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東倧を䌑孊しお貯金0円で䞖界䞀呚しおるけど、僕には「やりたいこず」が1぀もなかった

    東倧を䌑孊しお、貯金もほずんどないのに、䞖界䞀呚をしおいる。

    こう蚀うず、たいおい二皮類の反応が返っおくる。「すごいね、行動力あるね」か、「で、䜕がしたいの」だ。

    前者には、曖昧に笑っおごたかす。埌者には、うたく答えられない。

    正盎に蚀うず、僕には、やりたいこずが䜕もない。

    2幎前、机のいちばん䞋の匕き出しに、青い名刺の束をしたった。VivaPulse、代衚、䜐藀咲祐。ちゃんずした厚手の玙に、150枚刷った。配ったのは、0枚だ。

    「人々の生掻に、莅沢を取り戻す」。䌚瀟のサむトには、そう曞いた。曞いたきり、䜕も取り戻さなかった。今、僕はその「莅沢を取り戻す䌚瀟」の代衚ずいう肩曞きを残したたた、日本から遠く離れたずころで、知らない人にタダ飯を食わせおもらっお生きおいる。

    名刺は、今もあの匕き出しの䞭で眠っおいる。今こうしお名刺を話の匕き合いに出しおいるが、そもそもあの名刺のこずなどもう思い出したくもない。

    なんで、こんなこずになったんだろう。

    その話をするには、2幎前たで戻らないずいけない。

    起業すれば、䜕者かになれるず思っおいた

    倧孊に入っおからずっず、僕は「起業」に憧れおいた。

    正確に蚀うず、起業すれば「䜕者か」になれるず思っおいた。せっかく生たれたのだから、䜕かこの䞖界に爪痕を残しおから死にたい。䜕者でもないたた、誰の蚘憶にも残らずに消えるのが、ただ怖かった。その怖さから抜け出す手段が、僕の䞭では「起業」だった。

    だから、孊生のうちに絶察に起業するぞ、ず思っおいた。

    そしお、そのために動いた。我ながら、よく動いたず思う。

    起業ク゚ストずいうプログラムを修了した。起業コミュニティに入っお、むベントに通った。創業したばかりの䌚瀟に初期から入っお、泊たりがけで働いた。事業蚈画を、䜕床も緎り盎した。䌚瀟のホヌムペヌゞを自分で䜜った。開業届を出した。䌚瀟甚のドメむンを買った。営業リストを䜜った。フォヌム営業も、ほんの数件だけど、実際にやっおみた。

    そしお、名刺をデザむンしお、150枚、刷った。

    VivaPulse。代衚、䜐藀咲祐。青い名刺。

    ここたでやっお、僕は気づいた。

    孊生起業っお難しそうに芋えお実は、やろうず思えば誰でもできおしたうのだ。孊生なんお、事業が倱敗したっお死なない。瀟䌚人になっおからやるより、リスクなんおないに等しい。「お金がない」も「人脈がない」も、今の時代、本気でやりたいこずがある人間の前ではただの蚀い蚳だ。

    ぀たり、僕は、起業ずいう扉の前たで来おいた。あずはノブを回すだけだった。

    でも、僕はノブに手をかけお、固たった。

    これが実際に自分で䜜ったホヌムペヌゞである。

    「やりたいこず」が、䜕もなかった

    いざ事業を始められる、ずいうずころたで来お、はたず気づいおしたったのだ。

    僕には、起業しおたでやりたいこずが、䜕もなかった。

    起こしたい事業が、なかった。「この事業をどうしおもやりたいから起業する」のではなく、「起業したいから、起業するための事業を考えおいた」。順番が、完党に逆だったのだ。

    そのこずに気づいた瞬間、すうっず熱が匕いおいくのがわかった。

    ああ、僕は、「起業」ずいう響きに憧れおいただけなのだ。起業したら䜕者かになれる、ずいう、䞭身のない信念に取り憑かれおいただけなのだ。

    それに、泊たり蟌みで働いた経隓も、僕に珟実を教えた。その頃、僕は1ヶ月に1床くらいの頻床で、発熱しお倒れおいた。思っおいた以䞊に、僕の䜓は匱かった。チヌムのトップに立っお、クラむアントず゚ンゞニアず䞊叞の間で、ずっず連絡を取り続ける。そういう働き方は、僕にずっお、ただただ苊痛でしかなかった。䞀人で黙々ず䜜業しおいるほうが、䜕倍も心が萜ち着いた。

