
ちゃんとしているつもりだった――不器用な母と、笑い声のする家――
🌙300ビューを超えて読んでいただいた記念に
ここまで「しずうさ」を読んでくださり、本当にありがとうございます。
全体ビューが300を超え、コメントやスキも少しずつ届くようになりました。
その感謝を込めて、これまでの連載とは別に、創作大賞応募用の特別編集版として、ひとつの物語を書きました。
ワークも導線も入れない。
ただ、母として、人として、不器用に必死に生きてきた時間を、物語として残すための一作です。
タイトルは、
ちゃんとしているつもりだった
――不器用な母と、笑い声のする家――
私はずっと、
ちゃんとしているつもりでした。
でも本当は、
不器用に、必死に、
子どもたちの笑い声を守ろうとしていただけだったのかもしれません。
これは、完璧な母の話ではありません。
泣いて、笑って、迷って、
それでもまた、
笑い声のする方へ歩こうとした、
ひとつの家の物語です。
プロローグ
しょうが、ぐすん、しょうが
「しょうが……ぐすん、しょうが……」
三女は、食卓の横で立ったまま泣いていました。
五歳でした。
小さな手をぎゅっと握って、
涙をいっぱいためて、
それでも何かを伝えようとしていました。
「しょうが……ぐすん……しょうが……」
でも、言葉になりません。
泣きすぎて、嗚咽が先に出る。
伝えたいことはあるのに、喉の奥で詰まって、なかなか出てこない。
私は台所に立ったまま、その様子を見ていました。
助けたい。
すぐに抱きしめたい。
「大丈夫だから。」と言いたい。
でも、そのときの私は、すぐには動けませんでした。
夫が、そこにいたからです。
その日の夫は、珍しく機嫌がよかった。
本当に、珍しく。
食卓に座る前の、まだ荒れていない時間。
私たち家族が、一番慎重に空気を読む時間でした。
夫の冷奴には、決まった形がありました。
ネギ。
おろししょうが。
鰹節。
それを毎日欠かさず出すことが、我が家では小さな平和維持活動のようになっていました。
はっきり言えば、面倒くさい。
冷奴ひとつのために、
ネギを切り、しょうがを用意し、鰹節を切らさないようにする。
毎日となると、正直しんどい。
でも、それを出しておけば、少しは機嫌よく過ごしてもらえる。
そう信じて、私はずっとやっていました。
その日、三女はそれを自分でやろうとしたのです。
私を助けようと、
お姉ちゃんたちにも、いいところを見せたかったのかもしれません。
「私もできる」
そんな気持ちだったのだと思います。
小さな手で、冷奴を用意して。
ネギをのせて。
鰹節をのせて。
そして、しょうがをのせたつもりで。
間違えて、にんにくを入れてしまった。
たったそれだけのことです。
でも、三女にとっては、たったそれだけではありませんでした。
夫の冷奴のルールを間違え、
豆腐が台無しになってしまった。
父の機嫌を損ねるかもしれない。
せっかく頑張ったのに、失敗してしまった。
ママにもっと手間をかけてしまう。
お姉ちゃんたちに、できるところを見せたかったのに。
その全部が、小さな体の中で一気にあふれたのだと思います。
「しょうが……ぐすん、しょうが……」
夫は、三女の目線までしゃがみました。
そして、いつもより高い、優しい声で聞きました。
「どうしたんだい?」
その声は、外から見れば、きっと優しい父の声だったと思います。
でも三女は、もっと固まりました。
いつもと違う。
初めてのパターン。
涙がさらにあふれて、言葉がもっと出なくなりました。
私はその瞬間、胸がぎゅっとなりました。
優しい声なのに、怖い。
それが、この家の空気でした。
その声が本当に優しさなのか。
このあと怒りに変わるのか。
冗談で済むのか。
地雷になるのか。
誰にもわからない。
だから、私たちは読むのです。
表情を。
声の高さを。
沈黙の長さを。
箸の置き方を。
コップを持つ手の強さを。
長女も次女も、三女を助けたい顔をしていました。
でも動けない。
誰かが勝手に助け舟を出せば、夫の怒りがこちらへ向くことを、みんな知っていたからです。
「何もするな」
そういう空気になる。
もっと悪くなる。
だから私たちは、助けたいのに助けられないまま、ただその場にいました。
そのうち、夫はあきらめたように食卓へ戻りました。
その瞬間でした。
三女が、弾かれたように私のところへ飛び込んできました。
小さな体を震わせながら、嗚咽の間からようやく言いました。
「しょっ、しょうが……しょうがと……にんにく……まちがえた……」
その言葉を聞いた瞬間、私は一瞬だけ固まりました。
そして、上の娘たちも固まりました。
しょうがと、にんにく。
よりによって、そこ。
笑ってはいけない。
絶対に笑ってはいけない。
でも、姉たちの肩が小さく震えていました。
十歳の長女は、
父に聞こえないくらいの小さな声で、少し辛口に言いました。
「知らんふりして食べさせとけばよかったのに」
私は吹き出しそうになるのを、必死で飲み込みました。
三女はまだ泣いている。
夫は食卓にいる。
豆腐には、にんにく。
そして台所には、笑いをこらえる母と姉たち。
私は三女の背中をさすりながら、小さな声で言いました。
「大丈夫。豆腐、洗ったらいける。やり直そう」
三女はまだしゃくりあげていました。
でも、その目には、少しだけ安心が戻っていました。
三女は、ただ間違えただけでした。
できると思った。
やってみた。
失敗した。
怖くなった。
たったそれだけのこと。
でも、我が家では、
たったそれだけのことに、家族全員の神経が動きました。
私はその頃、自分のことを不器用だとは思っていませんでした。
むしろ、ちゃんとやっていると思っていました。
夫の機嫌を読み、
子どもたちを守り、
家の空気を荒らさないように先回りし、
食卓に冷奴を出し、
ネギも、しょうがも、鰹節も切らさない。
私は、できる母のつもりでした。
でも今ならわかります。
あの頃の私は、
ちゃんとしていたのではなく、
不器用に必死だったのだと思います。
怒らせないことを、平和だと思っていた。
先回りすることを、愛だと思っていた。
自分が黙ることを、家庭を守ることだと思っていた。
でも、本当は。
小さな三女が、
「しょうが」と泣きながら言えなくなるほど、
この家の空気は張りつめていました。
そして私は、
その張りつめた空気の中で、
それでも子どもたちの笑い声だけは守ろうとしていました。
不器用に。
必死に。
ちゃんとしているつもりで。
第一章
できる母だと思っていた
私は、できる母だと思っていました。
少なくとも、そう思おうとしていました。
子どもが三人いて、
それぞれ年齢も違って、
必要なものも、気分も、泣く理由も、怒る理由も違う。
朝は、誰かの靴下が片方ない。
誰かの水筒のパッキンが見つからない。
誰かが「今日、折り紙いる」と、玄関で言い出す。
「もー、なんで昨日言ってくれないの」
そう言いながらも、私は探す。
引き出しを開けて、
棚を見て、
ランドセルの底をのぞいて、
昨日のプリントの山をめくる。
気づけば、私の手には、
誰かのハンカチと、
誰かの連絡帳と、
誰かの食べ残したパンの耳があった。
自分でも、何を持っているのか分からない。
