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脳内法廷

    私は、脳内法廷に駆け込んで叫んだ。

    「神様を訴えます!」

    裁判官がこちらを見る。
    「神様を訴える?」
    「はい。私をこんなにひどい目に遭わせる神様はひどすぎます」
    「では、神様があなたに何をしたのか話してください」

    私は話し始めた。

    20年以上、フリー編集者として、持っている力をいつも出し切って、その時最高のクオリティの仕事を続けてきたこと。もちろん若い頃は未熟だったが、手は抜かず、身を削ってやってきたこと。

    仕事を始めて以来の知り合いで、たくさんの仕事をして信頼してきた出版社の男性Tから、編集者になりたい23歳のかわいい女子への指導を頼まれ、懇切丁寧に教えたこと。


    ここまで話したら、勢いがついて止まらなくなった。

    Tは、私が仕事を教えても「当然、仕事は取られないようにします」と言っていたのに、そんなのは真っ赤な嘘で、私がやっていた仕事はほとんどI子に流れてしまった。裏切られた。

    I子は「尊敬してます」「大好きです」と言ってまとわりついてきたのに、仕事を覚えて自分が頼まれるようになったら離れていった。そればかりか、若い女子編集者たちに嫌われて「Tに目をかけられて仕事を取っている」と言われたことが納得いかないと目の前で愚痴り、「自分の力だけでここまで来たのに!」と言い放たれた。屈辱的だった。

    仕事だけではない。完璧主義の私の性格を知っている周りの人は、結婚式の二次会やら、コンサートやら同窓会やらいろんなイベントの裏方を頼んでくる。きちんと段取りするほどあれもこれもと仕事が増え、必死で滞りなく役目を果たすと、その私の努力を享受している張本人たちから最終的に「神経質すぎる」と評価され、孤立する。不条理がすぎる。

    だいたい、この世の中は不公平だ。真面目で誠実な人ほど搾取され、損するのはおかしい!

    私はフリーランスで、保障は何もなく、長く独身で、税制上の恩恵も得られなかった。

    もしその状況がつらいと言えば、「嫌なら会社で働けばいい」「早く結婚しなかったのは自分でしょ」という負け犬扱いの蔑みか哀れみの目を向けられる。だから仕事に集中して成果を出しきたが、意見を持った年長の女性よりもスキルも意見もない女子のほうが便利だから、仕事がなくなっていった。

    なんて未成熟で非合理的な社会なのだ!

    文句を言いたかったが、子どもがいる人が受けなかった仕事を得られることもあるからプラスマイナスゼロだと思って、「自分が選んだ道だ」と歯を食いしばってやってきた。

    それなのに、母親になった人たちは、「この社会は間違ってる。私たち母親が生きづらいしくみがおかしい」と文句を言う。なぜ、いろいろ持っている“勝ち組”がもっと欲しがっても批判されないのだ?

    私は思った。「こんな社会だとわかっていながら、子どもをもうけたのは自分でしょう」「そこまで言うなら、子どもを持たなければ良かったのに」。でもそんなことを言えば、「女のくせに女の敵」と認定される風潮がわかっているから、言わなかった。言えなかった。

    I子のことがあってから、別の場で仕事を得るために、40歳を過ぎて一から新人同様で悪条件の仕事を引き受け、降りかかった無理難題を超える無理をしてやりとげた。

    そうしてようやく新しいクライアントから信用を得始めたと感じていた矢先、2つがんがあると宣告された。

    怖くて「がん」と言えないまま、迷惑を最小限にとどめるために「入院が必要になった」と仕事の降板を申し出たら、「この仕事が嫌だから辞めたいのか?」と聞かれた。投げ出したくなると自覚があるくらい条件の悪い仕事をそれまでやり遂げていた私に、「よほどのことがあったのだろう」と思ってはくれなかった。そして、無理ができなくなったらその後は連絡がこなくなった。

    積み上げ始めていたものがまたあっけなくゼロになったばかりか、無責任のレッテルまで貼られてしまった。

    小さくても確かに手のひらの内にあった自尊心は、消えてなくなった。

    がんの治療を終えると、放射線や抗がん剤、手術の副作用や後遺症が残った。聴力が落ち、味覚がおかしくなり、唾液が半分しか出なくなった。飲み込む力が弱くなって、食べるのが難しい。

    食道を失って胃を食道代わりに使っているので少ししか食べられず、油断して食べ過ぎると胃が破裂しそうな苦痛を感じる。食べられるものを用意して時間をかけて食べ、食後は落ち着くまで待つ必要があり、消化器官に不具合があるから頻繁に具合が悪くなる。食べなければいいかと言うと、エネルギーが足りないから力が出ない。一度にたくさん食べられなくてすぐ空腹になるから、生活が食事に支配されているようになってしまった。

