、吸い込まれるような不思議な感覚になる。
    これ、言うまでもないが、曰く付き。

    「私、これ知ってますよ」
    「何なの、これ」
    「見ると呪われる系のやつです」
    「えっ、じゃあ俺今呪われたの?」
    「私も呪われちゃいましたね」
    「まいったなぁ……」
    「ただ、この掛け軸って実物を見た人が呪われて死ぬって話だったと思うんですけどね」

    テレビで特集されていたものを写真に撮ったのか、ネットで画像を拾ってきたのか、はたまた実物を見に行って写真に収めたのか。
    待ち受け画像を見る限り、そのどれが正解なのかはわからなかった。
    だが、待ち受け画像に設定しているということは画像フォルダにそのデータが入っているということ。
    画像フォルダを確認すればわかるかもしれない。

    「アブさん、その携帯ちょっと貸してください」
    「あいよ」

    受け取った携帯の画像フォルダを開く。
    画像が一覧で表示されるが、そこに明るさはない。
    どれも暗い画像ばかり。
    ひとつひとつ確認していくと、その手の界隈では有名なものばかりだった。
    樹海で発見されたという死体、暗闇に不気味な女性の顔が写り込んでいるもの、何枚かの写真を組み合わせると人の顔が浮かび上がるという心霊写真、首のないお地蔵さん、木の枝に吊るされた古ぼけた人形……。
    下へ下へとスクロールしていくと、待ち受けにされていた掛け軸の画像が出てきた。
    携帯のカメラで撮影したものらしいが、テレビ画面などを撮影した感じではなさそうだ。
    見る限り、実物を撮影した可能性が高い。
    つまり、見た者が呪われて死ぬと言われているものを茉麻さんが実際に見に行って、撮影までしたということ。
    さらに画像を見ていくと、今度は心霊スポットを撮影したものが何枚も出てきた。
    廃病院、廃ホテル、廃校、廃寺、空き家、山奥のトンネル……それぞれ中に入って、それもかなり奥のほうまで入って撮影をしていた。
    画像の中にはそれらしいものもいくつか写り込んでいる。
    うーん……と唸っていると私が仕事で使っているノートパソコンからピコンと通知音が鳴った。
    確認すると、田中氏からメールが来ていた。

    件名:ご報告!
    本文:ライター殿!
    調査結果のご報告です!
    添付データをご確認していただきたく!

    「早っ……」
    「何が?」
    「田中氏ですよ。もう調べたみたいです」
    「ほう、そりゃすごい」
    「データが添付されてるみたいなんで、確認してみますね」

    メールに添付されていたデータを開くと、ご丁寧にも調査結果がレポートのようにまとめられていた。
    日本人形と仏像は私と田中氏の予想通り、やはり心霊スポットに置いてあったものだった。
    日本人形は廃ホテル、仏像は廃寺。
    もちろん、それぞれの住所も記載されている。
    その他の大半はやはりオークションで落札されたものだった。
    出品者の祖母の遺品であるという曰く付きの古いコンパクトミラー、いじめを苦に自殺した子どもが最後まで大切にしていたぬいぐるみ、海外旅行のお土産としてもらってから不幸が続いている木製人形、髪の毛が一緒に編み込まれているストラップ、持っていると悪夢にうなされるブレスレット、元恋人の怨念がこもったネックレス……。
    出品者の詳細まではわからないものの、どのような曰くがあるのはしっかりと調べ上げている。
    さすがに石については調べようがなかったらしいが、田中氏曰く賽の河原か、某トンネルの入り口に積み上げられている石のどちらかを拝借したのではないかとのことだった。
    私個人の印象としては賽の河原かなと思っている。

    「で、どうなの? 調査結果は」
    「さすが田中氏。納得という感じです。一部はやっぱり心霊スポットから、それ以外はオークションで曰く付きを落札したみたいですね」
    「ほーん、それで? どうすんの?」
    「うーん……昼からはその心霊スポットとやらに行ってみましょうか。アブさんも来てくれます?」
    「ああ、いいよ。でもどうやって行くの?」
    「住所はわかってるので、昨日のタクシーの運ちゃんにお願いします」

    どこからともなくタクシー運転手の名刺を取り出すと人差し指と中指で挟み、びしっとアブさんに見せつける。

    「車内で話も聞けるので一石二鳥です」
    「おうおう、さすができる女は違うねぇ」
    「さっそく電話をしてみましょう」

    自分の携帯を取り出すと運転手の番号にかける。

    「あ、どうも。昨日名刺交換をさせていただいた者なんですが……ええ、そうです。大男と一緒に震える男を押し込んだあれです。それでですね、今日のお昼に予約というか、来てもらえないかと思いまして。ちょっと遠出になってしまうんですが、2か所ほど回ってほしいところがあるんです。……はい、はい。迎えに来てもらう住所はですね……」

    一連のやり取りを終えるとふぅとため息をつき、電話を切る。

    「大丈夫そうだった?」
    「バッチグーです。ただ……ひとつ問題があります」
    「えっ、何?」
    「お昼です」
    「昼飯どうするかってこと?」
    「行く途中においしい定食屋さんがあるんですよ」
    「じゃあ寄ればいいじゃん」
    「ええ、そうなんですけどね……ニンニクがっつりの炒め物が最高においしいんですよ」
    「ああ、においが気になっちゃうとかそういう話?」
    「今日明日くらい私がニンニクくさいの耐えてくれます?」
    「……俺も食えばお互いくさくてわかんなくなるんじゃないの」
    「ああ、それいいですね。じゃあそれで。運転手さんには申し訳ないですけど」

    昼過ぎ、自宅マンションの前までタクシーがやってきた。

    「いやぁ、どうもどうも。昨日の今日でありがとね」
    「いえ、こちらこそありがとうございます」
    「あれ? 今日は震えてた兄ちゃんはいないの?」
    「ええ、今日はこの大男と私のふたりだけです」

    アブさんはへいへい、大男ですよとでも言いたげな顔をしている。

    「で、今日はどこへ? 遠出って言ってたけど」
    「こことここです」

    廃ホテルと廃寺の住所が書かれた紙を渡す。

    「だいぶ山奥だねぇ」
    「行く途中に定食屋さんがあるので、そこにもちょっと寄りたいんですけどいいですか? 私たちお昼まだで」
    「定食屋ってあのニンニクがっつりの炒めで有名な?」
    「そうです」
    「あ、じゃあ俺もそこで昼食っとこうかな」

    ああ、予想していた以上に車内がすごいことになりそうだ。
    タクシーが賃走に切り替わり、見慣れた景色が流れていく。
    今日は車が少ない、ここでちょっと前に事故があった……などと運転手がマイペースに話をしていると、ほどなくして例の定食屋さんに到着。
    3人で仲良くニンニクがっつりの定食を平らげ、少しの休憩の後で車内に戻る。

    「こうニンニクくさいと誰のにおいなのかわからなくていいですね。ニンニク食べた後でここまで人に気を遣わずに済むのは初めてですよ」
    「全員同じメニュー食やぁね。まぁ、次に乗せるお客さんにゃあ悪いけど」
    「一応、窓開けておきますね……ああ、そうそう。運転手さん、昨日乗せてもらった住所まで何人かお客さんを乗せたことがあるって言ってたじゃないですか?」
    「はいはい」
    「どういうお客さんがいたか教えてもらいたいんですけど」

    車を走らせながら、運転手がこめかみのあたりをぽりぽりと指で掻く。

    「うーん……本当はこういうのもぺらぺらしゃべっちゃいけないんだろうけどね。まぁ、どこの誰ってこっちも知らないわけだし、別にいっか。その代わり、俺から聞いたってのは誰にも言わないでよ」
    「もちろん」
    「えーっとね……女の人が多かったかな。こう言っちゃ悪いけど、みんな幸薄い感じで。俯き加減で、声も小さくってさ。俺もおしゃべりなほうだけど、さすがに黙って運転したもんね。でも感じは悪くないんだよ。どっちかっていうと丁寧で真面目な印象。ああいう人ほど悩むもんなのかもね」
    「なるほど……他に印象に残ってることとかないです?」
    「あー、そうだなぁ……あっ! ひとりすんごい嫌な奴がいたんだよ」
    「それも女性ですか?」
    「いやいや、男。中年の。話が通じなくってさ。黙っててくれればいいのに、そういう奴に限ってやたらと話しかけてくるんだよね。最初はね、俺が今日は天気がいいですねって声をかけたんだよ。そしたら、全然天気なんかよくない、嘘をつくなって言うのよ。でも、どうみても雲ひとつない晴天でさ。あー、そうですかねって流してたんだけど」
    「へぇ……」
    「そのうち、勝手に身の上話をしてきてさ。小さい頃はゲームが好きでって言うから、どんなゲームをしてたんですかって聞いたのよ。そしたら、ゲームなんて好きでもないし、したこともないって。いやいや、でも小さい頃はゲームが好きでって話を今したじゃないですかって言ったら嘘をつくなって。こっちにしてみりゃ、お前が嘘つきじゃんかって話よ」
    「……何を言っても嘘つき呼ばわりですか。気が滅入りますね」
    「そのときは本当に腹が立ったけどね。今になってみるとそういう病気?障害?だったのかなって思ったりもするよね。そういう先生のところに行こうとしてたくらいだし。まぁ、本当に性根が腐った人間ってのもいるからわかんないけどねぇ」

    おそらく運転手が話した中年の男というのは、カウンセリングルームのブログにコメントをしていた人間と同一人物なのだろう。
    ただ、その言動が性格的なものなのか、それ以外のところに原因があるのか私にはわからなかった。

    「他におかしな人というか、変な人はいませんでしたか?」
    「そうだねぇ。それくらいかねぇ……」
    「その先生についての噂とかはどうです?」
    「うーん、それこそいい先生だったってくらいかな」
    「そうですか……」
    「あー、あとね。これは俺もよくわかんないんだけど、その先生の知り合いの知り合いが死んだみたいな話はちょっと聞いたな」
    「えっ、何ですか? それ」
    「いやぁ、俺も本当によくわかんないのよ。ちらっと聞いただけで、別に興味もなかったから『へぇ、そうなんですかぁ』ってそれで終わらせちゃった。知り合いの知り合いが死ぬくらい生きてりゃ普通にあることだしなーって思って。最初からお姉ちゃんにいろいろ聞かれるのがわかってたら、そのときに詳しく聞いといたんだけどねぇ」
    「いえいえ、話が聞けてよかったですよ。ありがとうございます」
    「そりゃどうも。おっ、そろそろ最初の目的地に着くよ」

