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【軛】ヌ過去線ヌ『偏光』BL・NL混合創䜜sideBLR15



    《 あらすじ 》

    非䞊堎倧䌁業の秘曞・把さかき 最じゅんは、雇甚䞻である冎朚さえき 正臣たさおみず蚪れた街で、か぀お自身に執着した実業家・志接野しづの 亮りょうず再䌚する。

    高架䞋で匷匕に唇を奪われた把は、その倱態から解雇を芚悟するが、冎朚は圌を拒絶せず、むしろ匕き留める蚀葉を口にした。

    その瞬間、圌の心に刻たれたのは、生涯、冎朚正臣ずいう男に瞛られる“呪い”だった。



    䞀方、把に拒絶された志接野は、倜の静寂の䞭で、圌の面圱を宿した愛人・早川はやかわ 慎たこずの声に瞋り、自身を嘲笑あざわらうように呟く。


    「愛しおる」


    ——その蚀葉は、誰に向けられたものなのか  





    —— 季節は六月。

    最埌の蚪問先での打ち合わせを終え、今埌の経営方針ぞの指瀺をすべお䞋し終えた頃には、十六時をずうに回っおいた。

    歎史的建造物が立ち䞊ぶ倧通りから波止堎ぞず抜けるず、海颚を孕んだ重い湿気が肌に纏わり぀き、六月にしおはひどく冷えた空気が把の柔らかな髪を揺らしおいる。
     
       

    「——迎えが来るたでには少し時間が掛かる。
     颚に圓たっお埅぀のも悪くはない。
     この先にある広堎なら、腰を䞋ろせるだろう」 


    目圓おのベンチを芋぀け、冎朚が長い脚を組んで腰を䞋ろす。 

    膝の䞊でゆったりず䞡手を結ぶその䜇たいは、圫刻のように端正な顔立ちず盞たっお、重厚な矎しさを醞し出しおいる。 


    「代衚、お飲み物はいかがですか」

    淀みのない声で秘曞が尋ねた。

     

    「  そうだな。
     朮颚が冷える。枩かいコヌヒヌをもらえるか」

    「かしこたりたした。
     この先にある店舗で賌入しおたいりたすので、
     少々お埅ちください」


    事務的に頭を䞋げ、螵を返そうずした。

    ——その時だった。


    「——把君  やっぱり把君じゃないか」


    湿った颚を切り裂くように届いた、聞き芚えのある声。
    振り向いた先の人物に、把の芖線が瞫い留められる。

    人通りのたばらな波止堎の倧通りから手を振りながら足早に歩み寄っおくるのは、か぀お圌が担圓しおいた顧問先の䌚瀟代衚——
    志接野亮だった。



    距離が瞮むに぀れ、人圓たりの良さそうな笑みが倕暮れの光の䞭にくっきりず浮かび䞊がる。


    「こんなずころで䌚えるなんお。
       久しぶり、元気にしおたか」

    「——志接野  さん。どうしお、ここに  」

    驚きを隠せない声が、朮颚に玛れる。


    「仕事でこのあたりを回っおいおね。
     もうこんな時間だし、あずはスタッフに任せお盎垰
     しようかず思っおいるずころだ」


    思いがけぬ再䌚——
    垞に衚情を厩さない秘曞の足元が舗装を小さく擊り䞊げ、ほんのわずかに埌退する。

    その埮现な動きを、䞻は芖界の端で確かに捉えおいた。  


    「突然退職したから、
     どうしたのかず気にかけおいたんだ。
     少し、雰囲気が倉わったかな 
     ——しかし、盞倉わらず  ん」 


    蚀葉が途切れ、その芖線は把の背埌でベンチに腰を掛けおいる人物ぞず焊点を合わせる。 


    ——
     冎朚正臣じゃないか  
     たさか、こんなずころで本人に䌚えるずは 
     
    驚きのあたり、圌の意識は男に釘付けずなる。
     
    その様子を感じ取ったのか、冎朚はゆっくりず秘曞ぞ顔を向け、䜎く重い声を投げかけた。
     


    「——知り合いか」

    その声に、珍しく呆然ず立ち尜くしおいた圌が、匟かれたように背筋を䌞ばす。 


    「 はい。
     以前、担圓させおいただいおおりたした䌚瀟の  」

    「SN゚スアむ゚ヌファむナンスの、志接野亮です。
     こんなずころで、あの冎朚正臣氏にお目にかかれる
     ずは  思っおもみたせんでした」


    男は即座にビゞネスマンの顔を貌り付けるず、把の蚀葉を遮るようにゞャケットの胞元から玠早く名刺を差し出した。

    だが、冎朚は差し出された玙切れを䞀瞥しただけで、埮動だにしない。




    「  そうか」

    短く返すず、再び芖線を枯ぞず戻す。
    名刺を受け取る぀もりなど、毛頭ないずいう明確な意思衚瀺である。


    ——興味なし、か。
       たぁ、䞊みの䌚瀟じゃアポすら取れない
     雲の䞊の存圚だしな。これくらいは想定内だ

    志接野は唇の端を吊り䞊げながら、宙に浮いた名刺を指先でヒラヒラず遊ばせ、悪びれる様子もなく名刺入れぞず収めた。 




    芋䞋ろしおいるのは自分の方なのに、
     座っおいるだけでこの嚁圧感か   

    男が内心で舌打ちをしながら盞手の芳察を続けおいるず、その芖線を遮るように、秘曞がすかさず䞀歩前ぞ螏み出した。


    「志接野さん、すみたせん。今は職務䞭ですので  」

    「ん これはすたない。
     感動の再䌚に぀い我を忘れおいたよ」

    これ以䞊関わりたくないずいう感情を、把は淡々ず事務的な察応で包み、やり過ごそうずする。

    だがここで、座っおいたはずの䞻——
    冎朚正臣がゆっくりず立ち䞊がり、圌に向け声をかけおきた。 


    「積もる話があるようなら、垭を倖しおもらっお
     構わない。
     ——私は、このあたりを適圓に散策しよう。
     篠田が到着したら、こちらの携垯に連絡が入る
     手はずになっおいる」 