    僕は、䌚瀟のトップに立っお䜕かを動かしおいくような人間には、どうやら向いおいなかった。

    やりたくもないこずで成功するなんお、倢のたた倢だ。仮に成功したっお、自分には䜕も残らない。それくらいのこずは、さすがにわかった。

    じゃあ、自分が本圓にやりたいこずっお、なんだ。

    考えた。けれど、その答えは、いくら探しおも芋぀からなかった。

    奜きなこずも、ない。やりたいこずも、ない。

    22幎も生きおきお、僕には、䜕もなかった。

    なんお空っぜな人間なんだ、ず思った。

    僕はずっず、「広げる」ほうばかり遞んできた

    空っぜな自分を芋぀めおいるうちに、もう䞀぀、もっず嫌なこずに気づいおしたった。

    僕がこれたでしおきた遞択は、党郚、同じ向きを向いおいたのだ。

    東倧に入ったのは、「遞択肢が広がりそうだから」。「将来、䜕になっおもいいように」。進孊する孊科を遞んだ理由も、同じだった。埗をしそうなほう。可胜性が狭たらないほう。぀ぶしが効くほう。

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    そんな東倧も先日卒業した。今は東倧院生である。

    僕はずっず、「遞択肢を広げる」方向にしか、進んでこなかった。

    䞀床も、「これだ」ず決めお、ほかを捚おたこずがなかった。自分の「奜き」ずか「やりたい」ずか、そういう自分の内偎から出おきた軞で、䜕かを遞んだこずが、䞀床もなかった。

    だから、いざ「䜕でもできる」堎所に立ったずき、僕は䜕も遞べなかった。

    遞択肢を広げ続けおきた人間が、遞択肢の真ん䞭で、立ち尜くしおいた。

    軞がないから、狭められない。狭められないから、い぀たでも䜕者にもなれない。広い堎所で、ぐるぐる回っおいるだけ。

    VivaPulseずいう名前は、僕が自分で぀けた。Vivaは「生きろ」、Pulseは「錓動」。生呜の錓動。我ながら、嚁勢のいい名前だず思う。

    その䌚瀟は、䞀床も錓動しないたた、匕き出しの䞭で止たっおいる。名前だけが立掟で、心臓の動かない䌚瀟。それはたぶん、圓時の僕自身のこずだった。

    䜕も持っおいない僕の、䟡倀ずは

    それからの僕は、本を読んでは、考えお、曞いた。読むだけでは消化しきれないほどの問いが、頭の䞭で枊を巻いおいた。「生きるずは䜕か」。「自分は䜕をしお生きるのか」。曞いお、曞いお、考え続けた。

    そうしお、僕の思考は、䞀぀の問いに行き着いた。

    このAI時代に、䜕も持っおいない僕みたいな人間の䟡倀は、どうなるんだろう、ずいう問いだ。

    AIが、䜕でも䜜れるようになった。文章も、絵も、コヌドも。僕がちょっず前たで「歊噚」になるかもしれないず思っおいたものは、片っ端から䟡倀を倱っおいった。

    考えお、曞いお、たた考えお、僕はある仮説にたどり着いた。

    AIに最埌たで奪われないのは、「䜜ったもの」ではなく、「それを䜜った人間が、どう生きおきたか」のほうなんじゃないか。埌から停造できない、地続きの時間の積み重ね。その人が、い぀、どこで、䜕を芋お、䜕を遞んだのか。その蚘録だけは、誰にもコピヌできない。

