メインコンテンツへスキップ
見出し画像

Clemens† 第6話「歌ってクレメンス」


    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門


    キャパ200のハコからオファーが来た。

    本八幡のライブハウスの系列店で、都内にある。今までの倍以上の大きさ。ブッキング担当が「SNSで話題になっているので」と言った。話題。僕たちの音楽が話題なのか、奏ちゃんのMCが話題なのかは聞かなかった。聞くのが怖かった。

    グループLINEに報告した。

    新井さん「おーいいね」。奏ちゃん「やったー!200人!全員にポニーテールの話聞いてもらえる!」。聞いてもらえない。Féeは既読だけつけて、翌朝「がんばろうね」とだけ返してきた。

    僕はセットリストを組み直した。繭についた名前、沈黙についての覚書、告解の雨、2メートル、月曜日の棺、そして新曲「名前のない花束」。6曲。今までで一番多い。トーク込みで50分のメイン枠。

    プロへの道が見える。このライブが良ければ、もっと大きな舞台に行けるかもしれない。まだ手書きのフライヤーと83回再生のYouTubeから始まったバンドが。


    ライブの二日前、スマホを開いたら通知が溜まっていた。

    音楽系のブログ。「Clemens†のボーカルFée、その声の正体に迫る」というタイトル。知らない人間が書いた記事だった。

    読んでしまった。読まなければよかった。

    声域のグラフが貼ってあった。Féeの声を周波数分析した画像。男性の平均音域と女性の平均音域の間に、Féeの声がプロットされている。どちらにも入らない。「カストラートの可能性」「ホルモン治療の可能性」「インターセックスの可能性」。可能性、可能性、可能性。全部推測だ。全部勝手だ。

    記事のコメント欄が伸びていた。顔も知らない人間たちが、Féeの身体のことを語っている。

    スマホを閉じた。

    翌日の練習で、メンバーに言った。

    「ネットでこういう記事が出てるんだけど、何か対応したほうがいいんじゃないかと」

    新井さんは「まあ、ほっとけばいいんじゃない?」と言った。

    奏ちゃんは「なんか言われてるん? うち読んでへんわ」と言った。

    Féeは「ふーん」と言った。

    僕だけが気にしている。僕だけがFéeを守ろうとしている。でもFée本人が守られたがっていない。守る、という行為自体が、Féeの何かを決めつけることになるのかもしれない。男だから守る。女だから守る。どちらにしても、名前をつけることになる。


    ライブ当日。

    楽屋で準備をしていた。レザーの巻きスカートを巻いて、新井さんの奥さんのブラをつけて、コルセットを締めて、フルゴスメイク。1時間。完璧に。今日は200人の前に立つ。気合いが入る。

    新井さんが来た。今日のTシャツは「館山 くじら弁当」。千葉つながりなのか偶然なのか。プレベを背負って穏やかに座った。

    奏ちゃんが来た。ポケットにスティック。金髪のポニーテール。今日は黒いTシャツの上に、何か長い布を持ってきていた。鍵盤柄のやつだ。また持ってきたのか。

    Féeが来た。

    開演20分前。今日は珍しく早い。制服に黒い羽織。虫かごもコンビニの袋も持っていない。手ぶらだった。

    Féeが僕の隣に座った。近い。2メートルより近い。

    「康夫くん」

    「ん」

    「ネットのやつ、読んだよ」

    僕は手を止めた。アクセサリーをつけていた手が止まった。


    画像

    Féeは読んでないと思っていた。「ふーん」は読んでないから出た反応だと思っていた。でも読んでいた。

    「気にしてる?」と僕は聞いた。

    Féeは少し黙った。銀髪が顔にかかっていた。いつもすっぴんに近い顔が、今日は少しだけ疲れて見えた。

    「……気にしてない、って言ったら嘘になる」

    Féeが自分の感情を見せたのは、初めてだった。いつも「ふーん」で「そうだよ」で「べつにいいけど」で流してきた子が。声がいつもより低かった。

    僕は何か言おうとした。「大丈夫だよ」とか「気にするな」とか。でもどれも嘘になる気がした。僕自身があの記事を読んで動揺したのだから。

    Féeが先に言った。

    「でも、歌えばいいだけだから」

    立ち上がった。銀色の髪が揺れた。袖の長い羽織から、姫袖の手が出ている。それ以上は何も言わなかった。

    歌えばいいだけ。

    それがFéeの答えだった。名前をつけられても。身体を語られても。声を分析されても。歌えばいいだけ。声がすべてを超えていく。


    ステージに上がった。

    キャパ200のハコ。客は80人くらい。今までで一番多い。照明が今までより明るい。ステージが広い。僕たちの立ち位置が少し遠くなった。Féeまでの距離が、いつもの2メートルより少し広い。