    食べたものが逆流しないように身体を起こして寝なくてはならないので肩や腰が痛み、いつも疲れている。

    もっと仕事がしたいのに、食事に時間がとられすぎ、気力も体力も削がれてしまう。もっとも、仕事の場や機会が得られない。体調が不安定で身軽に出かけられないから、ネットワーキングや仕事のネタ探しにもなかなか行けない。

    人と会う時はたいてい飲食が絡むので、人と会うのをためらう。自分から連絡しなくなったら友人との連絡は途絶え、会いたいと思ってくれる人がほとんどいなかったこともわかってしまった。自分の存在価値が感じられず、実は私がこの世にいなくなっても夫以外には気づかれないのではないかと思った。

    つらい治療を受けて生きることを選んだのに、生き残った毎日は苦しくて悲しくて、何のために生きているのかわからない。悪いことの後には良いことが待っていると言われるけれど、良いことは起こらない。

    病気の後に結婚はした。45歳でようやくだ。でも、周りの人たちは夫もいれば子どももいて、仕事も健康も持っている人がたくさんいるではないか。なぜ自分にはそのほとんどのものが与えられなかったのか?

    いつも私は貧乏くじを引いて、悪者の役ばっかり回されている!

    ここまでまくしたてると、息切れがした。鼓動が速まり、口もカラカラだ。

    神様を訴えているうちに、これまで飲み込んできた悲しさや恨みつらみがあふれ出して、支離滅裂な悩み相談者みたいになってしまった。

    水を口に含んだ。

    そこへ、裁判官の冷静な声が返ってくる。

    「神様の何を訴えるのですか? 神様が何をしたと言うのですか?」

    急に聞かれて、言葉に詰まってしまった。頭の中を整理する。


    「……、私をいつも少数派に追いやって、つらく苦しい想いをさせることです。世の中を不公平にしていることです」。


    「被告人・神は、原告の訴えを認めますか?」

    どこからか、はっきりと神の立場から反論する別の声がした。

    「いいえ」。


    私はすかさず叫ぶ。

    「カルマシステムでの照会を求めます!」

    神様が私にしたことは全部、カルマとして記録されているはずだ。


    「照会を認めます」

    裁判長が告げると、世界で起こったあらゆる出来事が保存された“カルマシステム”が、証拠映像の再生を開始した。

    寝食を忘れて仕事に没頭し、納得するクオリティに仕上げているぼさぼさ頭の若い私。

    一緒に幹事を頼まれていたはずの3人に「当日手伝うだけ」と放置され、一人で友人の結婚式の二次会の準備をする私。

    仕事の考え方やテクニックなどを、I子に惜しみなく教えている私。

    I子に仕事が流れていることを伝えた私に、「仕事は自分で取ってくださいよ」と言い放つT。

    請けた後でどんどん増やされた仕事を1か月まともに寝ずにやりとげたとき、「予算がないから、10万円ね」と言うクライアントの声。

     喉の放射線治療で耳から下の毛がなくなり、げっそり痩せ、自信を喪失して背中を丸めた老婆のような自分の姿。

    食道摘出手術後、家に引きこもり、「何もできない。非生産的だ」と泣く私。

    体力を取り戻し、「がん経験が活かせる」とあるプロジェクトに手を挙げたら、「元気になられてからご一緒しましょう」と冷たく線を引いたメディア関係者――

    画面はどんどん変わっていく。

    神の声が言う。

    「ご覧の通り、私は何もしていません。何かをしたのは、原告自身と、I子やクライアントなどの人間たちです」。


    「この不公平な世界を動かしているのは、神様じゃないんですか?」

    神の証言に驚いて思わず言った。どういうことだろう?

    「この世の中は、運で動いています。たとえば、地震や津波は神が起こしたものではありません。自然の作用です。そこに巻き込まれるかどうかは、運です。

    人間界のしくみは、完全に不公平ではありません。何をするのか、しないのかを自分で決められるからです。地震の後、津波を避けるためにすぐ逃げるか、様子を見るかは自分の判断です。呑気な性格に生まれるのか、慎重な性格に生まれるのかも運です。しかし、呑気な性格だから慎重になろうと考えて、行動を変えることもできます。そうして持っている運を自分の思うほうに運ぶ人もいます。