    気づけば窓の外は背の高い木々ばかり。
    いつの間にか山道に入っていたらしい。

    「……じゃあ、運転手さんはここで待っててくださいね。絶対ですよ? 置いて帰ったらアンケートをみっちり書いて、その上で窓口に苦情の電話を入れますからね」
    「大丈夫だよ。こっちだってこんな上客逃すわけにはいかんのでね」

    タクシーを降りて、私とアブさんは少しだけ整えられた道を進んでいく。

    「なぁ、今さらだけど何しに行くの?」
    「茉麻さんが実際にここに来たのかを確認するんです」
    「なるほどねぇ」
    「今日回る心霊スポットってちょっと古いというか、下火というか……最近はほとんど人が行かなくなってる場所なんですよ。茉麻さんの携帯に残ってた画像と照らし合わせてみれば、茉麻さんが確実にここに来て、人形なり仏像なりを持って帰ったのがはっきりするかなと」
    「心霊スポットにも下火とかあるのねぇ」
    「心霊スポットって全国にいろいろあるじゃないですか。古くからずっと人の行き来のある場所もあれば、あるときからぱったり人が行かなくなるところもあるんです。アブさんは何でだと思います?」

    アブさんは少し眉間にしわを寄せながら考えると、「そりゃあ、実際に出るか出ないかの違いなんじゃないの?」と答えた。

    「まぁ、それもあるかもしれませんけどね。……人が行かなくなるところってガチでやばいんですよ。行った人がばんばん不審死して、洒落にならないから誰も行かなくなって、そのうち口にするのも怖くなって。それで人が行かなくなるんです」
    「えっ、ちょっとオジサン怖いんだけど……」
    「ちゃんと奥まで一緒に来てくださいよ。万が一のときにはその身を挺して、全力で私を守ってもらわないと」

    そんな話をしていると、目の前に廃ホテルが現れた。
    白を基調としていたはずの外壁はひどく黒ずんでいる。
    至るところに入っているひび、這いまわっている蔦、朽ちたドアに割れた窓。
    どこから何が出てきてもおかしくない雰囲気だ。

    「さて、行きましょうか」
    「……はいはい」

    入り口から一歩踏み出すとそこはロビー。
    ところどころ天井が落ちており、朽ちたドアや割れた窓から枯れ葉などが大量に入ってきている。
    一般的な心霊スポットと同じように、かつて冷やかしに来たのであろう誰かの落書きも残っていた。
    ロビーを真っ直ぐに進んでいくと、右手に通路。
    さらにその通路を進んでいくと奥に和室がある。
    その和室に置かれている日本人形に手を出すと呪われる……というのが有名な話だった。
    歩くたびにぱきっ、ばきっと何かが割れたり、折れたりする音がする。

    「アブさん、さっきから静かですけど生きてます?」
    「気持ちはちょっと死んでる……」
    「はいはい、ちゃんと生きてますね。大丈夫ですね。もう少しで和室に着きますから」

    たどり着いた和室は思っていた以上に状態が悪かった。
    床が抜けているので、一歩一歩確認しながら進んでいく。
    例の日本人形が置かれていたはずのガラスケースはやはり空になっていた。
    茉麻さんの携帯を取り出し、画像を確認していく。

    「どんな感じ?」
    「茉麻さんがここに来たのは間違いなさそうですね。このアングルとかまったく同じです。これなんか実際に茉麻さんが人形を手に取った上で撮ってますね」

    「……となると、実際にここから人形をお持ち帰りしちゃったってことか」
    「もしくは人形が勝手に茉麻さんの後をついてったか、ですね。まぁ、茉麻さんが持ち帰ったんでしょうけど。……さて、確認もできたし、出ますかね」

    足早に廃ホテルから出て、私とアブさんがなんとなく廃ホテルを振り返ったとき、1階の入り口を何かが横切った気がした。

    「……アブさん、今の見えました?」
    「いや、はっきりとは……でも何か横切ったよな?」
    「目の錯覚か、野生動物か、それ以外か……まぁ、気にしても仕方ないので次行きましょう、次」

    さくさくと来た道を戻っていくと、タクシーが見えてきた。
    運転手は外に出て、あくびをしながら体を伸ばしている。

    「おっ、用事はもう終わった?」
    「はい、お待たせしました」
    「じゃあ次の目的地に行きますかね~」

    待っている間にリフレッシュできたのか、運転手は機嫌が良さそうだった。
    しばらく車を走らせていると、バックミラー越しに運転手がこちらをちらりと確認した。

    「お客さん、今度はこっちからちょっと質問してもいい?」
    「はい、何でしょう」
    「おふたりさんは親子? それとも親戚のおじさんと姪っ子とか?」

    そのどちらかが正解なのだろうという調子で尋ねてくる運転手に、思わず「ぶっ」と吹き出してしまった。
    私の反応を見て、運転手はひどく困惑していた。

    「えっ、えっ、聞いちゃダメだった?」
    「ふふっ……いえ……そのですね、私たち同世代なんですよ……ふふふっ……」

    「えっ!?」という運転手の大きな声が車内に響き渡る。

    「あっ、あっ、なんかごめんね! おっ、お姉ちゃんが若いのかな!? それともお兄さんが貫録あるのかな!? あはっ、あははっ! いやー、はっはっはっ……」

    運転手もパニックを起こしたようで必死でフォローをしていたが、アブさんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
    運転手とアブさんの間でだけ気まずい空気が流れており、それが余計におかしくて私は私で笑いを堪えるのに必死だった。
    その後、運転手が何もしゃべらないまま次の目的地に到着。

    「……じゃあ、お待ちしてますね~」

    運転手はアブさんのほうを見ないようにしながら、それまで触りもしなかったバインダーに手を伸ばし、そこに書かれている文字を指でなぞりながらわざとらしく何かしらの確認し始めた。
    タクシーを降りて、アブさんと歩いているとまた笑いがこみ上げてきた。

    「ふひひっ……」
    「……何?」
    「親子……親戚のおじさんと姪っ子……ふふふっ……」
    「へぇへぇ、どうせ俺は老けてますよ」
    「でもね、これはある意味自業自得ですよ」
    「えぇ~、何でぇ?」

    アブさんが不満げに唇を尖らせる。

    「自分のことオジサンとか言っちゃうからですよ」
    「自分で自分のこと言う分には別にいいだろ」
    「言霊ですよ。そうやって自分のことオジサンって言っちゃうから、オジサンになっちゃうんです」
    「……嬢ちゃんが若く見えるにしても、親子はなくねぇ? 親戚のおじさんと姪っ子とかさぁ……」
    「アブさんが私のことをそうやって嬢ちゃんって呼ぶから、私も余計に下に見られるのかもしれませんよ。まぁ、化粧っ気がないので年齢不詳になりやすい自覚はありますけど」

    ごちょごちょと話をしているうちに、廃寺が見えてきた。
    廃ホテルとは違って、かなりこぢんまりとしている。
    開け放たれた戸からは、中にある大きな仏像が見えていた。
    一応、心の中で失礼しますと念じてから中へと入っていく。
    見た目はかなり傷んでいる印象だったが、中は比較的綺麗な状態が保たれていた。
    木の枝やら枯れ葉やらいろんなものが入り込んではいるものの、床は抜けていない。
    むしろ、踏みしめたときのギシっと軋む音は力強さすら感じた。
    大きな大仏の後ろをライトで照らし、のぞき込んでみる。
    やはりそこにあるはずものがない。

    「ここに首のない仏像があったはずなんですよね」
    「ああ、何かが置いてあった跡だけあるな」

    茉麻さんの携帯を確認してみると、やはりここで撮影したと思われるものがいくつもあった。
    廃ホテルのときと同じように、仏像を実際に手に取った上で撮影しているものもある。
    茉麻さんは確実にこの廃寺にも来ている。

    「やっぱり茉麻さんがここに来て、仏像を持ち帰ったということで間違いなさそうですね」

    そう言ってアブさんのほうを見ると、アブさんは背後をやたらと気にしているようだった。

    「……なぁ、何か聞こえない?」

    実は私も途中からお経のようなものが聞こえるようになっていた。
    外から聞こえるような気もするし、頭の中から直接響いてくるような気もする。

    「……こういうのは気にしたら負けです。さ、出ましょうか」

    気にしないように、後ろを振り返らないように来た道を戻る。
    廃寺の敷地を出ようとしたその瞬間、薄っすらと聞こえていたお経が頭の中でわっと一気に最大音量になり、敷地を出るのと同時に消えた。
    思わずアブさんと顔を見合わせる。

    「不審死したくねぇなぁ……」
    「大丈夫ですよ。冷やかしで来たわけじゃないんですから。こっちはこっちで真剣に調査してるんです。毅然とした態度でいればいいんですよ」

    とは言ったものの、やはり少し気持ちは下がってしまう。
    口数少なくタクシーのところまで戻ると、運転手はすっかりもとのテンションに戻っていた。

    「おっ、用事は終わった?」

    自宅に戻るまでの道のりは運転手が好きなタイミングで好きな話をして、私とアブさんがそれぞれ適当に返事をするだけの時間だった。
    決して楽しくないわけではなかったが、じわじわと疲労感が増してきて自宅前に着いたときには疲労困憊だった。

    「じゃ、今日はありがとね!」
    「こちらこそありがとうございました。本当に助かりました」
    「またいつでも呼んで! じゃあね、お姉ちゃん。お兄さんも元気でね!」

    運転手に手を振って、自宅へと戻る。

    「お兄さんだって。運転手さんも気を遣ってくれて優しいですねぇ。お父さんか親戚のおじさんだと思ってたのに」
    「まったく……それより嬢ちゃん、疲れたろ?」
    「バレました? 私にしては稼働時間が長かったですからね」
    「ゆっくり休みな」
    「はい。明日はちょっとマッサージに行きたいと思います。久々のマッサージで次の日にも響きそうなので、明日明後日はお休みで」
    「マッサージ?」
    「茉麻さんのカウンセリングルームの隣がマッサージ店だったんですよ。ついでに話も聞けるかもしれないですし」

