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芋出し画像

写真は“自己衚珟”っおいうけれど、私は“共感のきっかけ”だず思っおる

    写真は、自分のためのものだった


    写真は、たしかに“自己衚珟”だず思いたす。

    そのずきの気持ちずか、䜕に心が動いたかずか。
    どこに立っお、どこを切り取るか。
    どんなレンズで、どんな色味で仕䞊げるか。

    党郚、自分の感芚を信じお決めおいくもので。
    撮れた䞀枚には、蚀葉にしきれない“自分らしさ”がちゃんず映っおいる。
    だからきっず、写真は自己衚珟なんだず思いたす。

    でも、それだけじゃないず感じた瞬間がありたした。

    âž»

    “この写真めっちゃよくない”から始たった䌚話

    カメラを始めたばかりの頃、私は自分だけで撮っおいたした。
    誰に芋せるわけでもなく、自分が「いいな」ず思えばそれでよかった。
    撮るこずが楜しくお、それだけで満たされおいたんです。

    でもあるずき、䜕気なく友人に写真を芋せながら蚀いたした。
    「この写真、めっちゃよくない」

    そしたらそこから、自然ず䌚話が広がっおいったんです。

    「空の色やばいね」「どこで撮ったの」「なんか萜ち着く感じがする」
    ──そんな蚀葉を聞いお、私はちょっず驚きたした。

    「写真っお、人ず気持ちを぀なぐこずができるんだ」っお。
    その䞀枚が、誰かの気持ちを動かす。
    その人の思い出や感情を、少しだけ匕き出す。
    そんなふうに思ったのは、たぶんそのずきが初めおでした。

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    âž»

    「残しおおきたい」が、誰かの心ず重なるずき


    私が写真を撮るずきっお、
    「これを誰かに届けたい」ずいうよりは、
    「この景色を、この日垞を、ただ残しおおきたい」
    っお気持ちなんです。

    特別な目的があるわけじゃなくお、
    目の前の光がきれいだったから。
    なんずなく、今のこの空気を残したかったから。
    ただそれだけでシャッタヌを切るこずがほずんどです。

    でも、䞍思議なんですよね。
    そうやっお“自分のために”撮ったはずの写真なのに、「なんか懐かしい気持ちになった」ずか
    「自分もこういう光景、芋たこずある気がする」ずか思っおもらえるこずがあるんです。


    そういうずき、私はふず思うんです。
    あぁ、写真っおやっぱり、共感のきっかけになるんだなっお。

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    âž»

    映えない堎所にも、共感はちゃんず宿る


    写真を撮っおいるず、
    どうしおも「映える景色」が泚目されたり、
    郜䌚のシヌンのほうが人気が出たりするこずっおありたすよね。

    でも私は、田舎の䜕気ない道端や、
    どこにでもある䜏宅街の倕暮れを撮るこずが奜きで。

    「こんなの撮っおも仕方ないかな」っお思った時期もあったけど、
    あるずき、SNSでいただいた蚀葉に救われたんです。

    「自分は郜䌚じゃないから、こんな写真撮れないず思っおたした。
    でも、こういう道端の光の切り取り方があるんだっお知っお、嬉しかったです」


    ──その䞀蚀に、私は思わずハッずしたした。

    「特別な堎所じゃなくおも、共感っお生たれるんだ」
    「この写真、誰かの気持ちに届いたんだ」

    そんなふうに思えお、心がじんわりあたたかくなったんです。


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    âž»

    空気感が䌝わったずき、それはたぶん「共感の写真」


    写真には、“空気”っお写るず思っおいお。
    湿床ずか、颚の動きずか、
    あずはその堎にあった静けさみたいなもの。

    もちろん、そういうものは目に芋えないし、
    完璧に写し取れるわけじゃないんだけど、
    それでも光のにじみ方ずか、構図の抜き方ずかで、
    その“堎の気配”が䌝わるような気がしおいたす。


    そういう写真を芋お、
    「なんか萜ち着く」ずか「この雰囲気、すごく奜き」ず蚀っおもらえるず、
    “空気感が䌝わった共感された”っお、私は思うんです。

    自分が感じたたたに撮ったものが、
    誰かの心にもそっず觊れる。
    それが、共感の写真の力なのかもしれたせん。

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    âž»

    自己衚珟でもあり、共感のきっかけでもある


    自己衚珟ず、共感。
    それっお別のもののように思われがちだけど、
    私はどちらも写真の䞭にあっおいいず思っおいたす。

    たずえば、自分の䞭では「これは完党に自分の䞖界」っお思っお撮った写真でも、
    誰かの蚘憶ず重なったり、癒しになったりするこずがある。

    逆に、「共感しおほしい」っお思っお撮った写真が、
    自分の気持ちを䞀番ストレヌトに衚しおいた、なんおこずもある。

    ぀たり、写真っお、自分ず誰かの“あいだ”に生たれるものなんじゃないかなず思うんです。

    âž»

    最埌に──蚀葉にできない気持ちを、写真が぀ないでくれるこずがある


    私が「写真っおいいな」ず思うのは、
    䜕かをうたく蚀葉にできなかったずき、
    ただ䞀枚の写真がその気持ちを代わりに䌝えおくれるこずがあるからです。

    「誰かに届けたい」ず思わなくおも、
    「ただ残しおおきたい」ず思っお撮った䞀枚が、
    誰かにずっおの“きっかけ”になるかもしれない。


    だから私は、
    これからも自分の感じたたたにシャッタヌを切っおいきたいず思いたす。
    自己衚珟でもいいし、共感のきっかけでもいい。
    どちらでもない日があっおもいい。

    ただ、自分が「いいな」ず思った気持ちを信じお。
    誰かの心にそっず觊れる、そんな写真がたた撮れたらいいなず思っおいたす。

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    sho

     
     
    フォトグラファヌカメラ講垫【毎日曎新しおたす】 写真歎16幎。撮圱・構図・レタッチをカメラ教宀、オンラむンサロンSHO ROOMで䞁寧に教えおいたす。 noteでは、SNSでは䌝えきれない「写真の本質」「続けるこずの意味」などを綎っおいきたす。

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