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ひぃばぁばのお経ソング

    しらす|ひとり妄想作家

    ひぃばぁばの家には割と大きな仏壇があった。

    私のひぃばぁばは、毎朝その立派な仏壇の前に座り、お経を唱えていた。

    約5分間のひぃばぁばのお経。

    幼少期の私は、それが正式なお経なのだと思っていた。

    疑う余地などない。

    だって仏壇だし。
    お線香だし。
    ひぃばぁばだし。

    それっぽいのが三拍子そろっている。
    完全に本物側の空気だった。

    しかし、身内のお葬式やお盆でお坊さんのお経を聞く機会が増えていくうちに、私はふと気づいた。

    あれ?

    いつものひぃばぁばのお経と、全然ちがうぞ。


    お坊さんのお経は、低くて、流れるようで、なんというか厳かな感じがある。

    一方、ひぃばぁばのお経はそのどれでもなかった。

    「〇〇様〜、××様〜、△△様〜」

    まず呼ぶ。


    神様や代々のご先祖様の名前を、順番に言って呼んでいく。

    お経を聞いてもらうために、まずは呼び出すタイプであった。

    まぁまぁたしかに。
    用件を伝える前に相手の名前を呼ぶのは大事だ。

    社会人の基本。
    神様仏様相手でも、報連相は欠かせない。

    その場にいなきゃ意味がないしな、うん。

    「香を〜あげますっ!お茶を〜あげますっ!どうかお受け取りくださいませ〜」

    ひぃばぁばは毎日、仏壇にお線香をあげ、お茶を供えていた。

    神様やご先祖様に対する、毎朝のお茶出し。
    すごく丁寧なおもてなしである。

    朝イチで神様とご先祖にお茶。
    女将の風格がそこにあった。

    「今年で〜95歳になる〇〇でござい〜ますっ!どうかぁ〜よろしくお願い致します。」

    なんか自己紹介が始まった。

    しかも、それ多分毎朝言ってるよね。
    毎朝、初めまして設定なのだろうか?

    でも、よく考えたら神様だって忙しい。
    何千、何万という人間のお願いを聞いているかもしれない。

    ご先祖様だって、親族が増えすぎて「あれ、この子どこの家系だっけ?」となる日もあるかもしれない。

    そう思うと、毎回きちんと名乗るのは、わりと賢いやり方だったのかもしれない。

    そして次。

    「足がぁ〜よくなりますように!」
    「腰がぁ〜よくなりますように!」
    「お金に困りませんように!」

    欲の放出である。

    自らの願望を、これでもかというほど並べていく。

    遠慮がない。
    清々しいほどに、ない。
    他の親族のことなど、いったんそっちのけである。

    私の頭が良くなりますように、とかは言ってくれないだろうか。
    ついででいい。
    腰のあとでいいから。

    「南無阿弥陀仏〜なむあむだなむあむだ」

    あれ、締めに入った?

    待て待てばぁば!!!
    まだ自己紹介と自分の欲望しか言ってねぇぞ!!!

    ここからか?
    ここから仏様への感謝が始まるのか?

    日々の無事への感謝とか。
    家族の健康とか。
    世界平和とか。

    そういう大きな祈りに広がっていくのか?

    チーーーン…

    終わっちゃったよ。

    欲望の提出だけして、きれいに締めやがった。

    そしてひぃばぁばは、ゆっくりと立ち上がり、何事もなかったようにいつもの1日を始める。

    仏壇前で行われていたのは、荘厳なお経というより、神様とご先祖様への朝礼だったようだ。

    ちなみに、このオリジナルお経ソングは決まった歌詞というものがない。

    毎回アドリブ。
    完全ワンマン方式である。

    別の日に聞いたら、腰や足ではなく、肩を治せと追加で要望を出していることもあった。

    日替わり定食ならぬ、日替わり祈願だった。

    その日の体調、その日の不安、その日の願い。
    ひぃばぁばはそれを、仏壇の前でそのまま口にしていた。


    でも、大人になった今思う。
    ひぃばぁばのお経は、あれでよかったのかもしれない。

    ちゃんと名乗って、お茶を出して、今つらいところを正直に伝える。

    それはそれで、すごくまっすぐな祈りだった。

    実際、ひぃばぁばは90代にして、
    「もう明日まで持つかどうか……」
    とお医者さんに言われた山を、2回も越えていた。

    強い。
    祈りも強いが本人も強い。

    最終的にひぃばぁばは、97歳まで生きた。
    大きな病気やケガもなく、死因は老衰。

    大往生であった。

    もしかすると、毎朝のあのお茶出しと、自己紹介と、欲望のプレゼンは、ちゃんと届いていたのかもしれない。

    そしてたぶん、仏壇の奥の誰かが毎朝こう言っていたのだと思う。

    「はいはい、今日も聞いてますよ」と。


     
     
     
    小さな出来事を大事件のように煮込む、ひとり妄想作家。 疲れた日にクスッと笑える文章をお届け。 しらす食堂開店中。

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