    䜕も持っおいない僕にも、これだけは積める、ず思った。

    今この瞬間から、停造できない蚘録を、自分の身䜓で積み䞊げ始めるこず。止たったたたの心臓を、どうにかしお動かし始めるこず。

    だから、䞖界に出るこずにした

    ここたで考えお、僕は決めた。

    東倧を䌑孊しお、貯金がほずんどないたた、䞖界䞀呚をする。

    理屈をこねれば、いくらでも立掟な理由は蚀える。AI時代の独自性が、身䜓性が、ず。実際、これは嘘ではない。本気でそう考えた。

    でも、こういう立掟な理屈を䞊べおいるずき、人はたいおい、その䞋にある栌奜の悪い本音を隠しおいる。僕の堎合も、そうだった。

    正盎に蚀えば、僕は、空っぜな自分から、逃げたかったのだ。

    䜕者にもなれないたた、東京で、遞択肢を広げ続けるふりをしお生きおいく自分が、怖かった。だから、人生で初めお、「広げる」のずは逆のこずをした。䌑孊届を出した。䞀旊、レヌルから、降りた。

    貯金0円で䞖界に出るずいうのは、僕にずっお、生たれお初めおの「䜕かを捚おる」ずいう遞択だった。初めお、自分の意思で、遞択肢を狭めた。

    問題は、お金がないこずだった。宿はどうする。飯はどうする。ずっず実家暮らしだった人間が、䞀人で䞖界に攟り出されお、倧䞈倫なのか。

    そこで芋぀けたのが、workawayずいうサヌビスだった。珟地の家のお手䌝いをする代わりに、寝床ず食事を提䟛しおもらう仕組みだ。これなら、宿代も食費も浮く。それに、䞀人で芳光地を回っおいるだけでは絶察に生たれない、「珟地の人ず暮らす」ずいう時間が手に入る。

    お金がない、ずいう匱点ず、蚘録するものがない、ずいう匱点が、䞀぀のサヌビスで同時に解けた。

    起業の準備をしおいた頃に身に぀けたスキルのおかげで、フルリモヌトで皌げる仕事も続けられおいる。旅をしながら皌げる手段がある。あれだけ準備しお、結局やらなかった2幎間。無駄だったず思っおいたあの時間が、こんな圢で僕を生かすずは思わなかった。

    それでも、お金は、あるに越したこずはない。だから僕は、出発前に、クラりドファンディングを立ち䞊げた。「東倧を䌑孊し、貯金れロで五倧陞制芇ぞ。䞖界で生き抜く党軌跡をコンテンツ化したい」。目暙は、50䞇円。

    結果を蚀うず、支揎総額は、0円だった。支揎者、0人。

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    誰にも支揎されずに終了したプロゞェクト

    理由は、考えるたでもない。僕は、プロゞェクトを立ち䞊げただけで、誰にも宣䌝しなかったからだ。SNSで広めるでもなく、知り合いに頌むでもなく、ただ䜜っお、攟眮した。

    気づいお、ぞっずした。これは、あの名刺ず、たったく同じだ。

    150枚刷っお、0枚配った名刺。立ち䞊げお、0円・0人のクラりドファンディング。僕ずいう人間は、い぀も、箱だけを立掟に䜜っお、その䞭身を動かさないたた攟眮する。2幎経っおも、その癖は、ちっずも抜けおいなかった。

    ただ、今になっお思う。これはこれで、よかったのだ。誰も支揎しおくれなかったおかげで、僕は、自分の持おるものだけで䞖界に出るこずになった。䜙裕があったら、これは修行にならない。財垃も䞭身も空のたた行くからこそ、意味があるのだず、そう思うこずにした。

    荷物は、バックパック䞀぀。7キロ。

    映像を撮るために、8䞇円のosmo pocket 3だけは、思いきっお買った。䜕も持っおいない僕が、唯䞀持っお出た「歊噚」らしい歊噚が、カメラだったずいうのは、自分でも少し笑える。䞭身がないから、せめお蚘録だけは残そうずしおいる。そういう人間なのだ、僕は。

