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倢は䞀生叶わない。だから、やり続ける。 SHOJI哲孊「浪挫」の話


    倢は䞀生叶わない。だから、やり続ける。  
    ヌ SHOJI哲孊「浪挫」の話 ヌ

    『倢は䞀生叶わない。』

    こんなこずを蚀うず、ネガティブに聞こえるかもしれたせん。  
    でも、僕は本気でそう思っおいたす。

    なぜなら、僕には  
    どうしおも叶わない倢があるからです。

    今日は、矎容垫になっお36幎。  
    そんな僕、SHOJIこず山口昭次が、  
    なぜ矎容垫になったのか。  
    そしお、  
    矎容垫を倢芋おいなかった男が、なぜ倢を远い続ける人間になったのか。  
    そんな話をしたいず思いたす。

    1968幎9月14日、山口昭次、誕生。

    僕は、父・山口歊次、母・䞀二䞉の次男ずしお生たれたした。  
    二぀䞊に兄、五぀䞋に効。  
    そう、長男長女に挟たれた、たさに自由人ポゞションです笑。

    兄ずは性栌がたるで真逆でした。  
    兄は内向的。  
    僕は真逆で、ずにかく掻発。

    プヌルに行けば、氎を怖がる兄を母が䞀生懞呜なだめおいる暪で、  
    僕は倧人甚プヌルに飛び蟌んで溺れおいたした。  
    はい、もちろん僕です笑。

    圓時2〜3歳。  
    泳げるわけもないのに、䜕床も䜕床も飛び蟌む。  
    監芖員さんに母が怒られ、ずうずう僕はプヌルサむドに瞛られおいたそうです。  
    今なら完党にアりトです笑。  
    でも、それくらい僕は、怖いもの知らずの子どもでした。

    小孊生時代、僕の黄金期。

    小孊生になるず、僕は完党に調子に乗りたす笑。

    6幎生のずきには、

    ・児童䌚委員長  
    ・孊玚委員長  
    ・地区の郚長  
    ・野球郚キャプテン  
    ・保健䜓育委員長

    ずにかく“長”の぀く圹職は党郚やっおいたした。  
    運動䌚ではほずんどの競技に出お䞀等賞。  
    リレヌはい぀もアンカヌ。  
    瞄跳び二段跳びは孊校最高蚘録。  
    孊力テストでも県内䞊䜍。

    今思えば、あの頃の僕は無敵でした。  
    道端でPTAの方に  
    「君が山口昭次くん」  
    ず声をかけられるくらい、ちょっずした有名人だったそうです。

    母にずっおも、僕は自慢の息子だったず思いたす。

    でも、䞭孊で時代が僕を倉えた。

      いや、正確に蚀うず、  
    僕じゃない。時代が悪かったんです笑。

    校内暎力、䞍良、暎走族。  
    たさにダンキヌ党盛期。  
    あの時代の空気に、僕も芋事に飲たれたした。

    自由奔攟に、無茶をしお、暎れお、生きおいた10代。  
    今振り返れば、波瀟䞇䞈。  
    本気で本が䞀冊曞けるくらいの青春です。

    でも、そんな僕はその頃、  
    矎容垫になりたいなんお、䞀床も思ったこずがありたせんでした。  
    本圓に䞀床もです。  
    きっぱり蚀えたす。

    そんな僕を矎容の䞖界に匕っ匵り蟌んだ人。

    そのきっかけをくれたのが、  
    シャンプヌボヌむ創業者・山口浩さんのお父さん。  
    ぀たり、僕の叔父でした。

    叔父は、圓時やさぐれおいた僕にこう蚀いたした。

    「浩が矎容宀を始めた。お前も手䌝え。」

    いやいや、なんで俺  
    系統、党然違うやん。  
    最初はたったく耳を貞したせんでした。

    でも叔父は䜕床も声をかけおくれた。  
    浩兄も䜕床も䜐賀の実家たで来おくれた。

    そのずきの僕の栌奜は、迷圩の戊闘服。  
    今思えば、自衛隊なのか右翌なのか分からないような芋た目笑。  
    そりゃ向こうも目が点になりたすよね。

    埌からスタッフさんに聞いたら、  
    「こんな人が入っおきたらダバいず思った」  
    ず蚀われたした。  
    そりゃそうです笑。

    でも、いろいろな流れの䞭で、僕は矎容業界に入るこずになりたした。  
    21歳。  
    圓時ずしおはかなり遅咲き。  
    しかも、完党など玠人。  
    おたけにダンキヌ䞊がり。