    アブさんはなぜか少し困ったような表情を浮かべている。
    そして、口を開いた。

    「なぁ、それってその……いやらしいやつじゃないよね?」
    「馬鹿」

    翌朝、前日よりも疲労感が増した体を引きずりながらパソコンの前まで移動し、マッサージ店の予約を入れる。
    あまり流行っていないのか、たまたまなのか、どの時間帯にも予約は入っておらず選びたい放題。
    前後の時間に人がいないのは安心だ。
    昼の2時から3時の間で予約を入れておく。
    終わった後にちょっと甘いものでも買って帰って、家でゆっくりしよう。
    正午を過ぎたあたりからゆるゆると支度を始めて、1時45分頃には茉麻さんのカウンセリングルームがあったマンションへ。
    エントランスには相変わらず花とお菓子が山になった献花台があり、3階へ上がると301号室の前にも花が置かれていた。
    その隣の部屋である302号室のインターホンを鳴らす。

    「はーい」
    「2時から予約を入れてた者ですー」
    「あー、はいはい。ちょっとお待ちくださいね」

    パタパタと足音が聞こえてきて、すぐに玄関のドアが開いた。
    いかにも美容系の仕事をしていますというようなばっちりメイクの女性。
    それと同時に、部屋の中からいい香りが漂ってきた。

    「どうも、はじめまして! 中へどうぞ」
    「はじめまして。失礼します」

    間取りは茉麻さんのカウンセリングルームと同じだったが、パーテーションのように仕切るものを置いていないせいかこちらのほうが広々とした印象を受ける。
    中へ入ると、椅子に座るように促された。

    「さぁ、どうぞ。どこか痛いところがおありで?」
    「ええと、全身筋肉痛みたいな感じで……」
    「まぁ、運動か何かを?」
    「いえいえ、全然。たまたま昨日、山をちょっと歩きまして」
    「最近は登山とか人気ですものね」

    昨日は確実にタクシーに乗っている時間のほうが長かったのだが、ここで細かいことを言ってもしょうがないかと黙っておくことにした。

    「ちょっと触らせてくださいね……まぁ、すっごいパンパン。さっそくですけど、そこの台にうつ伏せになってもらえます?」
    「はい……あ、その前にちょっといいですか?」
    「ええ、どうぞ」
    「マッサージしながらでいいので、隣の茉麻さん……恵先生について話を聞かせてもらいたいんですけど」
    「……恵先生?」

    女性はすっと距離を取ると、明らかにこちらを警戒し出した。

    「あー、ええと、怪しい者ではないんです……恵先生のお母様から調べてほしいと言われてまして。恵先生が亡くなる前に何があったのかを調べてるんです」

    自分でも怪しいと思ったが、女性はそれなりに納得してくれたらしく一応警戒を解いてもらうことはできた。

    「……そうですか。でも私、おしゃべりしながら施術するのあまり得意じゃないんです」
    「そうですか、すみません……」

    ああ、今日は空振りかな……と思っていたのだが、意外なことに女性のほうから嬉しい提案があった。

    「今日は3時までの予約ですけど、それ以降は何か予定が?」
    「いえ、何も」
    「じゃあ施術が終わった後、ここでお茶でもしながらお話ししましょう。今日は予約も入ってないですから」
    「ああ、ありがとうございます」

    心底ほっとしながら台にうつ伏せになった。
    施術が始まるとパンパンになった体がほぐれていき、あまりの気持ちよさに何度か意識が飛びそうに。
    勝手に口元が緩んでしまって、よだれが垂れないようにするのにとにかく必死だった。
    同性とは言え、初対面の人に恥ずかしいところを見られてしまった……。
    施術が終わると、女性は小さめのテーブルに紅茶とお菓子を出してくれた。
    改めて女性に名刺を渡すと、ライターさんが調査しに来るなんてドラマみたいねと笑った。

    「お隣さんだと恵先生と話す機会も多かったんですか?」
    「そうですね。このフロアだと私が一番話してたと思います。おすそ分けしたり、逆におすそ分けしてもらったり……地域の行事のことで話すこともありましたし」
    「恵先生ってどんな人でした?」
    「もう本っ当にいい人。世の中がああいう人ばっかりだったら、世界は平和になるのにって……優しいし、頑張り屋さんだし、私もああいう人になれればなぁって何度も思いましたよ」
    「そうですか……」
    「ただね、いい人すぎたのかなって思うこともあるんです」
    「いい人すぎた?」

    女性は困ったように笑っていた。

    「ほら、強い光って周りを明るく照らしてくれるけど、その分、変な虫も寄ってくるじゃないですか。だから、普通の人よりもいろんなものを背負って大変だったのかなって思うんです」
    「……嫌がらせとかですか?」

    ああ、知ってるのねというように女性は頷いた。
    ただ、女性が話してくれた内容は私の想定していたものではなかった。

    「……たぶんこのフロアの人は皆知ってると思うんですけど、恵先生、すごい嫌がらせを受けてたことがあるんですよ。恵先生のところに通ってた人がいわゆる霊感商法みたいなものに引っかかってしまって……確か隔世コーチとか言ってたと思いますけど。やめたいのにやめられないって泣きついて、恵先生も話を聞いたり、弁護士を紹介してあげたり、本当に親身になってたんです。そしたら、そのコーチがカウンセリングルームに怒鳴り込んできて。もう本当に怖かったですよ。狐みたいに目が吊り上がった痩せぎすの女がわけのわからないことを喚き散らすんですから」
    「それは……恵先生も怖かったでしょうね……」
    「で、その女がカウンセリングルームのドアに張り紙をしたり、ドアの前に生ごみを撒いたりするようになって……私も一緒に片付けたことがあるんです。私も含めて何人かで恵先生が来る前に片付けてしまうようなこともありました」
    「警察に相談は?」
    「私も警察に相談したら?って言ったんです。でも相談したけどダメだったって……」
    「……まぁ、今の警察は役に立たないですもんね」

    女性も苦笑いしながら頷くと、さらに言葉を続けた。

    「しばらく嫌がらせが続いてたんですけど、ある日からぱたっとなくなったんです。ようやく諦めてくれたのかしらねーって話してたら、その……霊感商法に引っかかった本人がコーチを刺し殺しちゃったらしくて……」
    「えっ!?」
    「恵先生にも他の人にも迷惑がかかるから、自分がこうするしかなかったって……恵先生も私のせいでクライエントを犯罪者にしてしまったって泣いてました……」
    「そう、だったんですか……」

    あまりにも想定外すぎる内容で、自分でもどう反応すればいいのかわからなくなってしまった。
    ただ、茉麻さんは想像を絶するような悲惨な状況にいた。
    それだけは確かだ。

    「ただ、そのコーチに騙されてた人ってすごい多かったみたいで……逃げたくても逃げられない人もいただろうし、逃げ出してもしつこく追い回されて引きずり戻されるような人もいたみたいなんです。人を殺すのは絶対にダメですよ? でも、それで救われた人も確実にいると思うとなんだかね……どう受け止めればいいのかわからないですよね……」

    消化しきれない思いを飲み込むように、女性はぐいっと紅茶を飲んだ。
    茉麻さんへの嫌がらせというのはブログのコメントだけではなかったらしい。
    タクシーの運転手が言っていた先生の知り合いの知り合いが死んだというのはこのことだったのか……。
    その後、女性はしんみりした空気を払拭したかったのか今までマッサージ店にやってきた変な客の話を聞かせてくれた。
    女性はもう少しいてほしそうではあったが、お菓子がなくなったタイミングでおいとますることに。
    マッサージのおかげか、その日は夢を見る暇もないくらいに熟睡できた。

    「よっ、マッサージどうだった?」

    翌々日、仕事場にふらりとアブさんが現れた。

    「すっごくよかったです」

    体がほぐれていくあの感覚を思い出しながら、ついうっとりとした表情を浮かべてしまった。
    アブさんはそれを怪訝そうに見ている。

    「……言っときますけど、健全なマッサージですからね。腕のいい女性でしたよ」
    「まだ何にも言ってないんだけど」
    「発想が卑猥です。破廉恥。お下劣」
    「ひっでぇ」

    大男が笑いながら腰かけると安物のソファーが軽く波打った。

    「で、何か収穫はあったの?」
    「ありですよ、おおあり。茉麻さんのところに通ってた人が霊感商法に引っかかって、人を刺し殺してました」
    「えぇ……何それ」
    「隔世コーチってのに引っかかって、逃げ出そうとしてたんですって。茉麻さんもいろいろ手助けしてたみたいですけど、そのコーチがカウンセリングルームに怒鳴り込んできたり、生ごみをばら撒いたりしてたらしくて。茉麻さんにも他の人にも迷惑がかかるからって、最終的に引っかかった本人がコーチを刺し殺しちゃった……と。まぁ、そのコーチの被害者は他にもかなりいたみたいですけどね」
    「何なの? その何たらコーチって」
    「ああ、今そういうのって無法地帯みたいになってるんですよ。もともと曖昧な世界なんで、いくらでも名乗れるし、名乗ったもん勝ちみたいになってます。なんなら私だって宇宙の神々からのメッセージがーとか言って、ほにゃららコーチを名乗れるわけです」
    「ああ、やだねぇ……」
    「コーチは言っちゃ悪いけど、自業自得ですよね。遅かれ早かれ、誰かが何かしらの行動を起こしてたとは思います。ただ、茉麻さんのことを考えると本当に何とも言えないというか……やっぱりマッサージ店の人に話を聞いてみても、茉麻さんって本当にいい人なんですよ。人を助けたくて心理カウンセラーになったんでしょうし、被害者のことも助けたかったと思うんですよね」
    「……その被害者は茉麻さんや他の人を守るために殺人を犯してしまった、と。何で人のことを思う人間に限って、こういうつらい思いをしなきゃなんないのかねぇ……」

    アブさんは茉麻さんの遺品が入っているダンボールから、学級文集を取り出した。

    「こういうのを見ててもさ、本当に人のためにってタイプだったんだと思うよ。同級生たちから寄せられてるのも、いつもありがとうとかそんなのばっか。聖人君子だよ」
    「はぁ……調べれば調べるほど、本当になんでこんないい人がって思っちゃいますよね」
    「……ぼちぼち始める? こっちのダンボールもまだ手ぇつけてないところばっかだし」
    「そうですね。そうしましょう」