でも、私は思っていました。
大丈夫。
私は回せている。
ちゃんとやっている。
子ども三人を育てて、
家を回して、
仕事もして、
夫の機嫌も読みながら、
それでも毎日を止めずに動かしている。
私は、そういう母なのだと。
本当は、そう思わなければ立っていられなかったのかもしれません。
夫が帰ってくる時間が近づくと、家の空気は少しずつ変わりました。
鍵の音がする前から、
私は時計を見る。
そろそろだ。
その瞬間、頭の中で小さな指令が飛びます。
テーブルの上を片づける。
夫の席の周りを整える。
冷奴を出す。
ネギを確認する。
しょうがを確認する。
鰹節を確認する。
子どもたちの声の大きさを見る。
テレビの音量を見る。
食卓の空気を見る。
「見る」と言っても、目だけではありません。
耳で見る。
背中で見る。
呼吸で見る。
夫の足音が重い日は、言葉を減らす。
機嫌が良さそうな日は、余計なことを言わない。
機嫌が悪そうな日は、もっと言わない。
つまり、ほとんど言わない。
それが、その頃の私の正解でした。
子どもたちにも、はっきり言葉で教えたわけではありません。
でも子どもは、ちゃんと感じ取ります。
父がいるときと、いないとき。
母の声の高さ。
姉妹の笑い方。
食卓に流れる空気。
それを、三人とも、小さな体で読んでいました。
夫がいない日は、家の中が別の場所みたいでした。
急に、空気が軽くなる。
長女がぽろっと辛口なことを言う。
次女がそれを拾って、変な歌にする。
三女が意味も分からず真似をして、なぜか一番おもしろくなる。
誰かが変な顔をする。
誰かがつっこむ。
誰かが笑いすぎて、床に転がる。
ケラケラケラ。
本当に、転がるように笑っていました。
関西っ子です。
お笑いが好きで、
吉本新喜劇みたいな間と、
変な顔と、
よく分からない小芝居が、家の中で突然始まる。
次女は特に、我が家のムードメーカーでした。
アンパンマンのオルガンの前に座ると、
急に世界に入ります。
誰に頼まれたわけでもないのに、
勝手に作詞作曲して、
小さな手で鍵盤を押しながら歌う。
「泣かないで〜、泣かないで〜」
歌詞は、それだけ。
でも、何度も何度も歌う。
泣いている誰かに向けているようで、
本当は自分の世界に向けて歌っているようでもありました。
ぽっこりしたお腹で、
少し得意げに体を揺らして、
自分の歌に自分で満足している。
その姿が、たまらなく可愛かった。
次女は、幼い頃からよく「かわいいね」と言われる子でした。
本人も、たぶん聞いていました。
大人たちが
「かわいいね」
「子役みたい」
と言っているのを、聞いていないふりをしながら、ちゃんと聞いている。
そして写真を撮るときには、
こっそりドヤ顔をする。
おすましして、ポーズを取る。
でも、お腹はぽっこり出ている。
それがまた、かわいくて、かわいくて。
私は、そういう時間が好きでした。
何時間でも話せる。
何時間でも笑える。
夫がいないだけで、
同じ家なのに、家の色が変わる。
壁も、床も、テーブルも同じなのに、
空気だけが違う。
私はその頃、そこに気づいていたようで、気づかないふりをしていました。
なぜなら、気づいてしまうと、
認めなければいけなくなるからです。
この家の重さは、
私の努力不足ではない。
子どもたちが騒がしいからでもない。
私が片づけ下手だからでもない。
母として足りないからでもない。
空気そのものが、違っていた。
でもその事実を認めるのは、怖かった。
だから私は、もっと頑張る方を選びました。
もっと先回りする。
もっと整える。
もっと機嫌を読む。
もっと空気を荒らさないようにする。
それを、私は「ちゃんとしている」と呼んでいました。
家族のため。
子どもたちのため。
家庭を守るため。
そう思っていました。
でも今なら、少し違う言葉で言えます。
私は、ちゃんとしていたのではなく、
壊れないように、必死でつなぎ止めていた。
笑い声が消えないように。
子どもたちの小さな心が折れないように。
自分が倒れないように。
でも、倒れないようにしているつもりで、
私は少しずつ、自分の中の何かを削っていました。
それでも、子どもたちが笑うと、また動けてしまう。
たったそれだけで。
小さな歌。
変な顔。
ぽっこりお腹のドヤ顔。
三女の泣きながらの「しょうが」。
そんなものに、私は何度も救われました。
そして同時に、何度も無鉄砲になりました。
もう無理だと思っても、
子どもの笑顔ひとつで、
また立ってしまう。
それを私は、強さだと思っていました。
でもたぶん、あれは強さだけではありませんでした。
不器用だったのです。
休むことより、動くことを選ぶ。
頼ることより、抱えることを選ぶ。
怒る前に、子どもの心配をしてしまう。
苦しいのに、「大丈夫」と言ってしまう。
私は、自分のことを不器用だなんて思っていませんでした。
むしろ、できる母だと思っていました。
でも今、こうして書きながら思います。
あの頃の私は、
できる母になりたかったのではなく、
できる母でいなければ、全部が崩れると思っていたのかもしれません。
第二章
ケラケラ笑う家
夫がいない日の我が家は、
別の家みたいでした。
同じリビング。
同じテーブル。
同じ古いマンション。
なのに、
空気だけがまったく違う。
誰かが少し変な顔をする。
それを誰かが見つける。
そして、なぜか全員に伝染する。
最初に笑い出すのは、たいてい次女でした。
次女は、笑うと止まりません。
ケラケラケラ。
ケラケラケラ。
笑いながら、さらに自分で何かを足してくる。
変な声。
変な動き。
変な歌。
自分でやって、自分で笑う。
そして、その自分の笑い声にまた笑う。
三女は、それを見て真似をします。
でも、三女はいつも少しズレている。
そこがまたおもしろい。
次女が右を向けば、三女は左を向く。
次女が歌えば、三女はなぜか踊る。
次女が変な顔をすれば、三女はもっと本気の変な顔をする。
そして長女が、少し冷静な顔で言います。
「今の、それ何なん」
この一言で、また全員が笑う。
本当に、よく笑う家でした。
夫がいないときだけ。
こう書くと、少し悲しいけれど、
でも本当にそうでした。
夫がいない日は、
子どもたちは関西弁になります。
「なあちょっと、見て〜」
「ちょっと待って〜、それは、あかんやろ〜」
「なんでそうなんねん!」
「笑える〜」
言葉が、跳ねる。
家の中に、音が戻る。
外ではきっちりしている子たちでした。
人前ではちゃんとしている。
言葉づかいも整える。
空気も読む。
それは、たぶん私に似たのだと思います。
ちゃんとしなさいと言ったわけではありません。
でも私はいつも、ちゃんとしていました。
ちゃんとしているふりを、していました。
だから子どもたちも、
外ではきちんとするようになりました。
夫がいるときも、そうでした。
関西弁は引っ込む。
声は小さくなる。
笑い方も変わる。
でも、4人になると、
急に家が関西に戻るのです。
それが私は好きでした。
長女は、昔からどこか冷静でした。
小さいのに、妙に現実を見ているところがある。
でも冷たいわけではなく、誰よりも妹たちをよく見ている。
三女が泣けば、長女はすぐ気づく。
