
院卒女子、スキマバイトはじめます。あとがき
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語を書こうと思ったきっかけは、学生時代に聞いた、ある恩師の言葉でした。
その恩師とは、知る人ぞ知る、「接点T」「数学ヤクザ」などで有名な代々木ゼミナールの荻野暢也先生です。
今ではずいぶん柔らかい雰囲気の先生になられてますが、当時の第一印象は「この先生、怖っ」でした。
遅刻には厳しく、言うべきことはビシッと言う先生でした。
でも授業を受けてみると、その印象はすぐに変わりました。
数学の講義はとても分かりやすく、合間に入る雑談は、いつもおもしろくて、講義を楽しみしていた先生の一人でした。
その中でも、今でも忘れられない話があります。
(ちょうど動画があったので載せておきます。)
内容について簡単にまとめると、
学校の通信簿には、左側と右側があります。
左側には数学や英語など教科の成績が並び、右側には「協調性」「思いやり」「主体性」「リーダーシップ」といった項目が並んでいます。
十代の約二十年間は、多くの人が左側の評価を追いかけます。
でも社会に出てからの何十年で、本当に問われ続けるのは、右側の能力です。
そんな話でした。
当時はあまりピンと来てませんでしたが、大人になればなるほど、その言葉の重みを感じました。
知識は、ときに鎖になります。
人は知れば知るほど、その知識に頼ろうとします。
マイが何度も偉人の名言を引用していたのは、その象徴として表現しました。
自分の未熟さを、誰かの完成された言葉で覆い隠そうとする。
でも本当に必要だったのは、誰かの言葉を借りることではなく、自分を疑い、自分で考え、自分の言葉を持つことでした。
社会は、数式のように一つの正解がある世界ではありません。
相手の事情があり、自分の事情があり、その間で揺れながら折り合いをつけていく世界です。
荻野先生の言葉を借りるなら、マイの通信簿の左側は、ずっと優秀でした。
でも右側は、この物語の中でようやく学び始めたばかりです。
「学校」という世界の中では本当に優秀だった人間が、「社会」で生きるために学ばなくてはいけないこと、それを描ければいいなと思って、この物語を書きました。
数々のバイトをこなしたあとでも、マイはまだまだ成長途中の人間です。
マイの最後の言葉、
「正しさのフレームをグニャリとおし曲げた先に、私は進む」
「グニャリ」という、少し不格好な単語。
五七五にもなっていない、どこか収まりの悪い文章。
決して語り継がれるような名言ではありませんが、誰の言葉でもない、マイ自身の言葉。
まだ成長の途中にいる一人の二十代が、自分の力でようやくたどり着いた一文として、最後に残しました。
もしこの物語が、誰かにとって「正しさ」や「生き方」を少しだけ考え直すきっかけになったのなら、マイのスキマバイトは、きっと意味のある寄り道だったと思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
思索メグル
(※動画の最後が途切れていますが、荻野先生が大学に行ってやってほしい事としてあげていた3つは、
・友達をたくさんつくること
・アルバイトをすること
・恋愛すること
だったと記憶しています。)