    ダンボールのほうはアブさんに任せて、私は引き続き茉麻さんのパソコンを調べる。
    カウンセリングルームのブログではなく、茉麻さんの本心が綴られているブログ。
    それを最初からひとつひとつ丁寧に見ていく。

    ようやく自分のカウンセリングルームを持てた。
    少し狭いけど、自分の理想を詰め込んだカウンセリングルーム。
    同じフロアの人もみんな優しいし、よかった。
    しばらくは誰も来ないかもしれないけど、焦らずにできることだけしていこうと思う。

    ブログを更新したり、チラシを配ったりの日々。
    心理カウンセラーになったけど、カウンセリングが全然できていない。
    でも焦っちゃダメだ。
    今はきっと種まきの時期。

    このカウンセリングルームでの初めてのカウンセリング!
    クライエントさんが来てくれたのは嬉しいけど、クライエントさんはクライエントさんで苦しんでるから来てるのであって、嬉しいというのは不適切かもしれない。
    でも、この人が元気になれるようにできる限りのことをしてあげたい。

    少しずつクライエントさんが増えてきた。
    紹介されてきたという人も。
    本当なら心理カウンセラーがいらない世の中になるのが一番いいんだろうけど、こうやって仕事をしていると、やっぱりやりがいを感じる。

    1回のカウンセリングだけで元気を取り戻す人もいれば、何度も何度もカウンセリングをして、良くなったり悪くなったりを繰り返す人もいる。
    それぞれにいろいろな事情がある。
    おこがましいかもしれないけど、ひとりひとりが自分なりに頑張って生きていて、それが愛おしく感じられる。

    今日はクライエントさんが感情的になって、少しビックリしてしまった。
    こういうときに動じてはいけない。
    どのような状態でもクライエントさんを受け止めないと。
    私もまだまだ足りないところがあるな。

    今日は地域のお祭りだった。
    無事に終わってよかった。
    お隣さんとあれこれ準備するのは学生時代の文化祭みたいでちょっと楽しかった。
    カウンセリングルームが評判になってるねと言われて、本当にありがたい限り。

    最初の頃が嘘みたいに忙しい。
    どれだけ忙しくなってもひとりひとりと丁寧に向き合っていかないと。
    でも、それだけたくさんの人が心に問題を抱えているのかと思うと複雑な気持ちにもなる。

    クライエントさんのひとりが霊感商法に引っかかってしまった。
    ここなら話を聞くのは私だけだから大丈夫と言ってもひどく怯えていて、見ているのがつらいくらいだった。
    できる限りのことをしてあげたい。

    ボランティア活動で、かつてのクライエントさんと再会。
    今はとても元気そうにしていて、本当によかった。
    今度、差し入れを持ってきてくれるらしい。
    楽しみ。

    霊感商法に強い弁護士をいくつかピックアップして、クライエントさんに教えてあげた。
    前回来たときよりは少し落ち着いたのかなという印象。
    すぐに相談してみると言っていたので、いい方向に進むといいなと思う。

    コーチをしているという女性が怒鳴り込んできた。
    怖い顔をしていた。
    言っていることも支離滅裂で、こういう人ほどカウンセリングが必要なのに。
    カウンセリングルームをめちゃくちゃにされてしまった。

    カウンセリングルームに張り紙がされていた。
    何て書いてあるのかわからないものが多かったけど、たぶんひとつは悪魔と書かれていた。
    玄関前に生ごみが撒かれていて、においがひどかった。
    フロアの人にも迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない。

    今日はクライエントさんにまで心配されてしまった。
    いけない。
    もっとしっかりしないと。

    女性からの嫌がらせはまだ続いている。
    警察に相談したけどダメだった。

    私が来る前に同じフロアの人が張り紙や生ごみを片付けてくれたらしい。
    本当に本当に申し訳ない。
    久々に泣いてしまった。
    もう引っ越しをしたほうがいいのかもしれない。

    ここ何日か、張り紙もないし、生ごみも撒かれてない。
    他の人も片付けてないらしい。
    お隣さんと「やっと諦めてくれたのかも」と話して、ちょっとだけほっとした。

    少しずつ日常が戻ってきたような気がする。
    頑張らないと。

    クライエントさんが人を殺してしまった。
    私のせいだ。
    どこかに匿ってあげればよかった。
    もっと他にできることがないか考えればよかった。
    どこで間違えたのだろう。
    涙が止まらない。

    メンタルがぐちゃぐちゃ。
    でもクライエントさんにはちゃんと向き合わないと。

    何で嫌なことに限って続くのだろう。
    ブログのコメントが気になってしまう。
    たぶんあのクライエントさんだろうなと見当もついている。

    自分でもビックリするくらい心が弱っている。
    私の死にたいという気持ちを見透かしたように、クライエントさんが自殺の話をしてきた。
    自殺だけは絶対にできない。

    ポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポ

    時計を見ると予約時間の10分前になっていた。
    そろそろだなと茉麻が立ち上がると、すぐにインターホンが鳴る。

    「はい、どうぞ」
    「今日もよろしくお願いします……」

    俯き加減の女性が申し訳なさそうに入ってくる。

    「今日は天気がいいですね」
    「ええ、本当に」
    「今日も自転車ですか?」
    「はい」
    「ああ、じゃあ風が気持ちよかったでしょう?」
    「はい」

    茉麻と女性はテーブルを挟んで、向かい合うように座った。

    「今日の調子はどうですか?」
    「うーん……前に来たときよりちょっとだけいい気がします」
    「それはよかったです」
    「あの……先生」
    「はい、何でしょう」
    「先生は死にたいと思ったことはありますか?」

    茉麻は一瞬はっとしたものの、落ち着いた声で答えた。

    「……ええ、ありますよ」
    「自殺しようとしたことは?」
    「行動に移したことはないですね」
    「そうですか。……実は私、自殺しようとしたことがあるんです」
    「そうだったんですか……どうして自殺しようとしたんですか?」
    「そのときは全部が嫌になって……家族もめちゃくちゃだし、仕事も全然うまくいかなくて、信頼してた人にも裏切られて。死ねば解放されると思ったんです」
    「……でも、それを乗り越えてこうやって前を向こうとしているんですよね」

    茉麻はてっきり「はい」という短い答えが返ってくると思っていたのだが、クライエントは少し答えに悩んでいるようだった。

    「うーん、乗り越えてはないかもしれないです……」
    「えっ?」

    クライエントは諦めたように笑って、「自殺するのが怖くなっただけなんです」と言葉を続けた。

    「それは……どうしてですか?」
    「……私、首吊りをしようとしたんです。紐が首に食い込んで、首から頭をぎゅっと絞られるような感覚になって。目、鼻、口、耳……穴という穴から中身が全部飛び出るんじゃないかって状態で、自分の脈拍を感じるんです。顔も頭も熱くなって、そのうちテレビの砂嵐みたいな音が聞こえてきて、その音に全部が包まれるというか、埋もれていくような感覚になりました。あ、テレビの砂嵐ってわかりますか?」
    「ええ、わかりますよ」
    「今度はその砂嵐の音がふっと消えるんです。気づいたら体も楽になっていて、真っ暗な空間というか真っ暗な世界にいました。でも……真っ暗なんですけど、確実に何かがうごめいているんですよ」
    「目には見えないけど、気配を感じるような?」
    「そうです! 周りにいっぱいその気配を感じるんです。で、何を言っているのかはまったくわからないんですけど、声が聞こえてくるんです。それがとにかく怖いんです。ホラー映画を見て怖いとかそういう次元じゃなくて、本能的に内臓が震えるような恐怖なんです」

    茉麻が興味深そうに何度も頷くのを見て、女性はさらに言葉を続けた。

    「それだけでも耐えがたいのに、その恐怖の中で私は私のそれまでの人生を見させられるんです」
    「見させられるというのは……?」
    「頭の中で何度も何度も私の人生が繰り返されるんです。生まれて、子どもから大人になって、首を吊る。首を吊った後にまた生まれて、子どもから大人になって、首を吊る……終わりなく、ずっとその繰り返し。何で死ねないの、何で死ねないのってそればっかりです」
    「……その後はどうなったんですか?」
    「突然、強い衝撃を受けました。その後に体がふわっと浮いたと思ったら、一気に重力を感じて、気づいたら床の上にいました。紐が切れて、落ちたんです。息は苦しいし、涙は出るし、顔も気持ちもぐちゃぐちゃでした。死ねなかったって思いもありましたけど、真っ暗な中で自分の人生を延々と見せつけられるあの時間が終わってほっとしている自分もいました。……しばらくして落ち着くと、今度は自分と同じように自殺に失敗した人の話を聞いてみたいって思うようになりました。どういう経験をして、どういう感情になったのかを聞いてみたくって。それで、いろいろ調べて1冊の本を見つけたんです」
    「その本というのは?」
    「海外の方が書いた本なんですけど、その人自身も自殺に失敗していて、そのときの体験談が書かれていました。そこには私が見たものや感じたものとほぼ同じものが書かれていたんです」
    「それは……すごいですね」
    「だから、自殺した人は皆あの世界に行くんだと思います。たぶん、そこで一生というかずっと苦しむんだと思います。私はそれだけは絶対に嫌だと思ったので、自殺は諦めたんです」
    「そう、だったんですね……」

    クライエントは身を乗り出して、茉麻の目をじっと見た。

    「……だからね、先生。死にたいと思っても、自殺だけは絶対にダメなんです。自殺以外の方法で死なないと」

    ポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポ

    茉麻さんのブログを読んでいると、視界の端でアブさんがダンボールに手を突っ込んでぴたっと動きをとめた。

    「どうしました?」
    「んー、何かよくわからんメモが出てきた」
    「ちょっと見せてください」

    メモは茉麻さんの手書きらしく、一見すると関連性のなさそうな単語が並び、その横にバツ印が書かれていた。

    エレベーター×
    飽きた×
    合わせ鏡×
    電車×
    32×
    幽体離脱×
    タットワ×
    桜×

    なるほど。
    これは見る人が見れば、すぐにわかる内容。

    「謎解きとかそれ系の話?」
    「いや……これは異世界系ですね」
    「異世界系って何? 転生でもすんの?」
    「いや、そのままストレートに異世界に行っちゃう感じです。身も心も自分は自分のままで異世界にダイブ、ですよ」
    「どうやって?」
    「ええとですね……」

