
エミの物語【16】 夜のパレード
戸が閉まる音は、そのあともまだしばらく続いていました。
遠くでひとつ。
近くでまたひとつ。
その音が響くたびに、宿場の家々が順番に夜の形になっていくようでした。
部屋の中は、だんだん暗くなっていました。
壁にかけられた古い布の鳥も、夕方より見えにくくなっていました。
四枚の羽。
二つのくちばし。
目のない顔。
その鳥は暗くなっても、まるで自分の形を忘れないように壁に残っているようでした。
リタは壁ぎわに座っていました。
膝を立て、短剣の近くに片手を置きながら、顔は部屋の戸のほうへ向けていました。
マグナは、銃の手入れをしていました。
細かい部品を外して、中に溜まった煤を掃除しているようでした。
まだ眠るつもりはなさそうでした。
イサムは、備え付けのランタンに火を灯したあと、床の草の敷物にあぐらをかきました。
時々、横の小屋のほうに耳を向けていました。
ボードットのいる小屋から、草を踏む音がしました。
ぱさり。
それから、低い鼻の音が聞こえました。
イサムは、少しだけ安心したように息を吐きました。
「落ち着いたみたいだ」
そう言ったときでした。
外から、音が聞こえました。
どん。
太鼓の音でした。
少し間を置いて、もう一度。
どん。
それから、鈴の音が重なりました。
しゃら、しゃら、
と小さな音が、遠くのほうから近づいてきているようでした。
エミは顔を上げました。
リタも、同じく顔を上げていました。
イサムは、少しだけ目を丸くしました。
「ずいぶんとにぎやかだな」
そうイサムが呟いて間もなく、低い廊下の向こうで足音が部屋に近づいてきました。
続いて、こんこん、と部屋の戸が叩かれました。
「起きてるかい」
宿場の女の声でした。
マグナが立ち上がり、戸のそばへ行きました。
戸を開けると、宿場の女が立っていました。
手には、細い木札を何枚か持っていました。

廊下の奥から、太鼓と鈴の音が聞こえていました。
そこに、笛の音が少しずつ混ざってきました。
宿場の女は、表の戸のほうを見てから言いました。
「パレードだよ」
エミは、その言葉を聞いただけで、華やかな気持ちになりました。
パレード。
その言葉なら、エミも知っていました。
以前、母に連れられて行った遊園地で、エミはパレードを見たことがありました。
賑やかな音楽が鳴り、綺麗な飾りをつけた人や出し物が、列になって進んでいくもの。
それを見るために、大勢の人が集まっていました。
そんなものなら、楽しそうだと思いました。
宿場の女は、木札を一枚、マグナに渡しました。
それから、リタにも、イサムにも、エミにも渡しました。
木札には、目のない鳥の絵が小さく焼きつけられていました。
「行くならどうぞ。持ってるだけでいいよ」
宿場の女は言いました。
「落とさないようにね」
イサムは、木札を裏返して見ながら言いました。
「ほう、パレードかい。ここは景気がいいんだな」
「ああ、そうさ。こんな日に泊まるなんて、運がいいね」
宿場の女は、少しだけ笑いました。
エミは、もう一度、外の音を聞きました。
太鼓や鈴、笛の音に混じり、人々の楽しげな声が聞こえて、まるでお祭りのようでした。
「すごい偶然ですね。いつまでやってるんですか?」
エミが聞くと、宿場の女は首をかしげました。
「いつまで?」
それから、何でもないことのように言いました。
「まだまだ終わらないよ。少なくとも、あと三年は続くね」
エミは、返事ができませんでした。
それは、エミの知っているお祭りとは、だいぶ違っていました。
聞き返そうとしたとき、外で太鼓が大きく鳴りました。
どん。
戸板が、少し震えました。
宿場の女は、木札を持った手で表の戸のほうを指しました。
「もう近くに来るよ」
そして、少しだけ声を低くしました。
「ああ、そうそう。初めてだろうから言っておくけど、列には入らないこと」
エミたちはうなずきました。
それを見てから、宿場の女は低い廊下を歩き出しました。
***
表の戸を出ると、道の向こうが明るくなっていました。
外は、すっかり暗くなったわけではありませんでした。
空には、まだ白い光が少し残っていましたが、道の上には、もう夜がたまり始めていました。
宿場の家々の戸は、ほとんど閉まっていましたが、細く開いた戸のすきまや、窓の内側から、人の気配がしていました。
子どもたちが、戸口から顔を出していました。
年寄りたちは、戸の外に低い椅子を出して座っていました。
家から出ている人たちは、誰も道の真ん中には出ず、みんな道の端にいました。
エミたちも、宿場の女に言われて、石の水場の少し手前で足を止めました。
道の向こうの明るさが、少しずつ大きくなっていました。
最初に見えたのは、灯りでした。
丸い灯り。
細長い灯り。
花の形をした灯り。
魚の骨のような灯り。
それらが、ゆらゆらと揺れながら近づいてきました。
灯りを持っている人たちは、派手な布を肩にかけていました。
赤や青や黄色の布が、夜の道の中でひらひらと動いていました。
顔には、白い粉を塗っている人もいました。
口のまわりだけを赤くしている人もいました。
太鼓を叩く人。
笛を吹く人。
鐘のようなものを鳴らす人。
それぞれの音は、ばらばらでした。

