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メモ|健やかに呼吸できる関係

    最近、ひとつのことに気づいた。

    私は「自由」を求めているというより、主体性を大切にしている。

    主体性とは、「好き勝手にすること」ではない。

    それぞれの存在が、それぞれの意思やリズムを持ち、その存在として在ること。

    だから私は、人だけでなく、動物や植物、物に対しても、その存在らしさを尊重したくなる。



    以前は、この感覚をうまく言葉にできなかった。

    ただ、「なぜか息苦しい」と感じる場面があった。

    振り返ると、そこには共通点がある。

    相手が結論だけを伝え、途中のプロセスが共有されない。

    相手の判断を先回りして決めてしまう。

    自分の考える余白も、相手の選ぶ余白もない。

    そんな関係の中では、会話ではなく、一方通行の独り言を聞いているような感覚になる。

    参加する余地がない。

    だから理解できない。

    理解できないまま、高い成果だけを求められる。

    それは能力の問題ではなく、呼吸のできない環境だったのだと思う。



    私は、相手を主体として扱いたい。

    そして、自分も主体として扱われたい。

    「私はこう考えています。」

    「あなたはどう思いますか。」

    そんなやり取りができる関係は、とても心地いい。

    そこには、誰かが誰かの人生や判断を奪うことがない。

    お互いが、自分の足で立っている。

    その上で共鳴する。



    猫は、寝たいときに寝て、歩きたい方へ歩く。

    植物は、自分の季節に芽吹き、自分の速度で育つ。

    それぞれが、自分のリズムで存在している。

    そんな姿を見ると安心するのは、「自由だから」ではない。

    主体として生きているからだ。



    健やかさとは、主体性が守られている状態なのかもしれない。

    人も、自然も、情報も、それぞれが本来の場所に配置される。

    そのとき初めて、循環が生まれ、呼吸が深くなる。

    これは、以前書いたAPT理論にも通じる感覚かもしれない。


    私が求めているのは、特別な世界ではない。

    ただ、お互いが主体として存在し、健やかに呼吸できる関係で生きたいだけなのだ。


     
     
    基準を設計し、自主性を支える。 人が自分の現在地を知り、自分で考え、選べる仕組みを設計する人。 体感・観察・研究を、誰もが参照できる「座標軸」へ編集し、自分の現在地を「基準点」として実演。そのフィールドワークの結果を結晶化し、ブランド価値として届けています。 世界は広い。

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