    【エレベーターで異世界に行く方法】
    10階建て以上のビルのエレベーターを使い、エレベーターに乗るときは必ずひとりというのが条件。
    エレベーターに乗ったらまず4階、2階、6階、2階、10階の順番で移動していく。
    最後にエレベーターが10階に着いたら、エレベーターから降りずにそのまま5階のボタンを押す。
    5階に着いたところで女性がエレベーターに乗ってくる。
    女性は異世界の者だと言われており、異世界へ旅立つところを見送る役割や異世界に行こうとする人間を試す役割があるという説もある。
    この女性には絶対に声をかけてはいけない。
    女性がエレベーターに乗ってきたら1階を押す。
    ただし、エレベーターは下に降りず、エレベーターは上に行く。
    10階にエレベーターが着くとそこが異世界になっている。

    【六芒星に「飽きた」と書いて異世界に行く方法】
    用意するものは紙と黒いペン、赤いペン。
    まず、5cm×5cmの真っ白い正方形の紙を用意する。
    その紙に黒いペンで大きく六芒星を描き、六芒星の真ん中に赤いペンで「飽きた」と書く。
    次に、その紙を枕の下に敷いて眠る。
    次の日、目を覚まして「飽きた」と書いた紙がなくなっていればそこが異世界になっている。
    紙がなくなるというのは下に落ちていたなど紙が移動することではなく、忽然と紙そのものが消えていないといけない。

    【合わせ鏡で異世界に行く方法】
    必要なものは、普通の鏡と合わせ鏡にするための手鏡。
    誰にも見られない時間、夜中におこなう。
    まず、手鏡を持って鏡の前に立つ。
    次に、鏡の前に手鏡をかざし、手鏡に映っているものを鏡越しにのぞき込む。
    手鏡に悪魔が映り込み、その悪魔と目を合わせると鏡の中の異世界に吸い込まれる。

    【電車で異世界に行く方法】
    必要なものは、米10粒。
    まず、A駅へ行き、M線に乗ってK駅で降りる。
    ホームをH方面へ向かって歩き、鉄格子の中の盛り塩を崩す。
    その後、T線に乗り、B駅で降りる。
    今度はホーム内をS線乗り換え方面へ向かって歩き、盛り塩があるところで塩を崩す。
    その後、K駅へ戻り、電車を降りる。
    改札を出て、「4a出口」階段の下に10粒の米を置く。
    さらに、K駅から電車に乗り、今度はJ駅で降りる。
    ホームをGに向かって歩き、盛り塩を見つけたらまた崩す。
    その後、M線に乗ると異世界へ行ける。

    【32の魔術で異世界に行く方法】
    必要なものは、白い布、紙、ペン、方位磁石、ろうそく、自分の片手の血液を擦りこんだ真っ直ぐな木の枝。
    まず、白い布の上に紙を置き、紙の中心に方位磁石を置く。
    方位磁石を見ながら紙に32方位を書き込み、その紙の中心にろうそくを立たせ、夜を待つ。
    夜になったら自分の片手の血液を擦りこんだ真っ直ぐな木の枝を北の方向に合わせて置き、ろうそくに火を灯す。
    火を灯したら目をつぶり、心臓のあたりに火のついたろうそくをイメージする。
    イメージしたろうそくと実際のろうそくが同じ温度になる感覚になれば目を開け、ろうそくの火を消す。
    それが終わったら、枝を北微東へと向きを少し動かし、1日目の儀式が終了となる。
    2日目以降も同じように一連の流れを繰り返していくと、少しずつ枝が円を描くように回っていく。
    31日まで儀式を終えたところで、枝の向きは北微西になっている。
    これが最後の儀式となる。
    翌日の朝、儀式に使っていた枝が北に向いていれば異世界になっている。
    ただし、誰かに見られたり、道具を自分で動かしたりしてしまうと失敗してしまう。

    【幽体離脱で異世界に行く方法】
    必要なものは、自分の体だけ。
    まず、布団の上でリラックスする。
    そのうち、体の力が抜けていき、だんだんと体が重たく感じられるようになる。
    体が重たく感じられるようになったら、頭を空っぽにしてできる限り無の状態に近づける。
    どんどん体が重くなっていき、いわゆる金縛りの状態になっていく。
    起き上がるイメージを描きながら、さらにリラックスしていくと体がブルブルと震えてくる。
    体が震えてきたところで一気に起き上がると体から魂が離れ、幽体離脱できる。
    宇宙やいわゆる霊界などの異世界に行ける。
    幽体離脱している間、自分の体と魂は太い糸のようなものでつながっているが、それが切れると体には戻れなくなり、肉体は死を迎えると言われている。

    【タットワの技法で異世界に行く方法】
    必要なものは、黒い背景に25個のタットワが決まった配置で描かれた紙。
    インターネット上に公開されている画像をパソコンなどから見てもいいし、それをプリントアウトしたものでも構わない。
    ただし、色むらがあると失敗する可能性がある。
    まず、聴覚や視覚に邪魔が入らない環境でなるべくまばたきをせず、視界に画像だけが入るようする。
    他のことは考えず、ただただ無心で画像を2分以上見つめ続ける。
    これだけで異世界が見えてきたり、異世界に行けたりする場合もある。
    見つめ続けても何も変化がない場合には、画像を凝視した後、すぐ白い紙や壁などを見る。
    すると、目の中に画像の残像が見える。
    その残像を見て、頭の中で自分の体の大きさくらいにイメージを引き伸ばしていく。
    目の前で残像が大きくなっていく様子を想像すると、実際にその映像が見えるような感覚になっていく。
    自分の大きさくらいにまで残像が広がったら、さらにその残像の向こう側を見る。
    残像の向こう側には、本来そこにあるはずのない景色が透けて見える。
    異世界をのぞくだけであれば、ここまででOK。
    異世界に行くのであれば、その大きくなった残像をドアに見立てて、そのドアを開ける、くぐる、通り抜けるなどとにかくドアの向こう側に行くイメージで進んでいく。
    ドアを越えた先には異次元の世界が広がっている。

    【桜の木の下で異世界に行く方法】
    桜が満開の日に、誰もいない場所でおこなうのが条件。
    桜が満開の日に誰もいない場所で桜の木の下に立っているだけで、異世界に行けると言われている。

    「……他にも黒神陀の術ってのがあるんですけど、それはないですね」
    「何それ?」
    「すごい条件が多いんですよね。標高261m以上の場所にある6畳以下の四角い空っぽの部屋。人工的な明かりがあるとダメなので、カーテンなどで外からの明かりを完全にシャットアウト。ペットや動物がいるのもNG。必要なものは、筆と墨とろうそくで、友引の前の晩にやるんです。ろうそくに筆で戻りたい年と月を書くんですけど、このときに日付は書いちゃダメ。部屋の真ん中に火をつけたろうそくを置いて、それ以外のものは全部部屋の外に出して、ろうそくの前に正座か、胡坐。友引を迎える瞬間に目を閉じて、呼吸をとめる。そのまま1分待って、『世のたもう』と2回以上唱えると、ろうそくに書いた時空に戻ることができる……って感じです」
    「異世界って言うか、過去に戻る感じだな」
    「そうそう。まさにそれです。……要は過去には戻りたくなかったわけですね、茉麻さんは」
    「んん? どういうこと?」
    「たぶん茉麻さんは異世界に行く方法を実際に試したんだと思いますよ」
    「あー……、バツ印はやってみたけどダメだったってこと?」
    「そういうことでしょうねぇ」

    茉麻さんのパソコンの履歴を確認してみると、やはり「異世界 行く 方法」「異世界 行くには」などのキーワードで何度も検索した形跡があった。
    異世界に行く方法をまとめているようなページにもアクセスをしている。
    死にたいけど、自殺はできない。
    それなら異世界に……。
    すべてが嫌になって異世界に行きたいという内容は質問系サイトでもよく見かける。
    仮にすべてが嫌になって、今の肩書きも仕事も何もかもを投げ出したとしても現実の世界では高が知れている。
    どこまで逃げても、誰かが、何かが追ってくるかもしれないし、連れ戻されるかもしれない。
    それならばいっそのこと別の世界に行きたいと思うのだろう。

    「……あ、そうそう言い忘れてたけど、恵先生を偲ぶ会ってのをやるらしいよ」
    「えっ、そうなんですか? いつからなんです?」
    「たぶん今日からで、1週間くらいはやるって言ってたと思うけど。あのマンションのすぐ近くの公民館で」
    「ふぅん、やっぱり行っておいたほうがいいでしょうねぇ。あ、でも服とかどうしよう……」
    「あー、そういうのは全然気にしなくていいっぽい。普段着で集まって、先生にお世話になった人同士でおしゃべりするだけだってよ」
    「アブさん、そういう情報どこからつかんでくるんです?」
    「……まぁ、いろいろ伝手があんのよ」
    「ふーん……明日にでも行ってみましょっか」

    翌日、私とアブさんは茉麻さんの偲ぶ会が開催されているという公民館へと向かった。
    茉麻さんのカウンセリングルームがあったマンションから歩いて5分ほどのところ。
    それなりに古い建物だったが、中は改修済みなのか思っていた以上に綺麗にされている。
    入り口でスリッパに履き替えると、左手にある「集会室」というプレートの下に「恵先生を偲ぶ会」と書かれた紙が貼り付けられているのに気づく。
    のぞいてみるとかなり広いスペースで、人も多い。
    外から少し様子を見ているとひとりの女性が声をかけてきた。

    「中へどうぞ」
    「ああ、ありがとうございます」
    「恵先生とはお知り合いで?」
    「ええまぁ……その、生前お世話になりまして……」

    調査に来たなどと馬鹿正直に言うわけにもいかないので、ここは嘘も方便。

    「そうでしたか……今日いらしてる方も皆さんそういう方ばかりなんですよ」

    女性は寂しそうな顔で笑うとペコリを頭を下げ、中へと戻っていった。
    中に入ってみると一番奥には茉麻さんの写真が飾られており、その下の台にたくさんの花が置かれていた。
    その横に小さなテーブルが用意されていて、箱とノートが置かれている。
    箱は茉麻さんに宛てた手紙を入れるためのものらしく、かなりの数の手紙が入っていた。
    ノートにも茉麻さんに宛てたメッセージがたくさん書き込まれている。
    両側の壁に沿ってホワイトボードが並べられており、茉麻さんが参加した地域の行事やボランティア活動などの写真が飾られていた。
    写真の中で楽しそうに笑っている茉麻さんを見ると胸が苦しくなる。
    実際に、写真を見て泣いている人も何人かいるようだった。
    3台ある長机にはペットボトルのお茶と紙コップ、紙皿の上に山になったお菓子が用意されており、それぞれが椅子に座ってご自由にというスタンスらしい。
    知り合い同士で話をしているらしいグループもいれば、初対面なのかお互いに探り探り話をしているグループも。
    中高年の男性、若い女性、親子連れなど性別も年齢もさまざま。
    その中でひとりだけ、ぽつんと座っている中年男性がいた。
    誰と話をするわけでもなく、ただ茉麻さんの写真を眺めながらお茶を飲んでいる。
    ただ、純粋に思いを馳せているというよりも、周りから距離を置かれているような妙な違和感があった。
    ちょうど先ほど声をかけてくれた女性が近くにいたので、尋ねてみることにした。

