
「12年分の違和感」食欲不振で受診したはずだった
小学6年生の息子が突然食べなくなった。
朝ごはんをほとんど食べない。
好きなお菓子を渡しても一口だけ。
「お腹すいてるか分からない」
と言う。
最初は環境の変化だと思った。
妹が小学校に入学し、一緒に登校するようになった。
もともと妹思いで気を遣うタイプだから、ペースが乱れたのかな、と。
翌週にはゴールデンウィークだ。
ゆっくり休んだらまた食べるだろう。
私はしばらく様子を見ることにした。
でも、ゴールデンウィークを過ぎても改善しなかった。
学校では給食がほとんど食べられず、白米だけ。
5時間目以降は保健室で過ごす日もあった。
一方で、帰宅後は友達とゲームをして笑っている。
妹とも普通に遊ぶ。
夜は眠れているし、朝も起きられる。
「病気なのか?」
「心の問題なのか?」
分からなかった。
学校の身体測定では37kg台あった体重が、連休明けには35kgまで減っていた。
あまりにも急で、数字を見た時はさすがに怖くなった。
背中を丸めると肋骨が分かるようになっていた。
かかりつけの小児科を受診すると、
「一度、総合病院の小児科で診てもらいましょう。紹介状を書きます」
と言われた。
その時は正直ドキッとした。
それまでの私は、
「新学期の疲れかな」
「そのうち食べるようになるかな」
そんな気持ちもどこかにあった。
でも紹介状という言葉を聞いた瞬間、
「そんなに深刻なんだろうか」
という不安が一気に押し寄せてきた。
元気そうに見えるのに、
何か重大な病気が隠れているのではないか。
そんな考えが頭をよぎった。
後日、総合病院で血液検査とレントゲンを受けた。
息子は昔から注射が大の苦手だ。
採血の日も何度も
「怖い」
「嫌だ」
「帰りたい」
と言っていた。
そして実際の採血では泣いた。
看護師さんが2名でなだめてくれた。
もちろん注射が苦手な子はたくさんいる。
それでも当時の私は、
「小学校6年生なのに、そこまで怖いものだろうか」
と思っていた。
『怖がりな性格だから』
そう考えながらも、
「人より怖さを強く感じる子なのかもしれない」
という違和感はあった。
検査結果は『異常なし』だった。
安心した反面、
「じゃあなぜ食べられないんだろう」
という疑問は残った。
そして診察で医師から聞かれたのは、私が予想していたものとは全く違っていた。
私はてっきり、
いつから食べられなくなったか。
どれくらい体重が減ったか。
そんな話が中心になると思っていた。
ところが医師は、
普段の生活で困っていることはあるか。
友達関係はどうか。
学校での様子はどうか。
好きな遊びや得意なことは何か。
そんなことを次々に尋ねた。
さらに、
赤ちゃんの頃はどうだったか。
言葉の遅れはなかったか。
歩き始めたのはいつ頃か。
そんなことまで聞かれた。
私は質問に答えながら、
「なぜそんなことを聞くんだろう」
と不思議に思っていた。
食欲不振と何の関係があるのか分からなかったからだ。
一通り話を聞き終えた医師は、ゆっくりとこう言った。
「なんらかの発達障害の可能性があるかもしれません」
正直、驚いた。
まったく予想していなかったわけではない。
でも実際に医師の口から聞くと、やはり衝撃だった。
ただ不思議なことに、
強く否定したい気持ちもなかった。
むしろ、
「ああ、そういう見方もあるのかもしれない」
という感覚だった。
思い返せば、小さな頃から説明のつかない違和感は確かにあった。
幼児期から日差しや眩しい光が苦手だった。
大きな音にも敏感だった。
今でこそ音への苦手さはかなり減ったけれど、小さい頃は突然の音に強く反応していた。
真っ暗な部屋では眠れず、小さい灯りをつけて寝ている。
6畳の自室はあるけれど、今でも一人では眠りたがらない。
もっと遡れば、赤ちゃんの頃からとにかく寝ない子だった。
やっと寝かしつけても、布団に置いた瞬間ギャン泣き。
また抱っこして、
寝たと思って置いて、
また泣いて。
その繰り返しだった。
私は抱っこのままソファで朝を迎えることも何度もあった。
思い返しても、あの時期が一番つらかった。
眠れない。
休めない。
でも理由も分からない。
当時は、
「育てにくい子なのかな」
くらいにしか思っていなかった。
息子は、保育園時代も比較的穏やかな子だった。
癇癪を起こして手を焼いた記憶はほとんどない。
ただ、相変わらず睡眠だけは苦手だった。
特に昼寝からの目覚めがひどかった。
起きた瞬間から機嫌が悪く、30分以上泣き続けることもあった。
でも不思議なことに、保育園ではそういう姿はなかったらしい。
家でだけ、崩れていた。
