
映画と缶ビール〜夢と希望、生きる喜び
2026年5月27日水曜日 シャングリラ
「夢と希望、生きる喜びに満ちた世界を見せてくれよ!」
テレビをつけていたら、名前を思い出せない誰かが叫んでいた。いや、叫ぶというほどではなかったかも知れない。それでも、その名前の思い出せない誰かは、だいぶ激しい剣幕で、カメラに向かってまくしたてていた。前後関係を見てないし、調べることもしなかったので、その人が誰に向かって、何のことで腹を立てていたのか、僕には結局分からなかった。ただ「夢と希望、生きる喜び」という、その漠然としたあいまいな言葉は、しばらくの間、僕の頭の片隅に、静かに棲みついていた。
その日、仕事は午後からだったので、僕はトマトジュースを飲みながら、日曜日に関内のジャック&ベティで見た、足立紳監督の『 Good Luck 』のパンフレットを読んでいた。映画は大分県の豊後大野を舞台にしたロードムービーで、パンフレットを読みながら、「そうか、大分も悪くないな」なんて、予定のないひとり旅を、まだ寝ぼけた頭でぼんやりと夢想していた。
仕事に行く前に買いものを済ませておこうと、シャワーを浴び、仕事用の支度を整え、近所の八百屋さんへと向かった。大正時代から続くその八百屋さんは、新鮮な野菜がどこよりも安く手に入り、また何といっても、お店の持つ温かな雰囲気みたいなものが魅力で(あくまでも個人的に)、いつも近所の人たちで混雑している。着いたのは十二時前で、八百屋さんの前には、会計待ちの人が二十人くらいの列をなしていた。キャベツ、人参、新玉葱、長葱、セロリ、ブロッコリー、ゴーヤ、ズッキーニ、黒舞茸、エノキ、エリンギ、少し迷って夕飯用にマグロのブツ(この八百屋の名物、とてもおいしい)を籠に入れ、レジのお姉さんに糠漬けを注文した。糠漬けはきゅうり二本と葉付きの蕪。まだ五月だというのにその日は蒸し暑く、野菜とマグロのブツでパンパンになったビニール袋を片手に家に向かいながら、ついさっきテレビから流れてきた「夢と希望、生きる喜びに満ちた世界」のことを汗をかきながら考えていた。考えながら頭の中ではチャットモンチーの『シャングリラ』がずっと鳴っていた。
夢と希望、生きる喜びって何だろう?仕事を終え、帰宅途中の深夜の公園で、缶ビールを飲みながらそんなことを考えていると、なにか怖くなって、すべてを投げ出して、逃げ出してしまいそうになることがときどきある。そんなとき僕は、いつもは二本までと決めている缶ビールを、もう一本追加で飲む。そんなことでなにかが解決するわけがないのだけど、「なにか」って何?「すべて」って?なんてことをうだうだと考えて、三本目のビールを飲み終え、僕はやっと家に帰る。
僕は死ぬ勇気はないし、死ぬのは怖い。できればまだ、いや、できるだけ長く生きていたい。公園で缶ビールを飲んだり、映画を見たり、本を読んだり、おいしいものを食べたり、たっぷりと眠ったり。別に世界を変えるとか、宇宙の秘密を解明するとか、そんなたいしたことをしたいわけじゃない。気の置けない友人と、くだらない話をしながら散歩をしたり、ふとしたときに、隣に僕のことを好きでいてくれる女性がいてくれたら、たぶん、僕はもうそれで満たされるはずだ。けれど、それはきっと、世間一般で言われるような「夢と希望、生きる喜びに満ちた世界」ではなさそうだからややっこしい。じゃあ、いったいそれはどんな世界かと言うと、そんなことは僕に分かるはずもなく、なぜなら、僕は世界を生きる側の人間であって、作る側の人間(もし、世界を作る側の人間なんてものがいればだけれど)ではないから。
世界は今日も、平和を願う人たちが、あちこちで争いを繰り広げている。
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2026年5月6日水曜日 隙間時間
僕は隙間時間を使うのが下手だ。
十六時過ぎに仕事が終わり、せっかくなので映画を見て帰ろうと、神谷町付近の映画館を調べてみる。元々、GW最終日の今日は、ランチタイムのみの営業ということもあり、いくつか目星はつけていた。シネスイッチ銀座、目黒シネマ、YEBISU GARDEN CINEMA、横浜へ戻ってシネマリンなど。仕事終わりの時間が流動的だったので、終わったタイミングで、いちばん時間的に合う映画を見ようと決めていた。結局、目黒シネマで『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を見ることに決定。移動時間を考えると十五分〜二十分くらいは余裕があり、ここに隙間時間が現れた。