    「  
     しかし  」


    圌は咄嗟に蚀葉を詰たらせたが、男の有無を蚀わせぬ県光に、それ以䞊の反論を飲み蟌んでしたう。


    「——いえ  ありがずうございたす。
     お蚀葉に甘え、少々お時間を頂戎いたしたす」

    秘曞が深く頭を䞋げるず、䞻は䞀蚀も発するこずなく䞭倮広堎の方ぞ歩き出した。

    遠くからでもひず際目立぀その埌ろ姿を、志接野は品定めでもするかのように芋぀めおいる。



    ——あれが、新しい雇甚䞻。
     把君の仕事は圌の秘曞、ずいったずころか。
     元・皎理士法人の職員が、“秘曞”ねぇ   


    男は圌の意倖な転職先に興味を抱いたが、䞎えられた時間はそう長くないだろうず察し、薄く笑みを浮かべお次の話題を振った。 



    「さお、君の䞊叞の蚱可も䞋りたこずだし  。
     俺たちも堎所を倉えお話でもしよう」 

    隣ぞ振り向く男の県に、䞻の背䞭を瞋るように芋぀め続ける暪顔が映り蟌む。



      あぁいうのが奜みなのか

    圌の芖界から䞀秒でも早く冎朚の残像を消し去りたい男は、その薄い肩ぞわざずらしく手を乗せ、行く先を促すように目配せをした。 




    志接野に促されるたた、無蚀で歩き出した二人。

    圌らが足を止めた堎所は、広堎から少し離れた、頭䞊を巚倧な環状道路が走る高架䞋だ。

    日の入りが近く、平日の垰宅ラッシュ前ずいうこずもあり、分厚いコンクリヌトの倩井に遮られた空間には歩く者の姿もなく、䞍気味なほど薄暗い。

    絶え間なく降り泚ぐ重䜎音のロヌドノむズは、呚囲の音を完党に遮断しおいる。


    志接野はゞャケットの内偎から煙草を取り出すず、慣れた手぀きで火を぀けた。
     
    湿気を含んだ煙がゆっくりず立ち昇り、コンクリヌトの壁を掠める冷たい颚がかき消しおいく。

    その癜い軌跡を、把は感情を閉ざした瞳でただ静かに芋぀めおいた。


    男が二床目の玫煙を深く吐き出し、ようやく話の口火を切る。


    「——アヌクを突然蟞めた君が、高名な実業家の秘曞
     になっおいたずは  思いもしなかったよ」 



    いたずらっぜく笑うず、再䌚の喜びを噛みしめながら、たた䞀぀、煙を吞い蟌む。

    メン゜ヌルの爜快感ず、ラム酒を思わせる深い味わいが、男の肺を満たしおいく。




    「  俺の熱烈なアプロヌチが原因」

    真意を探ろうず、絡み぀くような芖線を目の前の圌に送るが、盞倉わらず埮動だにしない。

    志接野が䞉床目の煙をゆっくりず吐き出し、薄靄うすもやを掻き分けお熱を垯びる瞳を向けた。

    骚ばった男の指先が斜め向かいに立぀把の癜い額ぞず䌞び、光を透かす繊现なスモヌクブラりンの髪の根元ぞ、 ゆっくり朜り蟌む。

    長い腕ず倧きな掌はその顔ぞ圱を萜ずし、匄ぶ指は毛先にかけお愛撫するかのように、ねっずりずした動きで抜けおいく。

    指の腹から消えた感觊を再び貪ろうず、今床は圌の埌ろ髪ぞその手が倧きく䌞びる。


    ——瞬間、把の肩がわずかに匷匵った。



    「——少々、自意識過剰ではないかず」

    䌞ばされた掌を、薄い手の甲が払いのける。

    萜ち着き払ったセピアブラりンの瞳が男ぞたっすぐ向けられるず、その拒絶すら愉しんでいるのか、圌は錻で軜く笑った。




    「——盞倉わらず、顔色䞀぀倉えずに冷たいこず蚀う
     んだな。けど  」

    再び腕を組み、煙を吞い蟌んでゆく。



    「そういうずころが、俺は“気に入っおる”
     その顔を、どうにかしお歪たせたい  」



    男の手元から攟たれる癜霧はくむは、高架䞋の隙間から差し蟌む西日を散乱させ、把の党身を圩るずずもに、その茪郭を曖昧にしおいる。


    あたりにも艶やかで退廃的な姿に、男の瞳はじっずりず现たっおゆく。




    「——そう、思わせるんだよ。君はね」

    志接野は唇の端を吊り䞊げるが、盞手の衚情は埮塵も厩れない。

    その培底した無反応ぶりに男は小さく肩を竊めるず、携垯灰皿を取り出す。

    最埌に倧きくゆっくり吞い蟌み、残骞を閉じ蟌めた。

     

    ゞャリ ず音を立おお、その足が䞀歩螏み出す。

    甘い煙草の匂いに混じっお男の錻先を掠めたのは、
    盞手が纏う柑橘系の銙り——

    志接野の巊腕が退路を塞ぐかのように、把の背埌にそびえ立぀柱ぞ抌し圓おられるず、湿った空気が流れ蟌んできた。



    「  皎理士法人の䞀職員でしかなかった君が、
     どうしお倧䌁業の秘曞になれたのか  。
     ——非垞に興味があるな」

    「    」

    芗き蟌むように圌に顔を近づけるも、頑なに無反応を貫くその様子を芋お、男の顔からは穏やかな笑みが埐々に消えおいく。

    面癜くないずでもいうかのように倩井を仰いで溜め息を吐くず、その瞳が県䞋の人物に萜ちる。

     
    芖線は、把の涌やかな目元から矎しい錻筋ぞず流れ、やがお薄い唇の脇にある小さな黒子で止たった。

    もっず間近で芳察したいずいう欲望に掻き立おられ、
    男は柱に巊肘も添え、たた䞀぀、距離を瞮める。

    芖界を埋め尜くす现い顎を指先で持ち䞊げ、口元の右䞋にある黒子にそっず觊れるず、唇の柔らかさを確かめるように、芪指の腹で䞹念になぞり䞊げおいく。




    「——忘れられないんだ。
     “あのずき”から、ずっず  」


    芋぀める双眞は、ようやく芋぀けた獲物を手攟すたいずいう鋭さを垯びおいた。

    少し䜎い䜍眮にある盞手の芖線を、自分に合わせおさらに持ち䞊げれば、癜い銖筋に浮かぶ喉仏がヒクリず動くのを、男の瞳が捉える。




    「——どうやっお“誑かした”」


    その蚀葉に、䞀瞬だけ圌の眉間に薄く皺が寄るが、
    すぐに元の無感情な面皮を取り戻した。


    「  それは、どういう意味でしょうか」

    「オブラヌトに包たれるのは奜きじゃない
     ——じゃあ、単刀盎入に聞く」


    スラックスの䞭で沈黙しおいた男の右手が把の薄い腹郚を撫であげ、ゞャケットのフロントカットから䟵入するず、裟に隠れおいる腰骚を掌で包むように撫で䞊げた。



    「——“寝た”のか」


    その蚀葉に、ここで初めお把の目元に䟮蔑の色が挿す。

    そんな姿に愉悊を芚えた志接野は、さらに反応を匕きずり出そうず蚀葉を匷めおいく。



    「あれだけの容姿だ。
     ビゞネス手腕もさるこずながら、ベッドでの手技も
     さぞかし芋事だろう」



    腰骚を巡る手はセンタヌベントの裏ぞず回り蟌み、䞋卑た憶枬ず共に盞手の尟骚ぞず抌し圓おられる。

    次はどんな反応をみせおくれるのかず、ほくそ笑む男の瞳がその姿を映し出す。



    ——が、
    そこには先ほど喉をしならせ、感情を露わにした姿はなかった。



    「話が飛躍しすぎではないでしょうか
     理解いたしかねたす。
     私がどのような経緯で就職したかは個人情報の䞀぀
     であり、貎方には関係のないこずかず。
     特にご甚件がないのであれば、私は仕事に戻らせお
     いただきたすので」 


    䞋肢ぞ䌞ばされた男の手を掎んでゆっくりず匕き離すず、䞊着の内偎で携垯が短く震えた。

    それは䌚瀟からの業務連絡か、もしくは、手配された車の到着を知らせる䞻からのものか——

    いずれにせよ、珟状を把握すべき秘曞にずっお、即座に察応しなくおはいけない通知である。


    いけない  確認をしなければ 

    その肩が、焊りからわずかに匷匵る瞬間を男は芋逃さない。

     
    内容を確かめようず、把が身を乗り出しかけた、
    次の瞬間——




    ドン、ず。
    鈍い音が高架䞋の空間に響き枡る。

    匷く柱ぞ抌し付けられた现い背に、鋭い痛みが走った。



    「っ  なにを  」

    「今からでも遅くはない。俺の䌚瀟に来ないか」


    男はそう囁きながら、圌の手に握られおいる端末をゆっくりずした動䜜で奪い取るず、自身の胞ポケットぞず収めた。

    ようやく盞手が芋せた焊燥の色に、その口元はふっず緩む。


    「  いや、違うな」 

    抌し付けられる痛みで埮かに歪み、震える把の目元を湿った颚に煜られた前髪が芆い隠す。

    その髪を男の指先がゆっくりず掬い䞊げ、そのたた耳ぞず掛ける仕草は、たるで恋人にでも觊れるかのように優しく、そしお——


    ひどく、䞀方的だった。




    「——俺の“オンナ”になれよ」

    欲望を隠そうずしない蚀葉に、圌の眉間が鋭く歪む。

    男はその反応を詊すように、耳の茪郭をなぞる寞前で動きを止めた。


    「——最」 




    —— 時刻は十䞃時䞉十分。


    空にはただ陜が残るものの、その端からはうっすらず倜の気配が滲み始めおいた。

    敷地内を散策しおいた冎朚のもずぞ、運転手から車の到着を知らせる連絡が入る。
    知人ずいるはずの秘曞ぞ車の手配堎所を送信するず、自身は先に車内ぞず乗り蟌んだ。







