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Photo byvoice_watanabe

俺の3.11

     2011年3月11日、宮城県沖で地震が発生。
     のちに「東日本大震災」と呼ばれることになる巨大な地震だった。

     あの日は確か金曜日だった。
     自分は「立ちレポ」をするため出版社の前に行ってロケを行い、赤坂へと戻るロケ車の中にいた。
     場所は日本武道館付近。

     そして、14:46……車が揺れた。

     「何事!?」

     周りの車から一斉に人が飛び出してくるのが見えた。
     自分たちも車を出ると、さらに地面が揺れているのが分かる。
     目の前にあったビルもゆらゆらと揺れていた。
     見たことのない光景だった。
     そして、遠くから聞こえてくる救急車のサイレン…。

     以降、都内の道路では大渋滞が発生。

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     車がほとんど動かなくなった。
     信号機が作動していたどうかは覚えていない。
     ただ、ノロノロと進んでいくだけだ。
     ふと窓の外を見ると、高層ビルの建設現場から作業員が撤退する様子が。
     ヘルメットを被りどこかへ避難している人の姿も見受けられた。

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     そんな中…対向車線にこちらへ手を振る人がいた。
     番組のディレクターだった。

    「これから宮城へ行ってくる!」

     TBSの社用車(ハイヤー)に乗って東北へ向かうのだとか。
     後に聞くと、ガソリンの給油とか食料の確保など…現場にたどり着くまでものすごい【過酷】だったらしい。

     ようやく局に戻ると、テレビの画面には津波の影像が映し出されていた。
     何度も、何度も、同じ映像が流されていた。
     さらに、時間が経つにつれ各地から届く影像を見るたび、この地震による被害の大きさが浮き彫りになっていった。

     異様に感じたのはCMだ。
     さすがにこんな未曾有の大災害の特番が組まれている時に自社のCMを流している場合じゃないと判断されたのだろう。
     ずっとACジャパンのストックの影像が流されていた。
     そんな画面を皆で食い入るように見つめていた。

     ようやく落ち着きを取り戻したのは深夜になってから。
     放送の中止が決定し、やることが無くなったので帰路についた。
     千代田線が動いていた。

     途中、お店で何か食べようとしたが、24時間営業の牛丼のファストフード店も閉店していて…。

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     コンビニやスーパーの棚からは水や保存食が消えていた。

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     売れ残りのカップ麺を購入しつつ、自分の部屋に着いたのは深夜の4時とか。
     「どうなっているだろう…?」部屋の鍵を開けると…。

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    「ひでぇ…」

     モノがグチャグチャに散乱。
     取り急ぎで片付けながら部屋の奥へ進むと…。

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    「…………」

    うず高く積み上げられていた雑誌の山脈が崩壊を起こして、布団に覆いかぶさっていた。
    おそらく、就寝中に地震が発生していたら何かしらの怪我をしていたに違いない。

    「危なかった…」

     そう思いながら雑誌やら荷物を片付け、ようやく就寝。

     こうして2011年…世間のムードは「東日本大震災」一色になった。
     それが俺の3.11

     がっ!!

     地震発生の8ヶ月後に【震災よりもっと重大な出来事】が降りかかってくるとは、この時は夢にも思わなかった。。

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    テレビやラジオの世界で「放送作家(構成作家)」と呼ばれる仕事をしてます。 文字を扱うプロフェッショナル…の端くれです。 [考察][見解][創造][喜怒哀楽]をテーマに己の気の向くまま毎日noteを投稿中。 mixi歴は17年。 ハイボールが大好きな【昭和レトロ】のオジサンです。

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