
「新しいよりも懐かしい」「効率よりも不便益」どちらに価値を置くかは自由だが”ないものねだり”をしても仕方ない
先日、SNSでこんなつぶやきを目にしました。
夢の国に来てまで、みんなスマホと睨めっこしている光景。
写るんですを持って、笑顔で写真を撮り合い、
トゥデイやマップを広げて「どこから行く?」と、わいわい話していたあの頃。
もう、あんな光景を求めるのは無理なのだろうか。
その気持ち、分からなくはありません。
トゥデイを広げて、パークでウフウフ。
帰ってからもウフウフ。
同じ時間を過ごすにしても、あれほどワクワクできるのは幸せなことだったな、と私も思います。
そこへコロナ禍が訪れ、明けてみれば、
あの心地よさを支えていた“道具”は、いつの間にか姿を消していました。
しばらくは懐かしんでいましたが、
やがて、とても便利なシステムが登場し、
今となっては、懐かしむことすら忘れてしまうほど。
だからこそ、時折話題に上がるたびに思い出す。
そう、「思い出す」だけでいいのに、、、
いつも決まって余計な一言が付け加えられる。
「もう、求めてはいけないのか、、、」と。
*
近年、ディズニーは新しいデジタルシステムを導入しました。
それを最大限に活用するなら、スマホはとても便利な道具です。
けれど、持つ道具と使い方が変わっただけで、
ディズニーそのものの光景が本質的に変わったわけではありません。
もちろん変化はあります。
スマホ前提のシステム、横文字だらけの各種パス、
入園ゲートや手荷物検査の厳格化、
パレード規模の変化(そして復活の兆し)。
変わったのは事実です🐭
ただ、写真ひとつとっても同じこと。
今はスマホが当たり前ですが、
その前はガラケーやデジカメ。
さらに遡れば「写るんです」。
そのたびに
「現像するまで分からない楽しみがなくなった」
「使い捨てのバカチョンカメラでパシャパシャ撮りやがって」
そして毎度のようにこんな声が聞こえてくる。
あぁ、あれを求めることはもう無理なのか、、、
う〜ん🐭
味わい深さがあった一方で、
不便だったこと
煩わしかったことも
確実にあったはずなのに。
それらは都合よく忘れられ、
今の自分が心地よくなるように、過去は“補正”されていく。
「不便なんて感じていなかった」
「煩わしさなんてなかった」
「嫌なことなんて珍しかった」
無礼を承知の上で言わせてもらうと
、、、だとしたら、それは
視野が狭く、良い部分だけを見て、
悪い部分に目隠しをしていたか、
あるいは、単に感覚が鈍かっただけでしょう。
確かに今は、悪い点が拡散されやすく、目立ちやすい。これらは情報がはやく届くようになった特徴を示しています。
そして、みんなスマホばかり見ているのも事実。
けれど、スマホがなかった時代も、
人は何か別のものをひたすら弄ってた。
ディズニーに限っては
今は「スマホと睨めっこ」。
昔は「トゥデイと睨めっこ」🐭
違いは、ひとつに集約されたかどうかだけ。
連絡も、写真も、調べ物も、発信までも。
携帯ひとつで完結するようになった。
昔は、
トゥデイを開き、
掲示板を見に行き、
場所と時間を決め、
全員が辿り着くことを祈って待ち、
写ルンですで集合写真を撮る。
今振り返れば、懐かしい思い出話になります。
でも、今それを「やれ」と言われて、
進んでやりたいかと問われれば、正直なところ、そうは思いません。
せいぜい、
スマホではなく、こだわりのカメラを持つくらい。
それも「自分が心地いいから」という理由で。
トゥデイとマップを片手に、情報を自分で読み解く時間をのんびりと、そして丁寧に楽しめるなら、それも立派な不便益でしょう。
ただし、
スマホで効率よく回っている人を見て、
卑下する必要はありません。
効率よく回る人たちは、
かつては一部のマニアしか得られなかった“余裕”を、自ら取りに行っているだけ。
そして、その余裕(主に時間)を使って、
優雅に過ごしているんです。
公共の場で、
昔話に花を咲かせるのもほどほどにして、
そろそろ「今」をきちんと観察しませんか。
現実を見て、
考え、試し、失敗し、
また考え、また試す。
そうやって歩き続け、時に走り、
ふと立ち止まったときに訪れる小休止。
「あれは本当に酷かったな」
「でも、今思えば温かい思い出だ」
「もう一度はいいかな」
「でも、これは良かった」
そんな“懐かしみの時間”を、
ただ静かに味わえばいい。
「もう、それを求めてはいけないのか?」
という問いに答えるなら、、、
何を求めようと自由だが
いつまで、ないものねだりを続けるつもりですか。
賛成も否定もありません。
ただ、時の経過と変化を受け止め、
そのときの感情を、自分で消化するだけ。
それでいいと思うんだけどなぁ。
🐭 ディズニーのこともっと深く知りたい方へ
より実践的な内容は、こちらにまとめています。