    ご存じのとおり、場所や時代などにより自分の行動を自分で決められない人もいます。でもそれこそが、その時、その場所で生まれた運なのです。その不自由な場所で、どんな行動をとるのかは自分次第です。卑怯な手を使ってでも、権力にすり寄ってでも自分の命を守り楽な暮らしを求めることもできれば、身の危険を顧みず革命を呼びかけるような生き方もできるわけです。あなたは思想の自由や表現の権利が認められた日本に生まれている。その点では非常に運がいい」。


    「じゃあ、神様はいないんですか? 今、話しているのは誰ですか? 神って何ですか?」

    私には、裁判長が話しているように思える。

    「神は、象徴です。あなたは、“いい人生”“悪い人生”を神が決めていると考えている。だから、審判を下す裁判長の私が話しているように感じるのです。

    神は、この世を司る存在の象徴として存在しています。神などいないと思う人には、神の声は聞こえず姿も見えません。神が長髪でひげを伸ばした姿だと信じている人には、そのような姿としてここに見えるでしょう。この世に起こることはすべて神の意志だと信じ、神を崇めることで生きる力を得られる人は、私を崇めてくれればいい。神はそのためにあります。

    ただし何もしません。いるだけです。

    ……しかしまぁ、全能だと褒めちぎって依存してくる人がいると思えば、『神様の意地悪!』と罵詈雑言ぶつけられたり、訴えられたりと、神も楽ではありません」。


    声が頭の上のほうに遠ざかっていった気がした。


    この世の基本的なシステムは、運。くじ引きみたいなもの。神は何も決めていないのだという。生まれ落ちたのだって、偶然。私がこんな頑固で変に正義感が強くて、プライドが高い性格に生まれついたのも、たまたま。いいのか悪いのかはよくわからないが、今の日本社会では損をしがちだ。それもまた運。

    その上で、自分が何を選ぶのかは自分。確かに、損をするのが嫌なら、自分の中で「みっともない」と思っても、得をしそうな行動をとることもできた。でも、しなかったのは私だ――。


    「ところで原告は、神を訴えて、どんな求刑をするつもりだったのですか?」 

     裁判官が私に尋ねる。私は神を罰したかったのだろうか? いや違う。神を痛い目に遭わせるつもりはなかった。ただ、つらい経験のマイナスを補うだけのプラスの何かを得て、強い不公平感を払拭したかった。苦しみを軽くしたかった。

    「賠償を求めていました。私は、利己的な仕事相手との巡り合わせや病気などから、多大な精神的苦痛を受けました。その不運を埋め合わせるだけの幸運を求めていました」 。

    私の返答に、裁判官はかぶせるように問う。

    「では、その幸運とは何ですか? あなたは具体的に何が欲しいのですか?」


    すぐに答えられなかった。

    幸せそうに子どもの成長を披露して子育てから学んだ人生哲学を語り、共感を得ている世間の親たちがうらやましかった。次々と新しい仕事を報告し、忙しくも豊かな暮らしぶりを報告し、ちやほやされている同業者たちに嫉妬してきた。

     

    では、私が今、子どもが欲しいかと言うと、ノーだ。この体で子育てはできない。たくさん仕事ができたらと願ってはいるが、何でもいいわけではない。自分で誇れる価値のある仕事をしたい。

    好きな仕事をして好きなことができる環境で、心穏やかに笑って暮らす毎日を望んでいる。


    その時、流れ続けていたカルマシステムのスクリーンに夫との記録が映し出された。

    お人好しがすぎてI子に仕事を取られ、「私がバカだったんだよね」と悔やむと、「自分のことを差し置いて、いつも人のことを第一に考えるのは素晴らしいことだよ」と私を肯定する夫。

    がんがあるとわかっても逃げず、「結婚しようね」と言ってくれた切ないプロポーズ。

    つらいがん治療を嫌がる私に静かに言った、「自分のために生きてほしい」という言葉。

    私の入院中、仕事の前や後に毎日面会に訪れ、帰り際に笑わせようとして見せた、おどけた顔。

    治療後、薬で眠った私を起こさないように身の回りの世話をしてくれている大きな背中。

    「本当にしたい仕事だけすればいいよ」と、自分は忙しく働く夫――。


    この人は、いつでも私を信じてくれている。「嘘がないところが君のいちばんいいところだ」と言い、毎日「あなたは素晴らしい」と何度も言葉にして聞かせてくれる。夫といられることは、私のいちばんの幸いだ。