次女が調子に乗りすぎれば、長女が止める。
私が困っていれば、長女は黙って手伝おうとする。
ただし、言葉は少し辛口です。
「知らんふりして食べさせとけばよかったのに」
しょうがとにんにく事件のときのあの一言も、
長女らしい一言でした。
優しい。
でも現実的。
この家で長女は、
早くから空気を読む子になってしまったのだと思います。
一番恐怖を知っているから。
本当は、もっと何も考えずに笑っていてよかったはずなのに。
でも長女は、妹たちが笑えるように、
いつも少し大人の場所に立っていました。
次女は、反対に空気を変える子でした。
もちろん次女も空気は読んでいました。
読んでいないように見えるだけで、実はとても敏感でした。
でも次女には、
重い空気をすり抜けるような不思議な力がありました。
でも本当は、
次女が一番泣き虫でした。
夫が帰ってくるだけで、
空気が変わる。
その気配を誰よりも早く感じ取って、
言葉になる前に、涙が出る子でした。
三女が生まれるまでは、
嗚咽して泣くのは、いつも次女でした。
泣こうとしているのではありません。
怖い。
不安。
どうしたらいいか分からない。
でも、お姉ちゃんみたいにちゃんとしたい。
お姉ちゃんに続きたい。
その全部が、
小さな体の中でいっぱいになって、
涙になってあふれていたのだと思います。
長女は、空気を読む子でした。
誰よりも早く異変に気づき、
誰よりも警戒して、
だからこそ完璧を求める子になりました。
間違えないように。
怒られないように。
妹たちを守れるように。
その強さは、
本当は怖さの裏返しでもあったのだと思います。
次女は、少し違いました。
感じ取る力が強すぎて、
怖さが体からこぼれてしまう。
だから泣く。
止めようとしても止まらない。
泣きたくなくても、涙が出る。
嗚咽になって、言葉が出なくなる。
でも三女が生まれてから、
次女は少しだけ変わりました。
自分が真ん中になったからかもしれません。
守られるだけではなく、
守る側にも少し立とうとしたのかもしれません。
泣きそうになっても、
ぐっとこらえることが増えました。
その姿を見るたびに、
私は胸の奥が痛くなりました。
強くなったんじゃない。
強くならざるを得なかったのかもしれない。
そう思うからです。
十六歳になった今でも、
あの頃の話をすると、
次女の目から、ふっと涙が出ることがあります。
本人も驚くくらい、
無意識に涙がこぼれる。
それを見るたびに、私は思います。
あの家の空気は、
子どもの心に、ちゃんと残っていたのだと。
見えないものほど、
深く残るのだと。
だから、あの歌は、
ただの可愛い歌ではなかったのかもしれません。
「泣かないで〜、泣かないで〜」
ぽっこりしたお腹で、
得意げに体を揺らして、
楽しそうに歌っていたあの声は、
もしかしたら、
自分自身に向けた歌でもあったのかもしれません。
泣かないで。
怖くても、泣かないで。
大丈夫って、誰か言って。
そんな小さな魂の叫びを、
次女は歌にしていたのかもしれません。
アンパンマンのオルガンの前に座ると、
急に自分の世界へ行く。
ポロン。
ポロン。
小さな指で鍵盤を押して、
その日の気分で歌を作る。
「泣かないで〜、泣かないで〜」
何度も、何度も。
メロディーは、毎回少し違う。
でも歌詞はだいたい同じ。
「泣かないで〜」
たぶん、本人はそこまで深く考えていなかったと思います。
でも私は、その歌を今でも覚えています。
あの頃の私は、
泣いてはいけないと思っていました。
母だから。
私が泣いたら、子どもたちが不安になるから。
泣いても何も変わらないから。
そう思って、
泣くことをずっと後回しにしていました。
でも次女は、
何も知らない顔で歌うのです。
「泣かないで〜」
その声は、
私に言っているようでもあり、
自分に言っているようでもあり、
家そのものに言っているようでもありました。
ぽっこりしたお腹で、
少し得意げに体を揺らして、
まるで自分がコンサートを開いているみたいに歌う。
その姿が、おかしくて、可愛くて、
私は何度も笑いました。
次女は幼い頃から、よくかわいいと言われる子でした。
「かわいいね」
「子役みたい」
そんなふうに言われると、
聞いていないふりをしながら、ちゃんと聞いている。
そして、写真を撮るときだけ、
少し顔が変わる。
すん、とおすましをして、
なぜか片手をそっと添える。
ドヤ顔です。
でも、お腹はぽっこり。
そのアンバランスが、もうたまらなく可愛かった。
三女は三女で、いつも一生懸命でした。
末っ子だから甘えん坊。
でも、自分もできると思いたい。
お姉ちゃんたちと同じことがしたい。
ママの役に立ちたい。
自分も家族の一員として、ちゃんと動きたい。
だから、冷奴も作ろうとしたのだと思います。
しょうがとにんにくを間違えて、
涙で言葉が出なくなってしまったけれど。
あの子は、ただ失敗したのではありませんでした。
自分もできると信じて、
小さな手で挑戦して、
その結果にびっくりして、
怖くなったのです。
私は、それを知っていました。
だから怒れなかった。
怒れない場面が、私は多かったのだと思います。
子どもが失敗したとき、
床や物より先に、
その子の心のほうを見てしまう。
今、この子は何を感じているのだろう。
怒られると思っているのか。
悲しいのか。
悔しいのか。
怖いのか。
それとも、全部なのか。
そう考えてしまう。
でも、そうしている間にも、
現実は待ってくれません。
床は汚れる。
時間は過ぎる。
洗濯物は乾かない。
プリントはたまる。
仕事の時間は迫る。
母の頭の中には、
いつも二つの世界がありました。
子どもの心を守りたい世界。
現実を回さなければいけない世界。
どちらも本当で、
どちらも大事で、
どちらも待ってくれない。
だから私はいつも、
心の中で小さく走っていました。
笑っているときでさえ、
どこかで次の段取りを考えていました。
でも、夫がいない日の笑い声は、
その走り続ける私を一瞬だけ止めてくれました。
長女の辛口。
次女の歌。
三女の真似。
床に転がる笑い声。
あの時間だけは、
私はただの母でした。
管理する人でも、
空気を読む人でも、
冷奴のしょうがを確認する人でもなく。
ただ、子どもたちと一緒に笑う人でした。
たぶん私は、
その時間を守りたかったのだと思います。
完璧な家庭なんて、どこにもなかった。
安心できる食卓も、いつもあったわけではなかった。
父の機嫌ひとつで、家の空気は簡単に変わった。
でも、それでも。
四人で笑った時間は、確かにありました。
ケラケラケラと笑う声が、
古いマンションの壁に跳ね返る。
ぽっこりお腹の次女が歌う。
三女が真似をする。
長女があきれた顔でつっこむ。
私はそれを見ながら、
また明日も頑張れると思ってしまう。
そう思ってしまう自分が、
今なら少し怖い。
だって、体はもう疲れていたから。
心も、本当はずっと張りつめていたから。
でも、子どもたちが笑うと、
私は本当に動けてしまった。
母って、そういうところがあります。
もう無理。
もう限界。
もう今日は何もできない。
そう思っていても、
子どもが笑うと、
なぜかもう一回動いてしまう。
私はそれを、
