「この仕事、誰でもできるよ」の裏に隠れた技術
「ここ、もう少し見てみて」
先輩に言われて型枠をのぞき込む。まっすぐに見える。どこが気になるのか分からない。
先輩は手を止め、別の位置からもう一度見せる。今度は、わずかな違いに気づく。
たったそれだけのことなのに、次からは同じ場所を素通りできなくなる。
これは特定の現場で起きた話ではない。けれど、仕事を教わる場面には、こういう瞬間があると思う。
「簡単だよ」と言えるまでに
仕事に慣れた人ほど、自分が何を見て判断しているかを説明するのは難しい。
手を動かす前にどこを見るか。いつ確認を入れるか。いつもと違うと感じたら、何を確かめるか。
本人にとっては、もう考えるまでもない動きになっている。だから「やっていれば分かるよ」と言ってしまう。
でも、初めての人には、その「見る場所」さえまだ見えていない。
「誰でもできるよ」という言葉は、背中を押すつもりで出たのかもしれない。ただ、言われた側がうまくできなかったとき、「誰でもできるはずなのに、自分にはできない」と受け取ることもある。
国交省も「教え手の不足」と「見えない技能」を課題にしている
国土交通省は2025年11月5日に公表した住宅建設技能者に関する取りまとめで、「技能の継承の難しさと教え手の不足」を課題に挙げている。これは住宅分野の整理だが、教える人が必要で、その人の技能をどう次へ渡すかという問いは、ほかの建設現場で働く私たちにも身近だ。
また、国交省の現場作業者支援技術に関する資料は、熟練者の「暗黙知」を、未習熟者が見て理解できる形にすることを検討している。鉄筋工の身体の動きを分析した教材にも触れている一方、実際の現場には多様な作業があり、状況に応じた指導を技術だけで実現する難しさも記している。
私には、この「暗黙知」という言葉がしっくりくる。
技術は、完成したものだけに宿るわけじゃない。作業の途中で立ち止まる判断にも、「ここは先に確かめよう」と声をかけるタイミングにも宿っている。
技術を渡す、最初の一歩
すべてを一度に教える必要はないと思う。
「ここを見て」と指さす。
「なぜ今、確認したと思う?」と聞く。
「自分なら次に何を確かめる?」と考えてもらう。
教える側が普段は無意識にしている判断を、一つだけ言葉にする。それなら、忙しい現場でも始められる。
「誰でもできるよ」と言えるほど身についた仕事なら、その人の中には、時間をかけて磨いた技術があるはずだ。
その技術を次の人に渡せたとき、「誰でもできる」は初めて本当になるのだと思う。
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参考資料
* 国土交通省「住宅分野における建設技能者の持続的確保懇談会」のとりまとめ(2025年11月5日)
* 国土交通省「現場作業者支援技術に関する調査・検討結果」
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