今思えば、外で頑張って気を張っていた分、安心できる場所で一気に緊張が切れていたのかもしれない。
息子は言葉遣いも独特だった。
とても丁寧で、私は一度も息子の「俺」を聞いたことがない。
家では今でも私を「ママ」と呼ぶ。
でも外では「お母さん」。
祖母の前では「ばぁば」だけど
外では「おばあちゃん」。
相手や場所によって自然に使い分けている。
コミュニケーション能力も高い。
先生や友達の親から褒められることも多い。
友人関係も良好で、人望もある。
息子は忘れ物が多い。
でも、ただ困って終わるのではなく、借りたり、その場で工夫したり、本人なりに乗り切る力がある。
私はそこに何度も助けられてきた。
その一方で、家庭と外でかなりギャップがある。
外では年相応、むしろしっかりして見えるらしい。
でも家にいる時の息子は、時々小学2〜3年生くらいに見えることがある。
一人で寝たがらない。
甘え方もどこか幼い。
私は長い間、
「外でちゃんとできるなら、家でもできるのでは?」
と思っていた。
でも今は少し考え方が変わった。
外で“普通に見える”ために、息子はかなりエネルギーを使っていたのかもしれない。
だから家では、その反動が出る。
学校で頑張っている分、安心できる場所では年齢相応より幼く見える。
それは退行ではなく、息子なりの回復なのかもしれない。
そして今回改めて思った。
小学校高学年の新学年スタートは、かなり過酷だ。
授業のペースは急に上がる。
歴史や英語など新しい科目も増える。
眼科、歯科、内科など検診も続く。
新しい委員会、クラブ活動、授業参観。
さらに5月末には修学旅行、6月頭には運動会。
大人の私から見ても、情報量も予定も多すぎる。
だから私は、
「これは息子にはハードモードすぎる」
と容易に想像できた。
最近は服へのこだわりも強くなった。
首元が苦しいと言ってTシャツの襟を何度も引っ張る。
そのせいで新品だった服もすぐによれよれになる。
ウエストも苦しいらしく、ズボンをどんどん下げるので気づけば腰パン状態。
いっそ全部Vネックで揃えようかとスマホで検索すると、平成のギャル男を思い出して少し笑ってしまう。
でも本人にとっては、ふざけているわけではなく本当に苦しいのだろう。
食への興味も幼い頃から薄かった。
食事中はとにかく座っていられない。
トイレへ行ったり、うろうろ歩いたり。
今でも米粒を一粒ずつ摘まんで食べる癖がある。
本人曰く無意識らしい。
もやしを一本ずつ食べたり、とにかく一口が小さい。
だから一食に一時間以上かかることも普通だった。
今回、心理士さんにその話をした時には、
「それはお母さん、大変ですね」
と自然に言ってくれた。
その言葉だけで少し救われた気がした。
食べないことそのものだけじゃなく、長年積み重なっていた食事のしんどさを、初めて理解してもらえたような気がしたからだ。
その後受けたWISC-IVでは、息子のIQは『90』。
全体としては平均〜平均以下だったが、ワーキングメモリと処理速度が特に低かった。
受け取った報告書を読むと、息子の特徴が驚くほどそのまま書かれていた。
当日の検査は2時間近くかかった。
終わった後、
「どんな問題が出たの?」
と聞いてみた。
すると息子は、
「覚えてない」
と言う。
最初は冗談かと思った。
でも本当に覚えていないらしい。
ついさっきまでやっていたことなのに。
その時、
「ああ、これが特性というものか」
と妙に腑に落ちた。
今までは忘れ物が多いことも、指示が抜けることも、どこか性格だと思っていた。
でも違った。
息子は「覚えていない」のではなく、「保持すること自体にエネルギーを使っている」のかもしれない。
そう考えると、学校生活の見え方も変わった。
先生の話を聞きながら、板書を写し、次の行動を考え、周囲の空気を読み、忘れ物をしないよう気を配る。
それを毎日続けるだけでも、息子にとっては相当な高負荷だったのだろう。
私はずっと、
「どうして普通にできないんだろう」
ではなく、
「この子は何に困っているんだろう」
を考え続けてきたつもりだった。
それでもどこかで、「普通」という物差しを手放せずにいた。
でも今回初めて、
“脳の使い方の違い”
として説明された気がした。
今も息子の食欲は完全には戻っていない。
でも、
「怠けているわけじゃなかった」
と分かったことは大きかった。
食欲不振で受診したはずだった。
けれど私はそこで、息子の12年間をもう一度見つめ直すことになった。
そして、これから必要なのは、
“普通にさせること”
ではなく、
どうしたらこの子が消耗を減らして生きられるかを一緒に考えることなのかもしれない。