    ——遅い  


    圌に堎所を送っおから、既に十分が経った。
    しかし、既読が぀く様子はない。



    ——あの、把が  

    倧孊時代の埌茩・各務公嗣かがみきみ぀ぐの玹介で雇い入れた圌は、
    迅速で、正確で、玄束の時刻を違えない男だ。

    二幎あたりその働きぶりを芋おきたが、こちらの意図を先回りし、淀みなく環境を敎える圌の利発さは、自分にずっお、もはや必芁䞍可欠なものになっおいた。




    —— その把が、来ない。


    ——このたた埅぀べきか、戻るべきか   

    男は腕を組み、スヌツ越しに指先で音もなく、芏則的に肘を叩き始めた。




    ——この埌の予定もある  


    思考が敎理されるに぀れ、肘を叩く間隔は埐々に広がっおいく。


    やがお最埌の䞀打を萜ずすず、スヌツの袖を指先で小さく摘たみ寄せた。



    ——別れた堎所たで戻っおみるか

    意を決し、長身を起こすず運転手ぞ指瀺を䞎える。


    「把が遅れおいるようだ。
     篠田さんは、このたた埅機しおいおくれ」

    「承知したした。お気を぀けお——」



    車倖ぞ出た暪顔に、湟岞の湿った颚が吹き぀ける。
    ふず脳裏をよぎったのは、わずか䞃歳の息子・芁かなめの姿だった。



    ——自分の子䟛すら迎えに行かない男が、こうしお
     他人を探し回るなど  






    「——— 滑皜でしかないな」


    自嘲の混じった酷く冷めた苊笑いを浮かべるず、男は無意識に足を速めた。




    圌が秘曞を探し始めたころ、高架䞋では二人の察峙が続いおいた。


    「俺の“オンナ”になれよ  最」

    「  その呌び方は、おやめください」

    淡々ず返される拒絶。
    男はむしろ、愉悊を深めるように目を现めた。

    その芖線は癜い貌を舐ねぶるず、圌が纏う䞊質なスヌツぞゆっくり萜ちおいく。



    「いい仕立おだ。
       君に、よく䌌合っおいる」

    わずかに間を眮いお、男は続けた。


    「既補品では、ここたで綺麗な線は出せない 」

    蚀葉ず同時に男の腕が腰ぞず回り、生地の質感ずその䞋の现さを確かめるように抌し撫でおいく。

    露骚な熱を孕んだ動きにも把は顔色䞀぀倉えず、無蚀のたた盞手に芖線を合わせおいる。


    その隙のない態床が、志接野は気に入らないらしい。



    「随分ず倧事に扱われおいるようだ。
     ——この完璧な姿を、俺が乱したいず蚀ったら  
     君はどうする」

    「  䜕を、仰りたいのですか」 


    腰を這う手がシャツの胞元ぞず滑り蟌むず、容赊なく䞀点を掠めた。



    「——っ  」 

    予期せぬ刺激に、身䜓が小さく震える。

    感情ずは裏腹に生じた反応に、圌自身、戞惑いを隠せないでいた。 



    あたりにも煜情的な光景に、男の喉元が倧きく䞊䞋する。
     


    「分かるだろう   俺ず君は、“同じ穎の狢”だ。
     報われない盞手を远うより、ずっず建蚭的だず思わ
     ないか」 

    蚀い終えるや吊や、现い脚の隙間に自身の膝を割り入れお逃げ堎を完党に塞ぐず、匷匕にその薄い唇を奪った。 


    「——っ、ん  」 

    頭䞊を駆ける重䜎音のロヌドノむズが、埮かな抵抗の音を無慈悲にかき消しおいく。 
    把は必死に抵抗を詊みるが、僅かに浮く足元のせいで思うように力が入らない。

    逃がさないずでも蚀うかのように、男の䞡手が力匷く圌の顔を包み蟌んだ。

    掌で頬を固定し、人差し指から薬指にかけおは毛束をかき分けるようにしお、埌頭郚の髪を抌さえ぀けおいく。

    残る長い小指が、シャツの台襟ず毛先の隙間から芗く癜い肌をなぞり、匵りのある襟をわずかに抌し広げお、するりず奥深くぞ朜り蟌んだ。

    くすぐったさず恐怖に、たた䞀぀、圌の䜓が小さく跳ねる。
    そのわずかな反応を芋逃さず、男の指先はさらに深く地肌を探り始めた。 

    息苊しさから唇を逞らそうずするも、远いかけるように深く重ねられ、口内に柔らかな肉が䟵入しおきた瞬間。


    把の党身を、総毛だ぀ような感芚が襲う。
     



    ——気が぀けば、圌は自分でも驚くほどの力で抵抗しおいた。


    「  ッ、は  あなたにも、瀟䌚的立堎ずいうもの
     があるのでは  っ
     公共の堎で、このように軜率な行動は  
     慎むべきです」


    匷く突き飛ばされ、わずかに䜓勢を厩した志接野だが、壁を背に呌吞を荒くしおいる盞手の姿を芋るなり、残る熱を味わうかのような仕草で唇をなぞった。



    「  軜率、ね」

    䜎く溢す男は、怯える獲物ぞ淫靡な笑みを向ける。




    「その蚀い方だず  堎所を改めれば、
     “この先を”蚱しおくれるっお意味にも取れるけど」

    からかうような䜎い声が、コンクリヌトの壁に冷たく反響する。
    把は手の甲で痕跡を消すように唇を拭うず、すぐさたい぀もの顔を貌り付けた。


    「 ——— 揚げ足取り、ですか 」


    「 倧人気ないか
     けど、俺にそうさせるのは  君だ」

    志接野は再び䞀歩を螏み出し、逃げ堎を奪うようにしお距離を詰める。




    「——  “君だけ”  だ」

    圌の倧きな掌が、盞手の胞元で固たる、男性にしおは繊现な手銖を再び捕らえた。

    把を至近距離から芗き蟌んでくる瞳は、愛を乞う真剣さず、痛々しいほどの歪みが混圚しおいる。

    その様子にどう察凊すべきか逡巡する、抗いがたいほどの艶を孕む圌の唇ぞ、男の指先がたるで壊れ物を扱うかのような優しさで觊れた。

    至近距離で互いの茪郭が溶け合う。


    その刹那——



    コツ、  コツ、ず。 

    遠くから䜎く、䞀定の歩調で暗がりぞ近づいおくる革靎の音が響く。 




    「——どうやら、ご䞻人様がお迎えにきたようだ。
       愛されおるな」 


    男は先ほど奪った携垯を圌の胞元ぞ静かに戻すず、ふっず身を匕いた。

    解攟された手銖に残る熱ずは反察に、空気が埐々に重く、冷たく匵り詰めおいく。

    高架䞋の薄闇を割るようにしお、冎朚正臣が姿を珟した。 




    「随分ず話し蟌んでいるようだな」

    「  代衚」

    䞻の姿を捉えた瞳が、ほんのわずかに揺れる。
    「い぀もの顔」を貌り぀けたはずなのに、どうしおか次の蚀葉が出おこない。 

    傍らに立぀志接野は、その倉化を黙っお芋぀めおいた。




    ( ——君を、そこたで狂わせるほどなのか。
     冎朚正臣ずいう男は   )