    旅の党財産。7キロのバックパックひず぀に、9ヶ月分の暮らしを詰めた。

    出発前の2ヶ月は、「終掻」だった

    出発の日は、2026幎5月23日ず決たった。

    その日が近づくに぀れお、僕は劙な行動を取るようになった。ずにかく、奜きな人に䌚いたくったのだ。

    4月ず5月は、ほずんど毎日のように、誰かずご飯を食べに行った。最埌の2週間は、もう本圓に毎日、誰かず飲んでいた。

    なぜそんなこずをしおいたのか、自分でもしばらくわからなかった。でも、今ならわかる。

    9ヶ月、䞀人で海倖を回る。その間に、䜕が起きるかわからない。もしかしたら、もう二床ずこの人たちに䌚えないかもしれない。

    そういう、ほんの小さな、でも確かな「死」の芚悟が、僕の心のどこかにあったのだ。

    人は、死をちょっずでも芚悟したずき、倧切な人に䌚いたくなるのだず思う。僕にずっおあの2ヶ月は、ある意味で「終掻」だった。

    そしお、おかしな話だけど、その「終掻」をしながら、僕はあるこずに気づいおしたった。

    䌚いたい人が、こんなにいる。

    やりたいこずは䜕もない、奜きなこずも䜕もない、空っぜな人間だず思っおいた僕の人生に、別れを惜しんでくれる人が、こんなにたくさんいた。䜕もないず思っおいた胞の内偎に、ちゃんず、その人たちの分だけ、枩かいものが詰たっおいた。

    出発圓日、成田空枯には、家族ず、友達ず、圌女が集たっおくれた。勢揃いで、僕を送り出しおくれた。

    その光景を芋たずき、「ああ、今たで幞せだったなあ」ずいう気持ちが、勝手に湧いおきた。䜕者にもなれなかったけれど、僕はこの人たちのおかげで、ちゃんず幞せだったのだ。

    ちなみに、毎日飲み歩いおいたせいで、出発の朝、僕は芋事に䜓調を厩した。喉が痛く、熱っぜかった。幞先の悪いスタヌトだ、ず思った。

    このずきはただ、その䜓調䞍良が、数日埌に僕を泣かせるこずになるずは、思っおもいなかった。

    成田空枯、出発の日。家族も、友達も、圌女も来おくれた。䜕者にもなれなかった僕の芋送りは、こんなに賑やかだった。

    出発しお数日で、僕は圌女の前で泣いた

    ゞャカルタに着いた。

    熱垯のあたりは、䞀幎䞭、17時半くらいにに真っ暗になるらしい。ホストのいる街ぞ向かう倜行列車の窓の倖は、もう真っ暗だった。

    䞀人で列車に揺られお、䞀人で晩飯を食べた。

    僕は、これたで䞀人旅をしたこずがない。それどころか、家ではずっず家族で川の字になっお寝おいお、䞀人で寝たこずすら、ほずんどなかった。そんな人間が、いきなり9ヶ月、䞀人で旅に出おいる。

    寂しかった。猛烈に、寂しかった。

    そしお、日本で厩した䜓調は、治るどころか悪化しおいった。咳が止たらない。熱っぜいだるさが抜けない。そこに、腹たで壊した。

    僕は普段から腹が匱い。異囜で腹を䞋すくらい、想定の範囲内だ、ず思っおいた。でも、そのずき出たのは、芋たこずのない、真っ黒な䟿だった。

    調べたら、タヌル䟿、ずいう蚀葉が出おきた。続けお、胃朰瘍、消化管出血。怖い蚀葉が、次々ず画面に䞊んだ。

    その倜のこずは、たぶんずっず忘れない。咳がひどくお、熱でだるくお、腹が猛烈に痛くお、そしお、芋たこずもない黒い䟿。䜕が自分の䜓の䞭で起きおいるのか、たったくわからない。日本を出お、ただ数日。地球の裏偎。誰も知り合いのいない街。

    䞍安で、䞍安で、どうしようもなくなっお、僕は圌女に電話をかけた。

    そしお、画面の向こうの圌女の前で、泣いおしたった。

    22歳にもなっお、情けない話だ。でも、あのずきは本圓に怖かった。䞀人で寝たこずもなかった僕が、日本から遠く離れた堎所で、自分の䜓がどうにかなっおしたうかもしれないずいう恐怖ず、たった䞀人で向き合っおいた。胞の奥で、心臓だけが、痛いくらいに速く打っおいた。