    「すみません、あちらの男性は……?」
    「ああ……せっかくの会なのにこんなことを言うのもあれなんですけど……あの人とはあまり関わらないほうがいいですよ」
    「何でですか?」
    「その……何を話してもかみ合わないというか、本当のことを言っていても嘘つきって責められちゃうので……」
    「あー……、そうだったんですね。ありがとうございます」

    心底嫌そうな表情を浮かべていたあたり、女性も実際に経験したのだろう。
    おそらくタクシーの運転手が言っていた中年男性、そしてカウンセリングルームのブログにコメントしていた人物があの男性なのだろう。
    せっかくなら直接話を聞いておくか。

    「アブさん。私、ちょっとあの人に話しかけてみます」
    「すまん、俺ちょっと雉撃ちに行ってくるわ」
    「……その表現、よく知ってましたね」

    アブさんがお手洗いに行ってしまったので、私ひとりで男性に声をかけることにした。

    「すみません、隣いいですか?」
    「……ああ」

    私が男性に声をかけると、周りに緊張が走った。
    先ほどの女性なんか「あちゃー」という声が聞こえてきそうな顔をしている。

    「恵先生、本当にいい人でしたよね」
    「あんなのいい人でも何でもねぇ。嘘つくな」
    「恵先生のところには通われてたんですか?」
    「ああ」
    「通ってたときに何かあったんですか?」
    「ああ? 通ってなんかねぇ。嘘つくな」
    「じゃあ、地域の行事とかボランティアでお知り合いになったんですか?」
    「ああ」
    「そのときに何かあったんですか?」
    「ああ? 地域の行事もボランティアも知らねぇよ。嘘つくな」

    決して感情的になるわけではなく、男性は淡々としている。
    なるほどなーと思っていると、アブさんがお手洗いから戻ってきた。
    さっきまでいた場所に私がいないのに気づくときょろきょろとあたりを見回し、ようやく私を見つけて隣に座った。
    アブさんが私の隣に座ると男性の顔が少し強張ったような気がした。

    「ああ、彼は私の連れです。……それで、私は恵先生はとてもいい人だったと思うんですけど、あなたにとってはいい人じゃなかったんですか?」
    「いいや、あの人は本当にいい人だったよ。何度もお世話になったし」
    「へぇ……」
    「地域の行事もボランティアもしっかりやって、本当にいい人だったよ」

    先ほどまでとは打って変わって男性は急に饒舌に。

    「……さっきはいい人でも何でもねぇ、嘘つくなって言ってませんでしたっけ?」
    「えぇっ!? そんなこと言うわけねぇよ。聞き間違いだって」
    「そうですか、そうですか。じゃあ、ブログにコメントとかしてました?」
    「えっ!? い、いや、何のことか……」
    「今って誰がコメントしたか簡単にわかるらしいんですよね」
    「えっ、でも匿名だったし……」

    わかりやすく狼狽えて、だらだらと汗をかいている
    言うまでもなく、これが答えなのだろう。

    「じゃあ失礼します~」

    席を立つと、アブさんにもう外に出るよという意味で入り口のほうを指さした。
    2人で黙って公民館を後にする。

    「……で、どうだったの?」
    「たぶんタクシーの運転手さんが言ってたのも、カウンセリングルームのブログにコメントしてたのもあの人でしょうねぇ」
    「何言っても嘘つき呼ばわりの?」
    「そうです。しかも、あれは人を選んでますね」
    「人を選ぶって?」
    「私がひとりで話しかけてたときは何言っても嘘つくなって。それはもう淡々と。でもアブさんが来て、私の連れですって言った途端もう別人ですよ。人を選んで、要は自分より確実に弱い人間を選んで絡んでるタイプですね」
    「……いるよねぇ、そういう奴」

    アブさんは反吐が出るとでも言いだけに、心底嫌そうな表情を浮かべた。

    「茉麻さんはいかにも優しそうな女性ですからね。私は全体的にアホっぽいので舐められがちですし、タクシーの運転手さんもノリが軽い感じだったから格下認定されたのかも」

    ただ、そういう人間でも茉麻さんは拒絶しなかった。
    受け入れよう、受け止めようとしていた茉麻さんを自分より弱い相手だからとしつこくしつこく絡んでいたのか。
    「あなたのせいで死んだのでは?」くらい言ってやってもよかったのかもしれない……そう思う私は性格が悪いのだろうか。

    数日後、アブさんがダンボールから何の気なしに小ぶりな箱を取り出し、テーブルにぽいっと置いた。
    その箱をちらっと見ると、いかにも梱包に使われていそうな空箱だった。
    よくある箱だとは思ったのだが、それがなんとなく気になった。
    よく見てみると、箱の側面に何かのマークのようなものがある。
    手を伸ばして箱を近くで見てみると、そのマークには見覚えがあった。
    漫画で使われるような丸い吹き出しの形をしたお化けの額に「呪」という漢字がポップな感じで描いてある。

    「んん! これは……」
    「えっ、何? 何かあった?」
    「これ、呪い代行業者の箱です」
    「今は呪いすら代行する時代か……」
    「中身はあります?」
    「いんや、最初から空よ。ちなみに、箱はもうひとつ」

    アブさんがダンボールから同じ箱を取り出す。
    まったく同じサイズ、まったく同じデザインの箱。

    「あ、こっちの箱は何か入ってんな……こりゃ釘だな」

    確かに、ビニール袋に包まれた大きな釘が中に入っていた。
    とても綺麗な釘でおどろおどろしさのようなものは感じられない。

    「あー、やっぱり。藁人形ですね」
    「呪い代行が藁人形の通販もしてんの?」
    「珍しくないですよ。呪いの代行だけじゃなくて、本人がやる用の丑の刻参りキットみたいなのもありますし」
    「つーか、これがあるってことはさ……」
    「茉麻さん、やったんですかね……丑の刻参り。しかも2体も」
    「ひとつは予備とかじゃないの?」
    「予備だったら残ってるはずですよ」
    「1回失敗しちゃったとか?」
    「失敗……うーん、あり得ますかね」

    茉麻さんのパソコンからメールを確認してみると、やはり最初から2体分の注文をしていた。
    ついでに呪い代行業者のホームページを確認してみると、やはり同じ箱で藁人形と五寸釘のセットを販売していた。

    「これは自分でやる用ですから、当然、茉麻さんがどこかに打ち付けてるはずなんですよね」
    「今度はそれを確認しに行く、と」
    「大正解です。まぁ、誰を呪ったのかはもうわかってるんですけどね。問題はどこの神社なのかってことです。万が一、霊山とかだったら確認しに行くのが本当に大変になっちゃいますね」

    茉麻さんのパソコンの検索履歴を確認してみると、やはり丑の刻参りをする神社を吟味していたらしい。
    近場から少し距離のあるところまで。
    ただし、丑の刻参りは7日間続けないと成就しない。
    そう考えると距離のあるところは避けるはず。
    近場の神社で丑の刻参りするなら、やはりここか。
    近場の神社で茉麻さんが何度も何度もアクセスしているところがひとつだけあった。

    「アブさん、神社に行きましょう」
    「えっ、もうわかったの?」
    「たぶんですけどね。仮にハズレでも近場の神社でしらみつぶしにいけば、当たると思います」

    これから向かう神社は私の自宅からは20分くらいのところにある。
    ウォーキングにはちょうどいい距離。
    ただ、正直なところ、好き好んで行きたい神社ではない。

    「私、あそこの神社嫌いなんですよね」
    「魔女宅のパイみたいなテンションで言うねぇ」
    「もうね、本当に嫌いなんです」
    「どういう神社なの?」
    「全国的に有名ってわけじゃないんですけど、昔から丑の刻参りの目撃情報があって、実際に藁人形とかもいっぱいあったんですよね。無人だったのが人が入って、そこからまた無人になって、その次に今の宮司が来たんですよ。この宮司がクソで」
    「まぁ! 口が悪い」

    アブさんがわざとらしく口に手を当てる。

    「アブさんも覚えておいたほうがいいですよ。宮司がクソなとこはクソです」
    「俺の感覚だとパワースポットとして大人気!みたいなとこほどヤな奴が多い気がするんだけど」
    「そうそう、そうなんですよ。メディアで取り沙汰されるパワースポットなんて行かないほうがいいですよ。パワースポットで有名になってガッポガッポみたいな強欲宮司ばっかですし、ご利益を求める人間様の欲で逆に穢れてるなんて話もありますから。まぁ業界が厳しいのもわかりますし、全部が全部だとは言いませんけどね」
    「で、これから行く神社の宮司はどうクソなの?」
    「あそこの神社、月次祭ってのを毎月1日と15日にやってるんですよ。一時期、私も参列してたんです。その間はずっとクソ宮司とその取り巻きに露骨にハブられましたね。クソ田舎で村八分にされるような感じですよ」
    「怖っ」
    「新参にはこんな感じなのかなーって思ってたんですけど、このクソ宮司も取り巻きも人を選んでるんですよね。私以外だと足の悪いおばあちゃんとか気の弱そうな青年とかそういうのを狙ってたみたいです。それでいて、富裕層と政治家には媚び諂うという典型的なパターンですよ」
    「そりゃクソだわ」
    「その場にいる人全員での写真撮影ってことだったのに私だけ追い出されたり、みんなに配るものを私だけもらえなかったり、私だけ手水舎を使うなって言われたり……因縁をつけるために常に監視されてるんですからたまったもんじゃないですよ。そのくせ、弱者からもガッツリ金を搾り取りたいから必死で崇敬会の勧誘をしてくるんです」
    「神職がそれかぁ……世も末だわな」
    「正直ね、宮司の顔見たときに人相悪いなって思ったんですよ。でも人を見かけで判断しちゃいかんなと思い直した結果がこれですよ。あれは腐った内面がにじみ出てる顔ですね」
    「つーか、何でそんな思いしてまで行ってたの?」
    「……氏神様だと勘違いしたんですよ」
    「あー、よくあるパターンね。近くの神社が氏神様だと思ってたら実は違ってたと」
    「そうなんですよ。調べたら氏神様は別のところで、なぜ私はあんな無駄な時間を……状態です」
    「今から行って、ばったり会っちゃったらどうすんの?」
    「んー、たぶん大丈夫だと思うんですよね。お祭りとかがないときは基本、中にいましたし。そもそも裏から入りますから。まぁ、仮に会ったとしても今日はアブさんいるから絡んでこないと思います」
    「なるほどねぇ」

