
【小説】花泥棒と秘密の猿たち 〈第2話〉
彼の被写体は漫画のみにとどまらなかった。薄く開かれた瞳に映るものすべてを彼は描き出そうとした。文字通りの意味で彼の見る世界は常人のそれと異なっていた−−単純に物理的に、まぶたが重くていつも目を閉じているようだったために。独特な光の捉え方により形成された暗い色彩感覚や観察対象における洞察力はひとたび絵画となった瞬間、個性として見る者の心を魅了する。地元の河川敷を写生した絵は町のコンクールで金賞を受賞するなど、才能が発揮された。受賞作品は母の目から見ても繊細な筆遣いで、弟である彼の瑞々しい感性の片鱗を伺えられた出来だった。年齢からしても尋常でない技術力は審査員を感嘆させたらしい。
しかし不幸にもそれが彼の絵描きとしてのピークだった。中学生のころに先天性だった緑内障が悪化し、彼の世界の闇は色濃くなってしまう。触覚は鋭敏だった。手に触れたものが画用紙だか、鉛筆だか、絵筆かは判断がつく。しかし色の違いまでは区別できない。今まで描き出した絵も、これから出会い、絵のモデルとなるはずだった風景も全て失われた。少年の感性には世界が彼の元から別れを告げられたようにも思えたのだろう。放り出されてたった独り迷子になってしまった。彼の絶望は計り知れない。
暗闇の底に居た彼を救い出したのは音楽だった。かれは友人に恵まれた。毎晩のように家に押しかけてレコードを次々にかけたギタリストの友達に誘われ、ほどなくして彼らはバンドを結成した。叔父は担当楽器にドラムを選んだ。ステージアクションが必要なボーカルやベース、ギターなどほかのパートとは違い、舞台の後方で椅子に座れ、太鼓は固定されているからこそスティックで叩く箇所が他楽器に比べて容易に把握できるのは叔父にうってつけだったのだ。
それから、叔父はこれまで知る由もなかった幸福な時間を認識できるようになった。視力がほぼ完全に奪われたぶん、聴覚は日に日に鋭敏になっていく。練習スタジオで自分たちの曲が磨かれていく喜びもさることながら、彼にとってステージは比べるものがないくらいに楽しい空間だった。
赤や青の強い照明はふだん日常生活で出会うことはない。閉じられたまぶたの裏側で、彼は光を失ってから初めて色の存在を感じ取れた。照明の暑さのなか、彼の瞳の内側で展開する、明滅した無数の色たち。彼はそれらに、単純に宇宙の存在を感じた。有酸素運動で体が火照る感覚は、自身の肉体に生きている、という実感を与える。こうして出来上がる自分の手足と、ステージ上の人間全てで奏でられる音楽という表現は彼を祝福したのだ。
実際のところ、彼が渡米した理由は当初はバンドのツアーによるものだ。それから、天職と出会った。日常生活でサングラスをかけるようにしていた彼は健常者同様に現地民と過ごしていたが、親しくなったレコード店の主人に旅の疲れを癒すためにと紹介されたカイロプラクティックが彼にとり転機となった。もともと生業として整体師の資格を持っていた彼はその絶大な効果に感銘を受けたのだ。帰国後は再度渡米の準備にかかりきりで、すぐにアメリカへ戻った。とはいえそこは自由の国。彼は修行中もヒマを見つけては現地でバンドを組み、ひと月に一度はライブをしていたらしい。
これら彼についての物語は僕の母親が話してくれた。なぜ帰国したかについては詳しく聞いていない。叔父と同居するようになってから、僕はロックンロールを彼から学んだ。ビーチボーイズ、リトル・リチャード、オーティス・レディング、ビリー・ジョエル、チャック・ベリー、クラッシュ、エルヴィス・プレスリー、米シティローラーズ、フレミングルーヴィーズ、そしてリヴァプールの至宝、ビートルズ。彼が好み、よくレコード針を落としていた音楽は健康的な日向の匂いがした。あるいは、僕への教育として意識的にそれらの音源を選んだのかもしれないけれど。
彼の部屋でレコードを聴いているときに、母親はしばしば姿を見せた——手にしたトレイに紅茶を淹れたティーカップ、そして苺のショートケーキやシュークリームをのせて(それはときどきで変わった)、まるで僕らが二人きりで会うのを咎めるように。叔父に関する昔話はそんなときに決まって披露されるのだけど、僕はといえばそんな話より音楽を落ち着いて聴きたかった。僕の気持ちを意に介さない母親にほんの少しだけ腹を立てたりしていた。
叔父がトイレに立ったときに、いつか母がこんなことを言っていたのを覚えている。
「きっとあの子は、じっとしていられないのよ」
まるで僕よりも年若い少女のように無邪気な笑顔を浮かべながら。
当時の僕はくったくなく笑う母と、彼女の弟である叔父との間に男女の情があるだなんて想像できやしなかった。