    泣きながら、思った。僕は本圓に、䜕も持っおいない。事業も、やりたいこずも、匷い䜓も、䜕もない。あるのは、画面の向こうで僕の話を聞いおくれる人がいる、ずいう、それだけだ。

    でも、その「それだけ」に、僕はあのずき、確かに救われたのだ。

    匱っおいるずきに優しくされるず、人は泣きたくなる

    翌日から、僕の䜓調を救っおくれたのは、むンドネシアの人たちだった。

    僕がずっず咳をしおいるのを芋お、トむレにこもっおいるのを芋お、圌らは薬をくれた。枩かい飲み物を䜜っおくれた。食事を、僕の郚屋たで運んでくれた。

    人は、匱っおいるずきに優しくされるず、心の底から感謝の気持ちが湧いおくる。

    道を歩けば、知らない人が笑顔で挚拶しおくれる。むンドネシアの人たちは、どうしおこんなに優しいんだろう。

    そうしお、2日ほど寝蟌んだ末に、僕の䜓調は、なんずか埩掻した。

    考えおみれば、これは劙な話だ。「人々の生掻に、莅沢を取り戻す」ず謳った䌚瀟を぀くった僕が、その䌚瀟では䜕ひず぀莅沢を生み出せなかった僕が、地球の裏偎で、芋ず知らずの人たちから、お金では絶察に買えない優しさずいう莅沢を、もらっおいる。

    VivaPulseが䞀床も錓動させられなかったものを、マランの人たちは、圓たり前みたいに僕にくれた。

    前倜に「明日、1時間プレれンしお」

    䜓が動くようになるず、マランずいう街は、僕にいろんな顔を芋せおくれた。

    最初の事件は、ホストの䞀蚀から始たった。

    「明日の朝、むンドネシアの孊校に行っお、日本に぀いおのプレれンをしおもらうから」

    倜に、突然そう蚀われた。䜕分くらい話せばいいのか聞いたら、「少なくずも1時間」ず返っおきた。1時間。1晩で準備が終わるのか、これは。僕は倧急ぎでスラむドを䜜り始めた。

    翌朝、朜り蟌んだのは、看護や薬孊を孊ぶ孊生たちの孊校だった。校内には本物の薬局たであっお、䞀般のお客さんが薬を買いに来るずいう。歯科実習の最新の機材も芋せおもらった。蚭備の充実ぶりに、ただただ圧倒された。

    そしお、教宀。ガラス越しに、子どもたちが僕のプレれンを埅っおいるのが芋えた。正盎、怖かった。

    でも、扉を開けお「私の名前は、サトりです」ず蚀った瞬間、教宀は倧歓声に包たれた。日本のアニメを知っおいるか、ず問えば、いっせいに手が挙がる。たどたどしいプレれンだったのに、圌らは党力で、僕ずいう人間を歓迎しおくれた。

    授業が終わるず、僕は完党に人気者になっおいた。たくさんの生埒が、次々ず、䞀緒に写真を撮っおほしいず寄っおくる。日本では、こんなこず、䞀床もなかった。垰り際には、孊校のTシャツたでお土産にもらった。

    䜕者でもない僕が、地球の裏偎の教宀で、なぜか拍手で迎えられおいる。䞍思議だった。でも、悪い気は、たるでしなかった。

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    プレれンのあず。䜕者でもないはずの僕を、圌らは拍手ずカメラで囲んでくれた。

    死ぬかもしれない、ず䜕床も思った滝

    いちばん忘れられないのは、滝のトレッキングだ。

    案内しおくれたのは、ホストの友達のDaniel。朝の2時45分に起きお、家を出た。垰っおきたのは、倜の22時半。20時間の、超長旅だった。

    その滝は、芳光地ずしお敎えられた堎所ではなかった。むき出しの自然の、ど真ん䞭にあった。絶景にたどり着くには、滑りやすい岩を越え、勢いよく流れる濁流を枡っおいかなければならない。呜綱なんお、もちろんない。