    スラックスのポケットの䞭で爪が食い蟌むほどゆっくりず、その手が握り締められおいった。





    突劂ずしお珟れた䞻は、たるで䜕事もなかったかのようにそこに立っおいる。
    志接野ぞ䞀瞬だけ向けられた芖線は、すぐさた男の秘曞ぞず移った。


    「——探したぞ、把。
     車がすでに到着しおいる。通知を芋おいないのか」 

    䜎く響いたその声に、停止しおいた思考が呌び起こされる。

    胞元から携垯を取り出すず、発光する画面には、通知から既に二十分が経過しおいるこずを瀺す数字が映し出されおいた。



    「——っ 倧倉申し蚳ございたせん、代衚  」 

    匷匵る指先で乱れた襟元を敎えるず、秘曞は血の気の匕いた顔で深々ず頭を䞋げた。
    腰を折ったたた埮動だにしない圌を䞀瞥するず、その芖線は再び志接野ぞ向けられる。



    「埌の予定がある。
     続きはたたの機䌚にしおもらえるず助かるのだが」

    この蚀葉に、男が埗意ずする軜劙さは完党になりを朜めた。

    握り締めおいた拳を解いおいくず、わずかに匕き぀る顔を繕うように銖を傟け、柔和な笑みを浮かべた。



    「  いや、こちらこそ。貎方の倧切な秘曞をお借り
     しおしたい、申し蚳なかった」

    そう告げた男の芖界の端には、無蚀のたた俯く把が映り蟌んでいる。

    最埌にもう䞀床、ず。
    振り向いお声をかけた。



    「  把君」

    その呌びかけに䞀瞬だけ小さく肩が跳ねるず、頭がゆっくり䞊がり二人の芖線が重なる。



    「新倩地での掻躍を、遠くから芋守らせおもらうよ。
     ——元気でな」 

    投げられた蚀葉に䞀床だけ圌は瞬きをしお、感情のない事務的な声を返した。



    「ありがずうございたす。
       志接野さんも、お元気で」

    それ以䞊の蚀葉はなく、男は目を现めお埮笑むず埌ろ手を振りながら去っおいった。 




    冎朚は携垯を手にずり、埅機させおいる運転手ぞ電話をかける。


    「——把ず合流した。
     車を西偎駐車堎ぞ回しおもらえるか。
     すぐにここを出る」 

    短く指瀺を出し通話を切るず、秘曞ぞ目を向けた。


    「予定よりも早いが、珟地ぞ向かう」

    「かしこたりたした」

    い぀ものように萜ち着いた声で応察するも、圌の胞䞭は䞍安で満ちおいる。



    志接野ずの堎面を芋られおいたのだろうか。
    信頌を損ねたのではないか。
    職務に盞応しくないず、思われたのではないか——



    「  代衚、あの  」

    蚀葉が続かない。
    その様子を芋お、䞻は浅くため息を吐いた。



    「——君はずおも優秀だ。
     私が頌り切っおしたうほどにな。
     それでも、ただ二十䞃歳の青幎でしかない。
     この皋床の手違いであれば、むしろ新鮮だ。

     私は君を、寞分の狂いもない、粟密機械か䜕かだず
     勘違いしおいたらしいからな」 

    倧䌁業のCEOずしお垞に硬質な衚情を厩さない男の唇が、ほんのわずかに綻んだ。



    「  」 

    それだけで、把の胞の奥が倧きく鳎る。

    呌吞の仕方さえ、忘れおしたうほどに——



    ——少し笑うだけで、こんなにも  

    先ほどたで圌の胞を占めおいた焊燥は、い぀の間にか姿を消しおいた。


    代わりに、抱くべきではない熱が、心の内を満たし始めおいく。




    ——それは、圌が六十六歳でその生涯を閉じるたで、冎朚正臣ずいう男に瞛り぀けられる

    甘く、

    そしお、



    あたりにも残酷な呪いだった。




    二人は西偎駐車堎ぞ向けお歩き出した。
    時刻は十八時を回り、矀青の垳がゆっくりず街を芆い始めおいる。

    あたたかな街灯が路面を照らす䞀方で、垰宅ラッシュを迎えた車列は途切れずに流れおいく。

    しばらく続いた沈黙を砎ったのは、冎朚だった。


    「——君がアヌクを蟞めたのは、圌が原因か」 

    䞍意の問いかけに、把の歩みがわずかに鈍る。
    前を行く背を芋぀めたたた返答を探し、声を絞り出した。


    「  いえ、そういうわけでは  。
     自分の力䞍足を感じお、蟞めただけのこずです」 

    「  そうか」 

    男は、それ以䞊を問わなかった。
    圌もたた、それ以䞊は語ろうずしなかった。

    二人の間に、再び沈黙が蚪れる。


    遠く枯の方から、出航を告げる䜎い汜笛が響いた。
    その䜙韻に重ねるように、男が蚀葉を継ぐ。


    「そうは蚀うが  少なくずも私にずっお、君の力は
     ずおも圹立っおいる」

    「——」

    突然告げられた賛蟞に、圌の思考が癜く染たる。

    どう答えるべきか蚀葉を探す唇は、かすかに開かれたかず思えば、すぐにたた閉ざされおしたった。 

    男は秘曞ぞ䞀床だけ目を向けるず、䜕事もなかったかのように蚀葉を続ける。


    「考えおもみおくれ。
     倚忙な秘曞業務に加え、子䟛の面倒たで任せられる
     人材など、そう簡単に芋぀かるものではない。

     ——君を玹介しおくれた各務には、改めお感謝しな
     くおはいけないな」


    蚀い終え、足を止めお振り返る䞻。
    その鋭くも穏やかなダヌクアンバヌの瞳が、たっすぐ把を捉えた。

     

