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Photo bysaharamakoto

ダンゴムシ

    「すんませーん。
    生2つ!
    生でええよな?」

    椅子に座ったかどうかも分からぬうちに高塚は、金髪で化粧が濃い20代前半と思しき女性店員に対して、まるで選手宣誓かのように、高々と手を挙げてファーストオーダ―を宣言した。
    彼女は左手にビールジョッキを三つ、右手にポテトサラダや唐揚げが入っていた空の小皿をいくつか持っていたが、高塚はそんな彼女が直面している金曜夜の繫忙さなぞお構いなしだった。

    「うん。生で。」

    僕は椅子の背もたれにシワにならぬよう丁寧にジャケットを掛けながら言った。

    「遅いわ、もう言うたわ。
    そうやっていつもサッサと答えへんからお前はなかなか課長から信頼得られへんのや。
    ま、冗談やけども。」

    いつものキツめのイジリを発した高塚はにんまりした笑顔を浮かべ、その笑顔の端に差し込むように電子タバコを吹かし始める。
    横の卓に座っている20代後半と思しき二人組のOLから煙に対する不快を訴える目がこちらに寄越されるが、周りなどお構いなしに高塚は美味そうに電子タバコの煙を口から吐く。


    高塚とは新卒で入社した今の会社で知り合った。
    僕らは同期であるが高塚の方は一浪してから大学に入学していた為、年齢は一個上だった。
    特に年齢差を気にしたことは無いが、高塚の僕への振る舞いは、歳の近い兄弟の振る舞いの様なものだった。
    我々は月に2,3回の頻度で飲みに繰り出し、高塚は必ず僕より千円多く会計を支払う。
    毎度割り勘にしようと僕から伝えるものの、「気にせんでええから。」と制されるのが常だった。
    例え同額の給与だったとしても、歳下には少しでも差分を作っておきたい。
    それがある種の彼の中のポリシーの様だった。

    「ほれ、きたで。
    乾杯や、乾杯。」


    先ほどの店員が不愛想に運んできたビールジョッキを持ち上げ、一方的に僕の前に置かれたジョッキにぶつけると高塚はジョッキの半分ほどの量のビールを一気に飲み干した。

    「あー美味い。
    一週間続いた苦役の締めはよく冷えたビールに限るわ。」


    口元にビールの泡でできた即席の白髭なぞ全く気にする素振りも見せず、高塚は僕に言い放つ。
    平成生まれでありながら、どことなく言動の節々に昭和臭さが漂うのが高塚の特徴の一つと言える。

    僕は彼のこの高塚の白髭姿を見るたびに必ず、いつだかにTVの夕方のニュースの地域特集で取り上げられていた、とある動物園のカバを思い出す。

    そのカバは大きな口を開けてまるでブラックホールの様にスイカやキャベツなど円形の大きな食べ物を一飲みで平らげていた。
    いや、カバ本人が望んだ食事行動では無いはずだから、正確には平らげさせられていた。

    その光景を実況している若い女性のレポーターが、
    「すごーい、スタジオの皆さん観ましたか?
    あの巨大スイカを一飲みですよ?
    私の頭もきっと一飲みでのみこまれちゃいますぅ。」
    と身の無いコメントを明るく楽しく残していた。

    僕はそのコメントを聞き終えてすぐ、アホらしくなってTVを消した。
    恐らくレポーターは引き続き無害で無益なコメントをカメラに向かって話し続けていたに違いない。

    何故だかこの映像が、高塚がビールの泡で白髭を作ったこの姿を見るたびに脳内で放映される。

    動物園にいるカバは否応なく常に人目にさらされ続けるが、彼らの休息や、至福の時間は一体いつなのだろうか。
    食べたいかどうかも分からない巨大なスイカやらキャベツやらを無理矢理口に押し込められるわけであるが、彼らのその行動は果たして彼らが望んだ上でのものであるのだろうか。
    恐らく違う。
    食べたいかどうかも分からない食事を取らされるという苦役に否応なく従事させられ、もちろん彼らには我々の様に苦役を癒す冷えたビールはない。
    全ては入場者を喜ばせるために。
    そしてそれは入場料という形で経営者を喜ばす。


    この取りとめもない妄想を繰り広げていることを高塚に悟られないように、僕はカバがありつけることの無いよく冷えたビールに口を付ける。

    「なぁ、お前今月の受注額はどうなん?
    フォーキャストに上げていたそこそこのサイズの案件が月ズレ、下手すると期ズレ起こしそうって喫煙所で課長が立ち話しているのを盗み聞きしたんやけど。」

