
私、野良猫になるのかな。
先生の歳は、ずっと分からないままだと思っていました。
高校生でエレクトーンを習い始めてから、大学生になっていったんやめるまでの間に、1度先生に聞いたことがあります。答えは「秘密」でした。
就職して実家に戻って、エレクトーンも再開しました。それから今までの間に、もう1度聞いたことがあります。今度は、先生と生徒とはいえ大人同士だし、教えてくれるんじゃないかなと思っていました。でも、答えは「秘密」でした。
それ以来、聞くのはやめました。きっと、私の母親くらいの歳なんだろうなあと想像していました。
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先生とのレッスンは、いつもおしゃべりから始まります。前回のレッスンから今日までにあったこと。家族のこと、仕事のこと、自分のこと。ニュースからうわさ話まで。もう何十年も通っているのに、話題がつきたことはありません。先生は、そう簡単に弾かせてはくれないし、私もそう簡単には弾き始めません。
去年のことでした。私たちは、いつものようにおしゃべりしていました。すると、先生が言いました。「70代と80代では体調が全然違う。80歳の誕生日を迎えた、次の日の朝から違った」
そんな、誕生日を境にすぱっと変わるなんてある? 気持ちの問題じゃないのかな? でも、私たちは、毎週ここで、気持ちを問題にしています。気持ちが入っているかどうかで、演奏は全く違います。80代は未知の世界だし、先生がそう言うのなら、そうなのかな。
いや、そんなことより。先生、80こえてるんだ。予想はほぼあたっていたけれど、先生はずっと年齢不詳なんだと思っていました。こんなタイミングでぽろっと分かるなんて。
その後も、80歳の誕生日を境に体調が変わったという話は、何度も出てきました。私たちは、同じ話を何度もします。どうやら先生は、去年80歳のお誕生日を迎えたようでした。
今年になって、先生が、暮れか年明けに発表会をやると言いました。いつものように、お友だちの先生の発表会に便乗させてもらう形です。
先生は、発表会が終わるたびに、発表会はもうやらないと言います。やらないやらない詐欺です。前回の発表会が終わって、さすがにもうやらないだろうと思っていました。でも、先生がやると言うのなら、私は出ます。
その日から、家で、1日1回、本番のつもりでTRUTHを弾くようにしました。TRUTHは、レッスンではすでに花マルをもらっています。発表会まではかなり時間があるけれど、私は仕上げるまでに時間がかかります。新しい曲は考えませんでした。
1日1回本番のつもりで弾くというのは、とても効果がありました。私ってこんなに下手だったんだということか、はっきり分かりました。いつも私は、本番でとても緊急します。本番どころか家でヘッドホンをした練習でも、本番を想像して緊張します。それは、間違えちゃったらどうしよう、下手な演奏になっちゃったらどうしようという恐れからくるものです。
ひっくり返すと、自分は本番で完璧な演奏ができると思っていたということです。もちろん、自分の中での完璧です。でもその完璧のイメージは、日々の練習の最後に、何度も繰り返し弾いた中でのベストの演奏です。何なら、それまで何か月も練習してきた中での、自分のベストの演奏なのです。それが本番の1回に出ることなんてないのです。
私はこんなもんなのだ。残念ながらそれがよく分かってから、少なくともひとりで弾いているときに緊張することはなくなりました。あと、今ここに力が入っているなとか、集中力がかけているなとか、弾いているときの自分の状態が前よりも分かるようになりました。
何があっても途中で演奏をやめないクセもつきました。疲れたり忙しかったりで、ほんとうに毎日弾けたわけではないけれど、今までの中ではたくさん弾いています。その分いろんなことが起こります。ミスしたことないところで、なんでそうなったか分からないミスをします。でも、レジストをとめたのは、最初の頃に1度だけです。そのときものすごく後悔して以来、レジストをとめたことはありません。
それと並行して、発表会、やっぱりもうないかもしれないなと思うようになりました。先生が、体調不良でレッスンをお休みすることが、ぽろぽろ出てきたからです。そもそもないと思っていた発表会です。ただ、TRUTHは、ぼちぼち弾き続けていました。先生がいつぴらっと、これ、発表会の申込書ねって出してくるか分からないし。