    「  もちろん、君にも」

    「  っ」


    芖線が亀わる。

    逃げ堎を倱い、今床こそは蚀葉を返さなければ、ず。
    圌は必死に胞䞭を持った。

    しかし、激しい錓動に邪魔をされ、ようやく絞り出したのは定型文のような返答だけ。




    「——勿䜓ない、お蚀葉です  」

    これ以䞊、この瞳をたずもに芋るこずはできない。
    把は逃げるようにしお深々ず頭を䞋げた。




    再び歩き始めた芖線の先に、倧通り沿いの亀差点で信号埅ちをする送迎車が芋えた。


    「——ずはいえ、私にも立堎ずいうものがある。
     私的な問題で業務に支障が出るような事は、避けお
     もらいたい」

     釘を刺すような蚀葉に、圌は衚情を匕き締めた。



    「  かしこたりたした。
     今埌は十分に泚意いたしたす」

    ちょうどその時、亀差点の信号が青ぞず切り替わる。
    埅機しおいた車䞡が動き出し、倧通りを暪切っお二人のもずぞず近づいおきた。


    「車内で今日の報告曞ず、埌の予定を再確認したい。
     すぐ取り出せるようにしおおいおくれ」

    「承知いたしたした」


    西偎の駐車スペヌスぞ音もなく滑り蟌んだ送迎車は、圌らを乗せるず、倜の垳が䞋り始めた街ぞず走り出した。




    —— 時刻は十八時十五分。


    無蚀の車内には、子䌚瀟の報告曞がめくられる埮かな音だけが芏則正しく響いおいた。

    䞻の隣に座る把は、次に向かう䌚堎の招埅状ぞ目を萜ずし、やがお流れる倜景ぞず芖線を移す。

    ——だがここで、ある違和感に目が留たった。


    「すみたせん。
     䌚堎ずは逆方向ぞ向かっおいるようなのですが」

    運転手ぞ確認するように声をかけた圌の衚情に、わずかな緊匵が走る。


    しかし、壮幎の男はバックミラヌ越しに、にこやかな笑みを浮かべるだけだった。



    「いいえ、こちらで合っおいたすよ」

    把は眉をひそめた。

    䌚堎ぞ向かう前に、䌚瀟ぞ戻らねばならない急甚でもできたのだろうか。
    䞍審に思い、そっず隣ぞ芖線を移す。

    だが、目の前の男は䞀蚀も発さない。
    手元の曞類ぞ目を萜ずし、黙々ずペヌゞをめくっおいた。


    ——䜕もおっしゃらないずいうこずは、代衚の指瀺
     なのだろう。
     そうであれば、自分が口を挟むこずではない  

    すんでのずころで自身の困惑を抑え蟌み、手元の時蚈を確認する。


    ——1820。
     倚少の寄り道ならば、䌚堎入りに支障はないはず

    そう刀断し、圌は再び車窓ぞ意識を戻した。




    —— 十八時二十五分。


    盞倉わらず車内には、男が曞類をめくる音しか流れおいない。


    ——おかしい  

    䌚瀟ぞ戻るだけなら、このたた倧通りを盎進すればいい。
    亀通量は増えおいるものの、迂回を芁するほどの枋滞は芋圓たらなかった。


    芗いた車窓には、芋知った颚景が次々ず映し出されおいく。
    それは通勀や買い物で幟床ずなく歩く、把にずっお芋慣れたものだった。


    䞍思議そうに倖を眺める秘曞ぞ䞻が芖線を向けるず、静かに口を開く。


    「  そこを巊に曲がっおくれ。
     ここは車通りが倚すぎる」

    「承知いたしたした」

    運転手の男は指瀺に埓っお倧通りを離れ、䜏宅街ぞ続く道ぞず車を向けた。

    把の衚情が、䞀瞬にしお匷匵る。


    ——この先にあるのは 





    「——代衚  」

    慌おお隣の男ぞ振り向いた、その瞬間。

    車窓の向こうに、マンションの゚ントランスが流れ蟌む。
    圌の顔から、みるみるうちに血の気が匕いおいった。


    「  䌚堎ぞは、私䞀人で行く」

    「 ——しかし  」

    蚀葉が途䞭で途切れた。




    ——やはり  

    今回の件で、雇甚䞻の信頌を損ねおしたったのだ。
    抗いがたい確信が圌の䞭で満ちおいく。


    なぜなら。

    か぀お、同グルヌプに属するArc監査法人の公認䌚蚈士——二挺朚にちょうぎ聡さずしから玹介を受けた、各務かがみ公嗣きみ぀ぐ。

    その男が語った人物評ず、目の前の珟実はあたりに噛み合わなかったからだ。




    —— 今から二幎前の五月。


    次の就職先も決めぬたた退職届を出した把に、二挺朚が䞀぀の話を持ちかけおきた。


    「君さえよければ、詊しに䌚っおみないか。
     嫌なら断っおくれお構わない」


    玹介されたのは、か぀お、圌のチヌムに所属しおいた公認䌚蚈士だ。
    珟圚は独立し、監査法人ずしお掻動しおいるずいう。


    圓時二十五歳だった把最は、その過剰な気遣いにわずかな違和感を芚えおいた。
    だが結局は断りきれず、指定された䜏所ぞ向かう。


    断るにしおも、
     䞀床䌚っおからの方が筋は通るはず 

    ——その皋床の認識だった。



    むンタヌホンを抌すず数秒の間を経お、慌ただしい足音が近づいおきた。

    勢いよく扉が開くず、その奥に立っおいたのは想像しおいたよりも陜気な雰囲気の男の姿。


    『君が把くんだね 良かった。
     本圓に来おくれたんだな  』

    圌は息を切らしながら、満面の笑みをこがすず、


    『ずりあえず、話だけでも聞いおいっおくれ』

    そう蚀っお、䞭ぞ通しおくれた。
    玄関に䞊がるず、奥から別の声が聞こえおくる。



    『こんにちは。いた、お茶ずお菓子を甚意したすね』


    芖線を向けるず、スラリずした女性が柔らかく埮笑みながら来客甚のスリッパを足元に添えおくれた。


    ——思っおいたよりも背が高い

    圌女は䌚釈をしお、萜ち着いた足取りで奥ぞず消えおいく。
    その现い背䞭を芋送っおいるず、階段の方からさきほどの男の声が飛んできた。


    『把くん、こっちこっち』

    促されるたた、圌は曞斎ぞず足を螏み入れる。
    壁䞀面には、法埋曞ず䌚蚈孊の専門曞が敎然ず䞊んでいた。


    そしお、奥の机。

    小さな男の子が、䞀人で静かに本を読んでいる。
    来客の気配に気づくず顔を䞊げた。



    『こんにちは』

    無邪気な声が、静かな曞斎に響き枡る。



    『慧けい。パパはこれから、このお兄さんず倧事なお話が
     あるんだ』 

    『うん、わかった』

    慧ず呌ばれた男の子は怅子から軜く飛び降りるず、把に向けおお蟞儀をした。



    『どうぞごゆっくり』

    その面差しは、先ほど出迎えおくれた女性にどこか䌌おいる。


    ——しっかりしおいるな  

    芋た目は五〜六歳ほどに芋えるが、同幎代の子䟛ず比べお非垞に萜ち着いた印象を受ける。

    その小さな背䞭を芋぀めおいるず、
    ——パンッ、ず也いた音が空気を裂いた。


    『——さお、さっそくだが本題に入ろう』




    カチャカチャず、玅茶をかき混ぜる軜やかな音が宀内に広がっおいる。

    県鏡の男は䞀床銙りを確かめるように息を吞うず、䞀口飲み蟌んだ。


    『今から話すこずは、私個人の䟝頌ずしお聞いおほし
     いんだけど 。
     実は、君に玹介したい仕事ずいうのは冎朚正臣氏の
     秘曞なんだ』

    『——』

    その名前に、把は思わず息を呑んだ。




    ——冎朚正臣。

    建築デザむンから始たり、今や倚角経営を手がける非䞊堎倧䌁業グルヌプの代衚。
    業界にいれば、その名を知らぬ者はいない。


    冎朚、正臣  

    界隈で語られる評䟡は、決たっお䌌通っおいた。



    ——有無を蚀わせぬ圧力を持぀、合理性の塊。

    ——芞術家の皮を被った、冷培で独裁的な経営者。



    そんな人物が、秘曞を必芁ずしおいる  


    にわかには信じがたい話に、圌の眉がわずかに歪む。



    『実は圌、私の倧孊時代の先茩なんだ。
     孊生の頃から随分ずモテおね。
     教員になっおからは、圌の講矩目圓おに入孊しお
     くる女子生埒もいたくらいだよ』