頭の中で素早く計算をする。本を読むか、動画を見るか、ゆっくりとコーヒーを飲むか、小腹が空いているから蕎麦でも食べるか。ゆっくりとコーヒーを飲むなら、神谷町のスターバックスがおそらく最適解だ。祝日で空いているし、駅に近い。ただ、小腹が空いている。そこはスターバックスの気分ではない。そんなことを考えていたら、いつのまにか日比谷線に乗っていた。電車のなかで、隙間時間をどう使うかを考える。隙間時間に隙間時間の使い方を考えている時点で、やはり上手くない。恵比寿に着き考える。山手線に乗り、また考える。結局、目黒に着き、目黒シネマの近くにあるスターバックスでアイスティーを飲みながらドーナツを食べた。小腹も満たされたし、アイスティーはおいしかった。
あれをしてこれをして、隙間時間にあっちとこっちとそれもこれも。なんてことをできる人がいる。目黒駅の前で、交差点を走って渡りながらノートパソコンを打っている人を見かけた。よく見ると、イヤホンで電話もしていた。すごい。でも、もしかしたら、その人はノートパソコンを打ちながら交差点を走って渡る、なんてことをしたいわけではなかったかもしれない。
そんなことをアイスティーを飲みながら考えていたら、気がつくと映画の時間だった。
『打ち上げ花火、下から見るか?、横から見るか?』上映時間は四九分。たぶん、この時代には、まだ隙間時間なんて言葉はなかったよな。見終えて、缶ビールを片手に目黒川沿いを歩きながら、なんとなくそんなことを考えていた。
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2026年3月15日日曜日 文明の終焉
先日交換した給湯器に不備があり、十時過ぎにガス屋さんが来た。今日は作業はせず、作業のための下見、確認を一時間くらい。まだ何日か訪問作業が続きそうとのこと。
僕はこういうことがあまり得意ではない。仕方ないけど。ガス屋さんが帰ったあと、何か食べようと卵を茹でる。うまくいかない。トイレに行こうとして、右足の小指を扉にぶつける。すごく痛い。何かとうまくいかない日曜日。割れたゆで卵を三個食べて、少し寝る。
目が覚めると十六時をまわっていた。寝過ぎ。現実逃避に映画でも見ようと、この時間から見れる映画を探し、十八時過ぎから関内のシネマリンでやっている『オビ・オバ文明の終焉』を見ることにする。ポーランド暗黒SF四部作のひとつらしい。予備知識は無し。そもそも、ポーランドってどこにあるのかも知らない。
劇場に着くと思ったよりも混んでいた。日曜日の夜に、シネマリンでポーランドの暗黒SFを見る人たち。軽く見渡すと二十人くらいで、ひとりで見にきている人がほとんどだ。物好きだな、いや、同志か。なんてことを考えているうちに映画ははじまり、エンディングへ。核戦争後の社会。地下のドームシェルターで暮らす人々の物語。一縷の希望、方舟は来るのか、来ないのか。俯瞰してみると、人々の暮らしは、悲しみよりも、おかしみがあふれている。おもしろかった、見てよかった。少し救われた気がした。
帰り道、セブンイレブンで缶ビールを2本買って、いつもの公園へ。ぴかぴか光る首輪をしたけっこうな大型犬が、公園を順応無尽に走り回っていた。とりあえず、缶ビールを飲む。夜はまだ少し寒い。
この世界には、気づかないほうがいいこと、知らないほうが幸せなことがきっとたくさんある。僕はそういったものにとくに興味はない。僕にできることといえば、眠い目をこすりながら電車に乗って出勤したり、ビールを飲みすぎたり、ときどき風邪をひいたり、誰かに嘘をついたり、そんな小さなことを日々繰り返すことくらいだ。
もしそれが夢と希望、生きる喜びにあふれた世界での暮らしと言うなら、そんな世界だったら、なんとか僕も生きていけるのかもしれない。いや、そんな世界だから、こんな僕でも、なんとか生きてこれたのかもしれない。期待すれば裏切られるし、希望は絶望のはじまり。いつのころからか、僕はそんなことを心の片隅に置きながら生きている。
暗黒、というより陰鬱。そんなデストピアな映画に出会えてよかった。僕が今いる世界はユートピア?デストピア?俯瞰してみたら、やはりおかしみがあふれているのだろうか。
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2025年4月15日火曜日 効率と生産性
「効率と生産性」という言葉が苦手だ。もっと言えば嫌いだ。だから何?と聞かれても、とくに話すこともないのだけれど、ただ単に僕が、「効率と生産性」という言葉が苦手で嫌いだ、という話だ。