ずっと愛だと思っていました。
でも今なら思います。
あれは、愛でもあり、
不器用さでもありました。
自分の限界を見ないまま、
子どもの笑顔を燃料にして走り続ける。
それは美しいようで、
本当は少し危ういことでした。
それでも私は、走っていました。
笑い声を守るために。
子どもたちが、子どもたちらしくいられる時間を守るために。
不器用に。
必死に。
そして、ちゃんとしているつもりで。
第三章
割れたアンパンマンの皿
その日も、私はたぶん、
ちゃんとやろうとしていました。
ご飯を作って、
子どもたちを座らせて、
洗濯物のことを考えて、
明日の持ち物のことを考えて、
時計を見て、
まだ終わっていない仕事のことも、頭の端に置いていました。
母の頭の中は、いつも何かでいっぱいです。
目の前には、子ども。
手元には、ご飯。
足元には、落ちたおもちゃ。
頭の中には、明日の予定。
ひとつの体で、
何人分もの暮らしを同時に動かしているような感覚でした。
その日の夕飯は、カレーでした。
子どもたちの好きな、かぼちゃのカレー。
特別なものではありません。
でも子どもにとって、カレーの日は少し嬉しい。
少しだけ食卓が明るくなる。
少しだけ、食べるスピードが上がる。
少しだけ、母も助かる。
そしてその日は、
五歳の三女のために
買ったばかりのアンパンマンのお皿がありました。
子ども用の、かわいいカレー皿。
まだ新しくて、
絵もはっきりしていて、
アンパンマンがにこっと笑っている。
それだけで、子どもは嬉しい。
でも、あの小さな手と、
あの張り切った顔だけは覚えています。
「自分で運ぶ」
そんな顔をしていました。
私は一瞬、迷いました。
カレーが入っている。
お皿は新しい。
床に落としたら大変。
まだ危ないかもしれない。
でも、その子はやりたかったのです。
自分で持ちたい。
自分で運びたい。
できるところを見せたい。
その気持ちを止めるのが、
私はどうしても苦手でした。
「じゃあ、しっかり持ってね」
そう言ったと思います。
小さな手が、
アンパンマンのお皿を持つ。
少し重そうに、
でも誇らしそうに。
一歩。
もう一歩。
私は息を止めるように見ていました。
そして、次の瞬間。
パリン。
音は、思ったより大きく響きました。
お皿が床に落ちて、
割れて、
カレーが広がりました。
アンパンマンの顔が、
床の上で割れていました。
カレーは、思った以上に遠くまで飛びました。
茶色い線が床に伸びて、
破片がその中に混ざっている。
一瞬、時間が止まりました。
子どもも止まる。
私も止まる。
部屋の空気も止まる。
三女は、床を見ていました。
割れたお皿。
こぼれたカレー。
自分の手。
それから、私の顔。
怒られる。
そう思ったのだと思います。
でも、その顔には、
それだけではないものがありました。
新しいお皿を割ってしまった悲しさ。
大好きなアンパンマンが壊れてしまったショック。
ご飯を無駄にしてしまった申し訳なさ。
頑張ろうとしたのに失敗した悔しさ。
そして、母に迷惑をかけてしまったという辛さ。
小さな顔の中に、
いろんな感情が一気に浮かんでいました。
私はその顔を見て、
怒れませんでした。
怒るより先に、
この子の心は大丈夫かなと思ってしまった。
手は切れていないか。
足元に破片はないか。
びっくりしすぎていないか。
自分を責めていないか。
でも同時に、
別の私もいました。
床、どうしよう。
カレー、広がっている。
破片、危ない。
洗濯物もある。
ご飯もまだ途中。
このあと片づけて、食べ直して、明日の準備もある。
母の頭の中は、
優しさだけではできていません。
心配しながら、
同時に段取りも考えている。
抱きしめたい。
でも破片を片づけないと危ない。
「大丈夫」と言いたい。
でもご飯も床も大変なことになっている。
頑張ったねと言いたい。
でも食べ物を落としたことも教えなければいけない。
私は、その一瞬で、
いくつもの母になろうとしていました。
守る母。
片づける母。
教える母。
叱る母。
許す母。
段取りする母。
全部、同時に。
今なら思います。
それが、どれだけ難しいことだったか。
あのとき私は、たぶん余裕がありました。
だから、怒鳴らずにいられた。
「大丈夫。けがしてない?」
「びっくりしたね」
「ここは危ないから、ちょっと下がってて」
そんなふうに言えたのだと思います。
でも、もしあれが朝だったら。
保育園に行く直前で、
幼稚園の準備もまだで、
小学校の提出物も見つかっていなくて、
私が仕事に遅れそうな時間だったら。
同じように言えただろうか。
もし私が熱を出していたら。
もし前の日にほとんど寝ていなかったら。
もし夫の機嫌が悪い日だったら。
もし締切前で、頭がいっぱいだったら。
私は、あの子の心を先に見られただろうか。
それとも、
床のカレーを先に見ただろうか。
「なんで落とすの」
「だから言ったじゃない」
「もう、忙しいのに」
そう言ってしまったかもしれません。
同じ母なのに。
同じ子どもなのに。
同じ出来事なのに。
母の余白がある日と、
余白がない日では、
世界はまったく違って見える。
私はそのことを、
何度も痛いほど思い知らされてきました。
子どもは、ただ失敗しただけなのに。
母の中に余白がないと、
その失敗が、
自分への攻撃のように感じてしまうことがある。
私ばっかり。
なんで今。
もう無理。
これ以上増やさないで。
そういう言葉が、心の奥から出てきそうになる。
でも本当は、
子どもは母を困らせようとしたわけではありません。
できると思った。
やってみた。
失敗した。
ただ、それだけです。
アンパンマンのお皿を持ったあの子も、
夫の冷奴にしょうがではなくにんにくを入れた三女も、
全部同じでした。
できると思った。
役に立ちたかった。
いいところを見せたかった。
でも失敗した。
そしてその失敗を見た母は、
怒るべきか、
慰めるべきか、
教えるべきか、
抱きしめるべきか、
一瞬で選ばなければならない。
母は、毎日そんな選択をしています。
小さな選択です。
誰にも褒められない。
誰にも気づかれない。
後から思い出しても、
「あの日のカレーの皿ね」くらいで終わってしまうようなこと。
でもその小さな選択が、
子どもの心に残ることがあります。
怒られた記憶として残ることもある。
助けてもらった記憶として残ることもある。
失敗しても大丈夫だった記憶として残ることもある。
だからこそ、私は怖かった。
自分に余白がない日が。
自分が壊れそうな日が。
子どもの失敗を、
子どもの失敗として受け止められなくなる日が。
私はずっと、
自分はできる母だと思っていました。
でも本当は、
いつもギリギリのところで選んでいただけでした。
怒らない母だったのではありません。
怒らずに済んだ日があっただけ。
優しい母だったのではありません。
優しくいられる余白が、たまたまあった日があっただけ。
そう思うと、
母というものが、急に怖くなることがあります。
愛しているだけでは足りない。
守りたいだけでは足りない。
子どもの心を守るには、
母自身の心にも、少しだけ場所が必要なのです。
あの割れたアンパンマンの皿は、
ただの失敗ではありませんでした。