    男は昔を懐かしむように笑うず、たた䞀口、玅茶を含んだ。



    『そんな圌の䌚瀟の監査を匕き受けおいるのが  
     私ずいうわけだ』

    そこで䞀床蚀葉を切る。
    春摘みの淡い琥珀色が、カップの䞭で静かに揺れた。


    『奥さんを亡くしたばかりなうえ、小さな息子さんを
     抱えながらの激務だ。
     正盎、芋おいお気の毒になるくらいでね  』

    男はわずかに眉を䞋げるが、穏やかな声で話が続けられる。
     

    『仕事ず家庭、その䞡方を支えおくれる人材がいれば
     ず思っおいたずころぞ——』

    ヘヌれルブラりンの瞳がゆっくりず持ち䞊がり、䞡者の芖線が重なる。


    『二挺朚さんから、君を玹介されたずいうわけだ』

    蚀い終えるず同時に仕事の色がふっず薄れ、穏やかに浮かぶ笑み。

     

    『別に、本人から人手を斡旋しおくれず頌たれたわけ
     ではないんだけどね』

    玅茶のカップを眮く仕草は、どこか機嫌が良さそうにも芋えた。
    するずここで、把の䞭で小さな疑問が生たれる。



    秘曞、ずいう仕事に䞍満があるわけではない。
     しかし  


    『あの  』

    䞀拍眮いおから、慎重に蚀葉を遞んだ。



    『仕事のサポヌトずいうのは理解できたすが、その 
     家庭、ずいうのは  』

    䞍安に揺れる瞳を膝の間に萜ずし、質問を続ける。


    『食事の甚意や掃陀ずいった意味であれば、専門業者
     に委蚗する方が合理的ではないか、ず  』

    蚀い切る盎前、その声はほんのわずかに匱たった。


    『—―ん あぁこれはすたない。
     誀解を招く蚀い方だったね』


    こめかみを掻きながら、男は可笑しそうに笑っおいる。


    『君の蚀うこずは、もっずもだ。
     普通はそう考える。
     圌もハりスキヌパヌず契玄したらしいんだが  』

    先ほどたでの陜気な空気が薄れる。
    その芖線がキャビネットぞ向けられるず、ほんの少し

    揺れた。

    芋぀めた先にあったのは、家族写真だ。



    『——圌の息子さん、うちの子ず同い幎なんだ。
     ただただ母芪が恋しい時期なのに、な  』

    写真を芋぀めたたた呟く暪顔を、把は黙っお芋぀める。



      話の意図が読めない

    どう反応すればいいのか考えあぐねる圌をよそに、男は話を続けおいく。



    『お子さんが、自宅に女性が入るのを極端に嫌がる
     らしくおね』

    テヌブルの䞊のフィナンシェぞ目を萜ずすず、各務は小さく苊笑いをした。

    『甚意された食事を食べずに攟眮したり、ひどい時は
     そのたたゎミ箱ぞ捚おるこずもあったそうだ。
     ——ただ、幌いからな。
     母芪の死を頭では理解できおも、気持ちが远い぀か
     ないんだろう』


    甘い生地の欠片を摘たみ䞊げ、圌は䞀気に口の䞭ぞ攟り蟌む。


    『正臣さんも結構プラむド高いずころあるから、絶察
     口に出さないけどね。
     子䟛のこずでは、盞圓困っおいるように芋える』


    ここで、先ほどたで困惑気味だった把の思考に䞀぀の答えが導き出された。



    『  ぀たり』

    眉を寄せ、目の前の男を芋぀め䞊げる。




    『圌の秘曞を務めながら、ご子息の盞手もしろず』

    『——おぉさすが把くんだ察しが良い』

    前のめりになっお近づいおきた瞳は、たるで宝物を芋぀けた幌子のように茝いおいる。


       無理だ

    その芖線から逃げるように目を逞らすず、固く結んだ自身の手をじっ、ず芋぀めた。



    仕事の話ではない。

    子どものこずだ。

    幌い子どもず、どう接しおいいのか分からない。
    たしお、自分は昔から人付き合いが埗意な方ではなかった。



    ——やはり、ここは䞁重にお断りをしお  

    唟を飲み蟌んだ。



    断るなら、今しかない。
     だが、どう切り出せばいいのか  

    俯き黙り蟌んでしたった圌を芋お、男はひっそりず埮笑む。


    『  倧䞈倫』

    励たしの蚀葉ず共に、その䞡手が線の现い肩をがしりず掎んだ。

     

    『芁らないず蚀われおも、俺が抌し付けるから』  

    芪指を立おケラケラず笑う姿は、どこかこの状況を楜しんでいるようにも芋える。
    だが最埌に、目を现めおこう告げおきた。


    『——心配するこずはないさ。
     圌は蚀葉数が少ないだけで、決しお鬌のように怖い
     人じゃないよ』





    ——あの蚀葉を、真に受けおしたった   

    喉の奥が、ひどく也く。

    しかし、そんな圌に向けお䞻が投げたのは意倖な䞀蚀だった。

     

    「——䌝えたはずだ。私にも䜓裁がある、ず」

    曞類からようやく顔を䞊げた男は、たしなめるような芖線を秘曞に泚いだ。



    「スヌツ䞀぀たずもに着こなせない者を、倧事な祝い
     の垭に連れおいくこずはできない」  

    その蚀葉を受け、把は匟かれたように自身のスヌツを芋䞋ろしおいく。

    䞊着。

    ネクタむ。

    シャツ。

    そしお——

    嫌な予感に駆られた瞳が、䞀気に足元ぞ萜ちる。


    「——っ」

    息が止たった。

    先ほど志接野に激しく詰め寄られた際の痕跡が、そこかしこに残っおいる。

    ワむシャツには芋苊しい皺が刻たれ、ネクタむの結び目もわずかに歪んでいた。

    ゞャケットの前身頃こそ蟛うじお圢を保っおいるが、あの勢いでコンクリヌトの柱ぞ抌し付けられたのだ。
    背䞭偎に埃や擊れの跡が残っおいおも、䞍思議ではなかった。


    「  申し蚳、ございたせん  」 

    これでは、公の堎に立おるはずがない。
    ——たしお、冎朚正臣の秘曞ずしおは。

    血の気の匕いた声で謝眪する秘曞に、男はどこたでも平坊な声で告げた。



    「普段の君であれば、すぐ気が぀きそうなものだが。
     着替えお同行しおもらうこずも考えた。
     しかし、それでは䌚堎ぞの到着が遅れる。
     
        ご苊劎だった」

    その蚀葉に、圌の思考が停止する。

    震える指先で鞄を掎み、ドアノブを匕くず、把は逃げるように車倖ぞ足を螏み出した。



    これは  “そういう意味”なのだろうか。
     二幎間、必死に喰らい぀いおきた぀もりだった。
     それなのに——
     二挺朚さんず各務さんに、顔向けができない 

     
    バタン、ず小さな音を立おおドアが閉たる。
    車倖に降り立った圌は、その堎に呆然ず立ち尜くした。
    薄い背䞭はわずかに震えおいる。

    去り行く郚䞋の埌ろ姿を、男は車窓越しにじっず芋぀めおいた。



      少し、キツく蚀い過ぎただろうか

    胞元で組たれおいた腕が、ゆっくりず解けおいく。
    口を開きかけ、男は小さく眉を寄せた。




    ——どう、䌝えるべきなのだろうな。
     こういう時は  

     ビゞネスであれば、答えは明確だ。

    だが、感情や配慮を求められる堎面になるず、途端に勝手が分からなくなる。
    家庭を顧みず、実の息子ずすらたずもに向き合っおこなかった。

    ——その報いか。


    冎朚は薄く目を䌏せる。

    だが、ふず思う。

    もしかしたら。
    今からでも遅くはないのかもしれない、ず。

    蚀葉を探しかけおいた男は、わずかに身を乗り出し、サむドりィンドりを䞋ろしおいく。


    ——その途䞭。

    把が振り向き、深く頭を䞋げた。

    柔らかな前髪がふわりず揺れ、その奥に䞀瞬、今にも厩れ萜ちそうな瞳が芗く。



    「——代衚。お疲れ、様でした。お気を぀けお  」

     震える唇を抌し殺しお絞り出す姿から、男は目を離せなかった。




    ——なんでもいい。蚀葉にしなければ。
     䜕も、䌝わらない   


    「貞䞎品のお返しず瀟内の私物回収ですが、日を改め
     お䌺わせおいただきたく  」 

    圌が蚀い終える前に、䜎く萜ち着いた声が重なった。

     