7月になりました。私はいつものようにレッスンに行きました。おしゃべりして、エレクトーンでTHUNAMIを弾きました。レジストなしで、どうにかこうにか両手と足で通せるくらいです。次、ここまでさらってきてねと言われました。ピアノでは、バーナムを持って行くのをうっかり忘れてしまったので、ピアノの森からやりました。チクタク時計が合格になりました。ドソミソが動くのが手強かったです。ピアノの森の2巻は、あと2曲。次は、スケーターズ・ワルツだねという話をしました。ブルグミュラーは、清い流れですが、流れそうで流れないので、また練習してきてねとなりました。
次のレッスンの前に連絡がきて、体調がよくないから、お休みとなりました。その後、私の都合でのお休みが続きました。そうこうしているうちに8月が近づき、先生から「8月は大人は忙しいから、大人のレッスンはお休み。次は9月」という連絡がきました。確かに8月は忙しい。お盆もあるし、子どもの用事も目白押し。私都合のお休みの日も多くなるので、全然かまいませんでした。
レッスンはなかったけれど、まとまった練習の時間がとれました。スケーターズ・ワルツは思いの外するする弾けました。チクタク時計と左手が似ているのです。ピアノの森を順番にやっていったら、ピアノが弾けるようになりそうです。調子に乗って、2巻の最後の曲、ギャロップも弾いてみました。これは発表会用として載っているので、スケーターズ・ワルツよりも、楽譜を見た感じがぐっと難しいです。でも、意外といけました。鍵盤を見ず、楽譜を見ながら弾けました。これです! これが、私はピアノではできなかったのです。
私はひさびさに手応えを感じていました。ブルグミュラーの進歩が、全然進歩しなくて半ばあきらめていたのがウソみたいです。9月にレッスンに行ったら、見てもらうものがたくさんあるな。先生、今日はここまで!って言いそうだな。おしゃべりを早目に切り上げればいいのかもしれないけれど、そういうわけにもいかないし。8月の最終週から行っちゃおうかな。お願いしてみようかな。そんなことを思っていた矢先でした。先生から連絡がきました。
「体調が戻らないから、しばらくお休みさせてほしい」
あれ? 大人は8月は忙しいからお休みなんじゃなかったっけ? 私はあわてて今までのやりとりを見返してみました。7月のレッスンの後、先生が体調不良でお休みって言ってから、ずっと調子が戻らなかったってこと? そういうことなの?
ゆっくり休んでくださいねと、取り急ぎ返信をしました。最初はいまいち実感が湧きませんでした。その後、子どもをお迎えに行ったり、あわててお風呂を洗ったりしていました。だんだん家事が片付いて、自分のことも終わって、もう寝ようという頃になりました。いつもより遅くなっていました。その頃には、これって発表会がもうないとか、そういうことではないのかもしれない、と思うようになりました。
先生、しばらくっていつまでですか?
先生は、いつも、寒いのは着ればいいから平気だけれど、暑いのはダメだと言っていました。今年も暑いです。この暑さが落ち着いたら、ひょこっと、レッスンやるよという連絡がくるのかもしれません。くるのかもしれないけれど。
突然、次のレッスンの予定がなくなりました。こんなこと、初めてです。大学進学でいったんやめたときも、私は先生に「戻ったら再開する」と言ってやめたのです。先生は信じてなかったみたいだけれど、結果、再開しました。産休育休でレッスンをお休みしたこともあったけど、仕事に復帰する前に、レッスンは再開したのです。
その夜はうまく眠れませんでした。次の日は休みで、早く起きて子どものお弁当を作りました。ほんとうは、2度寝しようと思っていたけれど、眠れなそうなので、この記事を書きました。
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先生は、かわいがっていた猫が亡くなったとき、「もう、猫は飼わない」と言いました。「最期までみれるか、分からないから」
また、あるとき「もう、小さい子のレッスンは、新しく受け付けない」と宣言しました。「最後までみれるか、分からないから」
断りきれなくて、受け持つことにしたOGのお子さんもいるけれど、基本的には、先生の生徒として残っているのは、いつ野良猫になってもいい人たちです。
私もいつか野良猫になるんだろうなと思っていました。こういうことは、いつか必ず訪れるのだから。
でも、私が想像していたのとは、ちょっと違う終わり方をするのかもしれない。
私は今、少し混乱しています。
#言葉と写真部
8月のテーマは「夏の花」

秋のイメージでしたが、夏に咲くのですね。
早く涼しくなりますように