私に教えてくれたのです。
子どもの失敗を見るとき、
母は子どもだけを見ているようで、
実は、自分の余白も見ているのだと。
床に広がったカレー。
割れたお皿。
立ち尽くす小さな体。
その子の目にたまった涙。
私は今でも、あの場面を思い出すことがあります。
そして思うのです。
あの日、怒らなかった私だけが、
本当の私だったわけではない。
怒ってしまいそうになる私も、
たしかに私だった。
でも、どちらの私も、
子どもを大切にしたかった。
上手にできた日も、
できなかった日も。
母はいつも、
正解のない一瞬の中で、
子どもを守ろうとしている。
不器用に。
必死に。
ちゃんとしているつもりで。
第四章
止まり方を知らなかった
私は、母になってから急に、
頑張りすぎる人になったわけではありません。
たぶん、もっと前からそうでした。
止まり方を知らない。
休み方を知らない。
助けてと言う前に、
自分でなんとかしようとしてしまう。
それを私は、
長いあいだ「根性」だと思っていました。
若いから大丈夫。
私ならできる。
もう少し頑張ればなんとかなる。
ここで止まったら負ける。
そんな言葉で、
自分を何度も走らせてきました。
最初に体がおかしくなったのは、
夫と出会う前の独身時代でした。
二十代前半。
数字を追う営業の仕事をしていました。
終電で帰る。
始発で出る。
休みはほとんどない。
仮眠だけで次の日を迎える。
若かったので、
それでも動けると思っていました。
実際、動けていました。
体は重い。
目の奥は痛い。
頭の中はずっと熱を持っているような感じがする。
それでも、
朝になれば服を着て、
化粧をして、
電車に乗って、
また数字を追いかける。
そういう毎日でした。
ある日、友人と会っていたときのことです。
何を話していたのか、
今はもうよく覚えていません。
ただ、目の前に友人がいて、
何かを話してくれている。
それは分かる。
でも、言葉が入ってこないのです。
聞こえているのに、
意味にならない。
返事をしなければと思うのに、
頭の中で言葉がつながらない。
笑うタイミングも分からない。
相づちの打ち方も分からない。
まるで、
自分だけ透明な膜の向こう側にいるようでした。
友人が、少し心配そうな顔で言いました。
「ちょっとおかしいよ」
「ねえ、ちょっと聞いてる?」
その言葉で、私はやっと気づきました。
あれ。
私、今、会話ができていない。
人と話すという、
当たり前のことができなくなっている。
その瞬間、怖くなりました。
疲れているとか、
眠いとか、
忙しいとか、
そういう言葉では足りない感じでした。
思考が止まっている。
記憶の線が、ぷつんと切れている。
さっき何を話していたのか分からない。
次に何を言えばいいのか分からない。
自分がそこにいるのに、
自分が少し遠い。
動悸もありました。
呼吸も浅かったと思います。
胸の奥がずっと忙しくて、
体だけが先に走って、
心がどこかに置いていかれているようでした。
友人は言いました。
「早く帰って寝た方がいいよ」
その言葉を聞いても、
私はたぶん、すぐには休むことを選べなかったと思います。
休めばいいのに。
止まればいいのに。
でもその頃の私は、
止まることが怖かった。
止まったら、
全部が崩れる気がしていた。
仕事も。
評価も。
生活も。
自分自身の価値も。
だから、限界のサインが出ても、
私はすぐには止まれませんでした。
今思えば、
あの頃の私は、過労の手前ではなく、
もう十分に危ないところにいたのだと思います。
若いから大丈夫。
あの言葉は、便利です。
周りもそう思う。
自分もそう思う。
でも若さは、
壊れない保証ではありません。
ただ、壊れていることに気づきにくいだけです。
私はその後も、
何度も同じような走り方をしました。
母になってからもそうです。
子どもが三人いて、
仕事があって、
家があって、
夫の機嫌があって、
毎日やることが山ほどあって。
熱が出ても、動く。
頭が回らなくても、動く。
ぼーっとしていても、動く。
「ちょっと休んだ方がいい」と言われても、
その言葉を受け取る余裕がない。
休むには、
休むための準備がいる。
子どものご飯。
洗濯。
明日の持ち物。
仕事の連絡。
家の空気。
それを全部置いたまま休むことが、
私にはできませんでした。
本当に不器用だったと思います。
でもその不器用さを、
私はずっと「責任感」だと思っていました。
母だから。
私がやらなきゃ。
私が止まったら回らない。
私が倒れたら困る。
そう思っているのに、
倒れないための仕組みは作っていなかった。
ただ気合いで立っていただけでした。
それは、強さではありません。
今なら分かります。
かなり危うい、
不器用な立ち方でした。
私は、放っておけない人間でもありました。
自分がどれだけ急いでいても、
道で困っている人を見ると、
見なかったことにできない。
通勤途中、
足を引きずるように歩くお年寄りが、
ありえないほど重そうな荷物を持っているのを見かけたことがありました。
私は急いでいました。
本当に時間がなかった。
走らないと間に合わない。
でも、その人の横を通り過ぎることができませんでした。
「大丈夫ですか?」
気づけば声をかけていました。
荷物を持って、
少し一緒に歩いて、
お礼を言われて、
そして私はまた走りました。
息を切らしながら、
何をしてるんだろうと思う。
でも、しなければよかったとは思えない。
たぶん、
あの人の姿に、自分を見ていたのだと思います。
重すぎるものを持って、
足を引きずりながら、
それでも歩こうとしている人。
若いから大丈夫。
母だから大丈夫。
私なら大丈夫。
そう言いながら、
本当は全然大丈夫じゃない自分。
だから私は、
放っておけなかったのだと思います。
お節介だと言われることもあります。
田舎育ちだからかもしれません。
気になると、どうしても手が出てしまう。
今の時代、
そういう人は少し怖がられるのかもしれません。
でも私は、
困っている人を見ると、
自分の中の何かが勝手に動いてしまうのです。
それは優しさでもある。
でも、やっぱり不器用さでもある。
自分の荷物を下ろす前に、
人の荷物を持とうとしてしまう。
自分が息切れしているのに、
誰かの息切れに気づいてしまう。
自分が限界なのに、
誰かを助けようとしてしまう。
そうやって私は、
いくつもの荷物を持ってきました。
仕事の荷物。
母としての荷物。
妻としての荷物。
家の空気の荷物。
子どもたちの心配の荷物。
見知らぬ誰かの困りごとまで。
本当は、
全部を持てるはずがありませんでした。
でも私は、持てると思っていました。
持てる母。
持てる女。
持てる人。
そういう人間でいたかったのかもしれません。
第三章で書いた、
アンパンマンのお皿が割れたあの瞬間。
床に広がったカレーを見ながら、
子どもの心を先に心配した私。
あれは、たしかに私です。
でも同時に、
カレーと破片と時間と仕事と明日の準備を、
一瞬で全部抱えようとした私も、
たしかに私でした。
その両方が、私でした。
だから苦しかったのだと思います。
優しくしたい。
でも回さなければいけない。