    「あ、あれね。
    お客さんの上役の承認が取り下げになっちゃってさ。
    まぁ、何とかなるよ。」

    「良くないでお前、それ。」

    「未達で怒られるのも慣れたし。」

    「課長に毎週絞られるのもしんどいやろ?
    今月ぐらい達成しておいた方が精神衛生的にもええと思うけど。」


    そう言って高塚は残りの半分のビールを一気に飲み干した。
    今度は白髭は付かなかった。
    だからかTVに映し出されたカバが僕の脳内に再来することはなかった。
    高塚は店員に二杯目のビールをオーダーする。

    「まぁ、一理あるけどさ。
    僕には高塚みたいに上手く世渡りできないよ。」

    「そんな難しい事ちゃうで。
    上司も製造も取引先も仕事として割り切った関係や。
    そんな深く考えんでも皆共通理解として腹の底では分かっとることや。
    仕事はビジネスであり、ビジネスということは金稼ぎであって、それ以上でもそれ以下でもないって。」

    二杯目のジョッキが届けられる。
    二本目の電子タバコを高塚は口に咥える。
    隣のOL達は二人して彼を睨み付けながら会計のために席を立つ。
    高塚は特に気にする素振りもない。

    僕と高塚は自動車部品メーカーの営業部署に所属している。
    顧客からの要求納期は常に厳しい一方、顧客側の受注状況によっては受注月が遅れる“月ズレ”、四半期遅れる“期ズレ”もよく起きる。
    高塚は天性の人懐っこさで顧客にも製造部署の人間にもかわいがられていた。

    彼は受注額が厳しい月は顧客を泣き落として注文書を出して貰い、逆に無茶な納期要求に対しては製造部署の人間にしつこく絡むことで顧客の要求納期に製品を必ず納入させていた。

    内部の人間にも外部の人間にも無理を呑んでもらった後は、ほんの少しだけ上等な手土産を差し入れるのが彼なりの処世術だった。

    そんな彼の数字上の帳尻合わせに対し上司は特に口出しはしない。
    だが、僕はその高塚のやり方を理解してはいるものの、同じ営業としてマネをしようという気は起きない。
    なんだか、帳尻合わせの為に日々奔走している様にも見えなくないからだ。
    また、待っていれば自ずとくる数字を恣意的にコントロールすることは不可解にも感じられた。
    それなら“普通”に仕事をして、“普通”に怒られた方が僕の性分には合う。

    「高塚はさ、働いてて楽しい?
    営業してて楽しい?」

    「何やいきなり。
    働くのが楽しい奴なんてどこにもおらへんて。
    どこの誰が数字にうなされながら過ごす日々が楽しいんや。」

    「じゃあさ、何が働くモチベーションなの?」

    「そうやな、自分を保つ為やないかな。
    俺はずっと偏差値60の人生を送ってきてると思っとんねん。
    だから、それをこれからも保っておきたいねん。」

    「偏差値60の人生って?」

    「俺は地元の偏差値60の公立高校を卒業して、大学は一浪したけど偏差値61の私学の社会学部。
    この会社も自動車部品なんて1ミリも興味なかったけど、就活の時に業界別の就職難易度をチェックしたら偏差値58。
    ちょっと60に足りひんけど、給料も悪くないし、大目に見てまぁええかって。
    給与ベースで同世代と比較したらちょうど偏差値60ぐらいやしさ。」

    「すごく高塚らしいな。」

    「いや、お前もそうちゃうの?
    やっぱある程度は人から舐められたくないし、かといって過度な努力が必要だったり、過度な期待も背負いたくないやろ。
    偏差値60ぐらいでうろついておくのがちょうどええねん。
    中の上に居ついて必死こいてる風に生きていくのが性に合うっていうんかなぁ。
    どこか手抜きするぐらいが程良いねん。」

    「だから意図的に受注額を落とす月も作ってるのね。」

    「意図的って人聞き悪いな。
    まぁ、実際そうやけど。」

    事実、高塚は三か月に一回ぐらいのペースで未達月を作り、業務量が増えすぎないようにしていた。
    その一方、未達月の連続を回避することで、上司からは目を付けられないように受注額をコントロールしていた。


    「あとな、俺の理念としてもう一個あんねん。
    三つ子の魂百まで、三十路の経歴死ぬまでって。」

    「それはどういう意味?」

    「『三つ子の魂百まで』はよく言うやろ、三歳児の性格や性質は百歳になるまで変わらないって。
    けどな、俺が思うに会社人生も一緒でな、三十路までの経歴で粗方の生涯年収も到達する役職も社内地位も決まんねん。
    そう思わへんか?
    俺も今年で30や。
    ちょうどサラリーマンとしての三つ子が出来上がる時分や。
    真上に矢印が向くのはしんどいけど、斜め上ぐらいにはベクトル決めしておいた方がええやろ。」

