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Photo bysoeji

顔も知らない人の死に、涙が出る~絵本と私~

    ――林明子先生が亡くなった。
    ニュースサイトのポストを見て、すぐに福音館書店のアカウントを探した。
    そこでようやく、私は林明子先生のお顔を知った。

    せんせい、今日の今日まで、私は「林明子・さく」という言葉でしか、あなたを知りませんでした。
    それでも、こんなにも寂しくて涙が出る。

    林明子先生だけではない。
    谷川俊太郎先生の時も、元永定正先生の時も、中川李枝子先生の時も、
    顔なんて全然知りもしないのに、ひとしきり嗚咽してしまう。

    今日はべしょべしょに泣きぬれながら、私にとっての絵本や児童書という存在について、書き綴りたいと思う。


    私は長子ということもあり、母は子育てに熱心だった。
    その一環として、子供を絵本と木のおもちゃで育てるという思想があった。
    絵本という存在は意外と歴史の浅い文化で、母の実家の本棚には分厚い辞書のような児童文学全集はあったけれど、絵本の存在はなかった。
    母が最先端の育児情報の収集にのめり込んでいたであろうことは、想像に難くない。

    ゲームもアニメも与えられなかった私は、絵本の読み聞かせが本当に好きだった。
    絵本の読み聞かせをうちの母ほど付き合ってくれた話を、同世代から聞いたことがない。
    私は昼間たくさん絵本を読んでもらっても、寝る前に2.3冊絵本を読んでほしいと強請る子供だった。
    母が読み聞かせの途中でうつらうつらしたら起こしたし、自分が眠くなったら冷たい水を飲んで最後まで読んでもらっていたらしい。
    思えば、それが母から約束やお願い、ワガママを思う存分叶えてもらった最後かもしれない。


    小学生に入り、自分で字が読めるようになって、私は読書好きの子供に育った。
    その頃に父方の親族が相次いで亡くなり、父が荒れて家庭環境は激変した。

    母は余計にオーガニックと子育てに傾倒し、当時はまだ流通の少ないアロマセラピーなどを勉強しまくっていた。
    母の理想の子育ては外界とのコミュニケーションを著しく阻害し、父が怒鳴り散らす実家は息苦しく、希死念慮の募った私は物語の世界に救いを求め、ファンタジーの世界に閉じこもった。

    月に90冊程度児童書を読む生活をしていた私は、母の理想の子供ではなかった。

    私は相当ひねくれた思考をしていたと思う。
    死にたかった。死にたくなかった。死ぬしかなかった。
    それでも、絶望の果てにあったのは闇ではなく光だった。


    紆余曲折あって、私はメンタル福祉Vtuber鬱ノ宮シアンとして生計を建てている。
    同じ病気や障害を持つピア――仲間たちをサポートするというのが主な目的だ。

    自分で言うものではないが、私は基本的に善良な人間である。
    なぜ善良であり続けられたのか、自死せずに生き続けてこれたのか。

    それは幼いころに読み続けた絵本と児童書の影響が強いと思う。

    林明子先生の作品には、どんなに困難が湧き起ころうと、ハラハラさせられようと、最後にはすがすがしい終幕が待っていた。

    これは多くの絵本や児童書に共通する。

    だからきっと、私は心のどこかで、最後には良い終わりが待っていると信じられるのだと思う。

    それは多くの絵本作家や児童書作家が、作品を通して私をはぐくみ慈しんでくれたという証であると思う。

    私を育んでくださった絵本作家さんが、ひとり、またひとり旅立っていく。
    自然の摂理ではあるけれど、幼い頃から同じ空の下で見守ってくださっているような親しみがあるので寂しい。

    絵本という存在は、確かに私を育んで、そして、いつまでも守ってくれているんだと思う。

    今、活動を続ける中で気に入っているフレーズがある。
    「最期には笑っていようね」
    数多の文章が私を救ったように、私の言葉が、誰かのお守りになりますように。

    せんせい、私今、言葉を綴って生きています。

     
     
    ――生きることを思案する 障害による生きづらさをテーマに発信を続けるVtuber 💠鬱・発達・LiDの当事者 💠元障害福祉サービス従事 💠生きづらさセルフヘルプ「シアンのメンタルトーク」主催 💠行政・当事者団体等で講演、読売新聞掲載

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