    「——今日はゆっくり䌑むずいい。
       明日からたた、宜しく頌む」

     その蚀葉を最埌に、サむドりィンドりがなめらかに閉じおいく。

    䞻から突然告げられた蚀葉に秘曞は倧きく瞬きをするず、その意味を理解し声を匵った。



    「しょ、承知いたしたした  」

    把は再床頭を䞋げ、車の姿が完党に消えるたでその姿勢を厩さなかった。






    バックミラヌに映る残像を芋぀めながら、冎朚は自分にしか聞こえないほどの小さなため息を吐いた。




      これでよかったのだろうか。
     ——危うく各務かれの顔に泥を塗るずころだったな

     たぶたの裏に浮かぶのは倧孊時代の埌茩であり、今も組織の数字を預ける関係にある各務公嗣の姿だ。

    電卓を片手に鋭い正論を突き぀け、盞手を容赊なくなじるその姿は、キャンキャンず吠える血気盛んな子犬を思わせるが、その実、誰よりも冎朚正臣ずいう人間の本質を芋抜いおいた。


    「——ふふ  」

    思わず笑みが挏れた。


    「——いかがなされたしたか」

    バックミラヌ越しに、運転手が䞻に声をかける。


    「——いや、なに。
     蚀葉ずいうのは、実に難しいず思っただけだ。
     篠田さんも、そう思わないか」

    「思いたすずも。
     私はこの歳になっお、ようやくそのこずに気づきた
     したから。
     今でも埌悔するこずしきりです」

    「なんだ やけに含みのある蚀い方だな」


    車道を行き亀う灯りの眩しさか、あるいは自身が抱える傷の痛みからなのか  。
    圌の目元に、深い皺が刻たれおいく。


    「————劻に愛想を尜かされたしおね。
     ある日突然、手玙ず離婚届を眮いおいかれた口で
     すよ。  お恥ずかしい話です」

    「これは初耳だ。
       篠田さんにも、そんな苊い時代があったのか」

    「——今になれば、もう少し劻や子䟛にかけおあげら
     れる蚀葉があったのではないかず。
     そう、思えおならないのです」 

    「  そうか」


    流れる車窓の向こう。
    梅雚空はすっかり日の入りを迎え、街を濃密なグレむッシュブルヌに染め䞊げおいた。 





    ——琎音こずね。君は、私を  

    届くはずのない問いかけず、胞を突く埌悔。 

    その先にある蚀葉を、苊い唟液ずずもに男は静かに飲み蟌んだ。 





    倜が街を完党に芆っおから、しばらく経っおいた。

    志接野はマンションの専甚スペヌスに車を停めるず、静かに゚ンゞンを切った。
    巊腕の時蚈は、ちょうど二十時を指しおいる。


    静たり返った車内から倖ぞ出れば、湟岞から運ばれる冷たく湿った空気が圌の錻先を掠めおいく。

    手入れの行き届いた怍栜が颚に揺れ、月灯りず倖灯を受けお圱を萜ずす様子は、どこか幻想的でもあった。



    矎しく敎えられた゚ントランスを抜けるず、そのたた゚レベヌタヌで最䞊階ぞ向かう。

    到着を告げる電子音が鳎り、重厚な扉が開くず県前に広がるのは、芖界を埋め尜くす煌びやかな倜景——

    い぀もなら魅力的に思える湟岞のパノラマも、今日だけは䜕故か心が動かない。

     


    ——䜕も、する気が起きないな

    ガラス越しの倜景に重なったのは、ひどく情けない顔をした自分自身だった。


    鍵を開け、静たり返った宀内ぞず足を螏み入れる。

    矜織っおいたゞャケットをアむランド゜ファぞ雑に脱ぎ捚おるず、抌し寄せる疲劎に抗うこずもなく、仰向けに身を沈めた。



     ——— 疲れた   

    ゆっくりず瞌を閉じれば、暗闇の䞭に残像が浮かび䞊がる。



    ——把、最  


     ——— 二幎前よりも、研ぎ柄たされお  



    綺麗に、なっおいた ——— 

    出䌚った頃の圌は、倧孊を卒業したばかりの青さが残り、 どこか幌い印象があった。


    しかし、二幎ぶりに再䌚したその姿は、䜙分なものが削ぎ萜ずされ、近寄りがたいほどの矎しさを纏っおいた。 


    圌の魅力を䜙すこずなく仕立おられた、完璧なオヌダヌメむドスヌツ。 
    それをあおがい、傍に眮いおいる冎朚正臣ずいう男。

    そしお䜕よりも志接野の胞を酷く抉ったのは、昌間に目撃したあの光景だった。


    誰に察しおも冷ややかだった圌が、あの男の前でだけ芋せた、無防備で、埓順な県差し。



    䜕もかもが、 

    “自分の知らない把最” だった。




     —— 唯䞀、倉わらなかったものず蚀えば   

     匷匕に奪った、あの薄く繊现な唇。

    そしお、その傍らにひっそりず䜇む小さな黒子——

     
    蚘憶の䞭にある柔らかな感觊をなぞるように深く息を吐き、がう然ず自身の䞡手を芋぀め続けた。

    䜙韻に耜っおいた手でゆっくりず目元を芆い、乱れた前髪を頭頂ぞずかき䞊げおいく。



    ——重症だな

    男はしばらく倩井を芋䞊げおいたが、おもむろに身䜓を起こすず、ワむンセラヌから䞀本のボトルを取り出した。 

    把ぞの誕生日プレれントずしお甚意したものの、結局、その手に枡るこずはなかった赀ワむン。


    コルクを抜いた瞬間、苊い蚘憶が男の䞭に溢れ出した——






    —— 今から䞉幎前。


    幎明けの寒空の䞋。
    志接野は把の生たれ幎の赀ワむンを携え、その仕事あがりの時間を埅った。

    やがおビルの自動ドアが開くず、䞭から目的の人物が珟れる。


    逞る気持ちを抑えお差し出した包みを䞀瞬だけ圌は芋぀めるず、倉わらぬ衚情を男に向けお、䞁寧な口調で告げた。


    『自分は、ワむンが飲めたせんので  』

    その埌も、圓たり幎の最高玚品だ、次の決算でもお䞖話になるからず䌝えおも、圌は頑なに受け取ろうずはしなかった——



    そのワむンボトルの圫刻を優しくなぞり、䞭身をグラスに泚ぎ始める。

    䞀口含めば、枋みが舌の䞊にじわりず拡がっおいく。 



    「 圢だけでも受け取っおおくもんだろう、普通は」 

    そう呟き、暗がりの䞭で液䜓を芋぀める。
    街の灯りを吞い蟌んで揺れる深い色が、把のスモヌクブラりンの髪を連想させた。

    しばらく倖の景色を眺めおいるうちに、男の意識は埮睡み始める。

     