    「どうなんだろう。
    正直、そこまで考えてなかったな。」

    「逆にお前はどういう感覚でこの会社おるん?」

    「あまり具体的に話すのは難しいかもしれないな。」

    「ええで、言いやすいように言ってみい。」

    「うん。
    あくまでおとぎ話の様なものとして聞いてほしいのだけど。
    学校という名の最小単位の社会に組み込まれてから、僕はダンゴムシみたいに目立たない様にしながらひっそり生きてきたと思う。
    基本的には地中や物陰に潜んでいるのだけれど、枯葉とか餌になるものを探すために定期的にウロウロする。
    大きな岩の様な障害があれば遠回りしてでも回避して、その日に必要なだけのエネルギーを必要な量だけ補う。

    争いもなければ飢餓もない。
    喜びも多くない代わりに差したる不満もない。
    そんな学生生活だったと思う。

    すると気づいたら大学生の終盤を迎えていて、気づいたら就職先が決まり、今の環境にいた。
    そういう感覚なんだよね。」

    「そうか、俺はお前と違って小説なんて一文字も読んだことないし、抽象的過ぎてしっくり腹落ちしたとも思えへんけど、お前はその欲の少ないダンゴムシ的人生を生きてきたという自負があるわけやな。」

    「いや、自負なんてないよ。
    ただ自分の人生を振り返った時にまるでダンゴムシの一生みたいだな、ってこの前一人で家にいるときに思っただけだよ。」

    「そうか。
    でもな、分かっとるとは思うけど、残念ながら社会は危険な肉食動物だらけや。
    どうや、会社のメンバーを見ていればそう思えてくるやろ。」

    高塚に言われた通りに想像すると、僕に対して常に攻撃的な課長はカラスに見えてくる。
    死骸だろうが何だろうが全てを突き尽くし、あらゆる栄養を養分にしようとする。

    それと同時に、
    「カバは草食動物だけれど、高塚の場合は肉食性のカバだね」
    と不意に口を突きかけたが、それは控えた。

    その代わりに素直な気持ちで現在の違和感を高塚に伝える。

    「けれど、正直もうダンゴムシ的寿命が少なくなっている感覚もある。
    寒い冬に耐えきれそうにはないなって。」

    「ほう。
    それはどういう意味合いや。
    課長にいびられるのが流石に限界に近づいてきているということか。」

    「うん、まぁ端的に言うとそうなのかもしれない。
    僕も少しは肉食に変化しないと、社内で生き抜けないなと思うんだ。
    だけれども変化したとして自分自身が付いていけるのだろうか、って。」

    「いや、そりゃやっぱり耐えなあかんで。
    それが社会の”厳しさ”ってもんや。
    結局この世は弱肉強食やで。
    パイを多く取った者の勝ち。
    残酷やけど単純な世界や。

    ダンゴムシは脱皮してもダンゴムシのままやろうけど、お前は肉食のダンゴムシぐらいには脱皮せなあかんやろな。
    それならあまり負荷ないやろ。
    別に蝶の様に華麗になれ、とか、トンボの様に虫の王様になれとは俺も言わへん。
    そもそもダンゴムシも雑食やったはずやし、お前も肉の旨さがそのうち分かるで。」

    いつも通り高塚は僕より千円多く払い会計を済ませた。

    僕は終電一本前で家に帰り、すっかりタバコ臭くなったスーツのジャケットをハンガーに掛け、シャワーを浴びベッドに潜った。

    酒は回っており、眠気も十分にある。
    しかし、先ほどまでの高塚とのやりとりを気づけば脳内で反芻していて、そしてそれが速やかな入眠を阻害する。

    僕は高塚の言う肉食のダンゴムシになんてものになれるのだろうか。
    蝶のように華麗に空を舞うことも、トンボのように素早く獲物を捕らえることもない。
    ダンゴムシもそういった空を主戦場としている華やかな虫たちを羨ましく思うのだろうか。

    何度かこの反芻を繰り返すと、一つのイメージが執拗に脳裏に立ち上がってくる。

    飛べることのなかった空を仰ぎながら、無数の触手をじたばたさせ、じわりじわりとだが、確実に、着実に、死に迫っていくダンゴムシの姿が。







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    大学・社会人を中心に年間300試合ほど観戦しています。 ゆるいエッセイを書くことがボチボチあります。

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