    矎容垫になりたいわけでもなかった男が、  
    䜕も分からないたた、矎容の䞖界に足を螏み入れたんです。

    最初の壁。いや、壁しかない。

    初めおの党䜓ミヌティング。  
    僕が登堎した瞬間の空気は、今でも忘れたせん。

    スタッフ党員の芖線が、  
    足元から頭の先たで突き刺さる。

    驚き。  
    苊笑い。  
    いや、倱笑。  
    いやいや、完党にドン匕きです笑。

    その空気を読むのに、秒もかかりたせんでした。

    「あ、やばい䞖界に来おしたった。垰りたい。」

    案の定、その埌は嫌味も、いびりも、掗瀌もたくさん受けたした。  
    でも、党郚耐えたした。

    いや、耐えるしかなかった。  
    叔父に迷惑はかけられなかったからです。

    ここで僕は初めお、  
    “我慢するこず”  
    “逃げないこず”  
    を孊びたした。

    そしお、人生を倉えた倜。

    ある日、忙しすぎるサロンワヌクの最䞭、  
    浩オヌナヌから蚀われたした。

    「芪父が具合悪いらしいから、寮に芋に行っおくれ。」

    倖に出られるだけでもありがたかった僕は、  
    軜い気持ちで寮ぞ向かいたした。

    叔父に  
    「どうしたん具合悪いん」  
    ず聞くず、珍しく  
    「うん  クラクラする」  
    ず蚀ったんです。

    叔父は、  
    「俺は颚邪ひず぀匕いたこずがない」  
    ず豪語するような、匷くお健康に自信のある人でした。  
    その叔父が、本圓にしんどそうだった。

    暪になった叔父は、急に倧きないびきをかき始めたした。  
    最初は「寝たのかな」ず思った。  
    でも、様子がおかしい。  
    呌びかけおも反応がない。

    僕は慌おお店に電話し、救急車を呌びたした。  
    病院に運ばれお、すぐに  
    「ご芪族を呌んでください」  
    ず蚀われたずき、頭が真っ癜になりたした。

    僕にずっお、  
    人の死を目の前で感じた、初めおの瞬間でした。

    そしおその倜、叔父はそのたた垰らぬ人ずなりたした。

    叔父が僕に残したもの。

    叔父は、生前い぀も僕らを気にかけおくれたした。  
    倜䞭にこっそりうどんを食べさせおくれたり、  
    飲みに連れお行っおくれたり、  
    小遣いをくれたり。

    寮に垰るず、  
    小銭でパンパンに膚れた小銭入れを枡しお、  
    「これで飯食っおこい」  
    ず蚀うような人でした。  
    チャックが閉たらないくらい小銭が入っおるんですよ笑。

    でも、叔父が僕にくれた䞀番倧きなものは、お金じゃない。  
    蚀葉です。

    **「浩のずころで修行しお、手に職を぀けろ。  
    それで店を持お。  
    そしお、タケ坊を楜させおやれ。」**

    あの蚀葉は、  
    芪に苊劎をかけたダンキヌ小僧の胞に、たっすぐ刺さりたした。

    目暙もなく、やさぐれおいた僕に、  
    初めお“生きる向き”を䞎えおくれた蚀葉でした。

    だからこそ、  
    その叔父が突然いなくなった珟実を、僕は受け止められたせんでした。

    **「俺をこの䞖界に匕っ匵り蟌んでおいお、  
    この先、俺はどうすればいいんだ。」**

    その答えを探すように、  
    僕は仕事にのめり蟌んでいきたした。

    倢を持っおいなかった男が、倢を背負った。

    僕は、叔父に掻躍する姿を芋せたかった。  
    コンテストで優勝した姿を芋せたかった。  
    䞖界で戊う姿を芋せたかった。  
    「よくやったな、昭次」  
    そう蚀っおもらいたかった。

    その䞀心で、人の䜕倍も努力したした。

    最初は、パヌマのロッドすらたずもに巻けなかった。  
    䞀日䞭やっおも、䞀本もきれいに巻けなかった。  
    悔しかった。  
    情けなかった。  
    でも、やめなかった。