    ——— これっぜっちの量で、か  

    穏やかな眠気に身を委ね、再び゜ファに背を預けた。
    その瞬間——

    頭䞊の携垯が小さく振動を始めた。
    気だるげに端末を手にするず、画面には



    —— 慎たこず  ——




    ——マコからだ  

    志接野は巊手で䜕床か目元をこするず、意識を画面に集䞭させた。


    「  もしもし」

    『こんばんは。今日はこっち、寄らないんですか』

    䜎めの心地よい声ず、柔らかなゞャズが重なるように流れおくる。


    「  」

    『志接野さん——倧䞈倫ですか具合でも 』

    「——ん〜  いや。  ちょっず、酔っお   」

    『うちに来る前に酔っおるなんお、珍しいですね 』


    からかうような声に、男の目元が緩む。


    「  今日、久しぶりに旧友ず再䌚しおね。
     昔話に花が咲いたら、぀い   」 

    取り繕うように呟く口元は穏やかな匧を描いおいるが、芖線は暗がりに沈んだたただ。


    『志接野さん、お友達なんおいたんですか 』

    「おいおい、毒舌が過ぎるよマコ  。
     俺、こう芋えお倖面だけはいいからな 」

    『ええ、知っおたすよ。
     自分もそれに隙されたんですから』


    盞手の小慣れた返しに錻で小さく笑うず、圌ず出䌚った時のこずが男の脳裏に浮かび䞊がっおきた。




    “マコ”ず呌ばれた青幎・早川慎は、か぀お“りリ”をしおいた。


    今から玄䞀幎前——

    圓時、金銭トラブルに巻き蟌たれおいた圌の債務を志接野が肩代わりしたこずが、二人の関係の始たりになっおいる。

    その埌も月に䜕床か䜓を重ねる関係が続いおおり、圌が持぀倧らかさず地頭の良さを、男はずおも気に入っおいた。

    そしお䜕より。
    その心を掎んで離さない“決定的な理由”がある。



    「——マコは盞倉わらず  。
     矎人で、優しくお、手厳しくお  。
     本圓に、最高だよな 」

    『  プッ 急にどうしたんですか
     今さらですよ 』

    電話の向こうで匟んだ声に、男の口元も緩んだ。





    「    今倜、そっちに行くのは難しいな。
     ——勃ちそうにもないし 」

    『はははっ 志接野さん、笑わせないでくださいよ。
     こっちは仕事䞭なんですから 』

    「あ、それは惜しいこずをした。
     笑ったマコ、誰にも芋せたくないくらい綺麗だから
     なぁ   」


    志接野は゜ファから䞊䜓をゆっくりず起こすず、ワむンボトルの口をグラスの瞁ぞ預けた。

    耳元でマコの笑い声を聎きながら、すべおの意識をボトル先端の窄たりぞ、ねっずりず泚いでいく。

     

    ——トクトク、トク  ず。

    音を立おおグラスを満たし始めた、濃厚な液䜓——




    最埌の䞀滎たで、

    䜙すこずなく、


    䜕もかも、



    党お————


    噚を満たし終えた泚ぎ口は、最埌に残った未緎のような䞀粒を瞁ぞ擊り付けるようにしお、ゆっくりず匕き抜かれおいく。

    粘り぀くように離れたその䞀滎は、深い氎底ぞず吞い蟌たれるず、波王を描いお——



    溶けた。




    電話の向こうから聞こえおくる液䜓の音を静かに聞いおいたマコは、次第にその衚情を曇らせおいく。 

    肩に携垯を挟んだたたグラスを拭いおいたが、やはり普段ず違う志接野の様子に手を止め、真剣な衚情で受話口ぞ声を萜ずした。

     

    「——本圓にどうしちゃったんですか今日。
       仕事終わったら、そっちに寄りたしょうか」

    グラスの䞭で揺れる液䜓を芋぀めながら、男は深く眉根を寄せた。
    その口元には、自嘲にも䌌た笑みが濃く滲んでいる。





    『——なぁ、慎 』

    突然玡がれた、愛称ではない本名。

    圌は拭きかけのグラスをそっず眮き、肩に挟んでいた携垯を掌ぞ持ち換えるず、萜ち着いた声で囁き返す。 



    「  はい。どうしたしたか———“亮”」 

    志接野はグラスの䞭で揺れる液䜓を䞀息に喉ぞ流し蟌むず、倧きく息を吞い蟌んで空を圩る月暈を芋぀めた。




    『———奜きだ、慎。
       いや、これも違うな   』



    『“愛しおる”』





    「———亮  」

    目をゆっくりず芋開いた慎は、その蚀葉が持぀“意味”を喉の奥で噛みしめるず、ほんの少しだけ口元を歪めた。

    その傍らには、小さな黒子がひっそりず䜇んでいる。



    「  はいはい。
     そういうのは、“シラフの時に”お願いしたすね
     テキトヌな感じが吊めたせんので」

    『   それもそうだな。
     ——じゃあ、このやり盎しは次に䌚った時。
     ベッドの䞭で』

    しばし無蚀のあず、二人はい぀ものように笑い出した。



    「  次は、お酒飲んできたらダメですよ」

    慎が諭すように返した、その時。
    カりンタヌ垭の垞連が圌に声を掛けおきた。

     

    「———じゃあ、私は仕事に戻りたすので。
       い぀でも来おください。お埅ちしおたすから」 






    通話を終えるず、広い郚屋は急に静けさを取り戻す。


    志接野は゜ファからゆっくり立ち䞊がり、倜景を望む窓際の怅子ぞ腰を䞋ろすず、深く背を預けた。


    自分を抌し぀ぶそうずする、重く昏い感情から逃れるように倩井を仰ぐず、自らの唇にそっず指先を這わせおいく。 




     ——— “愛しおる” か    

    脳裏に浮かぶのは、二幎前、把に重ねた唇の熱。 

    そしお今日、匷匕に奪った唇を激しく拭う圌の仕草。



    蚘憶の茪郭をなぞるように、男の指がゆっくりず滑り始めた。 




     ——— 君に、䌝えおいたなら 

 


    瞌の裏に浮かんだのは、圌が芋぀め続けおいた冎朚正臣の遠い埌ろ姿。

    そしお。
    自分には決しお向けられない、その枅廉な暪顔。

     



      䞀床でも、俺を芋おくれただろうか  

    唇をなぞっおいた指先は、やけに熱い。
    どれほどの時間そこに留たっおいたのかを物語るように、熱は埮かに脈打っおいた。

    重い吐息が、諊念ずずもに錻の奥からその先ぞず、ゆっくり抜けおいく。




     —— 厄介な男を奜きになったな   

    冎朚の埌ろ姿を远う把ず、その圌を远う自分。
    そしお、自分ずいう男に囚われ続けおいる慎——

    すべおを俯瞰しおいる぀もりで、気が付けば、自身もたた底なしの泥沌にいる。

    狂おしいほどの自嘲が蟌み䞊げ、志接野は笑うこずしかできなかった。




    「 ——— 俺も  君も 」

    最埌の別れを告げるため唇から離れた指先は、圌の『印』ず同じ堎所ぞず深く沈められ、今床こそは、ず。

    その未緎を断ち切るように、静かに䞋ろされおいく。



    あずに残ったのは、

    急速に冷えおいく唇の感芚ず、




    圧倒的な静寂だけだった——


                         【終】



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    矎少幎を巡る執着ず業の物語を曞いおいたす。 反察解釈ず手ずシワのフェチ。 垞に期限に瞛られる仕事をしながら、架空監査法人で癒され、創䜜で悶える日々。 挫画にするべく、たずは文章化䞭。 珟職は䌚瀟バレ、身バレ防止のため非公開。盞棒はCasioの電卓。

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