
絵本が育てたものは...
【絵本が育てたのは、子どもと、もう一人のわたし】
〜絵本の読み聞かせが親子の絆を深める本当の理由〜
「絵本は、子どものために読むもの」
そう思って、わたしは二人の子どもに、毎日絵本を読み聞かせてきました。
けれど、今ふり返ってみると——
あの時間は、子どものため“だけ”ではなかったと気づきます。
絵本を読んでいたのは、子どもに向けてでありながら、
同時に、もう一人の「わたし」にも届いていました。
子どもを授かったとき、わたしは育児書を何冊も読みながら−
その中で出会ったのが、
「絵本の読み聞かせはIQとEQを育てる」という言葉でした。
特にEQ、人を思いやる気持ちや、自分の気持ちを感じる力を育てる。
そのことに、わたしは強く惹かれたのです。
1日10冊をひとつの目安にしながら、
できる限り毎日、絵本を読むようにしていました。
絵本を持ってきて、
「読んで」とそっと差し出してくるたびに、
また一冊、また一冊と、ページをめくっていました。
気づけば、声が枯れるまで、
数十冊読んでいる日もありました。
そうして積み重なった時間は、2人のわが子が生まれてから3歳頃までで、延べ2万冊以上になっていました。
お気に入りの絵本は、何度読んだかわからないほど繰り返し読みました。
ある同じ本を何十回、何百回と読むうちに、私自身も物語や言葉を自然と覚えてしまい、気づけば暗唱できるほどになっていたのです。
記録をつけていたこともあり、
その一冊一冊が、確かに日々の中に重なっていったことを覚えています。
1日10冊という目安は持ちながらも、
わたしが大切にしていたのは、
「読むこと」そのものではなく、
子どもといっしょに楽しむ時間でした。
子どもの機嫌がよいときに、
そのとき心が向いた一冊を開く。
その繰り返しが、
自然と日々の中に溶け込んでいきました。
同じように絵本を読んできたのに、
ふたりはまったく違う個性を育てていきました。
それぞれが、自分の心地よい場所を見つけ、
自分のペースで、歩いていく。
その姿に、静かな感動を覚えました。
でも——
いちばん大きく変わったのは、子どもではなく、わたし自身でした。
ある日、絵本を読みながら、涙がこぼれました。
物語の中の言葉が、
ふいに、わたしの幼い頃の記憶に触れたのです。
思い出したのは、
母に言われて、ずっと心の奥にしまいこんでいた言葉。
本当は傷ついていたのに、
「そんなことない」と、蓋をしてきた気持ち。
その蓋が、静かに開いていきました。
それまでのわたしは、
自分の本音に気づかないまま、人に気を遣い、
少しずつすり減っていたのだと思います。
でも絵本の中では、
強くいようとしなくていい。
弱い気持ちも、さみしさも、
そのまま感じていい。
そうやって、
わたしは自分の心に、触れることができました。
子どものために始めたはずの読み聞かせは、
気づけば、わたし自身を癒す時間になっていました。
そして不思議なことに、
子どもとの間には、目には見えない説明できないけど“あたたかい絆”が残りました。
何かを教えたわけでも、
特別なことをしたわけでもないのに、
ただ、いっしょにページをめくった時間が、
見えないつながりを、静かに育ててくれていたように感じています。
大きくなった今も、
そのあたたかさは、確かに残っています。
言葉にしなくても伝わる安心感。
そばにいるだけで、どこか満たされるような感覚。
あの時間が、
親子の心の土台になっているのだと思います。
絵本の読み聞かせは、
何かを“与える”ためのものではなく、
いっしょに感じ、いっしょに生きる時間。
そしてそれは、
子どもとわたし、両方の心に残る、
かけがえのない記憶になります。
今でも、忘れられない光景があります。
まだ0歳だったわが子に絵本を読んでいたときのこと。
物語を読みながら、わたしは突然あふれる涙を止めることができなくなりました。
泣く母親を見て、赤ちゃんだったわが子がビックリ「どうしたの?」と言うように、ギョッとした顔でこちらを見つめていました。
あのときは夢中で子育てをしていましたが、今思えば、絵本の言葉がわたし自身の心をそっとほどいてくれていたのかもしれません。
その光景を、昨日のことのように思い出します。
絵本を開くたびに生まれていた、
あの静かな時間。
笑ったことも、泣いたことも、
言葉にならなかった気持ちも。
すべてが、やさしく重なって——
今も、わたしの中に残っています。