守りたい。
でも急がなければいけない。
抱きしめたい。
でも片づけなければいけない。
私はいつも、
その間に立っていました。
そして、どちらも選ぼうとしていました。
子どもの心も守りたい。
現実も回したい。
夫の機嫌も荒らしたくない。
仕事も落としたくない。
家も崩したくない。
自分も倒れたくない。
それを全部、
一人の体でやろうとしていた。
そんなこと、
できるわけがなかったのに。
できると思っていました。
というより、
できなければいけないと思っていました。
あの頃の私は、
できる母になりたかったのではありません。
できる母でいなければ、
何もかも壊れてしまうと思っていたのです。
でも、壊れないようにと握りしめた手の中で、
私自身が少しずつ壊れていきました。
熱が出る。
頭が回らない。
ぼーっとする。
何かをしようとして、何をしようとしていたのか分からなくなる。
それでも、
子どもが笑えば動けてしまう。
夫の足音がすれば立ち上がってしまう。
朝が来れば、また準備を始めてしまう。
そうやって私は、
自分の限界を何度も見ないふりをしました。
私は強かったのではありません。
止まり方を知らなかったのです。
そして、止まることを知らない人は、
いつか自分の体に止められます。
それでも私は、
なかなか学べませんでした。
なぜなら、
止まってしまったら、
自分が何者なのか分からなくなる気がしたからです。
回している私。
支えている私。
気づく私。
助ける私。
先回りする私。
その全部を取られたら、
私は何でいればいいのか。
それが怖かった。
だから私は、
止まらなかった。
止まれなかった。
不器用に。
必死に。
ちゃんとしているつもりで。
第五章
不器用だったと気づく夜
私は、よくカフェで泣いています。
たぶん、周りから見たら少し変な人です。
ノートパソコンを開いて、
コーヒーを横に置いて、
何かを打っている。
ただそれだけに見えると思います。
でも、私の中では、
昔の時間が何度も戻ってきています。
三女が、
「しょうが……ぐすん、しょうが……」
と言いながら泣いていた夜。
アンパンマンのお皿が割れて、
床にカレーが広がった夕方。
次女が、
アンパンマンのオルガンを弾きながら、
「泣かないで〜」と歌っていた時間。
長女が、
妹たちを助けたいのに、
空気を読んで一歩引いていた顔。
思い出そうとしているわけではありません。
書いていると、勝手に出てくるのです。
言葉にしようとすると、
胸の奥にしまっていた場面が、
ひとつずつ戻ってくる。
そして、気づくと涙が出ています。
泣こうと思って泣いているのではありません。
悲劇の主人公になりたいわけでもありません。
ただ、
あの頃の自分を、
今の自分が初めてちゃんと見ているような気がするのです。
あの頃の私は、
自分がつらいとは、あまり思っていませんでした。
思わないようにしていたのかもしれません。
だって、つらいと認めたら、
止まらなければいけない気がしたから。
苦しいと認めたら、
誰かに助けてと言わなければいけない気がしたから。
でも私は、助けてと言うのが下手でした。
助けてと言う前に、
自分で何とかしようとしてしまう。
大丈夫ですと言ってしまう。
できますと言ってしまう。
平気な顔をしてしまう。
そのくせ、家に帰ると熱が出る。
頭が回らない。
ぼーっとする。
何かを取りに行ったのに、
何を取りに来たのか分からなくなる。
それでも、
朝になればまた動く。
子どもたちが起きるから。
ご飯がいるから。
洗濯物があるから。
夫の機嫌を読む時間が来るから。
仕事もあるから。
その一つひとつを、
私は「ちゃんとやっている」と思っていました。
でも、今こうして書いていると、
違う言葉が浮かびます。
私は、不器用だった。
本当に、不器用でした。
不器用という言葉を、
昔の私はたぶん嫌がったと思います。
不器用?
私はちゃんとやっている。
人より動いている。
考えている。
先回りしている。
子どもたちを守っている。
そう言い返したと思います。
でも、今の私は分かります。
不器用というのは、
できないという意味だけではありません。
頑張りすぎることも、不器用です。
全部自分で抱えようとすることも、不器用です。
本当は疲れているのに、
「大丈夫」と言ってしまうことも、不器用です。
怒る前に、
子どもの心配をしてしまうことも、不器用です。
人の荷物を見たら、
自分が息を切らしていても持とうとしてしまうことも、不器用です。
愛し方が下手だったのだと思います。
家族を愛していなかったのではありません。
むしろ、愛していた。
愛していたからこそ、
壊れないように、
荒れないように、
怒らせないように、
先に気づいて、
先に動いて、
先に整えようとした。
でも、その愛し方は、
私自身を置き去りにしていました。
私はずっと、
母はそういうものだと思っていました。
母は、先に気づく人。
母は、最後に食べる人。
母は、自分のことを後回しにする人。
母は、倒れる前まで動く人。
でも本当は、
そんな母の形を、
誰が決めたのでしょう。
子どもたちは、
私に壊れてほしかったわけではない。
長女も、次女も、三女も、
私にいつも完璧でいてほしかったわけではない。
あの子たちは、
ただ笑いたかったのだと思います。
安心して、
変な顔をして、
関西弁でつっこんで、
アンパンマンのオルガンで歌って、
お腹を出してドヤ顔で写真に写って、
しょうがとにんにくを間違えても、
「大丈夫」と言ってもらえる家で笑いたかった。
それだけだったのかもしれません。
なのに私は、
その笑い声を守るために、
自分をどんどん固くしていきました。
夫の機嫌を読む。
家の空気を読む。
子どもの表情を読む。
予定を読む。
お金を読む。
時間を読む。
読みすぎて、
自分の声が聞こえなくなっていました。
本当は、怖かった。
本当は、しんどかった。
本当は、もう無理と思っていた。
本当は、誰かに気づいてほしかった。
でも、気づいてほしいと思うことすら、
どこかで悪いことのように感じていました。
母なのに。
私が選んだのに。
私がしっかりしなきゃいけないのに。
そんな言葉で、
私は自分の声を何度も小さくしていました。
だから今、
書きながら涙が出るのだと思います。
当時泣けなかった分が、
今になって出てきているのかもしれません。
あのとき、
台所で笑いをこらえながら、
三女の背中をさすっていた私。
床のカレーを見ながら、
子どもの心を先に心配した私。
友人の前で会話ができなくなっていた、
二十代の私。
足を引きずるお年寄りを見て、
時間がないのに声をかけてしまった私。
全部、私でした。
強かった私。
優しかった私。
怖かった私。
壊れそうだった私。
不器用だった私。
どれか一つが本当で、
どれか一つが嘘だったわけではありません。
全部、本当でした。
そしてたぶん、
私はずっと、
自分にだけ厳しすぎたのだと思います。
子どもが失敗したら、
まず心を心配するのに。
お年寄りが困っていたら、
立ち止まって声をかけるのに。
友人が疲れていたら、
きっと「休んだ方がいいよ」と言うのに。
自分には、それを言えませんでした。
大丈夫?