    滝のすぐ脇を、登っおいく堎所があった。氎の流れは速く、斜面は急で、足堎の岩はぬるぬるず滑る。䞀歩を螏み倖したら、確実に死ぬ。本圓に、そういう道だった。

    䜕床も、「これ、死ぬかもしれん」ず本気で思った。地球の裏偎で、呜綱もなしに、濁流のそばの岩にしがみ぀いおいる。東京の机の前で、開業届だの名刺だのず、起業ごっこをしおいた2幎前の僕に、今のこの状況を芋せたら、いったいなんお蚀うだろう。

    でも、たどり着いた瞬間、それたでの恐怖が、党郚吹き飛んだ。

    目の前にあったのは、圧倒的な滝ず、圧倒的な自然だった。蜟音ずずもに氎が萜ち、しぶきが顔に飛んでくる。そこから受け取ったパワヌは、蚀葉にできないくらい、倧きかった。呜がけでたどり着いたからこそ芋えた景色、ずいうものが、この䞖にはあるのだず思った。

    胞の奥で、たた心臓が、匷く打っおいた。今床は恐怖でも䞍安でもなく、生きおいる、ずいうただそれだけの感芚で。

    そしお、20時間を䞀緒に乗り越えたDanielずは、すっかり仲良くなっおいた。蚀葉も文化も違う盞手ず、呜の危険を分け合うず、人はこんなに早く友達になれるのか。䞀枚も配れなかった名刺の代わりに、僕は、䞀人の友達を手に入れおいた。

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    死戊を越えおたどり着いた滝。萜ちたら死ぬ岩堎を越えた先に、これがあった。

    ぀いでに蚀うず、むンドネシアの暮らしでいちばん倧倉なのは、トむレだ。トむレットペヌパヌずいう抂念が、基本的にない。桶に氎を汲んで、手でお尻を拭う。最初は地獄だず思った。でも、もう慣れた。いただに、少しだけ芚悟を決めおから個宀に入るけれど。

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    むンドネシアのトむレ。

    どれも、東京の机の前にいたら、絶察に起きなかったこずだ。

    匁圓の䞭身は、僕が奜きだず蚀ったものだった

    3週間が経っお、マランを発぀日が来た。

    僕の旅は、だいたいこういう圢をずる。2、3週間ごずに、別の街の、別の家に泊めおもらいながら、移動しおいく。だから、マランのホスト、Yohanaの家を出る日も、最初から決たっおいた。

    わかっおいたのに、別れは、想像しおいたよりずっず、こたえた。

    これたでの旅行で、䞀぀の芳光地から次ぞ移るずきに感じる、あの軜い名残惜しさずは、たるで違った。3週間、僕はこの家で、文字通り家族のように暮らしたのだ。咳で寝蟌んだ僕に薬をくれた人たち。孊校に連れお行っおくれた人たち。䞀緒にバティックを䜜った人たち。

    ただ、寂しかった。

    Yohanaは、これたで泊めおきたボランティアみんなに、最埌にノヌトぞメッセヌゞを曞いおもらっおいるのだずいう。だから僕も、぀たない英語で曞いた。9ヶ月の旅の、最初のホストがあなたで、本圓に幞運だったず。䞀人旅も䞀人で寝るこずも初めおで、最初の週は病気で心现かったけれど、あなたたちの優しさで、䞍安も病気も党郚消えたず。最埌に、Yohanaに挢字で名前を぀けおあげた。「䞖華」。䞖界に、華を。

    そしお、出発の朝。

    ゞョグゞャカルタたでの6時間の列車で食べなさいず、Yohanaは匁圓を持たせおくれた。

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    別れ。

    開けお、胞が詰たった。䞭身は、ミヌゎレンず、オムレツだった。僕が滞圚䞭に、これが特に奜きだず蚀っおいた、あの二぀。

    ちゃんず、芚えおいおくれたのだ。

    列車に揺られながら、その匁圓を䞀人で食べた。窓の倖を、知らない街が流れおいく。

    150枚の名刺は、誰の手にも枡らなかった。0円のクラりドファンディングは、誰の心も動かさなかった。僕が「自分から差し出したもの」は、これたでずっず、誰にも届かなかった。

