変化して気づいた、有り難さと生きる意味
以前までの過去の人生、
有り難さに中々気づくことができていませんでした。
感謝を心から思うことも無かったと思います。
精神的病気の影響など様々な要因もあったりすると思いますが、
有り難さに気づいてもすぐにその有り難さを忘れたりしました。
過去、様々な感情や状態があっても
・普通に生活出来ていました。
・交友関係もありました。
・大切な人もいたりしました。
・望んでも望んでいなくても気づけば側に、
また欲しいものも比較的手に入りやすい環境だったと思います。
違和感があってもそれが言語化出来ず、分からなかったとは思いますが、上記が当たり前で何の疑問も持っていませんでした。
徐々にそれが崩れていきました。
・何をやっても上手くいかない、上手くいっていない感覚、どうしたらいいのか何をしたらいいのか分からない、倦怠感や不安感、焦燥感など。
そんな心情の中で心身ともに疲弊し酷い時には動けないくらい普通に生活することすら出来なくなりました。
・実際に触れ合う友人や大切な人は居なくなりました。
・本当に欲しいと思って挑戦したり望んだりしても最終的には手に入らない、手に入ってもそもそも本当に欲しいモノか分からない、分からなくなりました。そして欲しい感覚すら無くなりました。
それが10年くらい続いていました。
それでも、少しずつ徐々に変わっていきました。
・色々あるにせよ以前より規則正しく、時間はかかったりしますがそれでも以前よりは感情的に悩んだり苛まれる事が少なくなりましたし、揺れたりしても持ち直す事ができる様になって成長を感じる様になりました。
・実際に触れ合う友人は今も居ないに等しいですが、人と触れ合う機会が増え、人にも環境にもその人に色々あっても恵まれていると思う様になりました。
・恋愛について改めて考える様にもなりました。
・自分が心惹かれるものを無理してでもこれしかないだとかこれだと確定づけたり、手に入れようとしなくなりました。目標や自分に必要だと思うモノを日々よくなるような積み重ねのイメージで無理せず自分にできるペースで日々を送るようになったと思います。
失って
気づいて
心で感じ取って
理解して
何事も有ることの難しさ大切さを痛感し、
有り難いと感じるようになったと思います。
毎日は正直思えていません。
忘れていることもあるかもしれません。
それでもふと
不幸で一人だったと思っていた日々が様々な物や人、場所、様々な縁に恵まれながら生きてこられた。これは紛れもない事実で幸せなのではないかな。有り難いなと。
今も自分には色々ある。
それでも今生きられているし、これまで生きてこられた。
これは紛れもない事実です。
「友人の多い方が羨ましかった。」
[少なくとも気にかけてくれた人や家族、大切な人、友人は居たのに。]
「出来ないことばかりで何もない自分が嫌だった。」
[全てが出来ない訳ではないしその場でやることや役割はいつもあったのに。]
「何をしても上手くいかないし成れない、本当に欲しいものは手に入らない意味がない。」
[それまでに経験したことや過程から得られたものは目では見えないものだったりもするのに。]
無いものばかりに目を向けるのは人間の性なのかもしれません。
ネガティブをポジティブに出来るだけ考えるようになったとは思いますが、生きていく上で全てを肯定したりするのは難しいものです。
ただ、それでも今生きている。諦めたりしても今を生きています。
人と比較したりして、その人になりたい。
何かが沢山欲しい。
それは手に入れたりして心は本当に幸せなのか。
何かを経験して
心で感じ取って
心で気づいて
凄く大切なように思います。
何故か怒らせました、傷つけました。
色んなことを言われたりしました。
人の気持ちが分かりませんでした。
気づけば自分を閉じ込め、思っていることを話せなくなりました。
ですが少しずつ人を傷つけたくない、理解したいと思うようになりました。
今でも分からないことが多々あります。
それでも感じ取り想像する事はやめたくないと、諦めたくないと思います。
その気持ちを毎日ではなくとも心に留めておくと、気付けば肯定的であったり嬉しかったりする言動を受ける事が多くなってきました。
ある方から以前こんなお言葉をいただきました。
「その人が発する言葉よりも行動を見なさい」
この言葉の意味は目で見える行動を見ることは大切だと思うのですが、単なる行動を見るだけではない気がします。
「生き様」を見る。
そんなようにも思います。
生きる事は難しいです。苦しかったり辛かったり悲しかったりして挫けそうになって諦めたりしたくなることもあります。
これから先も分かりません。
微塵も思っていない事はないですが、ただ人から見て一生懸命生きているなとか頑張ってるとかそんなように見てもらいたい訳ではありません。
自分の為にという気持ちもありますが、自分という人間が様々な縁に恵まれ、支えられながら生きてきた軌跡が誰かの心へ伝わり、役に立ちたいという気持ちや
「生き様」が伝わるような生き方をしたい気持ちがあるような気がします。
人間誰しも終わりがあります。
だからこそ、これまでの経験や感じてきたこと、誰かとの関わりの中で得たものを、何かしらの形で残していくことに意味があるのかもしれません。
生物は存続のために種を残します。
何かを残すために生きている。
そう、今は思います。