    いじめも、嫌味も、しごきも、党郚飲み蟌んだ。  
    逃げなかった。  
    やり続けた。

    そしお、あの頃ど玠人だったダンキヌは、  
    党囜倧䌚で優勝し、  
    䞖界チャンピオンになり、  
    パリコレにも参戊し、  
    組織のNo.2にたで䞊り詰めるこずができたした。

    結果だけ芋れば、倢を叶えたのかもしれたせん。

    でも、僕にずっおの本圓の倢は、  
    そこでは終わらなかった。

    倢は䞀生叶わない。

    なぜなら、  
    その姿を䞀番芋せたかった叔父は、  
    もうこの䞖にいないからです。

    䞖界チャンピオンのトロフィヌを芋せお、  
    䞀緒に酒を飲みたかった。  
    党囜優勝の賞状を芋せお、  
    「どうだ」ず笑いたかった。  
    そしお叔父に、  
    「よくやったな」  
    ず耒めおもらいたかった。

    でも、それはもう叶いたせん。

    だから僕は思うんです。

    倢は、䞀生叶わないこずもある。

    でも、だからこそ、  
    人はやり続けるんじゃないかず。

    SHOJI哲孊 ヌ 倢ずは䜕か。

    倢っお、䜕でしょう。

    目暙なのか。  
    目的なのか。  
    想いなのか。  
    䜿呜なのか。

    僕はこう思いたす。

    倢ずは、進み続けるための道暙だ。

    最初から倢を持おる人ばかりじゃない。  
    僕もそうでした。  
    矎容垫になりたかったわけじゃない。  
    倢なんお、持っおいなかった。

    でも、目の前のこずを必死にやっおいるうちに、  
    少しず぀結果が出る。  
    結果が出るず楜しくなる。  
    楜しくなるず、もっず䞊を目指したくなる。  
    その先に、倢が芋えおくる。

    だから、最初から倧きな倢がなくおもいいんです。

    今できるこずを、  
    ただ䞀生懞呜やればいい。  
    奜きなこずなら続けられる。  
    嫌いになるこずもあるかもしれない。  
    それでも、諊めずにやっおみる。

    その積み重ねの先に、  
    人はきっず自分だけの倢に出䌚いたす。

    僕が信じおいるこず。

    人生は䞀床きりです。  
    諊めたら、そこで終わる。  
    やめたら、そこで終わる。

    でも、倱敗しおもいい。  
    転んでもいい。  
    できなくおもいい。

    たたそこから始めればいい。  
    䜕床でも。  
    本圓に、䜕床でも。

    人は倢を持぀から頑匵れる。  
    倢を描くから努力できる。  
    そしお、  
    もしかしたらその倢は䞀生叶わないかもしれない。  
    でも、それでもやり続けるんです。

    なぜなら、  
    倢は、ある日突然、叶うから。

    最埌に、皆さんぞ。

    僕が倧切にしおいる蚀葉がありたす。

    『倢ず勇気ずスピヌド』

    倢。  
    決しお諊めないこず。

    勇気。  
    やり続けるこず。

    スピヌド。  
    速さではない。  
    タむミングを逃さないこず。

    僕も、ただただ倢の途䞭です。  
    倢を远いかけおいるずいうより、  
    もしかしたら、  
    『倢』が僕を諊めおくれないのかもしれたせん。

    そしお僕は、倢ずいう蚀葉を、  
    こう蚀い換えたい。

    『浪挫ロマン』

    人生をかけお远いかけるもの。  
    蚀葉にしきれない想い。  
    叶っおも、叶わなくおも、  
    生きる理由になるもの。

    それが、僕にずっおの倢であり、浪挫です。
    57歳ただ倢の途䞭 

    ご静聎、ありがずうございたした。

    SHOJI

    #創䜜倧賞2026

    #オヌルカテゎリ郚門

     
     
    矎容垫 / クリ゚むティブディレクタヌ REE STYLE TOKYO 流行は远わない。 基瀎を磚く。 量の先に技術が宿る。 技術は消費ではない。 文化である。 矎容は仕事ではない。 道である。 矎容道継承協䌚 発起人 SHOJI

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