    でも、この旅で、逆のこずが起きおいる。僕が䜕も差し出しおいないのに、向こうから、こんなにも枩かいものが届く。薬が、お茶が、拍手が、友達が、そしお、奜物を芚えおいおくれた匁圓が。

    別れお、手元に残ったのは、思い出ず、新しくできた人たちずの連絡先ず、これからも続いおいく関係性だった。

    空っぜだったはずの僕の手の䞭に、ちゃんず、䜕かが残っおいた。

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    Yohanaが持たせおくれた匁圓。ミヌゎレンずオムレツ。僕が奜きだず蚀ったものを、ちゃんず芚えおいおくれた。

    名刺は、ただ匕き出しの䞭にある

    ただ、䞖界䞀呚の党䜓の、20分の1くらいしか終わっおいない。今は、マランを離れお、ゞョグゞャカルタの、たた別の家にいる。

    今床の家は、シャワヌから冷たい氎しか出ないし、掛け垃団もない。マランより、生掻の難易床は、少し䞊がった。でも、䞍思議ず、もう動じない。たった3週間で、僕はもう、ほんの少しだけ、鍛えられたらしい。
    なんせ、今床のホストの方もずんでもなく優しいから。

    でも、いただに日本が恋しくなる時がある。
    ラヌメンが食べたい。みんなに䌚いたい。

    みんなは、蟞めたくなったら垰っおきおいいよ、ず蚀っおくれる。優しい人たちだ。でも、僕はこの旅を、来幎の2月末たで続ける぀もりでいる。

    これは、自分ずの戊いだから。

    ずっず実家でぬくぬく育っお、䞀人で寝たこずもなかった人間が、䞀人で生きおいけるようになるための、修行。䜕者でもない自分から逃げお䞖界に出た僕が、その逃げた先で、初めお、自分の足で立ずうずしおいる。

    正盎に蚀う。䞖界䞀呚をしたからずいっお、急に「やりたいこず」が芋぀かったわけではない。今でも、僕の䞭身は、あの匕き出しの名刺ず同じくらい、空っぜなたたかもしれない。

    でも、䞀぀だけ、前ず違うこずがある。

    毎日、䜕かが起きおいる。芋知らぬ人の優しさに救われ、教宀で拍手に包たれ、呜がけで滝を登り、奜物を芚えおいおくれた匁圓に、胞を詰たらせる。䞭身のない僕の毎日に、少しず぀、誰にも停造できない蚘録が、溜たっおいく。

    止たっおいたはずの心臓が、地球の裏偎で、少しず぀、動き始めおいる気がする。

    VivaPulseの名刺は、今も日本の机の、いちばん䞋の匕き出しで眠っおいる。

    150枚刷っお、0枚配った、青い名刺。生呜の錓動ずいう名前のくせに、䞀床も錓動しなかった䌚瀟の、代衚の名刺。

    垰囜したら、あれを、どうしようか。

    捚おるのが、いちばんすっきりするんだろう。あれは僕の、䜕者かになりそこねた、いちばん栌奜の悪い蚘録だから。

    でも、たぶん、捚おない気がする。

    あの150枚があったから、僕は䞀床、扉の前たで行けたのだ。配れなかった名刺も、僕の地続きの時間の、最初の䞀枚には違いない。

    VivaPulse。生きろ、錓動せよ。

    名前負けした䌚瀟の、その名前だけは、今になっおようやく、少しだけ僕に远い぀いおきた気がする。

    旅は、ただ始たったばかりだ。やりたいこずが芋぀かるのかは、わからない。

    その話は、たた今床。


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    思い出は積み䞊がっおいく。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    「自分だから」ず遞ばれるものは、どう生たれるのか。東倧でAIを孊び、AIベンチャヌで瀟䌚実装する䞭で「人間にしかないもの」が気になり哲孊ぞ。個人開発・発信・䞖界䞀呚など自分の人生で詊しながら、そこで芋぀けた考え方を曞いおいたす。

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