    気づけば、目の前には坂道。
    久々に見たのもあるかもしれないが、改めて見るとなかなか急な坂道だ。
    この坂道を真っ直ぐ進んでいくと鳥居があって、さらに階段がある。
    堂々と参拝できる人は当然、鳥居をくぐって階段を上がっていく。
    ただ、今の私のように堂々と入れない、いや入りたくない人間は鳥居の手前で右に回ってこっそりと裏からお邪魔することもできる。
    脛から足の甲、足先までのラインが「レ」の字になるような坂道で私がひぃひぃ言っているのを余所に、アブさんは平坦な道を歩くのと同じようなペースでどんどん進んでいく。

    「ちょっと……アブさん、待って……」
    「……日頃から体動かしてねぇからそうなるんだよ」
    「ぐぅ……ラジオ体操くらいはしてます」
    「おんぶでもするか? ん?」
    「……」

    ニヤニヤしながらまるで目に見えぬ赤子をあやすかのような動きをするアブさん。
    この坂を上り切るまで、その間だけ恥を捨てて、アブさんにおんぶしてもらうのもありか。
    恥ずかしさで心が死んでも、体は元気……いやいやいや、何を考えているんだ。
    冷静になれ。

    「……また職質されますよ」
    「ふっ……でも、今一瞬悩んだろ?」
    「う、うるさいですよ……」

    数歩先を行っては私が追い付くのを待ち、また数歩先を行っては私が追い付くのを待ち。
    孫がおじいちゃんおばあちゃんの散歩に付き合ってるみたいだなと思いながら、足を必死で前に進める。
    もうすぐ坂を上り切るというところでアブさんがどこかに消えた……と思ったら、自販機でスポーツドリンクを買ってきてくれていた。

    「ほれ」
    「ありがとうございます……」

    震える手でキャップを開けると、コマーシャルのようにグイっと一気飲み。
    プハーっと半分くらいを飲み干すと、生き返ったような気がした。

    「スポーツドリンクの飲み方じゃねぇな」
    「私、お酒飲まないですけどビール飲むときってこんな感じなんですかね」
    「ちょっとは回復した?」
    「んー、生き返りました」
    「そりゃ何より。で、こっからどうすんの?」
    「右に回って裏から入ります」

    鳥居の前から右に回ると背の低い緑がみっしりと茂っているのだが、1か所だけ獣道ができている。
    その獣道を抜けるとちょうど本殿の裏側あたりに出た。

    「ねぇ、なんかすんごいジメジメしてんだけど。今日雨降らねぇよな?」
    「しばらく雨は降らないって言ってたと思いますけど。それに、ここはいつもこんな感じですよ。空気が淀んでるんじゃないですかね、宮司がクソだから」
    「ちょ、社務所見えてんじゃん。聞こえたらどうすんのよ」
    「いいんですよ。クソにクソを自覚させてあげるのも優しさです」
    「へぇ、そりゃあまぁ優しいこって」
    「あ、アブさん、虫ついてますよ」
    「えっ! やだっ!」
    「女子か」

    獣道を抜けて、少し開けた場所に出る。
    アブさんは念入りに自分の服をパタパタと叩いて、虫がついていないかを確認している。
    小さな虫なら気にせず丸のみしてしまいそうなワイルドな見た目なのに妙なところで細かいな……とアブさんを見ていると、その背後に見えるものが気になった。
    背の高い木に白い何かがなびいている。

    「アブさん、あれ」
    「何? あ、あー……、大祓とかで使う人形かね」
    「釘で打ち付けてるっぽいですね。すんごい高いとこにありますけど」
    「昔打ち付けられて、木が成長したとか?」
    「……それにしては釘も人形も綺麗な気がしません?」
    「あー、じゃあ脚立を使ったとか……いや、あの高さだしなぁ……」
    「……深く考えるのはやめときましょうか。ちなみに、ああいうの素人が勝手に抜いちゃうのは絶対にダメですからね」
    「何で?」
    「普通に怪我したら危ないのと、抜いた瞬間にあれやこれやが解放されちゃって影響を受けちゃう可能性があるらしいですよ」
    「まぁ、さすがの俺もあれを好き好んでは触りたくはないわなぁ」
    「この本殿の裏あたりってちょうどいい木もたくさんありますし、丑の刻参り的にはいい場所らしくって、昔から普通に藁人形が打ち付けられてたんですよ。定期的に見回りしたり、藁人形を撤去したりはしてるみたいですけど……よく見ると結構ありますね」

    木の1本1本を改めて確認してみると、苔むした幹に穴が開いていたり、釘が刺さったままになっていたり。
    木の幹をぐるりと一周してみると、見えにくい位置に打ち付けられた藁人形もあった。
    新しいもの、古いもの。
    写真と一緒に打ち付けられているもの、名前が書かれた和紙と一緒に打ち付けられているもの。
    ふとアブさんが静かだなとその姿を探してみると、ある1本の木の幹を見つめていた。
    どうやら幹にできているこぶを見ているらしい。
    驚かせてやろうかとゆっくりと背後から近づくと、こぶが動いたような気がした。
    いや、視界が揺れて動いているように見えただけか。
    真後ろに立ってみるが、アブさんは気づく気配がない。
    のぞき込むように上半身を傾けると、ちょうど目線の高さにあのこぶがあった。
    茶色くて、細かい繊維のようなものが密集していて……うごめいている。
    それが何なのかわかった瞬間、声が出てしまった。

    「おあぁぁぁぁぁっ!!」
    「……っ!」

    私の絶叫に驚いて、アブさんは声も出なかったらしい。
    肩がビクリと飛び上がるのと同時に振り返り、背後にいたのが私だとわかって安心したような、呆れたような顔をしていた。

    「ちょっ、もう、何……一瞬息止まったんだけど……。つーか、そういうときって普通キャーって叫ぶんじゃないの? そんな猫の喧嘩みたいな声出されても」
    「そ、そ、それ……」

    アブさんの背中にしがみつきながら、その背中越しにこぶだと思っていたものを指さす。

    「あー、これな。俺も最初は木の節かなんかだと思ってたんだけどさ、動いてる気がしてよ。じっと見てたらやっぱ動いてるんだわ。そりゃそうだわな。こんだけ小さい虫が集まってりゃあな」
    「……虫、気にしてたわりにはこういうのは平気なんですか?」
    「寄ってこられるのはヤだけど、見てる分には。つーかさ、これ人形のシルエットっぽくない?」
    「……確かに」
    「俺、一応虫よけ持ってるんだけど、スプレーぶっかけてみる?」
    「そうですね……お願いします」
    「……そんなに強く抱き着かれると身動き取れないんだけど」

    そう言われて、しばらく何のことかわからなかった。
    ああ、確かに今の私はアブさんに……と気付いて、すぐにぱっと手を放し、アブさんから離れた。
    アブさんのシャツがひどくしわくちゃになっていて、そこまで強くしがみついていたのかと恥ずかしくなる。

    「だ、抱き着いてないです。これはしがみついてただけです……」
    「……まぁ、俺的にはずっとそのままでもよかったんだけどね」
    「……もういいですから、ちゃっちゃっとぶっかけてください」
    「へいへい」

    スプレーで虫が一気に飛び立つのではないかと警戒して少し離れていたが、虫はその場で地面へとぼとぼと落ちていった。

    「アブさん、それ、虫よけじゃなくて殺虫剤なんじゃないですか?」
    「いんや、虫よけよ。ほら」

    確かにパッケージには虫よけと書かれてあった。
    さっきまで生き生きとうごめいていた虫たちがスプレーをした途端に死んでいく。
    まるでそれを待っていたかのようにも思えた。
    虫が落ちて白い和紙が見えてくるのかと思っていたが、見えてきたのは茶色く長い繊維状のもの……藁人形の一部だった。
    大半の虫が落ちたところで、藁人形の頭や手足が露わになった。
    ただ、胴体の部分に群がっている虫だけは妙にしぶとく、なかなか落ちない。

    「スプレー、足りそうです?」
    「うーん……ギリギリかも」

    アブさんがスプレー缶をカショカショと振ると、少し弱くなっていたスプレーが勢いを増した……が、すぐに息も絶え絶えという感じになってしまった。
    とうとうスプレーが息絶えたが、そのタイミングで胴体に群がっていた虫が固まりのままぼろっと落ちた。
    思わずアブさんと顔を見合わせる。
    藁人形の胴体に打ち付けられていたのは、「恵茉麻」と書かれた紙だった。

    数日後、私はオカルティンで雅子さんと向き合って座っていた。
    アブさんは腕を組みながら適当な棚に寄っかかり、田中氏はハーブティーとお菓子を運び終えた後のおぼんで半分顔を隠しながら不安げにこちらを見ていた。

    「ええと、これからお話しすることには私の個人的な予想も含まれるので、事実とは異なる部分もあるかもしれませんけど……その……大丈夫でしょうか?」
    「ええ、大丈夫です。仮にそれが事実ではなかったとしても、可能性のひとつとして知っておきたいんです。本人がもういないんじゃ、本当のことは誰にもわかりませんから……」
    「……茉麻さんのカウンセリングルームは順調だったみたいです。ただ、カウンセリングルームに通っていたクライエントのひとりがいわゆる似非スピリチュアルの隔世コーチというものに引っかかってしまったようで」
    「隔世コーチ?」
    「何と言うか……霊感商法のようなものです」
    「まぁ、そんなものが……」
    「それでコーチに引っかかってしまったクライエントが茉麻さんに相談していたみたいで、茉麻さんも弁護士を紹介したり、話を聞いたりして親身になっていたそうです。で、そのコーチがカウンセリングルームに怒鳴り込んできて、嫌がらせをしていたと」

