
「審査すること」の難しさ〜M-1 & KOC〜
長くなりそうだったので、別項目として。
先日、『M-1グランプリ』の審査員のことで色々と言われていることをネタにしたが…。
漫才はテクニカルな部分があることは否定できない。
「笑いを足す・引く」という考え方で。
芸人さんのネタというのは、ライブなどでウケた部分は厚みを増し、スベった部分はカットし…。
その繰り返し(磨き上げ)で漫才を完成させていく。
なので(おそらく)理数系が得意な人は漫才に向いていると思う。
足す・引く・かけるなど、ネタに対してロジカルに組み立てて作り上げることが可能だからだ。
前年(2024)の大会で言うと、(特に)塙さんとか山内さん、石田さんがロジカルなポジションで漫才の面白さを分析して得点を出していた気がする。
その一方で!
【漫才】と対極に位置するのが【コント】なわけだが…。
小道具や美術を使わない【漫才】に対し、予算をかけてバリッバリに世界観を作り込むのが【コント】というもの。
これは完全に文系の世界にあたると思っている。
例えば…作家「太宰治」の作品に関して。
ピースの又吉直樹さんみたいに「メチャクチャ好き!」という人もいれば、「『人間失格』…何いってるのか難しくて全然分からない」という人もいる。
俺は後者で…作品を読みかけたことがあったが、なんか純文学な感じがタルくなって読んでいるうちに眠くなってきて…未だ読了してない。
つまりは、これが昨年の『キングオブコント』の大会でも話題になった、いわゆる「(審査員の)好み」発言問題というわけだ。
「コントが面白い・面白くない」という論争の前に「視聴している人がネタに合っているか・合わないか」が先立つ感じで…。
だから審査が死ぬほど難しくなる。
「日本人なら太宰治の作品が絶対に面白いはず!」という意見、国民全員が納得できるわけがないし。
さらに言えば…。
ミントのアイスが大好きな人もいれば、大嫌いな人もいる。
パクチーが大好きな人もいれば、大嫌いな人もいる。
コントの好き嫌いは食べ物の”ソレ”に近い。
ましてや、決勝に進出するぐらい個性が強いネタの数々…。
食材とかのレベルじゃなく「ビーガン」的に「動物性のものを使ったものは食から衣類まで受け付けない」という感覚に近いのかも。
プロの芸人がどんなに「面白い!」と絶賛しても、自分の趣味趣向に合わないものは身体が拒否するわけで。
これらは「こういう設定だから、こういう面白みがあって…」というロジックで説明できるものではなく、完全に設定との感性が合うか合わないかの問題でしかない気がする。
ぶっちゃけて言うと…俺は「ものまね」番組を一切見ない。
例外として「細かすぎるものまね」は見ていたが、他の「ガチものまね」の番組は好き好んで見たことが無い。
だって…ロボ五木ひろしの面白さがまるで分からないんだもん。
誇張しすぎの古畑任三郎やキンタロー。のアンジェリーナ・ジョリーは…ギリギリ??
それでも爆笑はしたことがない。
昔から「似ているから…何なのさ?」と思っている。
「ものまね」したところで本人を超えてこない…。
その面白みがまるで分からない自分がいる。
(放送作家としてはダメなんだけどね…)
「@@が言わなさそうなこと」とかのネタと組み合わせるならまだ見れる。
ただ「似ている」ということだけに面白さは感じない。
それが俺の感性。
俺が「ものまね」が苦手なのと同様に、コントの設定が「理解できない」と、その面白みは永遠に理解できないし、それを評価(絶賛)する審査員の感性も理解できない。
審査員側も”ソレ”が分かっているから「好み」という発言しか出来なかったんだろうな…。
なので、かまいたち・山内さんがなぜ売れているのか…?
それは、ロジカルに漫才ネタを組み立てることもできれば、コントとして面白いシチュエーションを客&視聴者に提示できる能力がバリバリあるってことになるんだろう。
両方の能力が高いのに、売れないわけがない。