怖かったね。
頑張ったね。
もう少し休んでいいよ。
そういう言葉を、
一番必要としていたのは、
私自身だったのかもしれません。
カフェの端の席で、
私は何度も画面を見つめます。
書いて、消して、
また書く。
涙で文字が少しぼやける。
それでも、私は書きます。
これは、誰かを責めるための記録ではありません。
自分をかわいそうだと言ってほしいわけでもありません。
ただ、
あの頃の私に、
今の私が言ってあげたいのです。
ちゃんとしているつもりだったあなたは、
本当はずっと、必死だった。
できる母でいようとしたあなたは、
本当はずっと、怖かった。
不器用だったあなたは、
それでもちゃんと、愛していた。
そう言ってあげたいのです。
私は、あの頃の私を、
ようやく少しだけ許し始めているのかもしれません。
完璧ではなかった。
上手でもなかった。
余裕もなかった。
間違えた日もあった。
怒ってしまいそうになった日もあった。
本当に怒ってしまった日も、きっとあった。
それでも。
あの子たちの笑い声を守りたいと思った気持ちは、
嘘ではありませんでした。
それだけは、
今の私がちゃんと知っています。
そしてたぶん、
それだけで、
あの頃の私を少し抱きしめてもいいのだと思います。
不器用だったね。
でも、
本気だったね。
そう言いながら。
第六章
それでも、笑い声は残った
今でも、全部がきれいに解決したわけではありません。
過去が消えたわけでもないし、
あの頃の空気が、なかったことになるわけでもありません。
子どもたちの心に残ったものもあります。
ふとした会話の中で、
当時のことを話すと、
次女の目から涙がこぼれることがあります。
本人も驚くくらい、
自然に。
泣こうとしているわけではないのに、
体が先に覚えている。
その涙を見るたびに、
私は胸の奥がぎゅっとなります。
ああ、やっぱり残っていたんだ。
言葉にならなかった怖さ。
泣き止めなかった夜。
帰ってくる足音で変わる空気。
笑ってはいけない場面。
助けたいのに助けられなかった瞬間。
子どもは忘れる。
大人はそう思いたがることがあります。
でも本当は、
子どもは忘れるのではなく、
言葉にできないまま、
体のどこかにしまっているのかもしれません。
そして、大人になりかけたある日、
何かの拍子にそれがふっと出てくる。
涙として。
沈黙として。
笑い話の途中の、少しだけ止まる空気として。
それを見ると、
私はどうしても思います。
もっと守れたんじゃないか。
もっと早く気づけたんじゃないか。
もっと違う選び方があったんじゃないか。
母というものは、
過ぎた日の前で、
何度も自分を裁こうとします。
あの日の自分は正しかったのか。
あの言い方でよかったのか。
あの沈黙は、子どもを守ったのか。
それとも、傷つけたのか。
答えは出ません。
たぶん、これからも出ないのだと思います。
でも、最近少しだけ思うことがあります。
あの頃の私は、
完璧には守れなかった。
でも、何も守らなかったわけではない。
たしかに守ったものもあった。
それは、笑い声でした。
夫がいない日のリビング。
古いマンションの壁に、
子どもたちの声が跳ね返っていました。
長女が、少し冷静な顔でつっこむ。
「今の、それ何なん」
次女が笑いながら、
さらに変な動きを足してくる。
三女が、それを見て真似をする。
でも絶妙にズレる。
そこがまたおもしろい。
そして、誰かが笑いすぎて床に転がる。
ケラケラケラ。
その笑い声は、
今思い出しても、
部屋の温度ごと戻ってくるようです。
あの頃、私はいつも何かに追われていました。
ご飯。
洗濯。
プリント。
仕事。
夫の機嫌。
明日の準備。
壊れないように保つ家の空気。
でも、あの笑い声の中にいるときだけは、
少しだけ息ができました。
母としての役割を、
ほんの少し下ろせた気がしました。
管理する人ではなく、
段取りする人でもなく、
空気を読む人でもなく、
ただ、子どもたちと一緒に笑う人になれた。
それが、どれほど救いだったか。
当時の私は、
ちゃんとは分かっていなかったと思います。
ただ、笑っていた。
ただ、また明日も頑張れると思っていた。
でも今なら分かります。
あれは、私たち四人の小さな避難場所でした。
誰にも壊されないように、
声を出して笑える時間。
関西弁が戻る時間。
変な顔をしても怒られない時間。
失敗しても、
少し笑って、
少し泣いて、
またやり直せる時間。
私は、その時間を守りたかった。
たぶん、必死に。
不器用に。
夫が変わったわけではありません。
家庭の問題が、
魔法みたいに消えたわけでもありません。
私が急に賢くなって、
すべてを上手に選べるようになったわけでもありません。
今でも、思い出すと苦しくなることがあります。
もっとこうすればよかった。
あのとき、こう言えばよかった。
あの子の前に、もっと早く立てばよかった。
そう思う夜があります。
でも、それでも、
あの家に笑い声がなかったわけではありません。
重い空気の中にも、
小さな光はありました。
アンパンマンのオルガンから聞こえる、
次女の歌。
「泣かないで〜、泣かないで〜」
泣いている誰かに向けているようで、
本当は、家そのものに向けているような歌。
三女の、小さな挑戦。
冷奴のしょうがとにんにくを間違えて、
涙で言葉が出なくなったあの夜。
でも、あの子はやろうとした。
ママを助けようとした。
お姉ちゃんたちに、できるところを見せようとした。
長女の辛口な優しさ。
「知らんふりして食べさせとけばよかったのに」
あの一言には、
笑いも、怒りも、妹を助けたい気持ちも、
家の空気への小さな抵抗も混ざっていました。
そして私。
いつも正しくできたわけではない。
怒らなかった日もあれば、
怒ってしまった日もあったと思います。
抱きしめられた日もあれば、
余裕がなくて、言葉がきつくなった日もあったと思います。
でも、
どの日の私も、
子どもたちを大切にしたかった。
それだけは、嘘ではありません。
母の記憶は、
どうしてこんなにも厳しいのでしょう。
できなかったことばかり、
先に思い出してしまう。
あの日の顔。
あのときの涙。
あの一言。
あの沈黙。
そればかり拾い集めて、
自分を責めようとする。
でも本当は、
その横に、ちゃんと別の記憶もあったはずです。
笑い転げた夜。
変な歌。
ぽっこりお腹のドヤ顔。
台所でこらえた笑い。
床に転がる子どもたち。
ケラケラケラと、壁に跳ね返る声。
私は、そちらもちゃんと覚えていたい。
苦しかったことを、なかったことにはしない。
でも、笑っていたことも、
なかったことにはしない。
どちらも、私たちの暮らしでした。
影だけではなかった。
光だけでもなかった。
その両方が、
あの古いマンションの中にありました。
たぶん人生は、
いつもそうなのだと思います。
きれいな話だけではできていない。
でも、苦しい話だけでもできていない。
泣きながら笑う日がある。
怖がりながら歌う子がいる。
失敗して泣く子を、
笑いをこらえながら助ける姉たちがいる。
カフェで泣きながら、
昔の自分に言葉を返そうとする母がいる。
不器用で、
泥臭くて、
少しおかしくて、
でもたしかに愛があった。
そう思えたとき、
私は少しだけ、
あの頃の自分を許せる気がしました。
許すというより、
やっと認める、に近いのかもしれません。
よくやったね。
でも、しんどかったね。
守りたかったんだね。
でも、あなたも守られてよかったんだよ。
そんなふうに。
私は今でも、
あの頃の自分にうまく言葉をかけられない日があります。
でも、少しずつなら言えるようになりました。
ちゃんとしているつもりだったあなたは、
確かに不器用だった。
でも、
不器用なまま、
ちゃんと愛していた。
完璧ではなかった。
でも、
笑い声は残った。
それは、
私が守れたもののひとつだったのかもしれません。
終章
ちゃんとしているつもりだった
私はずっと、
ちゃんとしているつもりでした。
子どもたちを守っているつもりでした。