    彼に恋をして、別れた恋人の死に傷ついて新しい恋愛に踏み出せなかった彼を1年以上待った。自分で運を動かしたあの時は、自分自身が幸運を運ぶ神だったことに気づく。

    つらい出来事が重なったために、失ったものと好転しない不運にばかり執着し、いつの間にか自分の幸せさえ自分で決めることができなくなっていた。


     スクリーンの中の私が、泣いて夫に言った。

    「後遺症で毎日、苦しい。いいことが何もない。こんなに苦しいことばっかりなら、あんなにつらい治療を受けて生き続けている甲斐がない!」

    悲しそうな目をして、夫が答えた。

    「僕のために手術を受けて生きてもらったから、君がつらいのは僕のせいだね。ごめん」。


    私が夫に言わせてはいけないことを言わせたシーンが、裁判官の目にさらされた。

    思わずスクリーンから目を移した目が泳いでいるのが自分でもわかる。傷つけられたと被害を吠えたてていた自分も、何の罪もない無防備な夫を傷つけ続けてきたのだ。しかも、ただ一人、いつもありのままの私を肯定してくれた存在を裏切るという、質の悪い加害者だ。


    「裁判長、ひどいことを言って夫を傷つけた私は有罪でしょうか?」

    後ろめたく、自首するような気分で聞いた。

    「夫氏から被害届が出ていないので、あなたは裁かれません。そもそも、彼はあなたを善悪で捉えません。あなたが口でどんなことを言おうと、愛するに値する素晴らしい人だと信じています。彼はいつでもあなたを許しています」。

    そうだ。自分を信頼せず、許そうとせずに罰を与えて苦しめているのはいつも私自身だ。


    「私にいちばん必要で、欲しいものは、幸せを感じる心とその自分を信じる力です」。

    「夫氏にこんなに愛されていて、原告は幸せではないのでしょうか」。

    裁判官が質問を重ねてくる。

    「……幸せ、だと思います」。


    「幸せです」とは言えなかった。そう認めてしまうと、がんばってきたことが全部なかったことになる気がして、悔しいのだ。


    「あなたは、神が不当に不運を与え続けてきたと訴えていました。しかし、証拠を見る限り、あなたの人生には不運だけでなく夫氏との出会いという幸運も存在していました。また、さきほどの返答から、あなたはその幸運を理解していると推察できます。

    神や不運とは別に、あなたから不当に搾取した者、労働上で不利益を与えた者、そしてあなたの尊厳を傷つけた者たちの行為に対して、損害賠償を請求したり、刑事責任を追及したりすることもできるでしょう。“被害”にフォーカスしている間は、幸せを感じ切ることは難しいかもしれませんが」


    そのとき、目尻を下げたいつものくしゃっとした笑顔の夫が目の前に現れて、「あなたは素晴らしい」と言った。

    鼻の先と目が熱くなり、口元が歪んでゆるんで泣き笑いの顔になった。胸のあたりにいつも硬くつまっていた何かがその熱で溶けたような感覚とともに、すっと楽になった呼吸を意識する。

    夫は毎日、何度もこの言葉をかけてくれる。

    でも、私はずっと、彼の愛のエネルギーを素直に受け止めきれずにいた。苦しい状況に耐えるつっかえ棒のために、怒りのエネルギーが必要だったから。

    でもそれは、存在を素晴らしいと認めてくれる大切な人の言葉を信じようとせず、ひどい仕打ちした人たちの存在を重んじているようなものだ。


    とはいっても、やっぱり――。すぐには引き下がれない。

    「私をひどい目に遭わせた人たちが幸せに生きているのは、ずるいと思います。その人たちは裁かれなくていいんでしょうか?」

    「さきほども言ったように、泣き寝入りせず、あなたの心を傷つけた者を法の場に引き出して裁きを求めることもできます。ただ、業(カルマ)は消えません。非道な人たちはその業(カルマ)だけの幸せしか得られないと考えるなど心に折り合いをつけて、立件せずに心の傷を癒しながら、穏やかに暮らすことを選ぶ人もいます。

    その判断は人それぞれです」。


     私を苦しめていたのは、神様ではなく過去に囚われた自分だった。幸せを決めるのは神様だと信じていた心の象徴が神様ならば、神様は自分ということになる。幸せを決めるのは私自身なのだから。


    ひとつ息をつき、顔を上げる。

    私は神様への告訴を取り下げ、勇気を出して、自分の心との和解を選ぶことにした。



     
     

    siena

     
     
    2018年初に下咽頭がんと食道がんの併発と診断。どちらも初期。2018年2~3月に下咽頭がんの化学放射線療法、11月に食道摘出手術を受けて、現在「治癒」。いくつもの小さな治療の後遺症や影響に、日々、少し困り、悩む。元気にやっているけれど「健康」とは言いづらい、がん経験者。

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