    1曲目。「繭についた名前」。

    いつもの曲だ。でも今日のFéeの声は、何かが違った。いつもより鋭い。いつもより切実。ネットの記事を読んだ日のFéeは、証明しようとしているように聞こえた。いや、証明じゃない。宣言だ。これが僕の声だ、という。

    「名前をつけないで 名前をつけたら終わるから」

    80人の前で、Féeはそう歌った。初めてこの歌詞が、ただの歌詞ではなく、Féeの言葉に聞こえた。

    2曲目。「沈黙についての覚書」。

    「黙れ 黙れ 黙れ お前たちの声が聞こえる 知りもしない名前を呼んで 知りもしない身体を語る」

    80人が黙った。Féeの「黙れ」が、ライブハウスの空気を凍らせた。

    3曲目。「告解の雨」。雨のようなギターのディレイが空間を満たした。

    前半3曲が終わった。客の拍手が、今までで一番厚かった。


    トークパート。

    奏ちゃんがスティックを握ったままドラムセットから出てきた。金髪のポニーテールを揺らしながら。

    「はい! Clemens†の吉本です! 今日はでっかいハコですよ! 80人! 信じられへん! ありがとうございます!」

    客が拍手した。奏ちゃん目当ての客がいるのは、もう間違いない。

    「今日ぐらいはしっかりメンバー紹介したいなと思います」

    僕は驚いた。まともなMCをする気だ。成長したのか。今日はちゃんとClemens†のメンバーを紹介してくれるのか。200人規模のハコで、プロらしい——

    「ドラムはミッキー、伊藤かずえさんやで。うちがリスペクトしているドラマーや」

    客が困惑した。僕の頭が真っ白になった。ドラマー役をリスペクト。

    「ベースはミノル。ディスコの裏でダミーで弾いてるんやけど、線が細くてうちのタイプ。誰かと思ったら、坂上忍! 毒舌おじさんになる前の」

    ザ・バンデージだ。昔のドラマ「ポニーテールはふり向かない」のバンドだ。Clemens†のメンバー紹介ではなく、架空のバンドの——昭和のドラマのバンドの——メンバー紹介を始めている。80人の前で。

    そして、坂上忍にはさん付けじゃない。

    「サックスは——」

    奏はザ・バンデージの全員を紹介し始めた。一人ずつ。エピソードつきで。トミーとマツ、という謎のワードが飛び出した。客の何人かがスマホで検索している。昭和のドラマを令和のライブハウスで検索している。

    鍵盤カバーのピアニストのくだりで、奏は例の布を持ち出した。首に巻いた。赤い鍵盤柄の布を。

    「妹にはちゃんとしたマフラーを買うんですよ。でも貧しいから自分のは買えへんから、ピアノの鍵盤カバーを巻くんです。泣けるわ……ほんま泣けるわ……」

    奏は本当に泣きそうな顔をしていた。夏のライブハウスで。汗だくで。鍵盤カバーを巻いて。

    客の大半は困惑していた。

    でも——客席の一人が頷いていた。

    一人だけ、ザ・バンデージのメンバー紹介に反応している人間がいた。Dailymotionで全話見たのだろうか。その一人が、奏のMCに合わせて小さく拍手していた。

    奏が気づいた。

    目が輝いた。ステージの上で、金髪のポニーテールが跳ねた。

    「あっ! 見た人おるん?! 見たん?! ポニーテール見たん?!」

    客席の一人が手を挙げた。

    奏が止まった。スティックを握ったまま。鍵盤カバーを首に巻いたまま。目が潤んでいた。

    画像

    「ありがとう……ありがとう……うちな、ずっとこの話してきて、誰も見てくれへんくて……」

    ドラマーが泣いていた。80人のライブのMCで。昭和のドラマを一人が見てくれたことに。

    客が笑いながらも、温かい拍手をした。一人が「がんばれ」と声をかけた。ゴスバンドのライブで「がんばれ」。何をがんばるのか。ドラマの布教を。

    康夫はステージの端でジャガーを抱えたまま思った。このバンドは何なんだ。ゴスロックバンドのMCで昭和のドラマの布教が実って泣いているドラマーがいて、客が笑っていて、温かい。こんな空間がゴスバンドのライブにあっていいのか。