    そんなことがあったなんて……と雅子さんは口元を手で覆った。

    「……警察には?」
    「もちろん、茉麻さんも警察には相談していたようなのですが、特に対応はしてもらえなかったみたいです」
    「……」
    「……今の警察は役に立たないですからね。で、そのうち嫌がらせはなくなったんですが、その……クライエントがコーチを刺してしまったらしくて」
    「えっ!?」
    「茉麻さんにも他の人にも迷惑をかけてしまうからと」
    「そんな……そのコーチの方は……?」
    「……亡くなったそうです」
    「ああ……」

    雅子さんは肩を落として、両手で顔を覆った。

    「この件で茉麻さんもかなり追い詰められてしまったようで……」
    「私、何も知らずに……あの子……」
    「……それでですね、ちょうど同じ時期にブログのほうでも嫌がらせを受けていたみたいなんです」
    「ブログでも……?」

    追い打ちをかけるようで話したくはなかったが、傷つきながらも必死で受け止めようとしている雅子さんを前にして私自身も逃げるわけにはいかなかった。

    「茉麻さんの投稿した内容を否定するような本当に低レベルなコメントです。コメント欄を閉鎖したり、ブロックしたりすることもできたのでしょうが、心理カウンセラーだからこそ、茉麻さんはそういう人間でも受け入れようとしていたんじゃないかと私は考えています」
    「……。……そうかもしれないですね」
    「コーチの件があって、ブログのコメントが追い打ちをかけたんだと思います。おそらくそこから茉麻さんは死にたいと思うようになったのかと……ただ、『自殺だけは絶対にできない』と考えていたようです」
    「それは……どうして?」
    「具体的な内容はわからないのですが、茉麻さんのクライエントがした自殺の話がきっかけになったみたいです。クライエントが自殺の苦しさを訴えたのかもしれません。それに、一部では自殺しても延々と同じ人生を繰り返すことになるって話もありますので……」
    「そう……ですか……」

    雅子さんの様子を見ながら、私もゆっくりと言葉を続ける。

    「おそらく、そこから茉麻さんは自殺以外の方法で死ぬことを考えるようになりました」
    「自殺以外の方法で……」
    「例えば、呪いです」
    「呪い……」
    「茉麻さんの枕元にあったものはすべて曰く付きのもので、中には茉麻さんが実際に心霊スポットへ行ってそこから持ち帰ったものもありましたし、オークションで落札したと思われる曰く付きのものもありました。携帯の待ち受けも見た者が呪われることで有名な幽霊画の掛け軸でした」

    雅子さんはなかなか理解が追い付かないようだったが、それでも静かに自分なりに理解しようとしていた。

    「えぇと……あの子はそういうものを集めて自分が呪われるように仕向けていたってことでしょうか?」
    「そうなりますね……。他にも異世界へ行く方法も試していたようです」
    「い、異世界?」

    急に漫画やアニメに登場するような言葉が出てきて、雅子さんは困惑していた。
    不謹慎だとはわかっていても、まぁそういう反応になるよねと私も少し笑ってしまった。

    「おまじないのようなもので、ある手順を踏むと異世界に行けると言われている方法がいくつかあるんです。自殺とは少し違うかもしれませんが、今のこの世界、この世から逃げ出したかったということでしょうかね……」
    「……仕事も全部やめて家に帰ってきてもよかったのに……」
    「……優しくて責任感の強い茉麻さんだからこそ、それもできなかったのかもしれません」
    「あの子、変なところで頑固になるから……本当に……もう……」
    「……あとですね、その……茉麻さんは自分で自分を呪ってもいました」
    「自分で自分を……? どういうことですか?」
    「丑の刻参りってご存知ですか?」

    雅子さんは「ええ、はい」と頷いた後、すぐに「えっ、まさか……」とその可能性に気づいたらしい。

    「……おかしな話ですが、今はネットで丑の刻参りキットのようなものが誰でも購入できるんです。茉麻さんはそれを買って、近くの神社で丑の刻参りをしていたようです」
    「……」
    「……そこまでいろいろ試しても死なない自分に絶望して、最終的に絶対にできないと考えていた自殺をしようと思ったのかもしれません。ただ、その自殺の直前でそれまで試してきた何かが成就して心臓発作が起こったのか、それとも追い詰められていたストレスか何かで心臓発作が起こったのか……」

    一旦そこで言葉を切って、改めて「これが今回の私なりの調査結果になります」と伝えた。
    雅子さんは一度天井を見上げると目を閉じ、深呼吸をした。

    「……ありがとうございます。ひとついいですか?」
    「何でしょう」
    「あの子は……死んで楽になったと思いますか?」
    「……茉麻さんは確かに自殺をしようとしましたが、自殺で亡くなったわけではありません。少なくとも自殺をした人が味わうような苦しみはないはずです。生前のおこないを考えれば、茉麻さんは間違いなく天国に行けるタイプの人だと思います。みんな、茉麻さんのことは本当にいい人だって言ってましたから」

    自分でも綺麗事だとわかっていたが、これ以上のことは言えなかった。
    仮に呪いが成就し、その結果としての心臓発作だったのであれば……天国へは行けないだろう。
    ただ、この場でこの可能性については触れられるわけがなかった。
    その後、預かっていたものをすべて返して、雅子さんとはそれっきりだった。

    いつもよりも静かな田中氏に別れを告げ、オカルティンからの帰り道。
    アブさんは何も言わずに私の背中をポンポンと軽く叩いた。
    いつものようにマンションの前でアブさんと別れた後、玄関で靴を脱いでいたのだが、しばらくその場で考えて一旦脱いだ靴をまた履き直した。
    ずっと自分の中で引っかかっていたことがあったのだ。
    勢いよく玄関のドアを開けると、何かにぶつかったらしく同時にうめき声が聞こえた。

    「……ったぁ~」
    「アブさん?」

    涙目のアブさんがおでこを押さえている。

    「こう……もうちょっとしとやかにできないもんかね」
    「だって、さっきバイバイしたのに玄関前にいると思わないじゃないですか!」
    「いや、やっぱ落ち込んでんのかなって心配になるじゃん」
    「それはまぁ……心配してもらえるのはありがたいですけど」
    「で、どっか行くの?」
    「もう1回あのクソ宮司の神社に行きます」
    「えっ、何で?」
    「ちょっと気になることがあって……アブさんも来ます?」
    「行く行く」

    早歩きであの神社に向かう。
    前に行ったときはひぃひぃ言っていたのに、今は足がつりそうなほどの坂道もどうでもよかった。
    それよりも今すぐに確かめたい。
    おそらくあの神社には絶対にもう一体、茉麻さんが打ち付けた藁人形があるはず。

    「ちょっ、早い早い! どうした?」
    「こないだ来たときは藁人形を一体見つけて、それで満足して帰っちゃいました。でも、もう一体あるはずなんです」
    「えっ、どういうこと?」
    「いいから、とにかく探すんです!」

    私の勢いに気圧されたのか、虫がつくのも気にせずに獣道をどんどん進んでいくアブさん。

    「……とりあえず片っ端から木を確認して、藁人形を見つけたら報告って感じ?」
    「それでお願いします」

    私とアブさんは二手にわかれて、藁人形を探す。
    改めて見ると木はかなりの本数で、全部確認するのには結構な時間がかかるかもしれない。
    まずは特に存在感のある太い木を上から下まで、ぐるぐると見て回る。
    高いところに藁人形が打ち付けられていたが、見た目にもかなり古い。
    昔打ち付けられたものが木の成長とともにあの高さまで移動したのだろう。
    これは違う。

    「なぁ、こっちに一体あるけど」
    「どれですか?」
    「ほら、これ」

    珍しく木の低いところに打ち付けられている。
    ただ、そこには穴だらけの若い男の写真も一緒に打ち付けられていた。

    「これはたぶん違いますね」
    「まぁ、そうだろうと思ったけど」

    さっきまで探していた場所に戻ろうとしたときにも、また藁人形を一体見つけた。
    わざわざ若く細い木に打ち付けたらしいその藁人形には、女性の顔写真とその女性のものであろう名前が書かれていた。
    何本も釘が刺さっているというか、もはや藁人形から釘が生えているようにすら見える。
    打ち付けられたダメージなのか、その怨念によるものなのか、藁人形の打ち付けられている部分だけが腐っているようだった。
    ただ……これもおそらく違う。

    もう一体はどこにある?

    あたりを見回していると、ふと奥にある木の洞が気になった。
    木の洞なんていかにも虫が巣を作ってそうだし、動物が飛び出してくるかもしれない。
    普段なら気になっても絶対に中をのぞき込んだりしない。
    それでものぞき込んだのは、中にきらりと光る何かがあったからだった。
    携帯のライトで照らしてみると、そこに探していたものがあった。

    「……アブさん、見つけました!」
    「ん、今行く」

    小走りでやってきたアブさんに洞の中のものを見せる。

    「……探してたのってこれ?本当に?」
    「おそらくは」
    「なんかこう……全然つながらないんだけど。これ、本当に茉麻さんのなの?」

    木の洞にあったのは、「全員死ね」と書かれた紙とともに打ち付けられた藁人形だった。

    「……茉麻さん、カウンセリングルームのブログと別に非公開で自分の本音を吐き出すブログもやってたんですよ」
    「自分だけしか見れないってやつ?」
    「そうです。その最後の投稿を見たとき、すごい衝撃で今でもよく覚えてるんです。真っ黒い背景に白い文字で『全員死ね』って」
    「それは……何つーかね……」
    「……雅子さんには絶対に言えないですけど、自分で自分を呪って死んだとして天国には行けないと思います。自分で自分を呪うだけじゃなくて、自分以外の世の中の全員をも憎んで呪って死んだとしたら……その結果があの心臓発作だったとしたら……」
    「……天国だの地獄だのは生きてる人間が勝手に決めたもんだ。死んだ後のことなんて死んだ本人にしかわからねぇよ」

    消化しきれないものを抱えながら、黙って木の洞の中にあるものを見ているとアブさんがまた軽く背中を叩いた。

    #創作大賞2026
    #ホラー小説部門

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