けれど、ばらばらなまま、ひとつの列になっていました。
エミは、思わず息をのみました。
きれいでした。
先頭の人たちが通り過ぎると、次に、大きな鳥が来ました。
紙と細い木でできた鳥でした。
内側から明かりが灯っていて、羽の形が夜の中に浮かび上がっていました。
羽は四枚ありました。
くちばしは二つありました。
けれど、目のあるはずの場所には、ただ紙と竹の継ぎ目があるだけでした。
エミは、宿の部屋の布を思い出しました。
壁にかかっていた、あの目のない鳥でした。
布に縫い取られていた形が、そのまま明かりを入れられて、道の上へ出てきたように見えました。
鳥は、人に引かれているのか、自分で進んでいるのか、よくわかりませんでした。
明かりを入れた大きな体だけが、するすると道を滑るように進んできました。
リタが、小さく言いました。
「……きれい」
エミは、うなずきました。

その後ろから、屋根が来ました。
小さな屋根でした。
何人もの人が、棒を肩に乗せて担いでいました。
屋根の下には、細い木札がたくさん下がっていました。
それが、歩くたびに楽器のようにかたかた鳴りました。
屋根の中には、人影のようなものが見えました。
けれど、すだれがかかっていて、よく見えませんでした。
イサムは、それを見て言いました。
「家が歩いてるみたいだな」
宿場の女は、笑いました。
「ここでは、みこしって呼ぶんだよ」
「ほう。みこし、ね。初めて聞いたよ」
「なら、よく見ていきな。よそではあまり見られないだろうからね」
宿場の女は、それ以上は言いませんでした。
次に来たのは、湯気でした。
大きな桶のようなものを、二人が前で引き、二人が後ろから押していました。
桶の上から、白い湯気がもくもくと出ていました。
湯気の中には、小さな灯りがいくつも入っていました。
そのせいで、湯気は白く光って見えました。
湯気のそばでは、派手な服を着た人たちが、何かを言いながら歩いていました。
声は明るく、楽しそうでしたが、エミには何を言っているのかわかりませんでした。
言葉のようにも聞こえましたが、歌のようにも聞こえました。
草の束を背負った子どもたちが、その後ろを跳ねるように歩いていました。
草の束には、小さな鈴がいくつも結ばれていました。
跳ねるたびに、しゃらしゃらと鳴りました。

その子どもたちは、こちらを見て笑いました。
子どもたちの後ろでは、大きな灯りが、家々の屋根より高いところでゆっくり揺れていました。
エミも、少しだけ笑い返しました。
胸の中に残っていた不安が、少し軽くなったような気がしました。
マグナも、少しだけ表情をゆるめていました。
リタは表情を変えませんでしたが、灯りや人や音が通るたびに、目だけはそちらに向けていました。
イサムは、湯気の桶の後ろを見ながら言いました。
「食べものはないのかな」
宿場の女は、また少し笑いました。
「いいや、見るだけだよ」
「そうかい、残念だな」
「列には入らない。何ももらわない。名前を呼ばれても返事をしない」
宿場の女は、今度は笑わずに言いました。
「それだけ守って、見ていればそれでいい」
イサムは、口を閉じました。
道の向こうから、さらに大きなものが来ました。
獣にも、魚にも、山にも見える、紙と竹でできた大きな作り物でした。
体の内側から赤や青や緑の光がともり、表面にはたくさんの渦や足あとや文字のような模様が描かれていました。
作り物は大きすぎて、家々の軒に少し触れそうでしたが、宿場の人たちは慣れているように、少しだけ体を引いて見送りました。
作り物の口は開いていました。
赤い光が、道の石に落ちました。
青い光が、宿場の女の前掛けに映りました。
緑の光が、少しだけ頬を照らすと、リタは目を細めました。
列は、いつまでも続くようにも思えましたが、ついに最後尾が見えてきました。
派手な作り物は、もう道の向こうへ行っていました。
残っているのは、小さな灯りを持った人たちと、遠くなった鈴の音だけでした。
列の最後の灯りが、エミたちの前を通ろうとしていました。
その灯りのすぐ後ろに、黒いものがひとついました。
灯りも持たず、鈴も鳴らさず、色のついた布も面も身につけていませんでした。
ただ、人の形をした影が歩いているように見えました。
それは、ちゃんと列の最後にいるのに、どう見ても列の一部には見えませんでした。
黒いものが、エミたちの前を通りました。
顔は伏せられていました。
目も見えませんでした。
こちらを向いたわけではありません。
それでも、エミにはわかりました。
見られた。
そう思いました。

エミは、灰の道を思い出しました。
あのときも、黒い影が立っていました。
人のようで、人ではないような形でした。
そして、こちらを見ていることだけは、なぜかわかったのです。
エミは、手の中の木札を強く握りました。
黒いものは、音もなく通り過ぎていきました。
ただ、その黒いものが最後の灯りのあとを抜けていくあいだだけ、道の明るさが少し沈んだように見えました。
エミは、宿場の女を見ました。
宿場の女も、それを見ていました。
さっきまで少し笑っていた顔から、笑いが消えていました。
「あれは……」
エミが言いかけると、宿場の女は、道の先を見たまま言いました。
「何だったんだろうね」
エミは、思わず聞き返しました。
「いつもいるものじゃないんですか」
宿場の女は、少し遅れて首を横に振りました。
「私は、初めて見たよ」
そのとき、最後の灯りが道の向こうで消えました。
さっきまであんなににぎやかだった道は、急に細く、暗くなっていました。
宿場の女は、空になった道を見ていました。
「こんな日に泊まるなんて、運がいいって言ったけど」
そこで、言葉を切りました。
「本当に、そうだったのかもしれないね」
エミは、何も言えませんでした。
手の中の木札だけが、少しずつあたたかくなっていました。
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