    隣を見た。新井さんが穏やかに笑っている。館山くじら弁当のTシャツで。Féeが小さく手を叩いている。制服に黒い羽織で。

    いいんだろうな。まあ。


    後半の演奏。

    4曲目。「2メートル」。ライブ初披露。

    デモではアコースティックギターだけだった曲を、フルバンドで。僕のクリーンギターが旋律を担う。新井さんのベースが支える。奏ちゃんのドラムが静かに刻む。さっきまで泣いていた人間のドラムが、今は正確にリズムを刻んでいる。この子は本当はドラムが上手い。

    Féeが歌い始めた。

    「手を伸ばせば届く距離に 知らない人が立っている」

    僕はギターを弾きながら、Féeを見た。今日は2メートルより少し遠い。広いステージだから。でも声は近い。いつもと同じくらい近い。

    「近いのに遠い 遠いのに離れない 知りたい気持ちが 足を止めてしまう」

    この歌詞を書いたのは新井さんの奥さんだ。会ったことのない人が。Féeの声を動画で聴いて、「この声にだけ書きたい」と言った人が。

    「名前も知らないまま ただ隣にいる それだけが正しいなら にメートルで歌おう」

    客席が静かだった。80人が息を止めていた。Féeの声だけがハコに響いていた。

    5曲目。「月曜日の棺」。ゴスボサノバ。客の何人かが笑顔になった。リピーターだ。この曲を知っている人がいる。「でもお腹が空くから出ていく」でうなずいている人がいる。Clemens†の曲を、好きでいてくれる人が。


    そしてラスト。6曲目。

    新曲。「名前のない花束」。

    今日が初披露。練習では何度もやった。でもステージで客の前でやるのは初めてだ。

    僕はジャガーを構えた。新井さんがプレベを構えた。奏ちゃんがスティックを上げた。Féeがマイクを握った。

    今までの5曲は、どれも楽器が順番に入った。ベースが先に鳴って、ドラムが入って、ギターが重なって、声が来る。あるいはギターから始まって、ベースが入って。一つずつ。一人ずつ。

    この曲だけが違う。

    1拍目。

    全員が同時に鳴った。

    ギターとベースとドラムが同時に空気を割った。今までで一番力強い立ち上がり。4人が同時にそこにいるという宣言。

    Féeが歌い始めた。

    「誰が決めたの 男か女か 右か左か 丸いものに角をつけて 名前を貼って安心してる」

    声が強かった。今日のFéeは——今までで一番強い声を出していた。ネットの記事。カストラート疑惑。声域分析。名前をつけようとする人たち。そのすべてに対する返答が、この歌だった。

    「僕はどこにも入らない あなたもどこにも入らない はみ出した同士が集まって 音を出したらバンドになった」

    サビが来た。

    「名前のない花束を抱えて 誰にも渡す気がない きれいかどうかは知らないけど これが今の僕たちだから」

    僕は弾きながら、泣きそうになっていた。メイクが崩れるから泣けなかった。1時間かけたメイクが。でも目の奥が熱かった。

    2番。「正しくなくていい わからなくていい ラベルを剥がした瓶の中身が 一番うまかったりする」。

    サビが繰り返された。「名前のない花束を抱えて 枯れるまで離さない 誰かがつけた名前よりも この音の方が確かだから」。

    Cメロに入った。

    ギターが止まった。ベースが止まった。

    ドラムだけが残った。

    奏ちゃんのリズムだけが、ハコに刻まれていた。MCで喋りすぎるドラマー。ポニーテールは振り向かないを泣きながら布教するドラマー。そのドラムが、今は黙って刻んでいた。正確に。力強く。名前が「奏」の人間が、ここで初めて本当に奏でていた。

    その上でFéeが歌った。

    「ボーカルもギターも関係ない おじさんも女子高生も関係ない ドラムが喋りすぎても ベースがTシャツでも ここにいることが答えなら それ以上何がいるの」

    客が息を止めていた。僕たちの話を歌っている。このバンドの4人のことを歌っている。新井さんの奥さんが書いた歌詞で。会ったことのないメンバーのことを。でも全部正しい。全部僕たちだ。