僕は今、この文章をiPhoneで書いている。手元には、喉の渇きを潤すために、エビアンのペットボトルがある。Amazonの定期便で毎月届く。今朝は七時過ぎに起きて、Spotifyでグレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』を聴きながら、あーでもない、こーでもないと、唸りながら、書いては消して、書いては消してを繰り返している。今は十二時を少し過ぎたあたりだ。この間、LINEとメールで十数回仕事のやり取りをした。気晴らしに眺めたXのタイムラインでは、僕の知らない人たちが、僕の知らないことで言い争いをしていた。
僕が横浜で一人暮らしをはじめたのは二十歳の頃で、部屋には留守番電話付きのプッシュホンの電話機を引いた。はじめてできた彼女や名古屋で暮らしはじめた高校時代の友人と長電話をした。たまに実家の母親から電話がかかってきたりもした。そう思うと、ずいぶん遠くまで来たものだな、なんて思うときもあるけれど、あの頃と今とで、暮らしにはなんら変わりがないように僕には思える。しいていえば、ビールを飲む量は増えたかも知れない。
効率と生産性について書こうと思ったのだけれど、そう思うだけで、少し息苦しく、うまく呼吸ができないような気がしてしまい、結局、関係のないことばかり書き連ねてしまった。もちろん、実際は呼吸ができないなんてことはなく、エビアンを飲み、チョコレートを食べながら、たまに深呼吸をしているのだけれど。
夕方、ポン・ジュノ監督の『ミッキー17』を、桜木町のブルク13で見た。少し未来のお伽噺、ファンタジー。契約書にサインして、死ぬことを職業としてしまった主人公の話。死んでも死んでも生き返ることができる「夢の仕事」。そんなシステムの真ん中に置かれて、恩恵をたくさん受けることができるはずのミッキー。夢の仕事をしているはずなのに、次第に心が追いつかなくなっていって。
僕も今、もしかしたら「夢と希望、生きる喜びに満ちた世界」で生きているのかも知れない。ミッキーを見ながら、少しそんなことを考えていた。夢の世界の暮らしに、心が追いつかないのだ。気がつくと、呼吸が浅くなって、いつも何かに追われていて。でも、その何かの姿は見えなくて。逃げて追われて、追われて逃げての繰り返しの日々。
帰り道、いつもの公園で三本目のビールを飲んでいたら、霧雨のような雨が降ってきた。さっきまで見えていたまんまるの月は、もう見えなくなっていた。
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2026年7月5日日曜日 希望の光(シャングリラ再び)
朝起きて今日は『ハンターハンター』の最新刊を読む。待っても待っても待った甲斐があると思わせてくれるおもしろさ。でもなかなか進まない。まだ半分くらい。欲しい能力はクレイジースロット。好きなキャラクターは今はセンリツ。
村上春樹の『夏帆』とbossaの林さんが最近読んだという『本を読めなくなった人たち』を並行して読む。相変わらず集中力がない。
十一時過ぎくらいに近所のビッグヨーサンで野菜の買いだめ。ズッキーニ、黒舞茸、なめこ、しめじ、きゅうり、トマト、人参、長葱、万願寺とうがらし、オクラ、ミョウガ、バターピーナッツなどなど。金曜日に八百屋さんで買えなかった野菜をたくさん買う。野菜を買うと夏が来たのを感じる。それにしても蒸し暑い。
買いものを終え、横浜駅の日産ビルのスターバックスまで歩く。歩きながらチャットモンチーの『シャングリラ』が頭の中でずっと鳴っていた。今もこの日記を書きながらリピートしている。イヤホンを忘れたので小さな音でそのまま流す。
日産ビルのスターバックスは、日曜日でも比較的空いていて、天井が高く開放感がある。加えて川に面した外の席もあって、気持ちよくて好きな場所のひとつだ。
五周目くらいのシャングリラで少し泣く。まだ昼間なのに。帽子をかぶり直す。アイスコーヒーが苦く感じる。 noteの創作大賞用にエッセイを書こうと思いながら、もう締切間近。今日もこれから現実逃避に映画を二本見る予定。
希望の光なんてなくったっていい。
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2026年7月8日水曜日 今日は缶コーヒー
いつも缶ビールを飲んでる公園で、缶コーヒーを飲みながら、このエッセイの仕上げ。久しぶりの青空。天気もいいし、暑いし、ほんとはビールを飲みたいところだけど、仕事が入ってしまったので、ビールは夜までお預けに。木陰のベンチに座っていると、心地よく風が吹いている。公園のすぐ近くにマンションが建設中で、ひっきりなしに工事の音が聞こえる。今日は工事の音も心地よく感じる。見るとiPhoneを持ってる僕の左手を、蟻が歩いている。蟻を見ていたら、やっぱりビールを飲みたくなった。