家を回しているつもりでした。
空気を荒らさないように、
先回りして、
気づいて、
黙って、
整えて、
笑って、
また動く。
それが母だと思っていました。
少なくとも、
あの頃の私はそう信じていました。
夫の機嫌を読むことも、
食卓の空気を読むことも、
子どもたちの表情を読むことも、
自分の疲れを後回しにすることも、
全部、家庭を守るためだと思っていました。
でも今、
こうして振り返ると、
少し違う言葉が浮かびます。
私は、
ちゃんとしていたのではなく、
壊れないように必死だったのだと思います。
怒らせないように。
泣かせないように。
崩れないように。
止まらないように。
家の中の小さなひび割れを、
毎日、手で押さえているような暮らしでした。
片方の手で子どもの心を守り、
もう片方の手で現実を回す。
その手が足りなくなれば、
自分の心を差し出す。
そんなことを、
当たり前のようにしていました。
それを私は、
責任感だと思っていました。
母の強さだと思っていました。
でも本当は、
不器用だったのだと思います。
休むことが下手でした。
頼ることが下手でした。
助けてと言うことが下手でした。
怒りたいときに、
怒りたいと言えませんでした。
怖いときに、
怖いと言えませんでした。
しんどいときに、
しんどいと言えませんでした。
その代わりに、
私は動きました。
ご飯を作る。
洗濯をする。
プリントを見る。
冷奴を出す。
しょうがを確認する。
子どもの顔を見る。
夫の足音を聞く。
明日の準備をする。
動いていれば、
何とかなる気がしていました。
動いていれば、
壊れずに済む気がしていました。
でも、
動き続けることでしか守れない家庭は、
母の体を少しずつ削っていきます。
あの頃の私は、
そのことにまだ気づいていませんでした。
いや、
気づいていたのかもしれません。
でも、見ないふりをしていました。
見てしまったら、
立っていられなくなる気がしたからです。
今、娘たちは大きくなりました。
小さな手で冷奴を作ろうとしていた三女も、
もうあの頃の小さな三女ではありません。
でも、あの夜のことは、
今もまだ記憶の中に残っています。
しょうが。
にんにく。
涙。
言葉にならない嗚咽。
あの子は、
ただ間違えただけでした。
でも、我が家では、
ただ間違えただけのことに、
家族全員の神経が動きました。
長女は、
今でもどこか現実的です。
小さい頃から、
人の表情をよく見ていました。
誰が何を言わなくても、
今、何が起きているのかを察する子でした。
その分、
きっとたくさん怖かったのだと思います。
だから完璧でいようとした。
間違えないように。
妹たちを守れるように。
自分が揺れないように。
次女は、
今でも豊かな感性を持っています。
あの頃の話をすると、
本人も驚くくらい、
ふっと涙が出ることがあります。
十六歳になった今でも、
体の奥に残っているものがある。
それを見ると、
私は胸が痛くなります。
でも同時に、
あの子が歌っていた
「泣かないで〜」という声も思い出します。
ぽっこりしたお腹で、
得意げに体を揺らして、
自分の世界に入り込んで歌っていた次女。
泣き虫で、
怖がりで、
でも空気を変えようとする不思議な力を持っていた子。
あの歌は、
きっと可愛いだけの歌ではありませんでした。
自分に向けた歌であり、
私に向けた歌であり、
家に向けた歌だったのだと思います。
泣かないで。
怖くても、泣かないで。
大丈夫って、誰か言って。
そんな声が、
あの小さな歌の中に隠れていたのかもしれません。
三女は、
いつも一生懸命でした。
自分もできると思いたい。
お姉ちゃんたちに続きたい。
ママの役に立ちたい。
だから、冷奴も作ろうとした。
だから、
アンパンマンのお皿も運ぼうとした。
失敗して、
怖くなって、
涙で言葉が出なくなっても、
あの子の中にあったのは、
きっと「やりたい」という気持ちでした。
「できる」と信じる気持ちでした。
私はその気持ちを、
なるべく折りたくなかった。
でも、いつも上手に守れたわけではありません。
余裕がある日は、
「大丈夫」と言えた。
でも余裕がない日は、
きっと声が強くなった日もあったと思います。
きつい言葉を飲み込めた日もあれば、
飲み込めなかった日もあったと思います。
母の記憶は、
都合よく美しくは残りません。
できなかった日のことも、
ちゃんと覚えています。
あのとき、
もっと優しくできたんじゃないか。
あのとき、
もっと早く気づけたんじゃないか。
あのとき、
私がもう少し強ければ、
あの子たちは傷つかなかったんじゃないか。
そんな問いは、
今でもふいに戻ってきます。
でも最近、
少しだけ思うのです。
母は、
正解だけでできているわけではない。
迷いながら、
間違えながら、
後悔しながら、
それでも毎日、
何かを選び続けている。
怒るのか。
抱きしめるのか。
教えるのか。
黙るのか。
逃げるのか。
守るのか。
笑うのか。
その一つひとつを、
台本もなく、
リハーサルもなく、
その場で選んでいる。
しかも、
自分の体調も、
心の余白も、
家の空気も、
全部違う毎日の中で。
それでも母は、
選び続けている。
不器用に。
必死に。
ちゃんとしているつもりで。
私は、
あの頃の自分を、
まだ完全には許せていないのかもしれません。
でも、責めるだけではなくなりました。
あの頃の私を思い出すと、
胸が痛くなる日もあります。
でも同時に、
少しだけ、
声をかけてあげたくなります。
よくやっていたね。
しんどかったね。
怖かったね。
本当は、
あなたも誰かに守ってほしかったね。
そう言ってあげたくなります。
カフェで原稿を書いていると、
今でも涙が出ることがあります。
周りから見たら、
少し変な人かもしれません。
でも、私は書きます。
あの頃の自分を、
もう一度見つけるために。
あの頃の娘たちの小さな声を、
置き去りにしないために。
そして、
どこかで今、
ちゃんとしているつもりで、
必死に立っている誰かに届くように。
あなたは、
できていない母なのではないかもしれない。
ただ、
不器用に、
必死に、
愛しているだけかもしれない。
そう伝えたいからです。
完璧な家庭ではありませんでした。
きれいな母でもありませんでした。
正しい選択ばかりできたわけでもありませんでした。
それでも、
あの家には笑い声がありました。
ケラケラケラと、
古いマンションの壁に跳ね返る声。
変な歌。
ぽっこりお腹のドヤ顔。
台所でこらえた笑い。
床に転がる子どもたち。
そして、
泣きながら「しょうが」と言った小さな声。
全部、私たちの暮らしでした。
影だけではなかった。
光だけでもなかった。
その両方を抱えながら、
私たちは生きていました。
私は、
ちゃんとしているつもりでした。
でも本当は、
不器用でした。
休み方も、
頼り方も、
守り方も、
愛し方さえも、
上手ではありませんでした。
それでも、
あの子たちを大切にしたかった。
それだけは、
どうしても嘘にしたくありません。
だから今、
私はこう思います。
ちゃんとしているつもりだった私は、
たしかに不器用だった。
でも、
不器用なまま、
ちゃんと愛していた。
そしてきっと、
人生はそこからでも選び直せる。
何度でも。
少しずつ。
また、
笑い声のする方へ。
あとがき
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この物語は、誰かを責めるためではなく、
あの頃の自分と、あの頃の子どもたちを、
もう一度そっと抱きしめ直すために書きました。
ちゃんとしているつもりだった。
でも本当は、不器用に必死だった。
そんな日々の中にも、
たしかに笑い声は残っていました。
この物語が、
今どこかで必死に立っている誰かの心に、
少しでも届きますように。
しずうさ🌙
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