    ラスサビ。

    画像

    全楽器が戻った。最大音量。ギターが唸る。ベースが地鳴りのように響く。ドラムが爆発する。

    「名前のない花束を 名前のないまま抱えて いつか枯れる日が来ても 今ここで咲いている」

    そしてFéeが——曲の構造から逸脱して——叫んだ。

    「歌ってクレメンス」

    サビの外だった。楽譜に書けない場所だった。Féeが自分のバンドの名前を呼んでいた。慈悲深い、という意味の名前を。

    「まだ歌ってクレメンス」

    全楽器が最大音量で鳴っていた。

    そして——止まった。

    一斉に。全員で。同時に。

    フェードアウトではなかった。消えていくのではなかった。切れた。音が切れた。

    繭についた名前はフェードで消えた。告解の雨もフェードで消えた。月曜日の棺もゆるく消えた。2メートルも消えた。全部消えていく終わり方だった。

    この曲だけが、消えなかった。切れた。

    80人の沈黙が、その後に来た。

    長い、長い沈黙。

    それから——拍手が来た。今までで一番大きな拍手だった。


    ライブ後。

    打ち上げのファミレスで4人が座っていた。僕がバンドに入る前に顔合わせをしたのと同じファミレスではないけれど、似たような席で、似たような並びで。

    奏ちゃんが「今日のMCどうやった?」と聞いてきた。

    「ザ・バンデージの紹介はもういい」

    「えー、でもあの人見てくれてたやん! 一人おったやん!」

    「一人ね」

    「一人から始まるんやで! ミッキーかて最初は一人でスティック振ってたんやで!」

    ミッキーの話はもういい。でも一人から始まるという言葉は、少しだけ刺さった。Clemens†も、83回再生から始まったのだから。

    新井さんは「まあ、いいライブだったんじゃない?」と言った。館山くじら弁当のTシャツで。

    Féeは「名前のない花束、よかった」と言った。短く。でも本気の声で。

    「ありがとう」と僕は言った。

    Féeがフライドポテトに手を伸ばした。手づかみで。食べ方が豪快だった。第1話のファミレスで肉まんを頬張っていたのと同じ。変わっていない。何も変わっていない。銀髪の、小さな、正体不明の——僕がこのバンドに入った理由。

    新井さんが言った。

    「次のフライヤー、作らないとね」

    僕は身構えた。

    「奏ちゃんがさ、ジャガーさんのほうがいいって言うんだけど」

    「Jaguar(康夫)はやめてください」

    「ええやん! ジャガーさんのほうがかっこいいし、千葉感あるし!」

    「千葉感いらない」

    「まあいいんじゃない?」と新井さんが言った。

    よくない。よくないけれど、たぶん止められない。次のフライヤーには「Jaguar(康夫)」と書いてあるだろう。ゴスフォントで「Jaguar」、カッコの中に明朝体の「康夫」。その横にAbgrandとかAbgruntとか、また違う綴りのベース名。漢字の「吉本」。そしてFée。

    Clemens†
    Vo. FĂŠe
    Gt. Jaguar(庡复)
    Ba. Abgrund(綴り未確定)
    Dr. 吉本
    

    フライヤーの中で、Féeだけがいつも変わらない。活動名だけ。本名なし。カッコなし。注釈なし。何も明かさない。何もつけない。

    名前のない花束の中で、一番名前のない花。

    僕はポテトに手を伸ばした。Féeの手とぶつかった。指が触れた。冷たかった。あの日と同じ。ゴキブリを渡された日と同じ。

    画像

    2メートルより、ずっと近かった。

    「あ、ごめん」

    Féeが手を引いた。僕も引いた。

    ポテトを一本取って、口に入れた。塩味がした。

    これでいい。

    名前も知らない。性別もわからない。年齢も怪しい。住所も知らない。本当に高校生かもわからない。ブラジャーを知らない。Vo.が読めない。トポロジーはわかるのにわさびがわからない。カブトムシだと思って渡してきた虫はゴキブリだった。

    でもあの声を聴いたとき、僕は全部を捨ててこのバンドに来た。それだけは確かだ。それだけが、今も確かだ。

    知らなくても一緒にいられるのがバンドだと、新井さんは言った。

    2メートルで歌おう。

    まだ歌おう。

    歌ってクレメンス。


    Clemens† シーズン1・完

    最後まで読んでいただきありがとうございました!
    明日からは「ポニーテールはふり向かない」ではなく、奏ちゃんの短編です。

    でも、「ポニーテールはふり向かない」なんて見たことある人いるんだろうか…奏ちゃんの気持ちがよくわかります。




    ポニーテールは止まらない Clemens† 番外編へ続く

     
     
    裏原の雑居ビルの4階にある女装サロンで、 お客様を変身させています。 看板は出していません。 たまに呼ばれて、別の街でも筆を持ったり刷毛を持ったり。 自分はストッキング一枚で完結しています。 妻はいつも正しい。

    あなたへのおすすめ